第百五十四話 備えあれば憂いなし
俺は工程の擦り合せを終えると、ガルードの商館を後にした。
魔王城へと帰る道すがら、
こうして自分の足で歩くのも随分と久しぶりな気がする。
たまには少し遠回りをして、
城下町の様子を見て歩くのも悪くない。
通りに出ると、この世界に来た当初と比べて、
街は見違えるほど活気に満ちあふれていた。
今は路地裏で、お腹を空かせた子供たちの姿はどこにもない。
誰もが前を向いて仕事に励み、まともな飯を食えている。
その光景を見ているだけで、
これまでの仕事の日々が報われたようで、
なんとも感慨深いものがあった。
そんな風に物思いにふけりながら裏道を歩いていると、
背後から不意に声がかかった。
「八起様、いい所でお会いできました。
私は商人ギルドの方で商いをしております。
実はこの度、少々困った事がございまして、
どうしても八起殿のお知恵をお借りできないかと……」
振り返ると、
いかにも商人らしい身なりの男が、
揉み手をしながら困惑した表情で立っていた。
「ああ、困りごとは。まずは話を聞いてからだな。
どうしたんだ?」
「ええ、実はここでは少し話しづらい内容でしてね。
お手数ですが、一緒に来ていただけますか」
俺は特に疑いもせず、商人の導く方向へと足を向けた。
薄暗い建物の隙間に入り、数歩進んだ、
まさにその時だった。
『ドカッ!』
突如として、俺の背中に凄まじい衝撃が走った。
背後から、
太い丸太のような鈍器で思い切り殴りつけられたのだ。
その衝撃の勢いのまま、俺は前のめりに地面へと倒れ込んだ。
すかさず、
周囲の物陰から数人の薄汚れた男たちが飛び出してきて、
俺の周りをがっちりと囲む。
「おいっ、早くしろ!縛り上げて樽に押し込むんだ!
逃がすんじゃねえぞ!」
リーダー格の男が荒っぽい声で指示を飛ばす。
(なんだこいつら……。
アーマースーツを着ていて良かったぜ)
俺は心の中で強烈な安堵を覚えた。
衝撃拡散の特性のおかげで、
倒れ込みはしたものの体にはかすり傷一つ、
痛みすら残っていない。
「よし、動くか」
俺はスーツに一気に魔力を流し込むと、
スプリングが弾けるような推進力で、
地面から勢いよく跳ね起きた。
「な、なんで立ち上がれる!?」
「そんな軽く殴ってねぇぞ!確かに手応えはあったはずだ!」
「死なないように手加減しすぎたんじゃねぇか!?」
「チッ、もう一度やれ!叩き伏せろ!」
全部で五人。
手引きした商人の男も含め、
全員が驚愕の声を上げて一歩後退する。
しかし、すぐに一人の大男が「おおおっ!」と声を上げ、
『ブンッ』
と風を切り裂く音を立てて再び太い丸太を振り下ろしてきた。
だが、今の俺の身体能力は筋力補助で跳ね上がっている。
「甘いな」
俺は振り下ろされた丸太を左腕で力任せに払いのけ、
体勢を崩した大男の胸ぐらをガッチリと手で掴み取った。
そして、スーツの出力を全開にして力を込めて、
背後で命令を下していたリーダー格の男に向かって、
大男の巨体を投げつけた。
「ぐはっ!?」
「ごふっ!」
肉体と肉体が激しく衝突する生々しい音が響き、
二人の男がまとめて地面を転がる。
「ば、化物っ!?」
その一幕を見た商人と、残りの男二人は、
完全に戦意を喪失した顔で全力で路地裏の奥へと逃げ出した。
投げ飛ばされた大男は頭を打ったのかそのまま気絶したようだが、
下敷きになったリーダーらしい男は、
痛みに顔を歪めながらも、
素早くナイフを抜いて猛然とこちらに向かって突き出してきた。
ギラリと光る刃が俺の胸元に迫る。
だが、俺は冷静にその軌道を見切っていた。
ガルム将軍と何度も力試しや手合わせをした後、
実戦的な護身術を叩き込まれていたのが、
ここにきて完全に功を奏した。
俺は刺しに来た男の腕を包み込むようにして捕まえる。
そのまま関節の向きに合わせて腕を鋭くひねり上げながら、
体重をかけて地面に引き倒し、男の体を組み伏せて制圧した。
「なぜ、俺を襲ってきた?」
「……」
「だんまりかよ。このまま腕の骨をへし折るくらい、
俺にはわけないぞ」
手首にさらにギリリと力を加えると、
男は激痛に耐えかねて悲鳴を上げた。
「ま、待て!待ってくれ!話す、何でも話すからっ……!」
男が痛みに顔を歪めて口を開いた、まさにその時だった。
路地裏のパトロールをしていた護衛ギルドの構成員たちが、
武器を構えて歩いてきた。
彼らの手には、
先ほど逃げ出したはずのあの怪しい商人の男が捕らえられ、
連行されているところだった。
「八起様でしたか!
怪しい男が血相を変えて飛び出して来たので足を止めたところ、
抵抗して逃げようとしたため、その場で身柄を捕らえました」
「ああ、助かった。その男に連れてこられたら、
後ろから不意打ちで襲われたんだよ。
あと二人は逃がしちまった」
「何ということだ……!すぐに手配を回し、
街の中にいる怪しそうな男を片っ端から調べてみます!」
「おい、無関係な人間まで巻き込んで痛めつけるような真似はするなよ。
現場の治安を守るのがお前たちの仕事だろ」
「は、はい!」
「俺が捕まえたこの二人の男たちも、
事情を聞きたいから城まで連行してくれ。頼む」
「ハッ、直ちに!」
ギルド員たちが暴漢たちを縛り上げるのを見届けながら、
俺は作業着の汚れを払った。
不穏な動きは確実にこの城下町にまで侵入している。
まさに備えあれば憂いなしだ。
俺は表情を引き締め、
連行される男たちの背中を追いかけるようにして、
魔王城への道を急ぐのだった。




