第八話「はなしのぶ」
五月末のお見合いから数日。
間もなく梅雨に入るからか、湿度の高い日が続いたあとの、妙にさっぱりとした空気感になった次の土曜日。
うちの事務所は一般的な平日稼働の事務所なので、例に漏れず仕事は休み。
金曜の夜、仕事終わりに九条さんからメッセージアプリへ連絡が届いていた。
『明日、朝十時半にカフェ【はなしのぶ】で会いましょう】
カフェ【はなしのぶ】。
自宅最寄り駅からは、二駅先にある駅前のカフェだ。手作りのベイクドチーズケーキが美味しいと評判で、何度か立ち寄ったことがある。
各テーブルには季節の花が飾られている、おしゃれなカフェだけれど……その利用客のほぼ九割が女性客で占められており、男性客は入りづらいともっぱらの噂だ。
……九条さん、私が合流するまでひとりで待っているんだろうか。
ちょっと想像がつかない。
***
「……いた」
思わず、口をついて出る言葉。
違和感がなく風景の一部として、テーブル席にいる九条さんに逆に違和感を覚えてしまう。
スタッフの『いらっしゃいませ』の言葉が、さらにその違和感を加速させた。
浮いてない。そこがおかしいと感じてしまう。
「お一人ですか?」
「あ……いえ、九条さんという方と待ち合わせを」
「かしこまりました」
笑顔で対応してくれるスタッフに案内されて、九条さんのいる席へ。スタッフと話している時に目があって、彼は席を立って出迎えてくれた。
「朝早くからすみません」
「いえ。私こそ、少し遅れてしまって……」
お互いに軽く会釈して席に着く。九条さんが手元に用意していたメニュー表を渡してきた。
「今日は少し暑いですね。もうすぐ、梅雨に入るのかな?」
「そうですね。予報ではまだ梅雨入りとは言われていませんでしたけど……」
メニューを受け取る。電車を降りてから感じていた、この時期特有の少しまとわりつくような空気。
まだ梅雨入り宣言はされていない。
けれど、季節は確かにあの日から少しずつ、前に進んでいた。
暑い。
冷たいものが飲みたくなる。
「私、アイスティーを。ストレートで」
「では、僕も同じ物を」
また、九条さんと飲み物の注文が重なった。
スタッフがお辞儀をして注文を通す。会計用の伝票が、透明な伝票立てに軽い音を立てて差し込まれた。
注文した飲み物が来るまで、席に着いた時に出されたお冷に口をつける。中の氷が軽やかで涼し気な音を立てた。
今日の九条さんは、休日なのもあってラフな格好だ。
V首の青みがかった紫のサマーセーターは……ゆったり目の七分袖で、ボトムスは使い込まれた風合いの黒のジーンズ。手首には嫌味のない、品の良いシルバーの腕時計が収まっている。
今日の髪型は、ヘアバームかワックスを使って軽く整えられていた。
「急に呼び出してすみません。今日は先日の話を前に進めるために、必要な交流をしようと思いまして」
「ああ、はい。つまり『デート』ということですよね?」
九条さんが微笑んだ。
「それと、できれば周囲に落ち着いた事を知らせるために、『ペアリング』か『婚約指輪』を見に行こうかと思っています」
「婚約指輪は分かりますけど、ペアリングですか?」
形だけとはいえ結婚する以上形式にのっとって、『婚約指輪』を購入するのは何となく分かる。
──ペアリングまで?
お見合いの日から数日が経過しているのに、私の中ではいまだに『実感』というものがお留守のままだ。
婚約指輪があれば、実感もわくのだろうか?
***
カフェで注文したアイスティーを飲み終えて、お手洗いを済ませている間に支払を済まされてしまった。
自分の分は自分で支払うと伝えたら、やんわりと断られて次回の約束を取り付けられてしまう。
なんとも、スマートで嫌味がない。
そして、次の目的地はジュエリーショップに決まった。
そう言えば──婚約指輪ってどうやって選ぶんだろう?




