第七話「逃げ道は塞がれた」
……?
今、一瞬だけ見えたのはなんだったんだろう?
気のせいかと思えるほどの、ほんの僅かなゆらぎが九条さんから感じられた気がした。
「すみません、聞き間違いだったようです」
九条さんが苦笑を浮かべた。
私の滑舌が悪かったのかしら?
「あ、いえ。私の方こそ、はっきり喋らなかったので」
「では、続きを話しましょうか」
九条さんは何事もなかったように、話題をもとに戻した。
***
「これで『契約結婚』の条件については、西園寺さんとしては異論はないということでよろしいですか?」
「はい、大丈夫です。特には問題ありません。何かあれば、その都度相談させていただきます」
残りの条件についての話し合いがまとまり、私はこの『契約婚』の話を受け入れた。
特に私にとって不利になる要素も、不満のある要素もない。今の、お見合い地獄から抜け出せるのであれば、契約という形であれ、『いい人』が見つかった事実は私にとって救いだった。
話が進んで、ホッと息を吐き出そうとしたその瞬間、控えめな足音が聞こえた。
「おまたせしました」
柳田さんと叔母が、席へと戻ってくる。
一瞬、視線が私たちに向けられたあと、柳田さんが軽く目を細めた。
「どうやら、話はまとまったようですね。いやぁ、良かった。お二人とも、最初から空気が合っているとは思っていましたが」
「そうですね。最初から雰囲気は悪くなかったですものね」
柳田さんの言葉に、叔母が同調して喜んでいる。
「ええ、問題なく」
九条さんのその言葉で、この話が正式に『決まったもの』になった気がした。
それなのに、感じるのは『安心』よりも『息のしづらさ』。
私は二人のやり取りを見ながら、ゆっくりと瞬きをする。
「……そうなんですね」
自分の声が、少しだけ遠くに聞こえた。
「西園寺さんが、とても素敵な女性であることがよくわかりました」
いい笑顔で、九条さんが話を進めていく。叔母の表情が完全に緩みきっている。
それもそうか、今回のお見合いが破談になれば、私は二度と、叔母の持ってくるお見合いには参加しないとまで公言したのだ。ここで話がまとまったことで、安心したのだろう。
「後は、数回交流をして、話を進めていければと考えています」
「うん。都度相談してくれれば、九条くんと西園寺さんに合わせられるよう、僕が調整しよう」
実感のわかないまま、九条さんと柳田さんによって、少しずつ外堀が埋められていくのを感じていた。
「ああ、そういえば。西園寺さん、連絡先を交換するのを忘れていましたね。これが私の連絡先になります」
九条さんから名刺を渡される。表には『柳田法律事務所』と記載があり、代表番号と九条さんの仕事用の番号が記載されている。裏を見ると、丁寧で読みやすい、それでも少し癖のある手書きの文字で、電話番号とメールアドレスが記載されていた。いつ書いたのだろう、と一瞬だけ思った。
「あ、はい。ありがとうございます」
「何してるの、翠。あなたも連絡先を渡しなさいな」
コソコソと叔母から指摘されるが、あいにく今日は、最初からハズレくじだと思って来ていたため、連絡先の準備はしていなかった。
──叔母に指摘されて慌ててメモを作る私に、九条さんの視線が静かに刺さる。
その理由は、まだわからないままだった。
2026.05.24 微調整。




