第五話「結婚観」
「正直なところを言ってしまえば、私自身、あまり結婚に対しては乗り気ではないんですよ」
グラスの水を一口飲んだ九条さんが、話し出す。
「仕事柄、人から恨みも買いますし」
……それは確かに、理解できることだった。
私もパラリーガルとして仕事をしている以上、『御礼参り』と呼ばれる脅迫文を見たことがある。
同じ経験をしているということか……。
私の視線は、自然と自分の手元のグラスへと移る。氷は……溶けて無くなっていた。
「でも、周囲は『結婚して家庭を持って、初めて一人前』という理論が、未だに根強く残っています」
「そうですね」
「だから、形だけでも整えてしまおうと……」
九条さんを見ると、視線は彼の手元のグラスへ注がれていた。氷は同じく、溶けて無くなっている。
「……結婚して当然、みたいな空気はありますよね」
九条さんの言葉が、自分の中に淀んでいた何かに引っかかり、同じ問題を抱えていたんだと腑に落ちた。
グラスは冷えているから、当然、汗をかいている。手は軽くグラスに添えているだけなのに、湿ってきていた。緊張してきている。
「結婚そのものを否定したいわけではありません」
「はい」
「ただ、お互いにムリを重ねた結果、関係が破綻していくケースを何度も見てきたんです。仕事柄ね」
視線を上げると、柔らかい微笑みを浮かべた九条さんと目が合う。
「だから、最初に条件を整理して……話を進めたい」
「つまり……『契約結婚』ということですか?」
脳裏に浮かんだ言葉が、自然と口をついて出る。
また少しだけ、九条さんの表情に変化が出た。苦笑している。
「……ええ。そう表現するのが、一番近いかもしれません」
「……わかりました。では、条件の整理とは、実際にはどうなるのでしょう?」
頭の中が一気にクリアになる。仕事モード……と言っても良いかもしれない。
「まずは今日を基準に、婚約期間を半年設けたいと思います」
「半年きっちりですか?」
「正確には『半年程度』ですね。周囲には『同棲』という形で伝えて、実際には『ルームシェア』をする」
「はい」
「そして、半年後に入籍という形を取ります。今からでしたら……十一月ごろですか」
「そうですね」
周囲を見回すが、カレンダーなどはない。この個室、余計なものが一切ない。
「そして入籍から半年後に、結婚式をしようかなと考えています」
体裁を整えるためとは言え、契約結婚のための計画はかなり綿密に組まれている。けれど、私はそれを苦痛に感じていない。
「確認……しておきたいことがあります」
「はい、何でしょう?」
「もし、今日から始まる『契約』が破綻するとなった時は、どう破談へ持っていきますか?」
先のお見合い以外にも、過去、いろいろなトラブルに見舞われた身であるからか、警戒心が強くなる。九条さんの顔を見ることができない。
「婚約期間中なら、私側の事情と言う形で整理します。西園寺さんに問題があった、という話にはしません」
「え?」
「周囲には具体的な理由までは言わなくてもいいでしょう。『互いに考え方が合わなかった』だけで十分です」
つまり、破談の際は九条さんが泥を被るということ。
「西園寺さんが断りづらい立場であることは理解しています」
「……それは、九条さんが泥を被る、ということでもありますよね? そこは大丈夫なんですか?」
「問題ありません。そういう役回りには慣れています。それに、これまでお見合いで大変な思いをされていたことは聞いていますし」
顔を上げると、九条さんは柔らかく微笑んでいた。少し間をおいて続ける。
「なるべく、西園寺さんの負担を減らしたいなと」
……いい人すぎる。
なにか……裏がある?
疑いが強くなる。
カマを、かけてみようか……?
「何か、裏でもあるんですか?」
表情に変化はない。ここまで反応がないと、少し薄気味悪い。
衣擦れの音がして、九条さんがわずかに動く。彼の視線は、またグラスへと戻る。
「……裏、ですか」
一瞬の沈黙。
「『契約結婚』の本当の目的はなんですか?」
2026.05.24 大幅改稿。




