第26話「九条家のヒエラルキー」
そこにいたのは、まさかの高校時代の恩師だった。
「え? え?」
「久しぶりだな、西園寺。元気そうで何よりだ」
「はじめまして、翠さん。秀一の母の加奈恵です。お噂はかねがね……」
動揺するなという方が無理な話だ。だって、進路について散々相談していた恩師が、学校で見ていたような上着をジャケットではなくてジャージで済ませていた姿ではなく、上下きちんとスーツを着て座っている。そしてその隣には、これまたフォーマルな装いの、所作の上品な五十代の女性が微笑んで座っていて、自分に挨拶を……。
あ……。観察している場合じゃない!
「……すみません。動揺してしまって反応が遅れました。あの、九条先生。お久しぶりです。それから、はじめまして、お義母さま。西園寺翠といいます」
苗字なんて、よほど珍しいものでなければ、ただの偶然だと思っていた。
だからこそ、まったく気づかなかった。
彼が苦笑しているのを見ると、知っていたのだろうか?
「し……知ってたんですか?」
「はい。釣書を見た時に、気づきました」
やっぱりこの人、ちょっと意地が悪い。
「お兄ちゃんてば、性格悪っ。翠さん、嫌だったらひっぱたいてもいいですよ。うちの兄、無駄に頑丈なんで」
どうやら美希さんは、九条家のヒエラルキーの中では上の方にいるらしい。
私に向けてサムズアップしていて、とてもいい笑顔だ……。
九条兄妹の温度差に、思わず笑ってしまう。
美希さんが勢いよく喋っている姿は、どこか友達と似ている気がして、妙に親近感が湧いてくる。
「お父さんの教え子の中で、一番熱心に進路相談してきてたと聞いてました! ね? お母さん」
「ええ。司法書士を目指しているのですってね。何か困ったことがあれば、いつでも相談に乗るわ。気にせず連絡してきてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
九条家の皆さんとの雑談の合間に自然と誘導され、気がつけばラウンジのソファーに座っていた。
「そう言えば、秀一。八月中には、新しい部屋で生活を開始することになるんだろう? 家具や家電、必要なものは大丈夫なのか?」
九条先生が九条さん確認している……。
なんか、ややこしいな。
お義父さん?
……なんか変。
秀一さん……。
なんか、むずむずする気がする……。
いや、良いや。口に出さなければ、たぶんセーフだ。
だって、恥ずかしいし。慣れないし。
「ファブリック系は、今度の休みに見に行こうと思ってるよ。翠さんの都合次第だけど」
「え? なんですかそれ、聞いてませんけど……」
驚いて思わず反応してしまった私の言葉に、ご両親と美希さんの表情が、呆れたものに変わった。
あ、これ、いつものことなんだ……。
「お兄ちゃん。『報連相』は社会人の基本って教えてもらったんだよね?」
美希さんがツッコミ役か。ご両親は、呆れたように頭を振っている。
美希さんも一拍遅れて、ため息をついている。
秀一さんは、心なしか気まずそうにしていた。
わざとじゃなくて、単にど忘れなんだろうか?
指摘されて初めて気づいた感じを受けた。
「そう言えば、翠さんのその着物。とっても素敵ですね」
話題を切り替えるためか、美希さんが私の着物に目を向けた。
「あ、ありがとうございます。これは社会人になって初めてのボーナスで、一目惚れして買ったものなんです」
「きれいな『瓶覗』。私もその色、好きなんですよ。模様も上品ですよね?」
「瓶覗と言えば、昔、七五三の時に美希がお気に入りの髪飾りを、秀一に壊されたことがあってね」
「母さん。その話はやめてくれ。そもそもいくつの頃の話を……」
「あら、ごめんなさいね」
秀一さんが慌ててお義母さんの言葉を止める。お義母さんは笑って沈黙してしまって、その先は分からないままになった。
小さい頃の秀一さん……なんだろう。今、何か引っかかったような?
……ダメだ、なんか想像つかない。
「すまんな、賑やかで。まあ、うちは普段からこんな感じなんで、できれば慣れてくれると助かるよ」
「……あ、はい。大丈夫です」
お義父さんに謝罪され、頭の片隅に引っかかりかけていた何かが霧散して、意識は今の状況へ引っ張り上げられる。
秀一さんは、さっきから完全に沈黙していた。口はへの字に曲がっている。
ご家族の前だと、とても表情豊かだなと感じた。いや、以前からちょっと思ってたところではあるけれど……。
「!?」
一瞬、寒気のようなものを感じて、わずかに身じろぎしてしまう。
……? 気のせいだろうか?
緊張していたから、何かを勘違いした?
──少し前から、誰かに見られている感じがしていた。




