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盲目の蛇女は始まらない  作者: 甘味処 雨
起きはじめ
12/15

閑話、

広場の先へ進むにつれて、空気が変わる。


香ばしい匂いが、通りいっぱいに立ち込めていた。


焼ける油の音。


立ち上る煙。


香辛料の刺激と、炭の匂いが混ざり合い、鼻をくすぐる。


露店が、道の両脇に並んでいる。


石焼きの肉。


串に刺さった魚。


熱された平石の上で、じゅうじゅうと音を立てながら焼かれていた。


赤く照る火が、店先を揺らしている。


人で溢れていた。


笑いながら食べる者。


酒を掲げる者。


値切って怒鳴る者。


皿を抱えたまま歩き回る子どもたち。


街の熱気が、そのまま集まっているようだった。


少女は、また足を止める。


今度は音ではない。


匂いだった。


フードの奥で、小さく息を吸っている。


焼けた肉の香りに。


魚の脂の匂いに。


知らない味の気配に。


布で隠された目が、きっとまた大きく開かれている。


そんな気がした。


僕はその様子を横目で見ながら、小さく笑う。


「……腹、減ったろ」


そう言うと、


少女は少し遅れて、小さく頷いた。


露店の前で、少女はしばらく迷っていた。


肉の焼ける匂いにも惹かれているようだったが、


やがて、その視線は一つの露店で止まる。


石板の上で焼かれている魚だった。


細長い身。


表面はこんがりと焼け、茶色く色づいている。


脂が弾けるたびに、香ばしい匂いが立ち上った。


少女は小さく、その方へ指を向ける。


「……それ」


店主が笑いながら魚をひっくり返す。


ぱち、と火が鳴る。


やがて焼き上がったそれを、紙に包んで手渡してきた。


少女は恐る恐る受け取る。


熱さに少しだけ肩を揺らしながら、


じっと、その形を見つめていた。


まるで、知らない生き物を見るみたいに。


僕はその様子を見て、口を開く。


「それ、海で泳いでたものだよ」


少女の動きが止まる。


「……海?」


小さく、首を傾げる。


聞いたことはある。


けれど、実感の伴わない言葉。


そんな響きだった。


僕は少しだけ笑う。


「この街にはないからな」


空を見上げるように、軽く視線を遠くへ向ける。


「ずっと向こうだ。果てが見えないくらい水が広がってる」


少女は黙ったまま魚を見る。


それから、ゆっくりともう一度呟く。


「……水が、そんなに?」


信じきれていない声だった。


僕は頷く。


「石の山より、ずっと広い」


その言葉に、


少女はしばらく何も言わなかった。


ただ、包みから立ち上る湯気を感じながら、


まだ見ぬ景色を思い浮かべるみたいに、


静かに立ち尽くしていた。


少女は、包みに収まった魚をじっと見つめている。


焼けた皮。


茶色く色づいた身。


立ち上る湯気。


しばらく黙っていたあと、


小さく口を開いた。


「……でも」


指先で、そっと魚の表面に触れそうになって止まる。


「こんな色じゃ、なかったんでしょう?」


僕は少しだけ目を細める。


「まあな」


少女は続ける。


「泳いでたときは」


言葉を探すように、ゆっくりと。


「もっと、光ってた気がする」


布で隠された目が、遠くを見るようにわずかに上がる。


「うろこが、きらきらして」


静かな声だった。


見たことがないはずなのに。


まるで、本当にその景色を知っているみたいに。


僕は少しだけ驚いて、少女を見る。


「……見たことあるのか?」


少女は、はっとしたように口を閉じる。


それから、小さく首を振った。


「わからない」


胸元の石へ、無意識に触れる。


「でも、なんとなく」


その答えは曖昧だった。


けれど、不思議と嘘には聞こえなかった。


風が通り抜ける。


露店の火が、ぱちりと鳴る。


少女はもう一度、魚を見下ろす。


まるで——


失われた色を思い出そうとするみたいに。



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