閑話、
広場の先へ進むにつれて、空気が変わる。
香ばしい匂いが、通りいっぱいに立ち込めていた。
焼ける油の音。
立ち上る煙。
香辛料の刺激と、炭の匂いが混ざり合い、鼻をくすぐる。
露店が、道の両脇に並んでいる。
石焼きの肉。
串に刺さった魚。
熱された平石の上で、じゅうじゅうと音を立てながら焼かれていた。
赤く照る火が、店先を揺らしている。
人で溢れていた。
笑いながら食べる者。
酒を掲げる者。
値切って怒鳴る者。
皿を抱えたまま歩き回る子どもたち。
街の熱気が、そのまま集まっているようだった。
少女は、また足を止める。
今度は音ではない。
匂いだった。
フードの奥で、小さく息を吸っている。
焼けた肉の香りに。
魚の脂の匂いに。
知らない味の気配に。
布で隠された目が、きっとまた大きく開かれている。
そんな気がした。
僕はその様子を横目で見ながら、小さく笑う。
「……腹、減ったろ」
そう言うと、
少女は少し遅れて、小さく頷いた。
露店の前で、少女はしばらく迷っていた。
肉の焼ける匂いにも惹かれているようだったが、
やがて、その視線は一つの露店で止まる。
石板の上で焼かれている魚だった。
細長い身。
表面はこんがりと焼け、茶色く色づいている。
脂が弾けるたびに、香ばしい匂いが立ち上った。
少女は小さく、その方へ指を向ける。
「……それ」
店主が笑いながら魚をひっくり返す。
ぱち、と火が鳴る。
やがて焼き上がったそれを、紙に包んで手渡してきた。
少女は恐る恐る受け取る。
熱さに少しだけ肩を揺らしながら、
じっと、その形を見つめていた。
まるで、知らない生き物を見るみたいに。
僕はその様子を見て、口を開く。
「それ、海で泳いでたものだよ」
少女の動きが止まる。
「……海?」
小さく、首を傾げる。
聞いたことはある。
けれど、実感の伴わない言葉。
そんな響きだった。
僕は少しだけ笑う。
「この街にはないからな」
空を見上げるように、軽く視線を遠くへ向ける。
「ずっと向こうだ。果てが見えないくらい水が広がってる」
少女は黙ったまま魚を見る。
それから、ゆっくりともう一度呟く。
「……水が、そんなに?」
信じきれていない声だった。
僕は頷く。
「石の山より、ずっと広い」
その言葉に、
少女はしばらく何も言わなかった。
ただ、包みから立ち上る湯気を感じながら、
まだ見ぬ景色を思い浮かべるみたいに、
静かに立ち尽くしていた。
少女は、包みに収まった魚をじっと見つめている。
焼けた皮。
茶色く色づいた身。
立ち上る湯気。
しばらく黙っていたあと、
小さく口を開いた。
「……でも」
指先で、そっと魚の表面に触れそうになって止まる。
「こんな色じゃ、なかったんでしょう?」
僕は少しだけ目を細める。
「まあな」
少女は続ける。
「泳いでたときは」
言葉を探すように、ゆっくりと。
「もっと、光ってた気がする」
布で隠された目が、遠くを見るようにわずかに上がる。
「うろこが、きらきらして」
静かな声だった。
見たことがないはずなのに。
まるで、本当にその景色を知っているみたいに。
僕は少しだけ驚いて、少女を見る。
「……見たことあるのか?」
少女は、はっとしたように口を閉じる。
それから、小さく首を振った。
「わからない」
胸元の石へ、無意識に触れる。
「でも、なんとなく」
その答えは曖昧だった。
けれど、不思議と嘘には聞こえなかった。
風が通り抜ける。
露店の火が、ぱちりと鳴る。
少女はもう一度、魚を見下ろす。
まるで——
失われた色を思い出そうとするみたいに。




