7話 単なる僻みにしか聞こえません
「こっち!」
五対五のゲームの時、加奈子は三年の如月先輩に声をかけた。先輩はディフェンス二人に囲まれていて、加奈子はフリーだった。
それに、加奈子は次のパスの先も見えていた。今、加奈子にボールを出せばゴールにつながる。そんな状況だった。
しかし、先輩はパスを出さなかった。無理な体勢から加奈子ではない別の味方にパスを出したのだ。パスは出せたのだが、勢いが弱い。ボールはあっさりと敵チームに奪われ、そのままパスを回されて、ゴールを奪われてしまった。
「安奈! なんで高山にパスを出さないの!」
それを見た田宮キャプテンが如月先輩に怒った。
「ごめん。ちょうど見えない位置にいて」
バスケは常に相手がコートの中にいる。そのため、味方が視認できない位置にいることもあるだろう。
ああ言われてはキャプテンもそれ以上は追及できない。
「視野広く。みんなも気をつけるように!」
キャプテンの言葉を切れ目に、練習は再開した。
全員の気持ちが切り替わる。次のプレーに備え、位置に着く。
そして、加奈子チームのゴール下にいた味方から、コートのセンターにボールが投げられる。
その先にいたのは如月先輩だ。彼女はボールを受け取る直前、加奈子に目をやった。
その目を見て、加奈子の背筋が凍り付いた。
如月先輩の目。それが孕んでいる感情は妬みや恨みの類だった。
彼女はスモールフォワードのレギュラーだった。だった、ということでは今はそうではないということだ。
現在のスモールフォワードは加奈子だった。つまり、如月先輩のレギュラーの枠を加奈子が奪った形になる。
直後、如月先輩からボールが加奈子に投げられた。勢いが強い。ボールを受け取った手のひらがじんじんと痛んだ。思いやりの欠片もないパスだ。
この五対五の間、先輩たちからのパスはその一度きりだった。
もしかして、私、嫌われている?
他人の感情に鈍い加奈子だったが、こうまで露骨にされれば気づきもする。
部活が終わった後、加奈子は「お疲れさまです」と部室を後にしようとした。
「あ」
と、如月先輩が呟いた。加奈子は声に反応して、振り返った。カラカラと音を鳴らし、スマホが地面を滑る。
スマホは加奈子と如月先輩のちょうど中間あたりに落ち着いた。微妙な位置だが、無視するのも忍びなく思った加奈子は腰を屈めようとして。
画面が見えた。
加奈子も知っているトーク画面だ。そこには数人が参加しているグループの文字があった。トークの内容も加奈子の目に入る。
「無視されて泣きそうでウケる」
「だよね? 見たあの時の顔」
「見た見た。ほんと笑える」
厳密には言葉が違っていたかもしれないが、そんな内容だった。
「私が拾うから!」
如月先輩は驚きで動き出しが遅れたのだろう。慌ててスマホを拾いあげた。
加奈子は「あ、はい」と声を絞り出して、部室を後にした。
何? どういうこと。あのトーク。誰について言ってたの? もしかして、私? さっきパスしなかったのも、わざと?
考えても答えは出ない。ただ嫌な想像ばかりが膨らんでいく。想像は加奈子の脳内で反響し、疑念は増幅する。
「加奈子―!」
名前を呼ばれて加奈子は振り返る。
紫音ちゃんだ。
彼女が小走りで駆け寄ってきた。
「どうしたの紫音ちゃん?」
「一緒に帰ろうと思って。話したいこともあるし」
話したいこと。
そう言う紫音ちゃんはやけに真剣な表情だった。彼女はいつも明るくて、全力だった。それに負けん気が強い。
こんな表情をした紫音ちゃんを前にも見たことがあった。
加奈子は以前のことを思い出す。
中間テストが終わって、最初の土曜日。
二人がレギュラーとして試合に出ることを全員の前で田宮キャプテンな告げた時だ。
「なんであの二人なの!? おかしいじゃん!」
如月先輩が眉間に皺を寄せていた。
この時は練習を終えて、翌日の他校との練習試合に備えてミーティングをしていた。部員は十七人全員が参加している。三年生が六人、二年生が七人、一年生が四人だ。
顧問の先生は教師の仕事をするためか、この場にはいない。顧問が不在の場合、部活は禁止されているので職員室にはいるが、こちらに来ることは無いだろう。
「女バスは実力制って私たちの代で決めたじゃん。そして、二人は安奈と清美よりも実力がある。それは誰の目からも明らかだと思うし、先生もそう判断した」
田宮キャプテンはそう言って譲らなかった。
レギュラーを決めているのは顧問の先生だが、部のまとめ役はキャプテンである田宮だ。
彼女自身、三年の中では一番うまく、紫音ちゃんと比べても遜色のない実力を持っていた。
そんな彼女から正論を叩きつけられた如月先輩は、それでも引き下がらなかった。
「今まで私達でやってきたじゃん。なのにうまい後輩が来たらあっさり席を譲れって言うの!?」
「だから、そう言ってるの」
「私も納得できない」
睦月先輩が不意に口を開いた。
彼女は紫音ちゃんと同じパワーフォワードだった。身長が百七十センチあり、中三女子としては体格がいい。反してスピードがあまりない。五十メートル走のタイムが8・8秒と、決して遅くはないが、早くもない。バスケ部でなければそれでもいいが、短距離での走力が求められるバスケでは物足りないスピードだ。
「睦月の優れているところは体格を使ったフィジカル勝負だけど、それなら私がいる。速度もあって、ゲームメイクもできる。それなら、より得点力のある選手を入れるのが当たり前じゃない?」
「それは――」
勝つための合理的な判断を下すキャプテンに、睦月先輩も二の句を告げないでいた。
加奈子は、もうレギュラーじゃなくてもいいから早く終わってほしい、と思っていた。たかが中学のレギュラーで何を必死になっているんだろうか。
これ以上言い合いが続くようなら、加奈子がレギュラーを降りると言ってもよかったが、先輩方は納得なんてしないだろうことは加奈子にもわかった。
睦月先輩が言い返せない時点で話し合いは終わりかのように思えた。田宮キャプテンが終わりを告げようと息を吸い込んだ時、
「あの」
と、紫音ちゃんが口を挟んだ。
「如月先輩、睦月先輩。お二人は私と加奈子がレギュラーになることに納得できないってことですよね? それに、他の先輩方も」
反発意見は二人だけではなかった。彼女らと仲が良い三年生と二年生の先輩たちには加奈子と紫音ちゃんのレギュラー入りを快く思っていない人が多い。
「だったら、私達より上手くなってくれませんか? 今のままじゃ単なる僻みにしか聞こえません」
「あんたねえ!」
如月先輩が立ち上がった。
「安奈!」
田宮キャプテンが強く怒鳴った。
如月先輩は踏み出そうとした足を止めた。それから、何か言おうとして、そのまま体育館を出て行ってしまった。
これには加奈子は驚いた。
もしキャプテンが止めなかったらどうなっていたのだろう。
「園田さんも。煽らないで」
「あなたもあなたです。キャプテン。チームの意志がまとまってないのに、前に決めたからって無理やり決定するのはどうかと思います」
「……反省するよ」
「加奈子。行こう」
「え? うん」
地獄のような空気を残したまま、加奈子は体育館を出る紫音ちゃんを追いかけた。
あの時と今の紫音ちゃんは、同じような表情をしている。臆することなく先輩たちに意見を表していた時と。
紫音ちゃんは自分の意見に迷いがない。その彼女から話がある、と言われたのだ。加奈子はまた一波乱起こるのを予感した。
「ねえ加奈子。今日、加奈子へのパス少なくなかった?」
「え、うん、まあ。でもなんで?」
尋ねると、紫音ちゃんはため息を吐いた。
「私にもパスなかったの。ほんと加奈子は周り見ないよね。パスはなんでそっから出せんのって感じなのに」
「ごめん……」
彼女の言う通り、加奈子は周りの人の動向に鈍感だった。
クラスでもそうだ。みんな仲が良いと思っていたが、実は男子のあの子は友達から少し嫌われているとか、女子のあの子は実は男子から苦手意識を持たれているとか、そういうのが誰かに言われて発覚することがある。
そのたびに「え? 高山さん気づいてなかったの?」と奇妙な視線を向けられた。
今日も、試合を見ているとき、相変わらず紫音ちゃんがよく点を決めるなあとしか思っていなかった。
まさか自分だけでなく紫音ちゃんもパスを出されていないとは微塵も思っていなかった。
「まあいいけど。で、相談なんだけど」
「相談?」
「うん。私と加奈子なら別に部活じゃなくてもいいって思う」
「どういうこと?」
「学校の外のバスケのチームに入るの。そうしたら今みたいにめんどくさいことにならないだろうし」
なるほど、と加奈子は思った。
チームなら部活と違って純粋な実力でレギュラーが決まる。
加奈子のバスケ部が掲げる「実力制」は建前だろう。
自分たちが下級生に負けるわけないし、なんだかかっこいいから「実力制」っていう方針にしよう。
そんな感じで決まったことは容易に想像できた。
そんな部活動に無理に残らず、学校外のチームに入るのはいい案に思えた。
でも。
「私は部活で頑張りたい」
メリットはあるがやはり気が進まなかった。
先輩たちはそうでもないかもしれないが、加奈子の方は先輩たちのことが好きだった。入部したての頃は優しく接してくれていたからだ。レギュラーから外されて、少し気が立っているだけで、本来の先輩たちはきっと優しい人たちなのだ。
それに、授業が終わった後にみんなでバスケをする環境は楽しいし、真剣だけど楽しむことが大事という空気感が加奈子は好きだった。
今は少し歯車が合っていないだけで、時間が経てばそれも噛み合ってくるはずだ。
それに、外のチームを探すのは面倒くさいし、そこに馴染めるかもわからない。実力制だとは言っても、バスケはチームスポーツだ。大事なのは人間関係であることは部活動とそう変わらないだろう。
そこに急に入って、うまくやれる自信が加奈子にはなかった。
「そっか。じゃ、私もそうしよっかな」
「ありがとう。紫音ちゃん」
「いいって。私のせいでキャプテンにも嫌われたかもしれないけど、二人で県予選くらい軽く突破しちゃおうよ」
「うん!」
部は二人を異物のように扱っているが、そのぶん二人の結束はより強いものになった。
先輩たちはもちろん、初心者の同級生三人も頼りにはならない。試合に出させてもらえるのなら結果を出すだけだ。




