6話 やっぱりスマホ欲しいか?
「試験開始」
先生の合図で加奈子はテスト用紙を表に返す。
最初のテストは国語だ。まずは問題文に目を通して、漢字や読み仮名を答える簡単な問題から解いていく。
よし。
次は熟語の意味を選択肢から選ぶ問題だ。その次は傍線部の言葉の意味を。次はこの時の主人公の気持ちを。作者の意図を。
時間がかかりそうな問題を後回しにして。加奈子は順々に問題を解いていく。
「終了―」
テスト時間はあっという間に終わりを迎えた。
加奈子はすぐに用紙を裏返した。後ろの席の子が回答用紙を回収することになっている。
教室の方々から「終わったー」、「余裕でしょ」、「いや全然わからん」などと様々な感想が飛び交う。
そんな中、加奈子は一人、暗澹とした気持ちを抱えていた。
「終わった……」
わかる問題を先に解く?
わからない問題を後回しに?
思わず笑みが零れてしまう。
わからない問題が多すぎた。だめだ。八十点には届かない。いや、わからないところも回答はしている。もしかしたら正解かもしれない。
悔やんでも仕方がない。もう回答は出してしまったのだ。変えようがない。
加奈子は気持ちを切り替えて、次のテスト科目である数学の復習にとりかかった。時間はもう五分も残されていない。
二日間あった中間テストが終了し、翌日。
加奈子は喉が締め付けられるような思いで自分の席に座っていた。
目の前には国語の回答用紙が閉じられた状態で横たわっている。
先生は回答用紙を返却する際、「そこそこ頑張ったんじゃないか」という褒めてるのかよくわからないセリフを添えた。
そのおかげでまだ点数を確認できていない。
加奈子の感触では、国語以外の教科は八十点を取れている。
ここだけだ。ここだけ、クリアしていれば母から課せられた条件は達成できる。
確認するのが怖い。永遠に見なければ落胆せずにいられるが、そうもいかない。
加奈子は回答用紙の端に指をかける。
八十点以下だったとしても、その時はその時だ。どうにでもなれ。
「そう。残念だね」
加奈子から五教科の点数を聞いた母は絞り出すように言った。包丁を握る手はそのままだ。
国語の点数は七十八点だった。ちょっとしたケアレスミスが原因で、減点されていなければ八十点を超えていた。
惜しかったが、七十八点は八十点以下だ。
母はそのまま料理を再開した。
え、それだけ?
加奈子はそう言いたい気持ちを堪えた。
「うん」
部屋に戻って、加奈子はベッドに体を横たえる。
はあ、と不意に出たため息は何に向けられたものなのか。
部活で汗をかいたから、お風呂に入るべきだ。頭ではわかっているのだが、身体が妙に重い。皮膚の下に粘土を練り込まれたみたいだと加奈子は思った。
幼稚園の時に粘土で遊んだことを思い出す。あの時は仁志君と一緒に――やめよう。
重さに抗わずにいると、瞼まで重くなってくる。それにも逆らわずにいると、いつの間にか加奈子は眠りに落ちていた。
「加奈子―! ご飯―!」
母の呼びかけに加奈子はゆっくりと覚醒する。
もぞもぞと腕を動かして、眼を擦った。時計を見る。どうやら一時間ほど眠っていたようだ。おかげで身体の粘土もなくなっている。
「ご飯―! いらないのー!」
「いるー!」
乾燥した喉をごほごほと鳴らして、身体を起こす。制服のままだったことを思い出した。少し考えて、部屋着に着替えた。
リビングに入ると、両親が食卓にいた。父は髪が濡れていて、パジャマを着ているのでお風呂に入ったのだろう。
テレビの音に耳を傾けながら、加奈子は椅子に座る。
テーブルには豚肉の野菜炒めと味噌汁とご飯、それとコロッケが並んでいた。
家族がそろったので、「いただきます」をして三人は食事を始めた。
「加奈子、テスト残念だったな」
テレビを眺めていると、父がおもむろに口を開いた。母から聞いたのだろう。
「まあ、うん」
残念ではあるが、加奈子は実はそこまで落ち込んではいなかった。
母が提示した条件に、加奈子は応じた。それを達成できなかったのだから、スマホは手に入らない。それだけのことだ。
だから、次の期末テストを頑張ればいい。
「母さんと話したんだけど、加奈子、やっぱりスマホ欲しいか?」
「え、うん。欲しい、かな」
「頑張ってたようだし、今度買いに行こうか」
「え!? いいの!?」
「あったほうが友達も作りやすいでしょ? 私もそういうの経験あるし」
当たり前だが、母にも子供時代がある。流行に乗れずに、話題についていけないことが母にもあったのだろうか。
現代ではそれがスマホなのだ。両親はそれを理解してくれている。
「でも……」
いいのだろうか。
条件は未達成だった。たった二点ではあるが、それは変わりがない。
「なに、欲しくないの?」
「欲しい!」
けど、引け目もある。
テスト期間中、加奈子は勉強に専念していたとは言えない。バスケもしていたし、漫画も読んでいた。両親は知らないだけだ。
「よし、それじゃ次の土曜日買いに行こう」
「ね、加奈子、相談なんだけど機種は型落ちでもいい?」
「機種かー。なんでもいいよ」
母の打診に、加奈子はつい答える。
父はコロッケを口に運びながら、テレビに視線を向けていた。
両親はすでに加奈子にスマホを買う方向で話を進めていたのだろう。
止めることはできる。加奈子が「やっぱりいい」と言えばいいだけだ。
でも。
「ありがとう。お父さん、お母さん」
そうしなかったのは打算が働いたからだ。
次の期末テストでは絶対に五教科全部で八十点以上取ろう。
加奈子はそう心に決めた。
「スマホ買ったんだ! ライン交換しようよ」
「もちろん!」
日曜日。
部活が始まる前、更衣室で紫音ちゃんにスマホを見せるとすぐに連絡先を交換した。これまでは家の固定電話にかけてもらっていたので、初めて電話をするときが楽しみだ。
クラスのトークグループに入れてもらうと、クラスメイトがどんどんフレンド登録してくれた。
もちろん、バスケ部のグループもあった。加奈子はこれも紫音ちゃんから招待をもらった。クラスもそうだが、バスケ部の面々にもスマホを持っていない人もいる。
そのため、全員ではないが、ほとんどの部員と連絡先を交換することができた。
夏休みになると、バスケ部はほぼ毎日練習をしていた。一日の練習時間は三時間ほどだ。準備運動、ストレッチから入り、シュート練習が終わるといったん休憩。
二体二、三対三と人数を増やしていって、最後はフルコートの五対五まで行う。
締めは個々人に任せられた。各々、軽いランニングやシュート練習で締める。
夏休みが初めって二週間ほどたったころ。加奈子は違和感を抱き始めていた。
練習の時、ボールが自分に回る頻度が低いような気がしたのだ。
最初は気のせいだと思った。
加奈子自身、自分の欠点はわかっていた。自分はディフェンス力はあるが、自分で攻めていく力はそこまでない。足は速いが、ボールの扱い方が下手でドリブルが早くないし、フェイントや切り返し、体の使い方など、攻めに関する要領が中々掴めないでいる。
だからチームメイトも無意識的に自分を避けているのかもしれない。
違和感が確信に変わったのは初めて違和感を抱いてから五日後だった。




