4話 気楽にやろう
中学生になった。
初めて着る制服は紺色を基調としたブレザーで、女子からの評判は良好だった。加奈子も制服のデザインを気に入っていて、これから始まる学校生活に胸を躍らせていた。
入学式を終えると、新一年生は各教室に戻った。
どの教室か迷うことは無い。春休み中、教科書を買いに来た時にクラスも発表されていたからだ。新学期から使用する下足室の前に張り紙が出されていて、名簿を確認するのだ。
その名簿には知らない名前が半分ほど連なっていた。中学からは近くの小学校の生徒も同じ中学に通うことになるのだ。
そのため、クラスメイトの名前は知っているが、顔を合わせるのはこれが初めてになる。
初めてといっても、半分は元々同じ小学校にいた顔見知りなので、そこまで不安感はなかった。
それに、気になっていた名前もある。
「いた、高山加奈子」
加奈子が教室に入ろうとしたその時、肩を引っ張られた。強制的に振り返る形になり、加奈子は自分を引っ張った人物を見た。
彼女はわずかに息を切らし、加奈子の目をまっすぐに見つめていた。
ツインテールが目立つ少女だった。身長は加奈子と同じくらいなので百五十センチくらいだろう。
猫のように鋭い目は、バスケの試合で何度もやりあったからよく覚えていた。
「園田紫音」
「あんた、部活はバスケ部に入るんでしょうね」
彼女は隣の小学校で一番上手だった。
シュートもパスもディフェンスもうまかったが、特にドリブルがものすごいのだ。トップスピードに入れば誰も簡単には追いつけない。
追いついたとしても、彼女はその勢いを落とさないまま逆方向に切り返すのだ。そしてたいていの人は転んだり、置いてかれたりする。
そのスピードを体感した人は、それならばスピードが乗る前に止めればいいと、正面から向き合おうとする。
それでも彼女は止められない。右にドリブルしたと思えば、すぐさま左へ。それを追おうとするとまた右へ。
隣の小学校どころか、県全体でも彼女は一番うまいかもしれない。
「まだ悩んでる」
「なんで!?」
その彼女が加奈子に入る部活を尋ねたのは、加奈子の実力を見込んでのことだろう。
加奈子は走るのが好きだ。ただ走るのではなく、走り回るのが好きだったのだ。ボールを追って、あっちへいったり、こっちへいったり、忙しなく動いているときが一番生きているという感じがするのだ。
だから加奈子は練習も常に全力だった。ボールを触る時間よりも走り込みや、ラダー運動、反復横跳びなどの基礎練を好んでいたため、加奈子の敏捷性と体力は他の子より飛びぬけていた。
その結果、園田紫音の高速の切り返しにも対応できていた。
園田紫音とは試合の中でしか会ったことがない。つまり、ちゃんと話すのは今日が初めてということになる。
だが、加奈子と園田紫音は試合の中でもう十分に会話していた。いまさら初めての挨拶など不要だ。
「嘘。バスケ部に入るよ」
加奈子が笑うと、園田紫音は「はあー」と息を吐いた。
「だよねー。よかった。あんたがいたら絶対バスケ楽しくなるもん」
「私も、園田さんと一緒にバスケしたかった」
気になっていた名前、というのは彼女のことに他ならない。
小学校時代、しのぎを削り合った園田さんと同じ学校でバスケができるのだ。これが楽しみでなくて何なのだろう。
「ほんと? 嬉しいなあ。クラス名簿見た時からもう楽しみでさ」
「私も。地区大会くらいなら優勝できるんじゃないかなあって想像してた」
「いいね。あ、でも仲間だと思ってもらったら困るよ。私とあんたはライバルなんだから!」
「ライバルかー。まあ、負ける気はないけど」
「そうこなくちゃ」
園田さんは笑う。加奈子もそれにつられて、笑った。
「そうだ。ライン交換しようよ」
そう言って園田さんはスマホを取り出す。
「あー、ごめん。私スマホ持ってないんだ」
「そうなの?」
「うん。だから家の電話番号教えるね」
「おっけー」
加奈子は電話番号を暗唱した。園田さんがスマホを操作して、登録を済ませるのを加奈子は眺めていた。
「でも珍しいね。今時みんな持ってるのに」
「そうかもね。でも別に不便じゃなかったし」
「ま、そんなもんか」
園田さんは納得して、スマホをポケットにしまった。
放課後。体育館。
二人はバスケ部に入部した。二人の他に一年生は二人いた。二人とも部活の時に見たことがないので、初心者だろう。
先輩たちは三年生が六人、二年生が七人。全部で十七人になる。
「キャプテンの田宮です。とりあえず、一年生たち、自己紹介してもらおうかな」
初日ということもあって、まずは一年生たちが自己紹介をすることになった。加奈子と園田さん以外の二人が順番に自己紹介を終え、加奈子に番が回る。
「高山加奈子です。ポジションはスモールフォワードやってました」
名前とポジションだけの簡単な自己紹介だ。さらっと告げると、まばらな拍手が加奈子を歓迎する。
最後は園田さんだ。
「園田紫音。ポジションはパワーフォワード。加奈子とレギュラー取るつもりなので。よろしくお願いします」
加奈子はどきりとした。
いきなり何を言い出すんだこの人は。先輩たちに喧嘩を売るようなことを言うなんて。
それまで和やかだった空気が一変したのを加奈子は肌で感じた。
全員の視線を一手に集めた園田さんは、毅然とした態度で佇んでいた。名前を出されただけで緊張していた加奈子とは大違いだ。
「元気なのはいいね。じゃあ、さっそくだけどミニゲームやろうか」
田宮キャプテンは動じない。
「え、いきなりですか?」
加奈子が尋ねると、田宮キャプテンは頷いた。
「レクリエーションみたいなもんだよ。気楽にやろう」
チームは三年と二年の混成チームと、一年生プラス田宮キャプテンの二つに分けられた。
田宮キャプテンはレクリエーションと言っていたが、要するに実力を測るためのミニゲームだろう。
「作戦はどうする?」
一年生四人を集めて田宮キャプテンが問う。
ルールは五対五で八分間のゲーム一本のみだ。その間にできることは限られている。
「ボールを奪ったら、私と加奈子が点を取ります」
園田さんがすぐに答えた。
一年生のうち、加奈子と園田さんはバスケの経験者だったが、他の二人は初心者だ。試合に勝つためには妥当な作戦だと加奈子は思った。
しかし、これはあくまでレクリエーションだ。
「それもいいけど、どうせならみんなでゴール目指さない?」
田宮キャプテンがちらりと初心者二人を目で示す。
「まあ、それでもいいですけど」
園田さんは渋々納得したようだ。
「でも一回は本気でやりますから。加奈子もいいよね?」
「え、あ。うん」
「あのさ、返事ははっきりして。やるの? やらないの?」
「や、やるよ! もちろん」
本気を出すのは構わない。和を乱すことに繋がらないか加奈子は心配だったのだ。
田宮キャプテンが黙っているので、問題ないということだろう。
「試合開始!」
審判役の先輩の合図で試合が始まる。
試合は緩やかに進んだ。
初心者二人に全員が動きを合わせているため、部活というよりも授業中にやるバスケに近い様相だ。
それでも初心者には激しい運動のようで、五分ほどすると肩で息を吸い始めていた。残り時間は三分。彼女たちはここで一度休憩が必要だろう。
田宮キャプテンからパスをもらった。
バシンと音が鳴る。
明らかに今までとは質の違う、勢いの強いパスだ。
この意図は何だろうか。加奈子は田宮キャプテンを見た。
なるほど。そういうことですか。
いけ、と目が物語っていた。
加奈子は園田さんに目をやった。彼女もわかっている。いや、彼女どころか、先輩たちも。
ここからが本番だ。
加奈子はボールを地面に突いた。ドリブルだ。先輩の一人が立ち塞がる。
園田さんに視線を向ける。わずかにパスを出す素振りを見せると、先輩は園田さんの方に体を動かした。
加奈子はその逆側へ一気に走った。
「あっ」
先輩の声を背中に、加奈子はさらに敵陣に入り込む。
別の先輩がカバーに入った。加奈子はダン、ダン、とフェイントを入れる。先輩は追いついてきた。加奈子のフェイントでは足りないようだ。
勢いのまま前に出た加奈子のボールを奪うべく、先輩が手を伸ばす。
加奈子はその前に、右側にボールを投げた。
園田さんだ。
彼女は急に来たパスを、わかっていたかのように左手一本で受け取った。そのまま彼女はドリブルに入った。
速い。加奈子のドリブルよりも明らかに。
相変わらずだと加奈子は思った。見惚れてしまいそうになるが、加奈子も動きを合わせる。
「へい!」
加奈子が呼びかけると、園田さんに寄っていた先輩の動きが若干鈍くなる。加奈子の方にパスをするかもしれないと思ったのだろう。
園田さんはその隙を見逃さず、ドリブルで抜き去った。
ディフェンスはあと二人。
園田さんがシュートモーションに入る。当然、先輩が阻止に入る。園田さんは腕を引っ込めて、再びドリブルに入った。三歩歩く前に、今度は加奈子にパスを出した。
最後の先輩が加奈子に近づいた。
加奈子はボールを保持しなかった。
来たボールをそのまま、弾くようにゴール下に走っていた園田さんに返した。
園田さんはボールを受け取り、軽く跳びながら放るようにボールを投げた。ボールはゴールに入るというよりも、まるで置いた場所にたまたまゴールがあった、という感じでゴールに吸い込まれていった。
「やるね」
田宮キャプテンの呟きが加奈子の耳に届いた。
わずかに切れた息は心地よく、体操服に滲んだ汗が熱くなりかけた加奈子の体温を緩やかに冷やしていった。
「やっぱ、加奈子はうまいね」
部活が終わった後、加奈子は園田さんと二人で帰っていた。
桜の木が並ぶ川沿いの街路は同じように帰宅する生徒たちが何人か歩いている。散った桜の花びらが買ったばかりの運動部用のバッグに舞い落ちた。
「園田さんも、すごかった」
「まあね。当たり前じゃん。私はすごいんだよ」
「自己紹介の時はちょっと焦ったけどね」
「あれくらい普通でしょ」
「えー。先輩に怒られるんじゃないかってドキドキしたよ」
「怒られたからって何って感じ。私より下手くそに言われてもなんとも思わないし。でもまあ、先輩たちもそこそこやるっぽいし、楽しくなってきたんじゃん?」
加奈子と園田さんが点を決めてから試合が終わるまで、優勢なのは先輩たちのチームだった。
初心者二人がいるのだから当たり前ではあるが、それを抜きにしても先輩たちの実力が低いとは感じなかった。
それは園田さんも同じだったようだ。
「あ、ていうか。園田さんっていうのやめない? 私は加奈子って呼んでんだから、そっちも紫音でいいよ」
「じゃあ、紫音ちゃんって呼ぼうかな」
「それでいい。加奈子とやるバスケ、楽しくなりそう」
嬉しそうに笑う紫音ちゃんに、加奈子も笑顔で返した。
「私も、楽しみだよ」
それから加奈子は、道が分かれるまで紫音ちゃんとバスケについて他愛のない雑談に夢中になった。
家に帰ると、リビングから母の「おかえりー。どうだった?」という声が聞こえたので加奈子は靴を脱ぎながら、
「楽しかったよ。友達もできた」
と軽い報告をすると、「そ。よかったね」と関心があるのかないのか微妙な返事が来た。
自室に戻り、加奈子は学校指定のバッグを無造作に投げて、ベッドに背中を預けた。朝起きてからそのままだった布団が柔らかに加奈子を包み込み、新生活への緊張感を解す。
中学生活の初日はいいスタートを切れたのではないだろうか。
小学校で一緒にバスケをしていた子たちがバスケを辞めてしまったのは残念だが、仕方がない。みんな別のことに興味があることは前からわかっていたことだ。
だが、紫音ちゃんという新しい友達ができた。
勉強はあまりやる気は起きないが、バスケは楽しみだ。
これからの生活を想像しながら、加奈子は緩やかに目を閉じた。




