13話 同級生はどうしてるのか
中学を卒業すると加奈子は地元の公立高校に入学した。
高偏差値の私立高校も受験していたが、加奈子はその受験に失敗した。受験勉強に身が入らなかったのだ。
バスケ部を辞めてから、加奈子の中学生活はほとんどアニメを見ることに費やされた。アニメを見て、漫画を読んで、お小遣いの範囲でライブに行ったり、グッズを集めたり。
そんな活動にエネルギーを注いでいたので、どうしても勉強がおろそかになってしまった。
そうは言っても、定期テスト一週間前の期間にはそれなりに勉強していた。
元々要領がいいこともあり、なんとか勉強にはついていけてた。そのおかげで、そこそこの学力は維持できていたし、そこそこの偏差値の公立高校に入ることができた。
後悔はなかった。
加奈子の友達もかなりの人数がこの高校に入学したからだ。優花ちゃん、村田さん、新谷さんがそうだし、他にも十人くらいが同じ中学からここに来ている。
その中に、紫音ちゃんや仁志君の姿はない。どこに行ったかまでは知らないが、彼らは別の高校に入学したのだろう。
「何聞いてんの、加奈子ちゃん」
加奈子の肩を叩いたのは優花ちゃんだ。
イヤホンを外して、加奈子は答えた。
「これ? 晴那くんのラジオ」
晴那とは、加奈子が好きなキャラの練くんの声を担当している声優だ。加奈子は彼のラジオをすべて視聴している。生放送は中々聞けないので、こうしてアーカイブを聞いていることが多い。
「まさか加奈子ちゃんがここまでハマるなんてね」
「何が?」
「別に。それより、次移動教室だよ」
「え、嘘。まじじゃん。待ってすぐ準備する」
五月。
加奈子は高校生活をそれなりに過ごしていた。
部活には入らず、時間を大好きなアニメ関連に費やす日々を過ごしていた。
学校が終わったらアニメや漫画を見るか、バイトをするか、二次創作の小説や漫画を読んだり、好きな配信者の配信を観たり、SNSで同好の志を見つけては好きなものを共有したりしていた。
「あのー」
授業が終わり、放課後。
帰りの支度をしていると加奈子に声をかける人物がいた。
顔をあげると、そこにはクラスの男子生徒がいた。名前は確か、坂上くんだ。
「な、なに……?」
「あーいや。なんかごめん。ちょっと聞きたいことあってさ」
坂上君は加奈子の机の前にしゃがんだ。自然と顔の距離が近くなり、思わず加奈子は少し体を後ろに逸らした。
「高山さんってバイトしてるんだよね? どこでやってんの?」
「えーっと……」
なぜいきなりそんなことを聞いてくるのか。
その戸惑いを察したのか、坂上君は「あ」と表情を変える。
「俺もバイト始めようと思ってさ。それで、高山さんがバイトしてるって聞いて、どんなのやってるんだろうって思って。紹介してほしいとかってわけじゃなくてさ、同級生はどうしてるのか聞きたくて」
「別に。普通のコンビニ、だけど」
「あーやっぱそうなのか。ありがとう。参考になった」
んじゃ、と坂上くんが爽やかに去っていった。
加奈子は「はあ」とため息を吐いた。
高校に入って、加奈子は男子と話すのが少し苦手になっていた。元々得意な方ではなかったが、最近は話すだけで緊張するし、体が熱くなる。
どうしてそんな風になったのか、加奈子は自分で原因が分かっていた。
中学時代、加奈子は好きだった人にフラれた。その件は元はというと、加奈子がその人の好意を受け取らなかったことが原因だ。
好意を伝えて、拒絶されたから諦める。いたって正しい判断だ。拒絶された人に時間と労力を割くのは無駄だし、さっさと新しい人と出会うのが賢明だ。
だから、別にその人のことを責めているわけではない。
単に恋愛が怖くなったのだ。
また自分は間違えてしまうのではないか。相手を傷つけて、自分も傷ついて。そんなのは二度とごめんだ。
そのことが原因で、男子と話しているとどうしても異性を意識してしまうのだ。男子全員が加奈子のことを異性として接しているわけではないとわかっている。
でも、やっぱり、男子は男子で、加奈子は女子だ。
怖い物は怖い。
加奈子は優花ちゃんに「また明日」と別れを告げて、家に帰った。
今日はバイトがない日だ。そのため好きなことに時間を使える。何をしようかと悩んでいた加奈子のスマホに通知が届いた。
「配信だ……!」
加奈子はすぐに通知をタップした。アプリが立ち上がり、配信画面が映った。加奈子は急いでイヤホンを取り出して耳にはめた。自動音声がスマホと連動したことを知らせる。
画面は可愛らしい部屋と白髪の少年のイラストで埋められた。見慣れたイラストだ。コメント欄にポツポツとコメントが寄せられていく。
「こんにちは!」「今日は早いね」「待ってたよー」と彼の配信を待ち望んでいた人が何人もいることが分かる。
加奈子もそれらに混じって「元気だった?」とコメントを投稿する。それと同時に画面からブツッとノイズが聞こえた。この音を加奈子は良く知っていた。マイクをオンにしたときの音だ。今まで何度も聞いたことがある。
『あ、あー。聞こえてる?』
声が、加奈子の鼓膜を揺らす。その振動は脳にまで届く。それは快楽となって、全身の筋肉を弛緩させた。加奈子はベッドに寝転がり、耳に届く音に身を任せた。
『よかった。聞こえてる。ねえねえ聞いてよ。今日さー。学校の先輩とボウリング行ったんだけどさ。お金かけて勝負したんだけどさ。先輩うますぎて――え? お金かけたの言ったらBANされる? まじで? んん、というのは冗談でえ……。って嘘かーい。え。どっち? もー変なこと言うなよー』
彼の名前は「カナト」という。
それほど有名ではないが、人気声優と声が似ていることから界隈で徐々に人気を伸ばしている。
その人気声優とは、もちろん加奈子が好きな「晴那」である。
過去に投稿された動画の中にはキャラの声真似動画もあり、加奈子はそれがきっかけで彼の配信を見るようになった。
配信は彼の雑談にリスナーがコメントをして、それに彼が反応するという流れで進んでいく。
流れていくコメントの中に赤色のコメントが混じった。いわゆるスーパーチャットだ。
『え? ツヴァイの声真似? あー、あれね。しゃあねえなあ。いくぞ?』
彼が息を吸う音が聞こえた。加奈子は耳を澄ませる。一切の身じろぎを辞めて、ただ耳に意識を集中させた。
『お前のこと。二度と離さねえから』
ギャー! と叫びたい気持ちを、顔に枕を当てて押さえつけた。じたばたと手足を動かして、加奈子は幸せをかみしめた。
『って何言わせてんだよ! ったくよー。でもありがとね。シズクちゃん』
彼は甘い声でスーパーチャットを送った人の名を呼んだ。シズクというアカウントはそれがよほど嬉しかったのか、さらに千円送っていた。
それを見て彼がまた『ちょいちょい。送りすぎだって。嬉しいけどさ』と微笑んでいる。
ああ。いいなあ。と加奈子の胸がざわざわした。
次は加奈子の番だ。
昨日、四月のバイト代が加奈子の銀行口座に入金されていた。初めての給料だ。
帰宅時にコンビニに寄って、プリペイドカードは手元にある。コードの入力も終えていて、加奈子のアカウントには一万円が入っている状態だ。
準備は整っている。後はコメント送信ボタンの横から金額を選んで、コメントを入力し送信するだけだ。
「あー。どうしよう」
加奈子は悩んでいた。
すでに金額は設定している。五千円。残りの五千円は次の機会に投入する予定だ。コメントも打ち終わっている。
彼の配信を視聴し始めてから三か月。これまで彼を見てきた中で生まれた感動、ときめき、驚き、そして愛情。それらをすべて込めた大切なメッセージだ。
購入ボタンを押せば、加奈子の思いは言葉となって彼に届く。
簡単なことだが、加奈子は逡巡していた。そのメッセージは加奈子の赤裸々な思いを綴った文章だ。愛の告白だ。それを彼にぶつけることが、とても恥ずかしいと感じている。
彼はたぶん、笑って受け入れてくれるだろう。ありがとう、と言ってくれるだろう。
恐れることはない。勇気をもって、人差し指で画面を触るだけだ。それだけでいい。
「でもなあ」
やっぱり踏ん切りがつかない。どうしよう。送るのやめた方がいい? でも彼の喜ぶ声が聴きたい。ありがとうって言ってほしい。
加奈子はそっと画面に人差し指を近づけた。そして心の中で自分にこう言い聞かせた。
ちょっとだけ触ってみよう。まさか本当に送るとは思わないけど、不意に指が触れちゃったんなら仕方ないよね。うん。私の意志じゃなくて、こう。指が勝手にってやつだよね。うん。
加奈子は目を瞑っていた。そして人差し指が画面に触れる。
「あっ」
とかわざとらしく呟いて、加奈子は目を開ける。
送信されていなかった。依然として送信画面のままだった。加奈子はもう一度目を瞑って、そして、指で画面を触った。
送れただろうか。加奈子は半目になって画面見た。送信画面は消えていた。
その代わりにコメント欄に赤い文字の文章が表示されていた。
『カナトくん! 配信お疲れ様です! 初スパチャです! いつもかっこいい声で、本当に耳が幸せになっちゃいます(/ω\) 学校で嫌なことあっても、癒されるっていうか、ストレスが吹き飛んじゃいます! 実はカナトくんの配信を見始めたのって、ここ最近なんですけど、めちゃくちゃハマっちゃってます!笑 この前の歌ってみたもとっても素敵です。毎日聞いて幸せな気持ちで寝ちゃってます(*´▽`*) 長くなってすみません。何が言いたいかというと、いつも本当にありがとうございます! 頑張ってるカナトくんを見ていると私も頑張ろうって気持ちなります! これからも応援してます! 大好きです!』
送ってしまった。このコメントはカナトくんだけでなく、他の視聴者たちにも見られる。つまり、百余人に加奈子の告白を見られているのだ。
加奈子は恥ずかしさのあまり、枕で顔を覆った。




