12.5話 Side紫音
園田紫音が三雲仁志と出会ったのは夏休み初日だった。
彼女はその日、新しいバスケットシューズの購入のため個人経営の小さなスポーツショップに来ていた。
「ぼっろ……」
と、紫音は店の前で思わず呟いてしまった。
いつも行っている大型店が改装のためしばらく休みらしく、仕方なくこの店に来たのだ。
スマホの指示に従って、一番近い店を選んだのだが果たしてここで大丈夫なのだろうか。
建物は小さく、普通の家くらいの大きさだ。入口はスライドドアではなく、片開きドア。店の正面はガラス張りになっていて、中にスポーツ用品が並んでいることが確認できる。
だからここがスポーツショップであることは間違いないのだ。
壁がところどころヒビ割れていて、建物の色がくすんでいて、レジにいるおじいさんが真剣な表情でパソコンで何かしていることは些細な問題にすぎない。
「まあ、いっか」
今から別の店を探すのも面倒だ。危険なことはないだろうし、良い物がなければそのまま帰ればいい。あったらいいな、くらいの気持ちで入ればいいのだ。
そう思って紫音は店の中に入った。
店内は思っていたよりも広い。正面から見た通り、幅は狭い。大体2メートルくらいだろうか。幅の狭さに対して、奥行は広い。目測だが十メートルくらいはあるだろう。
それに整然としている。見たところ、四つのエリアに分かれている。正面の方から、サッカー、陸上、バスケ、そしてあれは、
「フェ、フェンシング……?」
紫音の目はおかしくない。あのPOPはどう見てもフェンシングだ。フェンシング以外に読みようがない。だからこの店にはフェンシング用品が売っているのだ。
なぜそんなニッチなスポーツの物を取り扱っているのかは謎だ。
紫音に分かることといえば、彼女が店に入ってフェンシングに困惑するこの一分にも満たない時の間、店主らしきおじいさんが客を迎える様子がないということくらいだ。
あのおじいさんは今もまだパソコンに集中している。一体何をしているのか、紫音は想像しようとしてやめた。そして店を出ようとした。
老年とは言え男性だ。男性があんなに集中するなんて、相場は決まっている。まだ中学一年生だが、紫音はそれくらい知っているのだ。
店に入ること自体間違っていた。紫音はそう思いながらため息を吐いて、振り返った。
そのまま店のドアに手をかけようとして、紫音の動きがピタリと止まる。
「いやいや、まさか……」
視界の端に何かを捉えた。それは当然バスケコーナーにあった物だ。
紫音は新しいシューズを買うにあたって、色々と調べていた。最新のシューズはどんなものがあるか。可愛く、それでいてかっこいい形や色をしているシューズがあるか。自分の足のサイズと同じサイズがあるか。
そして見つけた、理想の一足。そのまま通販で買っても良かったが、問題が二つある。
カードや電子決済が親から許可されてないことと、実際の履き心地を試すことができないということだ。
そのため、理想の一足を購入することは半ば諦めていた。
そして今、それが手を伸ばせば届く場所にあるかもしれない。見間違いでなければ。
「見間違いじゃ、ない!?」
気づけば紫音はそのシューズの前に立っていた。立つだけでなく、シューズが置かれている商品棚に手をついていた。
どこからどう見ても、そのシューズは最近発売した新商品だ。
しかも驚くべきは、ただ「ある」ということだけでは無い。
「一万円!?」
紫音は値段が高くて驚いているのではない。その逆だ。安すぎるのだ。
公式サイトでは定価17,900円で販売されている商品が、なんと約8,000円引きの大特価で売られている。
親からはちょうど一万円札を一枚、渡されている。
紫音は一度息を吸って、吐いた。落ち着け。落ち着くのだ。胸の辺りに手を添えて、高鳴る鼓動を抑えようとしたが、そんなことをしても心臓は静かにならない。
かなり動揺していることを自覚した紫音は状況を整理することにした。
「欲しいシューズがある。間違いない。そして値段は? 1、の後に0が四つ。間違いなく一万円。それで、私の財布にあるのは? やっぱ一万円。てことは……?」
買える。
そう認識すると、紫音は次にサイズを確認した。棚に置かれているシューズのサイズは25センチだった。紫音の足よりも少し大きい。
別のサイズはどこにあるんだろか。紫音は棚の周辺を見たが、他のサイズの靴を保管してるような場所はない。シューズが置かれている棚、というか壁だ。壁を改造してシューズを置くスペースを作ったようだ。そこには当然保管用のスペースなどない。
そうなると店員にほかのサイズがないか尋ねるところだが、その店の店員は今もパソコンに集中している。
おじいさん店員に話しかけるのは、紫音に撮って避けたいことだ。
ではどうするのだ。理想の一足を諦めるのか? そんなのは嫌だ。でも、どうすることも出来ない。手詰まりだ。
ついに紫音はしゃがみこんでしまった。
そんな彼女の頭上に一つ影が落とされた。
「何やってるの?」
紫音は飛び上がるように立ち上がった。
見ると、そこに居たのは紫音と同年代らしき少年だった。彼は見慣れた学校指定の体操服を着ていて、紫音も使っている通学鞄を肩に背負っていた。
「三雲、くんだっけ?」
紫音は彼のことを知っていた。同じクラスの陸上部の男子が彼のことを話していたのだ。
なんでも、1年の中で一番足が早いとか。
その時は「へー」というくらいでなんの興味もなかった。
やがて、五月頃に体力テストがあったとき、やたら足が早い子がいると噂になった。それが三雲仁志だった。
可愛らしい顔つきだと思った。彼女がいるんだろうなと思ったが、どうやらいないらしい。夏休みが始まる前、陸上部の先輩に告白されたが断ったと、紫音は聞いたことがある。
「俺の事知ってるの?」
「うん。三雲くん、わりと有名だよ」
「え、なんで?」
「美人な先輩の告白を断ったって」
「……思い出した。園田さんだ」
どうやら告白を断ったことは否定しないようだ。というよりも、あまり気にしていないようにも見えた。彼にとって、どうでもいい事なのか。それとも、触れられたくないのだろうか。
「私のこと知ってるの?」
「園田さんも有名人だし」
「私が?」
聞くと、三雲仁志は「しまった」という顔をした。
「あー、うん。まあ……」
紫音は自分が有名だとは露ほども思っていなかった。その理由など想像もつかないが、彼の反応を見るにろくでもない理由なのだろう。
中学に入ったばかりだと言うのに、今後の立ち振る舞いを考えなければならなくなった。
紫音は肩が少し重くなるのを感じた。
「別にいいけど。三雲くん、この店はよく来るの?」
「そうだね。この店、新商品を格安で売ってるから。穴場なんだ」
「ならちょうどいいや。あのじいさん、あんまり関わりたくないからちょっと教えてくれない?」
「シューズのサイズなら、カネ爺に言うしかないよ」
そう言って彼はレジにいる爺さんを一瞥する。あの人は「カネ爺」と呼ばれているようだ。
そんなことなどどうでもよく、別のことで紫音は驚いた。
何に悩んでいるか言い当てられるとは思っていなかったのだ。どうして分かったのだろう。紫音は想像した。そして思った。
この人、いつから私のこと見てたの?
「なんでわかったの?」
「俺もそうだったから」
「あー、そういう……」
「……もしかして、ずっと見てたって思われてる?」
意外と鋭い。
「いや、まあ……」
その通りだった。申し訳ない。思わず紫音は三雲から目を逸らした。
彼は親切心から紫音に声をかけたというのに、変に疑ってしまったのだ。不快に思ったかもしれない。
謝ろう。
紫音はそう思ってちらりと彼の顔を伺った。彼は何を言うでもなかった。
「はあ……」
と、ただ息を一つ吐く。彼はそのまま紫音に何も告げずに目の前から離れていった。
え? 何? どういうこと?
紫音は困惑した。
自分は無視されるようなことをしただろうか。いや、そこまで酷いことはしてない。たしかに、少し失礼な態度を取ったかもしれない。その原因もわかっている。自分は人間関係があまり上手に築けない。初めて話す人には緊張してしまうし、それが男子ならなおさらだ。
それに、自分に敵意や悪意を向けてくるような人間には反抗的な態度をとってしまう。
そういう態度がまた周囲と軋轢を生むことはなんとなくわかっている。小学校時代はそういうこともあって、孤立気味だった。
だからといって矯正できるようなものでもない。だって、自分に嘘はつきたくないのだから。
「ちょっと待って……!」
だから紫音は、三雲の肩を掴んだ。
理不尽に我慢することは今まで何度もしてきたことだ。そんなのはもうごめんだ。むかつくやつには歯向かうし、合わないやつとは関わらないし、納得できないことには抗う。
だから紫音は三雲の身体をぐるりと引き寄せた。
「無視は違うんじゃない? 失礼なことはしたけどさ、私は謝ろうと思ってた。それすら聞かずに無視って、どうなの?」
逆切れ甚だしいだろうか。そうなのだろう。
関係ない。むかつくのだ。彼の目が。
ため息を吐いたその瞬間、紫音は彼の目を見ていた。あの目は、諦めた者の目だ。紫音自身がそうだったからわかる。高山加奈子と出会うまでの紫音はいつもあんな目をしていた。いつ鏡を見ても、あんな顔をしていた。
「……ごめん」
彼は驚くほど素直に謝った。
紫音は「うざ」とか何か一言吐き捨てられて睨みつけられることくらいは覚悟していた。昔の紫音が同じことを誰かにされたたそうしていただろうからだ。
紫音が何も言わないので、謝罪が足らないと思ったのだろうか。彼は謝罪を続ける。
「たしかに無視はよくなかったよ。ごめん」
「い、いや。私もごめん」
紫音は腕の力を緩めた。三雲は掴まれた肩を反対の手でさすった。痛かったのだろうか。申し訳ない。
「園田さんは悪くないよ。だから気にしないで」
「そんなことはないと思うけど……」
少なくとも、彼の好意を踏みにじったのだ。それは反省すべき点だ。
「ううん。本当に。それより、靴のサイズだよね? カネ爺に言いにくいんだったら俺が言いに行こうか?」
「自分で行く。教えてくれてありがとう」
「うん。じゃあ俺はこれで――」
離れようとする彼の掌を、紫音は握った。今度は掴んだりせず、優しく。
「なんであんな顔したの?」
「あんな顔?」
「なんか、諦めてるみたいな。こう、うっとおしい、めんどくさい、みたいな」
「そんな顔してた? 俺」
「うん。してた」
「そっか」
「それで、なんで?」
「……誰にも言わないって約束してくれるなら、言ってもいいけど」
「約束するよ。ぜったい、言わない」
「女子が、苦手なんだ」
「え?」
「だから、女子が苦手なの」
「女子が、苦手? え? なんで?」
「これ以上は言いたくない……」
「……そっか。じゃあ言わなくてもいい。無理には聞かないよ」
「そうしてもらえると助かるよ」
「でも意外だね。三雲君みたいな男子ってみんな女子のこと好きなのかと思ってた」
「俺みたいなって?」
「運動部で、教室の中心で馬鹿なことやってる男子」
「俺そんな風に思われてるの?」
「違うの?」
「違う……いや、わりと合ってる……?」
三雲はなんだか真剣な顔で悩み始めた。そんな風に真剣に自分のことで悩んでいる時点でクラスの男子とはちょっと違うと、紫音は思った。
そんな彼の顔がなんだか可愛らしいなとも、思った。
「ねえ、三雲くん。連絡先、交換しない?」
「えー……」
三雲は少し訝し気な表情をした。その表情もまた、どこか可愛らしい。
「無理にとは言わないけど。女の子は苦手なんでしょ?」
「……別にいいけど。はい」
と言って彼はスマホを紫音に差し出した。勝手に追加してくれということだろうか。
女子が苦手と言っていた割に無防備だ。少しは信頼してくれているということだろうか。それなら紫音は嬉しいが、さすがにそれを聞くことはできなかった。
紫音は彼のスマホを受け取り、メッセージアプリのQRコードを映し出した。自分のスマホを出して、QRコードを読み込むと彼のアカウントが表示される。
彼のアカウント名は「ひとし」とひらがなで表記されていた。画像は猫の画像だった。ペットだろうか。
紫音はアカウントを追加して、ついでに三雲のアカウントでも紫音のアカウントを登録しておいた。
スマホを返しながら紫音は尋ねる。
「猫飼ってるの?」
「え? あー。うん飼ってる」
三雲は驚いた顔をしたが、すぐに納得したようだ。アカウントの画像が猫であることを思い出したのだろう。
「へー、なんていう子?」
「みーこって言う。お父さんが拾ってきた」
「そうなんだ。虎猫だよね? かわいかった」
「可愛いでしょ? 俺が寝るときとか、一緒に布団に入ってきて、まじでかわいい」
自慢げにペットのことを語る三雲の顔も可愛い。
「ねえ、今度見に行ってもいい? 私も猫好きなんだ」
「それはちょっと……」
「ん、わかった。じゃあやめとく。雑談とかなら付き合ってくれる?」
「内容次第かな」
「考えとく。じゃ、私はシューズのサイズ聞きに行くよ」
「俺も買い物済ませようかな」
紫音は三雲と別れた。
紫音は考えた。どうして彼のことがここまで気になるのだろう。それはたぶん、自分と同じような悩みを抱えていると思ったからだ。彼が昔の自分と同じなら、彼の気持ちが分かるかもしれないし、逆に紫音のことをわかってくれるかもしれない。
紫音はそう思ったのだ。
まあ、あとは、顔が好みなのだ。
紫音は新たな出会いに喜びを感じつつ、欲しかったシューズを手に取った。
それからレジにいたカネ爺とやらに声をかけた。
「すみません」
というとカネ爺はパッと顔を上げた。
「ん? どうした?」
声は意外と若い。というか、顔も若い。「爺」というからには年寄りだと思っていたが、白髪が目立つだけで実年齢はそこそこ若そうだ。
「あ、いえ。この靴の別のサイズを探していて……」
「サイズは?」
「22センチです」
「ふむ。それなら裏にあるな。すぐに持ってくる。待っててくれ」
そう言って彼はレジの奥にある部屋に入っていった。
なんだ、意外といい人じゃないかと紫音は安心した。
一分ほど待って、向こうの方から「あれー? どこだー?」と聞こえてきて紫音は少し不安になった。
ふと、パソコンが目に入った。
あの画面には何が映っているだろうか。もしかして、えっちなものだろうか。紫音だって年頃なのだ。えっちなものに集中する男性に話しかけるのは嫌だが、えっちなもの事態には少し興味がある。
向こうからはまだ「たしかこの辺に……」という声が聞こえる。三雲も離れたところにいる。パソコンの画面を見るなら、今がチャンスだ。
紫音はレジの方に回り込んだ。
そして、パソコンの画面を目に映そうとした。
「それ以上はやめようね?」
紫音は飛び上がった。パソコンから離れると、すぐそこにカネ爺がいた。彼の両手には箱が収まっている。紫音が欲しいと思っていたシューズの別のサイズの箱だ。
カネ爺はにっこり笑顔で佇んでいる。少しだけを息が切れていた。
「はーい。すみません」
紫音は笑顔で謝った。
今はまだわからなくとも、そのうちわかることだ。カネ爺がパソコンで何をしていたかも。三雲仁志とどういう関係を築いていくのかも。もしかしたらそれは急速に変化していくかもしれないし、そうでないかもしれない。
先のことは紫音にはわからない。ただ自分の気持ちに嘘をつかないで、前に進んでいくだけだ。
紫音はそう決めている。




