12話 自分のせいとか思ってる?
朝一番。
加奈子は登校してすぐに優花ちゃんの元へ駆け寄った。
バン、と机を叩いて興奮気味に息を切らしている。学校まで走ってきたのだ。
「えーと、何が?」
「アニメ! 教えてくれたやつ!」
「あー、あれ。見てくれたんだ」
優花ちゃんは若干引き気味だった。
「うん! 教えてくれてありがとう」
「加奈子ちゃんに気に入ってもらえてよかった。ちなみに推しは?」
「推し?」
「誰が好きかってこと」
誰が好き? 加奈子は考えた。けど、五人の中で誰が好きだとか決められない。加奈子は全員が大好きなのだ。
「難しいよね。私もおんなじ、強いて言うなら神田君かなー。私ああいう普段は明るいけど陰のある子が好きなんだ」
「わかる! みんなを笑わせようとして、ちょっと無理してるんだよね。でもそれで雑に扱われることが多くて余計に孤独感を募らせている感じが私も好き。でも他の子たちもみんないい子だし、誰が一番ってやっぱり私は決められないかも。みんな大好きだけど、私は話の流れが好きだった。八話と九話当たりはみんなバラバラでどうなるんだろうって心配だったんだけど、錬くんが頑張ってくれてみんなが集まって、それでライヴにつながるのが本当に美しいって思った。それに――」
「ちょ、ちょっと加奈子ちゃん……」
「え?」
「少し落ち着いて、注目されてるから……」
言われて、加奈子は周りを見る。
クラスメイトの視線が加奈子に集まっていた。みるみるうちに加奈子の顔が真っ赤に染まる。優花ちゃんを見ると、「あはは」と困ったように笑っていた。
申し訳なくなって、加奈子は自分の席に戻った。視線はすぐに外れたが、加奈子は先生が来るまでの間、小動物のように縮こまっていた。
放課後、加奈子は優花ちゃんのところに行った。村田さんと新谷さんも一緒だ。
「ねえねえ。村田さんと新谷さんも好きなの?」
加奈子はスマホの画面を見せた。加奈子が夢中になっているアニメが液晶に映っている。
「うん。好きだよ!」
「やばいよね」
二人も同じアニメが好きだとわかって、加奈子は嬉しくなった。
「ねえねえ、今からカラオケ行かない?」
加奈子の提案により、場所をカラオケに移すことになった。目立って周囲の視線を集めたくなかったからだ。
そこで四人は大いにアニメの話で盛り上がった。
「え!? ライヴやるの!?」
その情報を聞いて加奈子は飛び上がる思いだった。
「そうなんだ。それで、私達三人で行く予定だったんだけど、加奈子ちゃんも来る?」
「行く! 絶対!」
即答した。
日にちとか、どこでとか、そういうのはどうでもよかった。生の音であの歌声や演奏を聴けるのなら加奈子はどこへだって行くだろう。
「い、一応言っとくけど、アニメのキャラが出てくるわけじゃないんだよ?」
村田さんは控えめに言った。
どういうことだろう? 加奈子は発言の意図をくみ取れないでいた。
アニメのキャラはアニメの世界にしかいないから、実際にライヴはできない。それくらいのことは加奈子にもわかるし、当たり前のことだと加奈子は認識している。わざわざそれを言うわけがないので、村田さんは別の意図があって発言したのが妥当だと言える。
「キャラの声優さんがライヴするってこと。沙耶はキャラが実際にいると勘違いしてたらしいんだ」
新谷さんがからかうように笑う。
「ちょ、ちょっと真子……!」
「なんだ。そういうことか。わかってる、大丈夫!」
「あ、あと、二期も決定してるんだよね」
「ニキ?」
「アニメの続編ってこと」
「ええ!?」
加奈子の心臓はばくばくだった。
「あと、これ真子のイラストアカウント」
そう言って優花ちゃんに見せられたのは、SNSのアカウントだ。新谷さんのアカウントらしいがどこにも「新谷」も「真子」の名前がない。見たことがない名前だ。
それにフォローされている数がすごい。
十万人って多いのかな。
加奈子には判別がつかない。
優花ちゃんが画面をスクロールして、下の方からとてつもなく美しい錬くんのイラストが出現した。
「え、待って。もしかしてこれ、新谷さんが……?」
「あ、うん……一応」
加奈子は新谷さんの両肩を掴んだ。
「あなたはすごい! 天才! なんで自信なさげなの? こんなにすごい絵を描けるなんて新谷さんは神様なの? 新谷様って呼んだ方がいい?」
「様は、ちょっと嫌かも」
新谷さんは恥ずかしそうに口元を触っている。
「ほら、こんなのもあるよ」
優花ちゃんがさらに画面を動かすとまた別の画像が流れてきた。さらにスクロールするとまた別の画像が。いくつもいくつも、素晴らしいイラストの数々。
「ま、待って待って。死ぬ。死んじゃう」
加奈子はあまりの刺激にソファに寝転がった。ライヴ、二期、素晴らしい新谷様の素晴らしいイラストの数々。一度に浴びていい情報の許容量をはるかに超えていた。
「死ぬわけないでしょ。まあ気持ちはわかるけど」
「わかってるー。気持ちの問題じゃん」
「わ、私もわかるよ! その気持ち!」
村田さんは両拳を膝の上に置いていた。力がこもっていて、今の発言に勇気を出したことが伺える。
その小さな体と相まって、懸命に意見を主張する様は必死に生きる小動物を連想させて、可愛かった。
「ありがとう。村田さん」
お礼を言うと村田さんは「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。
「その、死ぬっていい言葉じゃないと思うんだけど。そうとしか思えない時もあるって、思うんだ」
村田さんは噛みしめるようにそう呟いた。
前までの加奈子なら彼女の言葉を理解できなかっただろう。バスケのことは好きだったが、バスケのために死んでしまうとまでは思ったことは無い。
たかがスポーツ、そんな気持ちが加奈子の頭の片隅に常にちゅうぶらりんとしていた。
何かに夢中になるとはこれほど素晴らしいことなのだ。しかも、加奈子にはそれを分かち合える友達がいる。
カラオケが終了時間を迎えて、四人は解散することになった。
加奈子は優花ちゃんと一緒に帰った。村田さんと新谷さんは元々別の小学校だったから帰る方向が違うのだ。
「私、こうして加奈子ちゃんと仲良く話せて嬉しいんだ」
アニメの話がふと途切れた時に、優花ちゃんがそう零した。彼女の頬が赤らんでいるのは夕焼けのせいだろうか。
「今までも仲良かったと思うけど」
彼女とは幼稚園のころからの付き合いだ。小学校の時も同じクラスになればよく話していたし、アニメの話も二人にしか通じないこともあった。
今年は一緒に劇場版も見に行った。
「加奈子ちゃん、いつも私といても違うこと考えてた」
加奈子はそう言われて、思い出してみた。
優花ちゃんといるとき、自分は何を考えていただろうか。
「そんなことないと思うけど」
「あるの。いつも壁があったっていうか。そんな感じだったけど、今は違う感じがする」
「そうかなあ?」
「そうなんです」
優花ちゃんは三歩前に出て、くるっと回転して加奈子の方に向いた。
「とにかく、前より仲良くなれて嬉しいってこと」
彼女の言うことはあまりわからなかったけど、優花ちゃんは嬉しそうに笑っていた。今はそれでいいんじゃないだろうか。
翌日。昼休み。
加奈子は優花ちゃん達を再びカラオケに誘った。
昨日はアニメの話がメインだったけれど、今日は歌を歌いたいのだ。アニメの主題歌やエンディングテーマや、キャラソンなんていうものもある。
それらをみんなで歌いあえばどれだけ楽しいだろうか。
胸をわくわくで躍らせて迎えた放課後、加奈子は優花ちゃんの席に向かった。
「優花ちゃん。カラオケなんだけど、ちょっと待っててくれない? 私トイレ行きたくて」
「いいよ。じゃあここで待ってるね」
ごめんね。と加奈子は言い残して、教室を出た。
教室に一番近いトイレに入って、用を足した。手を洗って、ハンカチで水を拭いながらトイレを出ると、女子生徒がいた。
彼女はトイレの向かい側の壁に背を預けて、両腕を組んでいた。ただそこにいるだけで、彼女は周囲の生徒から注目を集めていた。
ここは一年生の教室がある階だからだ。そして彼女は三年生だ。そのことは上履きの色が一年生と違うことが表している。
田宮キャプテン。
加奈子は彼女を視界に捉えたが、すぐに視線を逸らした。話しかけられないようにこっそりと歩いてみたが、その努力はむなしく終わる。
「待ちなよ」
手を握られた。
振りほどこうとしても、握られた手は力強い。体格差的に、無理やりほどくのは難しそうだ。
「ここじゃなんだから場所変えよう」
田宮キャプテンは加奈子を西校舎の裏に連れた。
太陽が校舎に隠れて随分と薄暗い。当然、二人の他に生徒はいない。風が草を撫でる音と、遠くからの生徒の喧騒が耳に届く。
「ねえ、どうして返事しないのかな?」
田宮キャプテンの声音は柔らかいが、どこか棘がある。それもそうだ。加奈子は二日前、部活に行かなくなってからメッセージを無視していたのだ。
田宮キャプテンからすれば訳が分からないし、怒るのも当然だ。
「私、もう部活は辞めます」
そう告げると、キャプテンは「はあ」とため息を吐いた。加奈子がこう言うことを想像していたのだろう。あまり大きなショックは受けていないように見える。
「理由、聞いてもいい?」
「バスケをやりたくないからです」
「それはなんで? 私たちのせい?」
やりたくない理由。
「言いたくありません」
加奈子がそう言うと、キャプテンは「そう」とだけ呟いた。無言の時間が流れる。もう話は終わりだろうか。終わりなら、戻りたい。教室に優花ちゃん達を残している。連れられるときにメッセージを送ったけれど、待たせるのは申し訳ない。
「もしかしてさ。自分のせいとかって思ってる?」
ドキリ、とした。
「そんなの思ってません」
「ならいいんだけど。紫音が辞めたのは私たちのせいだからね。私だって止められなかった。気づいてなかったなんて言い訳にならない。後輩のことをちゃんと見てあげられなかった。だから、加奈子が気負うことは――」
「だから、思ってません!」
言われなくとも、加奈子は自分のせいでないことくらいわかっていた。
紫音ちゃんは意志が強いし、こうと決めたら加奈子が何を言ったところで簡単に意見を変えたりしないだろう。実際、そうだった。
だから加奈子は悪くない。悪いのは、加奈子と紫音ちゃんのことが気に食わないからと言って嫌がらせをしてきた先輩たちだ。
「うん。ごめん」
キャプテンは一度目を伏せた。
「それじゃあ。みんなにも伝えておくから。辞めるって」
「はい」
「でもね加奈子、一つだけ言わせて」
加奈子は返事をしなかった。
「私は辞めないよ。嫌なことがあっても」
キャプテンはそう言って、校舎裏を去っていった。
なんだというのだろう。
今時、嫌なことがあったからやめるなんて当たり前だ。就職して一日で辞めるなんてのはニュースを見ていたらよくあることだ。仕事でそれならば、部活くらい気軽に辞めてもいいだろう。
加奈子の周りにだって、部活を辞めた人が何人かいる。彼らは辞めてからも楽しそうに日常を過ごしているし、なんならより元気になった人もいる。
辞めるのは悪いことではない。
いつまでもいたくない環境にいて、やりたくないことをするのは良くないことだ。世間ではそう信じられているだろうし、加奈子もそう思う。
それに、これからアニメのイベントにたくさん参加したいし、新しい別のアニメも見てみたい。まだまだやることがたくさんある。
そうだ。高校に入ったらバイトもしたい。それでそのお金でグッズを買ったり、ライヴに行ったりするのだ。
なんて楽しそうなのだろう。
楽しそうだ。
なのに。
「なんなの」
胸に刺さった小さな棘が抜けてくれない。




