11話 後でアクエリアス持ってくね
『部活始まるけど。どうしたの?』
それを見て加奈子は部活があることを思い出した。部活は行くべきだ。今の女子バスケ部には加奈子の能力が必要だし、先輩も必要としてくれている。
そんな環境でのバスケットボールはとても楽しいだろう。大会だっていいところまで行けるかもしれない。キャプテンは総合的な実力では加奈子よりも高いし、他の先輩方も光る物は持っている。鍛え上げればかなり強力な武器になるだろう。
このまま引き返してバスケをすれば、明るい未来が待っているのだ。輝かしい希望が、加奈子を手招きしている。
後はその手を掴んで、一歩踏み出すだけでいい。
「無理だよ」
加奈子は足を踏み出した。バスケとは反対方向に。
明るくて輝かしくて楽しい未来が待っているかもしれない。それでも、加奈子はそっちに行く気分にはなれなかった。
バスケが楽しかったらこの胸の黒いモヤモヤは無くなってくれるのだろうか。想像力が豊かではない加奈子でも、そうは思えなかった。
家に着いた加奈子は靴を脱いで、廊下を抜けてリビングに入った。リビングの階段を登ろうとして、母親から声をかけられた。
「あれ? 早くない?」
新学期が始まって二日目だが、授業の時間が普段通りであることは保護者なら知っている。今の時間なら授業が終わってまだ部活をしているということは。
「ちょっと、体調悪くて休んだ」
加奈子は適当な嘘をついた。
「大丈夫? 熱は?」
「多分ない。もういい?」
加奈子はすぐにでも自室に戻りたかった。何をしようとか、全く考えていなかったが、とにかく一人になりたかったのだ。
「ちゃんと休んでね。おかゆとか作る?」
「要らない」
「んー。じゃあ後でアクエリアス持ってくね。あと、アイスとかは?」
「要らない!」
加奈子は階段を駆け上がった。
扉を勢い良く開いて、閉じた。下の階から「扉は静かにー」と母の声が響いた。制服のまま、加奈子はベッドに飛び込んだ。靴下は暑苦しいので脱いだ。
枕に顔を押し付けた。身体を丸めて、目を閉じているといつの間にか加奈子は眠りに落ちていた。
夢を見た。
バスケをしていた。体育館に加奈子がいて、紫音ちゃんがいる。キャプテンがいて、如月先輩、睦月先輩、他の先輩方、同級生もいる。
みんな笑顔で、楽しくバスケをしていた。三年生対一年生だった。二年の先輩方は見学だ。スコアボードはぼんやりとしていて、見えなかった。
如月先輩が「くっそー上手いな紫音」と悔しそうに笑っていた。紫音ちゃんは「まだまだ甘いですよ先輩」と不敵な笑みを浮かべていた。睦月先輩が加奈子に向かって、「そのすばしっこさ分けてくれない? 十センチでいいから」と可笑しなことを言うので、加奈子は「身長みたいに言わないでください」とツッコんでみたら、先輩は楽しそうに笑った。加奈子もつられて、笑った。
コートの外で仁志君が笑っていた。「いいぞー、なーちゃん」と応援してくれたので、加奈子は右手でピースを作った。
心地が良かった。心地が良くて、ここは違う、と思った。夢だ。こんなのありえない。あまりにも都合がいい。
みんなで仲良くバスケをして、ひーくんもいて、これが現実だったらどんなによかったか。
目覚めると、目元がヒリヒリとした。枕を顔から離すとやけに湿っていた。
目元を袖で拭うと、その部分だけ褪せたみたいに色が変わる。
加奈子は決心した。
「バスケ辞めよ」
ふと、優花ちゃんからおススメされたアニメのことを思い出した。イケメンの男の子五人が出ているアニメだ。
加奈子はタイトルを検索した。そのアニメはちょうどユーチューブで無料公開されているところだった。加奈子は軽い気持ちで再生ボタンを押した。
動画は暗幕から始まる。
高い声の男の子のモノローグが始まった。
背景では雨の街の風景が移りこみ、高校と思しき建物にカメラが寄っていった。主人公らしき少年が暗い部屋の中で光る画面を見ながら誰かの名前を呟く。
モノローグによると、このアニメは五人の男子高校生がそれぞれの問題を抱えていて、それが原因で彼らは衝突し、葛藤し、悩み、そして前を向く様相を描いているらしい。
あっという間に一話が終了した。
エンディングテーマを聴きながら加奈子はこの二十四分間の出来事を反芻していた。
主人公の少年は転校生だった。明るく元気で、最初のクラスでの挨拶で一笑いをかっさらっていたのが印象的だった。
休み時間になると彼の周りに人だかりができた。様々なことを質問された彼は愛想よく受け答えをする。
放課後になると彼はクラスメイトから遊びに誘われて、カラオケに向かう。
歌が上手で、クラスメイト達が思わず拍手するほどだ。
場面は変わって、翌日。
彼は相変わらずクラスメイト達と仲良くしていた。
彼はふと隣の席の少年に気が付いた。
授業中はつまらなそうに窓の外を眺めていて、休憩時間では小説を読んでいる。彼のことが気になった主人公は放課後、クラスメイトがいなくなったタイミングで少年に話しかけた。
何読んでんの、と軽い質問を投げかけた。
彼はなおも本を読んでいる。主人公は指で彼の机をたたいた。そうすると彼は気が付いたようだ。もう一度尋ねる。それ、何の本?
少年は答える。人が、生きる話。
主人公は彼の声に動揺した。内容はどうでもよかった。ただ、その声を主人公は知っている、と思ったのだ。
主人公はすぐさま少年をカラオケに連れて行った。
少年の声は透明な水のように透き通っていたのだ。
主人公は彼に歌うように促すが、彼は中々歌おうとしない。
恥ずかしがっていると思った主人公は自らネタソングを熱唱してみたが、やはり歌わない。
特製ブレンドジュースをご馳走しても、歌わない。少年が「もう帰って良い?」と苛立ってきたので、主人公は「一曲だけ頼むよ。それでいいから」と真摯に頼むと少年は渋々了承してくれた。
その歌声を聞いて、思い出した。少年は主人公が昔大好きだった配信者だったのだ。
主人公の脳内で記憶が蘇り、感動的なBGMが流れる。そこで一話が終了した。
内容としては良くある話だ。少年が少年と出会う。ただそれだけの話だ。
「おもしろい」
それが、今の加奈子にとても面白い物だった。
特に主人公がお気に入りだ。明るいけど、どこか影のある表情を見せるカットが作中で二、三度移されていた。そこで彼には何かあって、悩んでいるのだとわかる。
加奈子はそんな彼の姿に今の自分を重ね合わせたのだ。
この先、彼がどんな人生を歩むのか加奈子は興味をそそられた。
次の話を見てみたくなった。
だが続きはユーチューブには配信されていない。
加奈子は初めて動画配信アプリをインストールした。
アプリの中でアニメのタイトルを検索してみると、見たことのあるサムネイルが表示された。
主人公と、もう一人の少年と、もう三人映っている。彼らは最初のモノローグの時に登場したけど、まだ本編には登場していない。
彼らの活躍も楽しみだ。
加奈子は胸を躍らせた。再生ボタンを押すと、画面が変わった。
会員登録をお願いします。
長々と文が書かれているがそんな内容だ。加奈子は言われた通り電話番号とメールアドレスを入力し、パスワードを設定していよいよ再生ボタンを押した。
「なんで?」
三十日間無料と書いてあるのに、なぜか再生できない。ちゃんと表示された文を読めば、どうやらクレジットカードの登録が必要なようだ。
もしくはギフト券を購入し、コードを入力すればそのお金で見られるようだ。
中学生である加奈子は当然、クレジットカードなど持っていない。そうなれば、母親に頼んでカードを借りるしかない。
しかし、あまり加奈子はそうしたくなかった。母に言えば、当然何を観たいのか聞かれるだろう。
それを言わずにクレジットカードを借りるなんてできないだろうと加奈子は予想した。
そして加奈子は母親にアニメの話をしたくなかった。
いや、待って。
加奈子は思い出した。
母はたしか、これに会員登録しているはずだ。以前、「ネットは便利だねー」と嬉しそうに話していたことがある。その時、母は通販を利用していた。
たしか、それと加奈子が見ているサイトは同じ名前だった。
加奈子は見ていたサイトを詳しく調べた。その結果、そのサイトはどうやら動画サービス以外に通販もやっていることがわかった。
さらに良いことに、通販に会員料金を払っている場合、動画サービスに追加料金は必要ないらしい。
つまり、母親のアカウントを借りればそのまま見ることができるのだ。
「あ」
いや、やはりだめだ。
アカウントを借りられたとしても、結局はアニメのタイトルを伝える必要が出てくる。
それは、加奈子にはどうしても避けたいことなのだ。
母はアニメといえば、日曜の朝や夕方に放送されているものだと思っている。そんな母に、深夜に放送されていた、いわゆるオタクっぽいアニメを見たいだなんて言いたくはなかった。
加奈子は悩んだ末、財布を持って家を出た。近くのコンビニに入り、ギフトカードを購入する。千円分。加奈子のお小遣い一か月分に相当する金額だ。
母にどこに行ってたか聞かれたときのため、ジンジャーエールを一本購入して、家に戻る。
加奈子は部屋に戻るとすぐにアプリの中でギフトカードのコードを入力した。
アプリに千円分のお金が入ったのを確認して、加奈子は有料会員に入った。
今度こそ、再生ボタンを再生する。
「やった……!」
アニメが開始される。
一話と地続きのシーンが流れる。主人公の回想が入り、それが終わるとオープニングが流れた。一話の最後に流れていた曲だ。どうやら本来はオープニングテーマのようだ。
加奈子はそれから一気に全話を見た。途中、母に呼ばれて晩ご飯を食べるのと、お風呂に行ったときは中断したけど、それ以外の時は本当にずっとスマホの前から視線を逸らさなかった。
それほどこのアニメに加奈子は夢中になった。
五人のキャラクターはそれぞれ後悔、絶望、諦念、孤独、無力感など様々な問題を抱えていた。加奈子は彼らに共感したし、真剣に応援した。
十話で全員が一つになってライヴをしたシーンなど胸がいっぱいになって、自然と涙がこぼれた。
どうして今までこのアニメを見ていなかったのだろう。深夜アニメという文化をどこか見下していたのかもしれない。オタクっぽいと。
加奈子は反省した。見たこともない物を一方的に否定することは良くないことだ。
だって、このアニメは、
「めっちゃ面白かった!」
と、恥じらいはどこかへお出かけしてしまったのだろう。
加奈子が出会い頭に優花ちゃんに言ってしまうほどに、おもしろかったのだ。
クラスメイトもいる教室で。




