第十七話 役目の影
彼女は、昔話をするみたいに語った。
「覚えてしまった人がね」
商店街を抜け、人の少ない歩道橋の上。
「あなたみたいに、名前を捨てた」
風が強い。
街灯の光が、途切れ途切れになる。
「最初は、助けてた」
「無事に、終わらせて?」
「そう。
でも、ある日から」
彼女は、手すりに触れる。
「終わらせる側じゃなくなった」
嫌な予感が、喉に引っかかる。
「怪異がね、
その人を“境界”として使い始めた」
「……道具に」
「役目に」
言い換えられただけで、意味は同じだ。
「呼ばれなくなって、覚えられなくなって」
「それでも、いた?」
「いた」
彼女は、こちらを見る。
「でも、立ち向かえなくなった」
「どうして」
「逃げられなくなったから」
胸が、締まる。
逃げる。
それから、立ち向かう。
その順番が、壊れた。
「その人は、“来るもの”を全部受けた」
「拒めなかった?」
「拒む理由が、もうなかった」
歩道橋の影が、不自然に重なる。
来ている。
「……今も?」
「今も」
彼女は、静かに言う。
「この街の、薄いところに」
空気が、冷える。
影が、形を取る。
人の背丈。
でも、顔がない。
境界に、立っている。
「それが」
彼女が言う。
「その人の“役目”」
怪異でも、人でもない。
ただ、止まっている存在。
逃げ場はある。
引き返せる。
でも。
僕は、一歩前に出た。
「終わらせる」
「無理」
彼女が言う。
「あれは、終わらせる対象じゃない」
影が、こちらを見る。
――いや、
見て“いない”。
通路だ。
「じゃあ」
僕は息を吸う。
「交代する」
彼女が、息を呑む。
「だめ」
「一時的に」
「同じことになる」
「違う」
はっきり言う。
「僕は、逃げる」
影が、揺れる。
「逃げて、戻って、立ち向かう」
「それを、役目の前で?」
「役目は、固定されるから壊れる」
一歩、近づく。
触れない。
でも、境界に立つ。
「流動にする」
影が、裂ける。
中から、疲れ切った人の輪郭が、見えた。
声が、落ちる。
「……もう、いいか」
初めて、終わりを望む声。
「いい」
僕は言う。
「無事でいい」
影が、ほどける。
通路が、閉じる。
歩道橋に、夜風だけが残った。
彼女が、深く息を吐く。
「……覚えてる」
「なにを」
「あなたが、逃げられる人だって」
それは、
最大の評価だった。
名前がなくても、役目にならなくても。
逃げられる限り、戻って、立ち向かえる。
物語は、まだ、続く。




