第十六話 覚えてしまった人
その人は、振り返った。
ただそれだけ。
名前を呼ばれたわけでも、肩を叩かれたわけでもない。
なのに。
「……そこに、いるよね」
足が、止まる。
夕方の商店街。
人の流れに、僕は溶けているはずだった。
「気のせいじゃない」
彼女は、はっきり言った。
年上。
制服じゃない。
買い物袋を片手に、眉間にしわを寄せている。
「さっきから、視界の端に、同じ“抜け”がある」
逃げられた。
簡単に。
でも。
胸の奥が、ざわつく。
「……何者ですか」
「それ、こっちの台詞」
彼女は近づいてくる。
一歩。
二歩。
距離が、埋まる。
「あなた」
低い声。
「名前、ないでしょ」
世界が、少しだけ歪んだ。
「どうして」
「昔、似た人を見た」
彼女は、目を細める。
「忘れられて、
でも、いなくならなかった人」
「その人は」
「死んだ」
即答だった。
「正確には、生きてるまま、“役目”になった」
嫌な言い方だ。
「あなたも、そうなる」
「……ならない」
反射で否定する。
「逃げて、戻って、立ち向かうだけだ」
「それを、一人で続けるつもり?」
言葉が、刺さる。
「覚えてしまった以上」
彼女は言う。
「私は、無関係じゃない」
怪異じゃない。
でも、普通でもない。
「条件がある」
僕は言った。
「覚え続けないでください」
「無理」
「記録もしない」
「しない」
「他人に話さない」
「できる」
即答。
「その代わり」
一拍。
「あなたが壊れそうになったら、引き戻す」
それは、今まで誰も言わなかった言葉。
「どうやって」
「覚えてるから」
シンプルで、残酷で、ありがたい。
商店街の灯りが、一つ、消える。
影が、伸びる。
「あ、来た」
彼女は、影を見る。
「今回の相手?」
「……はい」
「じゃあ」
彼女は、買い物袋を持ち直した。
「後ろ、任せて」
「危ない」
「覚えてる人は、守る側にもなる」
逃げ道は、もうない。
でも。
一人じゃない。
影が、形を持つ。
名前のない怪異。
名前のない人間。
そして。
名前を覚えてしまった、例外。
物語は、少しだけ、形を変え始めた。




