第十五話 呼ばれない席
自分の席が、消えた。
正確には、誰の席でもなくなった。
教室の隅。
机はある。椅子もある。
でも、そこに座ると、周囲の視線が一瞬、滑る。
見えているのに、認識されない。
それが、
名前を捨てた結果だった。
「……」
黒板の文字が、頭に入らない。
けれど、困らない。
呼ばれないから、答える必要がない。
便利だと思った瞬間、胸の奥が、少しだけ軋んだ。
――逃げたな。
自分にだけ、聞こえる声。
昼休み。
校舎の裏。
影が、ひとつ、余っていた。
誰のでもない影。
でも、確かに、人の形。
「来たか」
声がする。
姿はない。
でも、逃げない。
「今日は、誰ですか」
「誰でもない」
影が、揺れる。
「忘れられた“約束”」
「……人?」
「元は」
怪異の輪郭が、少しだけ見えた。
紙切れみたいに薄い。
でも、数だけは多い。
「約束って」
「言われたまま、叶えられなかった言葉」
ああ、と思う。
名前を捨てたら、こういうものが、寄ってくる。
「叶えてほしい?」
「違う」
影が、首を振る。
「思い出してほしい」
「無理だ」
即答だった。
「名前がない」
「それでも」
「無理だ」
怪異が、黙る。
代わりに、校舎の影が、濃くなる。
逃げ道は、ある。
ここを離れればいい。
でも。
立ち向かう番だ。
「条件がある」
「聞こう」
「約束を、思い出させない」
「……?」
「代わりに」
影に、近づく。
触れない。
でも、距離は詰める。
「終わらせる」
怪異が、初めて、揺らいだ。
「忘れられたまま?」
「無事に」
影が、ほどけていく。
紙が、燃え尽きるみたいに。
「それで、いい」
微かな声。
「誰も、困らない」
完全に、消える。
校舎裏に、ただの影だけが残る。
成功だ。
救ったとは、思わない。
無事に、終わった。
それだけ。
教室に戻る。
誰も、僕を見ない。
でも。
机の上に、小さな紙が置いてあった。
白紙。
なのに、触ると、ほんのり温かい。
覚えられない代わりに、
何かが、残る。
それでいい。
名前がなくても、立ち向かえる。
逃げて、戻って、また一つ、終わらせる。
それが、僕の物語になる。




