第十四話 白くなるページ
ノートのページが、白くなっていった。
文字が消えるんじゃない。
意味が、抜け落ちる。
保健室で、彼女はページをめくっていた。
「ねえ」
声が、少しだけ掠れている。
「これ、私が書いたんだよね」
「……そうだよ」
「変なの」
笑おうとして、口角が揺れる。
「全部、自分の字なのに、
誰に向けて書いたか、わからない」
それは、限界の兆候だった。
覚えようとするほど、削られる。
怪異じゃない人間が、無理をした結果。
「やめよう」
僕は言った。
「もう、十分だ」
彼女は、首を振る。
「だめ」
「どうして」
「ここまで来て、何も残らないのは、嫌」
ノートの最後のページ。
そこだけ、何も書かれていない。
「ここに」
彼女は言う。
「あなたの名前、書ける気がする」
嫌な予感が、背中をなぞる。
「書いたら、忘れる」
「忘れない」
「嘘だ」
彼女は、ペンを握りしめる。
「忘れてもいい」
一拍。
「でも、選んだってことは、覚えていたい」
それは、立ち向かう人の言葉だった。
ペン先が、紙に触れる。
ぎ、と嫌な音。
文字にならない線が、重なっていく。
「……あれ」
彼女の手が、止まる。
「どうして、手が、動かないんだろ」
目の焦点が、合わない。
――まずい。
僕は、一歩踏み出す。
触れない距離を、また越える。
「もういい」
低く言う。
「十分、残った」
彼女の肩に、そっと手を置く。
その瞬間。
ノートのページが、全部、真っ白になった。
「あ」
彼女の目から、力が抜ける。
「……私、
何してたんだっけ」
成功だ。
彼女は、壊れなかった。
でも。
僕の名前は、完全に、消えた。
「保健室、来てたんだよ」
彼女は言う。
「なんか、
落ち着くから」
それだけ。
それで、いい。
ノートを閉じて、彼女は立ち上がる。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
廊下に出て、一人になる。
呼ばれない。
思い出されない。
でも、救えなかったわけじゃない。
胸の奥で、静かに、決まる。
――次は、名前を守らない。
代わりに、誰かの無事だけを、残す。
逃げる。
それから、立ち向かう。
名前のないままで。




