第十一話 名前が減る音
最初に失ったのは、呼ばれ方だった。
「……あれ?」
朝の教室。
出席確認で、担任が一瞬、止まる。
「……えーと」
名簿を見て、黒板を見て、もう一度名簿を見る。
「いたよな?」
「いますけど」
声に出したのに、
自分の声が、教室に馴染まない。
「……ああ、いたか」
その言い方。
思い出したじゃなく、見つけた。
胸の奥が、ひやりとした。
それだけじゃない。
廊下ですれ違っても、友人は一拍遅れて気づく。
話しかけても、会話が、途中で途切れる。
僕は、消えていない。
でも、薄くなっている。
――触れたからだ。
怪異に。
境界の、向こう側に。
「やっぱりね」
昼休み、屋上。
誰もいないはずの場所で、
拍手が鳴った。
振り向くと、あの人がいた。
今日は、教師の顔をしている。
「止めに来た?」
「確認に来た」
彼は、僕を見て言った。
「君、名前を削ったね」
「……少しだけ」
「少しが一番、厄介」
風が吹く。
フェンスの影が、僕を横切る。
「触れたら、どうなるか」
彼は淡々と続ける。
「君はもう、
呼ばれる存在じゃない」
「じゃあ、何ですか」
「呼び水」
嫌な言葉だった。
「怪異が寄る。人も寄らない」
「便利ですね」
「君にとって?」
返せなかった。
「止めろって言いに来たなら」
「言わない」
彼は首を振る。
「止められる段階は、過ぎた」
「……」
「でも、条件はある」
彼は、フェンスに指をかける。
「これ以上、触れるな」
「もう遅い」
「触れ方を、選べ」
選ぶ。
逃げたあと、戻ってきたときと同じ言葉。
「君が触れていいのは」
一拍。
「自分が壊れる覚悟を持てる相手だけ」
屋上のドアが、きしんだ。
誰かが、階段を上がってくる。
「次、来てるよ」
彼は言った。
「今度は、向こうから」
「誰ですか」
「君に、名前を呼ばれなくなる人」
そう言って、彼は消えた。
屋上のドアが開く。
立っていたのは、見覚えのある生徒だった。
でも――
名前が、出てこない。
「あのさ」
その声が、少し震えている。
「俺、最近……
自分が誰だかわからなくて」
影が、二人分、重なる。
逃げ道は、ない。
でも、前とは違う。
助けるとも、救うとも言わない。
ただ。
「……話、聞くよ」
自分の名前が、また一つ、減る音がした。
それでも、立ち向かうって、
こういうことなんだと思った。




