首都…虚実流転(前)
首都の夏の社交シーズンが始まった。
主だった貴族や地方の名家たちが、揃って上京して来ている。
正午に近い頃の、メインストリートの中央公園。
アンジェラとルシールは、公園を行き交う他の多くの淑女たちと同じように、お気に入りのパラソルを差して闊歩しつつ、尽きぬ話に興じていた。
爽やかな薫風が吹きわたり、濃い緑の枝葉をさやがせている。公園の各所にある洒落たカフェテラスでは、公園の中を行き交う人々に、季節の飲み物を提供しているところだ。
黒ネコのクレイが、二人の足の間をクルクルと走り回る。
「ナイジェルとアラシアね……結構、上手く行く組み合わせかも知れないわよ」
「……案外、良い夫婦って事?」
「人騒がせな夫婦ってとこね。互いの非常識が見事、合致するの。『喧嘩する程に仲が良い』というか……芸術的なまでに」
アンジェラはイタズラっぽい顔つきになった。生真面目な顔つきを保ってはいるものの、緑の目は面白そうにキラキラと輝いている。口元は吹き出し笑いを押さえようとして、プルプル震えていた。
「離婚と再婚の大騒動を、何度も繰り返す未来が見えるわ」
やがて、二人はカフェテラスを横切った。
目立つところに新聞・雑誌の棚がある。アンジェラとルシールは少し立ち止まり、見出しを眺め始めた。
『話題のトラブル・メーカー・カップル、銃弾の飛び交う夫婦喧嘩! ギャングも入り乱れての、痴話喧嘩の行方に刮目せよ!』
『セントラル湖にて、話題の巨大モンスター浮上か! 伝説の多頭の大蛇モンスター、ハイドラは実在した!?』
『某・伯爵領の出身のギャング某氏、モンスター捕獲ビジネスを開始との噂。トラブル・メーカー・カップル、ライバル事業家の舞踏会に乗り込み、豪邸の屋根を吹っ飛ばす大乱闘!』
アンジェラとルシールは暫し顔を見合わせた後、肩をすくめ、苦笑した。
散策を続けている内に、少し先のベンチに到着する。
ルシールはベンチの前でパラソルを畳みながら、アンジェラを気遣った。
「脚は、まだ痛む?」
「ちょっとだけね。ゴールドベリの通過儀礼が、軽く済んで幸いだわ。あの雷撃にしては結構、良い結果だし、進行性じゃ無いし」
アンジェラは庭園のベンチに手を掛けて身体を支えながらも、微笑んで見せた。
一回二回ダンスをしたり、軽く歩き回る程度なら問題は無いのだが、長く走る事はできないのだ。雷が灼いた傷は見た目以上に深く、運動機能にダメージを与える所まで到達していた。
ロックウェル城でラルフと対峙した際の雷撃は、アンジェラにゴールドベリの巫女としての確かな能力を与えると共に、その脚に、一生残る樹状フラクタルのパターンをした火傷痕を――『運命の通過儀礼』を済ませた証としての刻印を刻んでいた。
いつか、それほど遠くない将来、今のゴールドベリ一族の宗主・老グウィン氏が死亡した後、新しい宗主を決定する巫女たちのグループの中には、おそらく、アンジェラも加わっているであろう。
黒ネコのクレイが、早くもベンチの上に飛び上がり、アクロバットを始めている。
アンジェラはベンチに腰を下ろすと、心配そうにルシールを見やった。
「それより、ショックじゃ無かった? ローズ・パークの相続は、無しになったでしょ」
ルシールもベンチに腰を下ろしつつ、戸惑いに頬を染めながらも小さくうなづいた。ルシールは暫し沈黙していたが、やがてポツポツと話し出した。
「館の方にも、祖父が手がけたバラ園があって……少し拡張して、管理を任せると言ってくださったの。土に手を入れて、ハーブも植えてみようかと……」
その話は勿論、キアランからの物である。アンジェラは察し良くうなづいた。
「成る程。そのうち、ゴールドベリからハーブを送るわね」
ルシールはボソボソと呟き続けた。
「良いのかしら……私、まだ慣れなくて……」
非常に省略された内容の呟きであったが、アンジェラは、その意味するところを正確に読み取っていた。
これまで、辺境でひっそりと暮らしていたルシールにとっては、クロフォード伯爵家はやはり大きな存在だ。身辺の環境の激変に戸惑うところも多い。
「あら、ベスト・カップルよ、あなたたち」
アンジェラは、『縁組サービス』の時のように、自信満々で太鼓判を押したのであった。
黒ネコのクレイが、先程から飛び回っている不思議な蝶を見つめていた。
不思議な蝶は、アンジェラの視線の先に飛んで行く。
アンジェラは暫し沈黙し、蝶を眺めていたが……やがてルシールの方を振り返り、訳知り顔で片目をつぶって見せた。
「想定外の結果だけど……公認の件は、喜んでるって言ってるわよ」
目をパチクリさせたルシールに、アンジェラは、先程から意味ありげに飛び回っている不思議な蝶を指差して見せた。
「――ライト・ローリン夫人が」
ルシールは驚きに頬を染めて、蝶を見つめるのみだ……亡き母アイリスの魂を乗せていると思われる蝶を。
*****
やがて、昼時を告げる鐘の音が響き渡った。広大な公園の中で小高くなっている丘からは、樹木の枝葉越しに、宮殿に併設されている大きな時計台が見える。その時計台の鐘の音なのだ。
「そう言えば、お昼の会議が終わる頃だわ。そろそろ、角の喫茶店で待ち合わせと行きましょか」
アンジェラは足が休まったのか元気よく立ち上がり、ルシールを促した。
二人とも、エドワードやキアランと、昼時に喫茶店で逢う約束をしている。言ってみれば、ダブル・デートである。
二人は公園を出て、乗合馬車の列が続くメインストリートへと入って行った。メインストリートは、多くの馬車と人々とで混雑している。
「この道路の混雑ぶり、さすが首都ね」
アンジェラは感心して辺りを見回す。そして早くも、メインストリートの反対側の群集の中に、目当ての人物を見付けたのだった。
「エドワード! 此処よ!」
手を振って見せるアンジェラの隣で、小さなルシールは、乗合馬車の列に視界を阻まれた状態だ。
ルシールが背伸びをしてキョロキョロし始める。
――そこへ、新たな通行人が接近して来た。
背の高い見知らぬ赤毛の男が、背後から素早くルシールに近づき、手に持っていたステッキで、ルシールのパラソルを叩き落とす。非常に紳士らしからぬ振る舞いであったのだが、ルシールは突然の事で、その不自然さに気付かなかった。
ルシールがパラソルを拾おうと身をかがめると、見知らぬ男は手を伸ばし、そのままルシールを脇に抱えた。
息を呑むルシール。
次いで、見知らぬ赤毛の男は、ルシールを抱えたまま、メインストリートの別の方向へ逃走したのであった!
「ルシール!」
一瞬の異変に気付き、アンジェラが叫んだ。
その時、また別の男が近づき、アンジェラの行く手を阻むように立ちはだかった。しかも何と、アンジェラを、背後の公園に引きずり込もうとしたのであった!
アンジェラは抵抗し、激しく腕を振り回し始めた。
「ちょっと何するのよ!」
「まあまあ、ステキな事しようじゃないか」
ようやく、通りの向こう側の異変に気付いたエドワードとキアランが、ビックリした様子で、馬車の行き交うメインストリートを横切って駆け付けて来る。
アンジェラが見知らぬ男に絡まれている様子は……エドワードの気分を大いに損ねたのだった。
男は、早速、エドワードの鉄拳を受ける羽目になり、路上にゴロリと転がった。
「話と違う……」
半分失神して路上に転がった男は、意味の通らぬ事を呟いている。
事態をつかみかねている様子のキアランを確認し、ルシールの連れ去られた方向も確認して、アンジェラは、ただ呆然とする他に無かった。
「お、驚きだわ! 交通の多い道路だから、乗合馬車の列が死角になって……!」
エドワードは早速、転がった男の人相を確認した。
「また、お前か! マダム・リリスの遊び相手の……!」
見てみれば、確かにマダム・リリスの愛人を務めていた伊達男だ! 彼もまた、初夏の社交シーズンに合わせて上京して来ていたのだ。
伊達男は喚き始めた。
「私にも、ちゃんと名前があるんだ! ランスロット・ナイトと言う――」
伊達男が更に喚こうとして身体を曲げた拍子に、その衣服の間から、バラバラと硬貨や紙幣が落ちた。
ハッとして目を剥くアンジェラ。ピシリと固まる伊達男。
「ゲッ」
「人さらいとグルだったのね……!」
「貴様、金を受け取って邪魔を!?」
エドワードが問い詰める。
キアランも、『ルシールが居ない』という事態とその意味を理解し、伊達男に不穏な眼差しを向けた。黒い不吉な眼差しに貫かれると、ランスロット・ナイトなる伊達男も身の危険を直感したらしく、即座に言い逃れの言葉を喚き始めた。
「わッ、私は無実だ!」
「ルシールをさらった男は一体、誰よ!」
「しッ、知らないよ、覆面なんだから! その辺で意気投合しただけの関係で、最近は金欠でさ」
アンジェラの詰問に、伊達男は弁解しつつも器用に窮状を訴えた。エドワードに胸倉をつかまれて空中に持ち上げられながらも、伊達男は、死にもの狂いで更に弁解を続ける。
「彼の情熱の恋、決死の駆け落ち、協力しても罰は当たらん筈だ」
「あれが駆け落ちの筈、無いでしょ! この節穴ッ!」
アンジェラは、怒りと動転の余りピョンピョン飛び跳ねながら、ビシバシ突っ込む。
キアランは、時間を無駄に出来ない事を悟った。
「誘拐犯を追わないと。他の交差点に到達する前に、身柄確保を」
「待って! ルシールが何処へ行くか、見えるのよ!」
アンジェラが咄嗟に手を上げた。
「透視能力……!」
耳を澄まして集中している様子のアンジェラに気付き、仰天するエドワード。『ゴールドベリの不思議な勘』は承知はしていたが、やはり常に驚かされる物だ。
アンジェラは即座に顔を上げ、ルシールの連れ去られた方向の更に先を指差した。
「その次の通りを大回りした裏よ……あの建物の中、突っ切れるなら、先回りできる」
見るからに役所らしき建物。
エドワードとキアランにとっては、意外にも馴染みのある施設だ。
「公文書館の、二号館か!」
驚きつつも、いったん承知した後は、エドワードとキアランの行動は早かった。
哀れな伊達男を路上に放り、キアランとエドワードとアンジェラは、目標の建物を目指して疾走し――あっと言う間に、公文書館の中に突入した。
公文書館の警備人はキアランとエドワードを良く知っている様子で、ビックリしながらも声を上げた。
「すぐに通せ! リドゲート卿とエドワード卿だ!」
門番が次々に道を開ける。アンジェラは驚愕し、困惑するのみであった。
「忘れてたわよ、顔パスで役所を突っ切れる程の身分だったのね」
「この前の疑獄事件の時は、常連だったんだ」
エドワードは、幾分か足の悪いアンジェラを気遣い、脇に抱えて走りながらも解説を加えた。
三人が廊下の突き当たりまで来ると。
ちょうどヒューゴが居て、驚きの声を上げた。
「先輩!?」
「ヒューゴは、何故か常に必要な時に居るんだな」
妙な事に感心するエドワードである。キアランは早口でヒューゴに問う。
「裏通りはどちらだ! 赤い壁飾りの集会所の前に出るヤツは――」
「向こうの扉ですよ……一体、どうしたんですか!?」
ヒューゴは早速、案内に立った。ヒューゴは、三人が血相を変えている事に既に気付いており、目標に向かって走りながらも、首を傾げるばかりだ。
*****
四人連れとなった一団は、裏の扉を通り抜け、あっと言う間に、狭い裏通りを挟んで向こう側にある小さな集会所に到達する。
ほとんど使われていない集会所である事は、目にも明らかだ。
元々は小さな教会だった建物だ。赤い壁飾りは、その名残である。本来は白い壁飾りだったようなのだが、昔の赤党と白党による教会内部の党派対立をきっかけに、赤党に属する誰かが、赤く塗りたくったらしい。
裏通りの建物に特有の、薄暗さやいかがわしさに満ちている。向こう側の壁には、更に外の通りに面する大きな窓があった。
家具は、ほとんど無い。ある物と言えば、売れ残ったような感じの円卓と、数種のビリヤード台のみ。たまにカードゲームや玉突きゲームをするだけの、不真面目な空き部屋と言う風だ。
そして、無人であった。
呆然とするキアランとエドワード。
「誰も居ない!?」
「先回りが速すぎただけよ!」
アンジェラは、他に出入り口は無いのかとキョロキョロし始めた。




