クロフォード伯爵邸…おわりとはじまり
実際は、クロフォード伯爵の言葉は、いささか説明不足に終わっていた。
しかし、ルシールは、言外の内容を正確に読み取る事が出来た。ゴールドベリ邸で鍛えた、直感力の故だ。オリヴィアやアンジェラの卓越した能力には、遠く及ばない物ではあるが。
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――実際、アントン氏は、クロフォード伯爵宛の私信を書かなかったのだ。
老庭師は理解していたのだ……遺された子供の、不安や孤独感を。
直系親族はダレット家のみ、右顧左眄する傍系親族たち。当時、10歳の子供が必要としていたのは、母親を守って来た、その人の手だったのだ……
――年頃の子供は、扱いが難しい。特に、子供から大人へと成長する激変の期間は、人が変わると言っても過言では無い。もう一人のレナードが出現しても、全然おかしく無かった筈。
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ルシールは暫し、深い物思いに沈んだ。
そしてルシールは、心配そうな表情の伯爵に気付き、何らかの言葉を返す必要を悟ったのだった。
言うべき事は……言いたい事は、山ほどもある。
言葉にならない思いも、それ以上にある。
見知らぬ過去の謎、見知らぬ時の真実――
ルシールの脳裏に浮かぶのは、夕闇の中、ランプの揺らめきを反射して繊細に表情を変えていた、アメジストの薔薇のブローチ。
――紫色の、《花の影》……
静かに燃えるキャンドルの炎を見つめ、改めてライラック色のショールを引き寄せる。
ルシールは、ゆっくりと、笑みを浮かべた。
「……リドゲート卿は、良い伯爵におなりになると思いますわ。母も、きっと、そう思っていたと思います……」
……クロフォード伯爵は驚いたように目を見張り、ルシールをしげしげと眺めていた。その眼差しが、懐かしそうな色を浮かべ始める。
――今は亡きアイリスの面影を、ハッキリと見出しているに違いない……
やがて、伯爵はホッとしたかのように顔を伏せ、長い溜息をついたのだった。
暫しの沈黙。
クロフォード伯爵は、ふと何やら思いついた様子で、ヒョイとルシールに視線を投げて来た。先程とはまた別の、意味深な眼差しだ。
(……?)
ルシールが不思議に思い、小首を傾げながらも伯爵を見直していると。
伯爵は不意に、笑みを浮かべた。サファイアよりも深い青い目が、朗らかにきらめく。
「実に光栄だ……時に、キアランは、ルシールに求婚をしているそうだが」
(いきなり、その質問は、反則だわ!)
不意打ちを食らったルシールは、動転の余り、開いた口が塞がらない状態だ。いみじくもアンジェラが指摘したように、ルシールは動転すると、真っ白になってしまう性質なのだ。
伯爵は、真っ赤になってソワソワし始めたルシールを、面白そうに眺めていた。
「あれは、つくづく堅物だし、言葉も相当、ひねくれているヤツだ。しかし、政略結婚やら血統の都合は別にして、ルシールにぞっこんではあるらしい」
伯爵はそこで、困惑しきりのルシールに、イタズラっぽい微笑みを寄越して来た。若い頃は、まさしく、このようであっただろうと言う、屈託の無い笑みだ。
「実にひねくれた物言いではあったが、改めて、クロフォード直系親族ローリン家の令嬢に求婚する、と言って来た」
ルシールは真っ赤になったまま、うつむいてしまう。
「ふむ……脈は、あるらしいな」
ルシールをしげしげと観察しながら、意味深に呟く伯爵であった。
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伯爵は、そろそろ頃合と見て、ルシールの見舞いを切り上げる事にした。
何と言ってもルシールは、今日一日だけでも、必要以上のショックを受けているのだ。
それなりに観察すれば、ディナードレスでは隠し切れない各所に包帯が巻かれているのが分かる。背筋を伸ばして椅子に座り続けているのも、疲れ始めている様子である。
伯爵は松葉杖を突いて、椅子から立ち上がった。
「色々あって疲れただろうな……今宵は休んでくれたまえ」
「お気遣い頂いて有難うございます、伯爵様……」
ルシールは無意識のうちに、社交界における公式な礼儀作法に従い、身分の高い人物である伯爵に合わせて椅子を立ち、丁重な礼を述べている。
クロフォード伯爵は少しの間、思案顔になり……その後、笑みで応えた。
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ルシールの部屋を退出し、クロフォード伯爵は、かねてから控えていた執事の介助を受けて、正面階段を上がって行った。
――細く高い窓の外で、夜の星々がきらめいている……
「不思議なくらいに、絶妙なタイミングで出逢ったものだな。今の『この時期』で無ければ、その前であっても後であっても、同じように出逢ったとしても、このような結果になったかどうか」
執事が、訳知り顔で微笑んだ。
「さようでございましょう。僭越ながらわたくし、バラ窓の刻印の聖句『劫初、終極――』の、真の意味が分かったような気がいたします」
「あの《花の影》とも言われているフレーズか。全知全能の神を称える聖句と言われている割には、不思議な言葉だ」
暫し、クロフォード伯爵は、執事と共に、遥かなる星の光に見入っていたのだった。
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数日後。
クロフォード伯爵邸では、都の夏の社交シーズンを直前に控え、上京の準備のため、慌しい日々が始まっていた。
ルシールは、休養期間のうちから、それなりに忙しい状態であった。
クロフォード伯爵への挨拶を兼ねてルシールのお見舞いに来た、ローズ・パークのオーナー協会の面々との改めての再会があったり、アントン氏殺害事件やテンプルトン襲撃事件の後始末を含めた、煩雑な法的手続きが続いたりしたのだ。
今日も今日とて、ルシールが、ベル夫人や助手のメイドのお手伝いをしていると。
マティが、ピョンピョン飛び跳ねながら、やって来た。
大蛇のオモチャの魔改造バージョンが、マティの周りでユラユラ怪奇ダンスを踊っている。
「上京の時の荷物がちょっと増えるけどさ、これも、持ってって良いだろ」
「それは、さすがに考え物じゃないかしら……」
ルシールがタジタジとした苦笑を浮かべ、ベル夫人が片眉を吊り上げた。
「首都の夏の社交界で、恐ろしいモンスターが出現したという騒ぎになりそうですね」
「私も同感でございます……」
メイドは既に尻込みしている格好だ。そこへ、別のメイドがやって来た。
「あの、プライス判事とカーター氏が、玄関広間にいらっしゃいました……キャーッ! オバケ!?」
哀れなメイドは、仰天の余り失神していた。ベル夫人と助手のメイドが介抱に回る。
「済みませんがルシール嬢、プライス判事がいらした事を、閣下にお知らせお願いしますわ」
「え、ええ……」
ルシールとマティは取り急ぎ、正面階段へ向かった。
「あのさ、あのさ、ルシールは、上京の日まで、ずっと居るの?」
「まぁ、伯爵様ご直々に、ご依頼があったし……」
「上京の時は、ルシールも一緒に来るよね、ね!?」
「アントン氏の事件の後処理も、それなりに済んで来たところだから、ご依頼があればお供するわ」
マティは目をキラキラさせ、何かを企んでいる顔つきになった。
「じゃ、リチャード伯父さんにオネダリしとこう」
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最上階、クロフォード伯爵の応接室。
ドクター・ワイルドが、クロフォード伯爵の往診に来ていた。
「伯爵様、プライス判事がおいでですわ」
「カーティス案件だから、耳に入れといた方が良いってさ」
マティとルシールが連れ立って伯爵の部屋を離れると、ドクター・ワイルドは奇妙な目つきをして、伯爵をまじまじと眺め――そして、疑わしそうに水色のギョロ目を細め、眉を鋭く上げて見せた。
「――『お父様』じゃ無いのかね?」
クロフォード伯爵は、無言で苦笑いするのみだった。
執事が松葉杖を取り出しながらも、茶目っ気タップリに口を挟む。
「リドゲート卿と結婚すれば、閣下を『お父様』とお呼びになりますでしょう」
ドクターは再び、伯爵をまじまじと注目した。伯爵は赤面し、「まだ確かな話じゃ無い」と呟くばかりであった。
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大広間に、一同が揃った。
プライス判事が大広間に落ち着くと、早速、キアランが声をかけた。
「アシュコート伯爵領への緊急の出張の用事は、済んだのですか?」
「その件で、報告する必要が出て来てな。いやあ、実に驚いたの何の。都の社交シーズンが始まったら、絶対にカーティス夫人が宣伝しまくるぞ」
「確か、あの召喚状は『ナイジェル・ビリントン氏の身柄を早急に確保し、アシュコート伯爵領・レイバントンの町の裁判所まで護送せよ』という内容だった筈ですが」
「うむ。たまたま別件逮捕でナイジェルを拘束中だったんでな、そのまま直行した」
プライス判事は生真面目な顔つきをしているものの、何があったのか、その陽気そうな灰緑の目は面白そうにキラキラと光っている。
カーター氏の方は、訳知り顔で沈黙していた。穏やかなポーカーフェイスではあるが、苦笑を湛えている事が読み取れる。
ドクター・ワイルドがピンと来た顔になり、ギョロ目を光らせた。
「やけに、もったいぶっているな、プライス判事。カーター氏も、さっさと要点を言わんかね」
プライス判事は無邪気な風で、目をくるっと回して見せた。口元だけは、笑いをこらえるようにピクピクしている。
「指定の裁判所で、アラシア・ダレット嬢とナイジェル・ビリントン氏が、結婚した」
「アラシアとナイジェルが結婚した……!?」
大広間の面々は揃って、驚きの叫びを上げた。
クロフォード伯爵が疑問顔でカーター氏を振り返る。カーター氏は丁重な一礼を返した。
プライス判事は、抑えきれなかった吹き出し笑いのような妙な音を立てた後、取ってつけたような真面目な顔になった。
「あのお二人は、レイバントンの町で、縁組詐欺の罪で訴えられていたと言う話でな。かのアラシア嬢、訳の分からん深夜の駆け落ちだか出奔だかで、アシュコート伯爵領に到着した瞬間、身柄拘束されていたそうだ」
カーター氏が苦笑しつつ、補足説明を加える。
「タイター氏がナイジェル氏に、アシュコートのセクハラ訴訟や縁組詐欺訴訟の件について指摘していた件、真実でございました。アシュコート社交界の『縁組サービス』は評判ですし、その評判に傷がつきかねない事件だったそうで。被害者たる『縁組サービス』代表のイザベラ嬢は、法廷の召喚状まで手抜かりなく作成しておられました」
クレイグ牧師が「おや」と首を傾げる。
「最近の法律には疎いのですが、カーター氏、それですと、確か交通費や裁判費用、それに結婚費用も、お二方の負担になるのでは?」
「イザベラ・ジャスパー嬢は、ベテラン弁護士も恐れ入る程の淑女でございますね」
プライス判事がシミジミとした顔になり、クセの強い赤毛の頭をコリコリとやる。
「アラシア嬢とナイジェル氏は、裁判所の中で、賠償金を払うか、結婚を行なうか、二つに一つだと、『縁組サービス』のイザベラ代表、その他の幹部スタッフ嬢の面々に説明され……、もとい、脅迫された。後々までの語り草だな」
「レオポルド殿とダレット夫人、それにレナードは、何をしていたんじゃ?」
「裁判所の中で、アラシア嬢と一緒に震えあがっていた」
「あのダレット一家をか? タダ者では無いな」
ドクター・ワイルドが、珍しく圧倒されている。
「まったく。伝説の戦女神は実在した訳だ。アラシア嬢の事だ、暇つぶしの冗談で縁組作戦に乗っていたんだろうが、イザベラ代表の『縁組サービス』は、正式な結婚を前提にしていたからなあ……」
プライス判事はそう言って、感慨深そうに、お茶を一服したのだった。
――アラシアの結婚式に引きずり出されたであろうダレット一家の驚愕は、想像するだに余りある。
ドクター・ワイルドが首を振り振り、やっと口を開く。
「全く、何たる事じゃ! 全く」
「信じられんが、納得は出来る」
クロフォード伯爵も、口を引きつらせていた。
「ライナス氏も、やれやれだね」
クレイグ牧師は苦笑交じりながら、無難なコメントに留めている。
アシュコートの『縁組サービス』の恐るべき戦闘力について、大いに思い当たるところのあったルシールとキアランは、二人揃って何とも言えぬ奇妙な思いだ。
そのまま二人して、お互いの当惑顔を、無言でそっと見交わすばかりだ。
アラシアとナイジェルの結婚式では、『縁組サービス』のスタッフ嬢たちが、怖い顔をしてズラリと並んでいた筈である。
証人として参列していたライナスも、気が休まらなかったであろう。『恐るべき結婚式』を執り行なった牧師にしても、きっと始終ハラハラする余り、大量の脂汗を流していたに違いない。
最後にマティが、ピッタリのコメントを口にした。
「アラシア・ビリントン夫人ーッ!? 何かスゲェ!」




