クロフォード伯爵邸…在りし日々の告白
クロフォード伯爵が、ルシールの見舞いに訪れた。
ルシールは既にベッドから起き出していて、ピンピンしていた。庭師の必須条件として身に付けていた、基礎体力のお蔭だ。しかも、伯爵に対して失礼に当たらないようにと、届いたばかりの新しいディナードレスをまとって、出迎えていたのであった。
伯爵とルシールは、ささやかな円卓を挟んで座り、長い話をしていた。
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「当時、私は気楽な立場だった。プレイボーイの一人として、各地の社交界をフラフラと巡っていた。レオポルド=リドゲートが主催する舞踏会にも、親戚づきあいの都合上……そして、30年前の春、ローズ・パークの庭園で、アイリスと出逢ったんだ。彼女は、アントン氏の庭園作業の助手として、頻繁に庭園に来ていた……」
――アイリスは、父・アントン氏の庭園作業の助手として、ローズ・パーク庭園に来ていた。
――リチャードは、暇を見つけて、ローズ・パーク庭園の乗馬コースを馬と共にそぞろ歩きしていた。
必然として。
地元社交界における、ローズ・パークの春の社交シーズンの――合間の昼時。
ローズ・パーク庭園の一角で、乗馬服姿のリチャードと、作業着姿のアイリスは、出逢ったのだ。
「……不思議な話だが、アイリスと私は、一目惚れだったよ」
「タイター氏が、その頃、出没していたとかは……」
クロフォード伯爵は苦笑いで応えた。
「出没していた。一度、逃げ遅れた事があって、私の馬にアイリスと相乗りして、逃げた事があったよ。タイター氏は既に、ギャングの手下を引き連れていたからね」
目をパチクリさせるルシールである。
「その春も終わらないうちに、先々代クロフォード伯爵フレデリック殿による、ローズ・パーク破産宣告があった。レオポルド殿の廃嫡もセットで付いて来て、領内は、にわかに騒がしくなった……当時の情勢を詳しく説明する事は出来るが……大丈夫か?」
「ベル夫人とウォード夫妻から、詳しくお聞きしました。主だったクロフォード直系親族が、すべて断絶するような深刻な騒動に発展したとか……」
クロフォード伯爵は、ちょっと驚いた顔になった後、「そうか」と納得顔になった。
「ベル夫人とウォード夫妻なら、領内の情勢について、比較的公平な視点から、あらかた説明しただろうな……よし」
クロフォード伯爵は夕食のワインで喉を潤した後、話を再開した。
「ローズ・パーク破産が確定した後から、アイリスとの頻繁な交際が始まったんだ。ローズ・パークのオーナー協会のバックアップとして、他のクロフォード直系親族と共にダグラス家も参入していて、財務状況の建て直しに関わっていたからね」
ルシールは静かに相槌を打つ。
「あの頃は、ビジネス上の都合で、今よりも舞踏会が頻繁に開催されていた。忙しくはあったが、オーナー協会の親交と言う名目で二回までは堂々とダンスのペアを組めたから、それは楽しみだったよ。レオポルド殿は廃嫡という決定を受け入れていなかったから、たびたび舞踏会に踏み入って来て、荒れ模様にはなったが」
クロフォード伯爵は、ルシールの納得顔を見て、少し苦笑していた。
――レオポルドは昔から、そういう強烈な人物だったのだ。
ちなみに、この頃のアイリスは、オーナー協会員の血縁として社交デビューを済ませたばかりの若い独身令嬢だったという事もあり、社交ダンスでは引っ張りだこだった。
タイター氏の非友好的な視線をものともせずに、下心タップリにアイリスに近付いた独身の紳士は、それなりに多かったのだ。当時はまだ独身であったレオポルドにも、やはり多少は下心はあったようで、何度かアイリスにダンスを申し込んでいたのだ。
「政局的には激動の時代で、年間を通して血なまぐさい事件が絶えなかった。ロイド・グレンヴィル氏が介入しなかったら、我がダグラス家も断絶していたのは確実だったと思う。グレンヴィル氏には、尽きせぬ恩がある」
在りし日の回想と説明を続けるクロフォード伯爵は、話が一区切りついたところで、長い溜息をついた。
程なくして、メイプル夫人が出て来て、部屋の隅のランプを調整し始めた。慎ましく一礼し、控えの間に引っ込んでゆく。
「もうこの時間か……だいぶ話をはしょるが、先々代のフレデリック殿が死亡した後、私の兄が爵位を継いだ。遺言書にしたがい、グレンヴィル未亡人ホリーを妻に迎えて……」
クロフォード伯爵は、そこで、ふと気づいたように目をしばたたいた。
「――キアランの事を、ちゃんと説明する必要があるな」
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キアランの出生は、亡き伯爵フレデリックの予想を超える出来事であった。
フレデリックの遺言書によって、キアランの母であるホリーは正式なクロフォード伯爵夫人であった。偶然とは言え、微妙な時期に出生したキアランは、非常に危うい立場のまま貴族社会に放り込まれた形となっていたのである。
まかり間違えば、『要らない子』だ。
しかし、ホリーを妻に迎えて新しくクロフォード伯爵になっていたベネディクト・ダグラスは、そういう状況に子供を置く事を、絶対に許さないという人であったのだ。
ベネディクトは、キアランを正式に我がダグラス家の嫡子として認め、更にクロフォード伯爵家の嗣子たるリドゲートと定めた。
相応の紛糾期間を乗り越えて――『新・リドゲート卿』の存在は、国家の名のもと、法的に承認された。
――それが不幸の元であったのかどうかは、今でも分からない……
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「キアラン=リドゲートが二歳の誕生日を迎える前に、先代……私の兄は不審な状況で急死した。ホリーが生前、ひそかに調べて教えてくれたが、当時アリバイが無かったのはレオポルド殿だ。動機も死因も、おおかた推察できたが……大変な混乱になって、事件の捜査どころじゃ無かったから、ウヤムヤになってしまった。今でも悔いが残るところだ」
クロフォード伯爵は、長い溜息をついた。
少しの間、沈黙が横たわる。
――口約束ではあったが、ベネディクトは生前、『自分に何かあった場合、キアランをよろしく頼む』――と言い残していた。
リチャードにとっては、両親亡き後、叔父クレイグ牧師と共に親代わりとなって自分を育ててくれた兄でもあり、その遺志は、決して無視する事のできない物だった。
アイリスにしても、選択の余地は無かったのだ。
ルシールが、マティの命には代えられないと観念して相続放棄の誓約書にサインしたのと同じ事である。かつてのアイリスも、危険な立場になってしまったクロフォード伯爵夫人ホリーや、まだ幼いキアランの命には代えられないと判断して、離婚証書にサインしたのだ。
リチャードとアイリスの離婚は、ベネディクト急死の一報が届いた、その日――その運命の一日が終わる前に、成立していた……
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クロフォード伯爵は、話しにくそうに、ボソボソと呟いていた。
「もうひとつの悔いは、アイリスとの離婚だな。選択の余地は無い状況だったが、今でも、この選択が正しかったのかどうか分からない」
ルシールは静かに耳を傾け……思案顔でうつむいた。
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――アイリスの蒸発・急死の一件をリチャードが知ったのは、月末に提出される定例報告書を通じての事だ。クロフォード直系親族の筆頭となるダレット家の成立と共に記載されていた事項だけに、何とも言えない気持ちになったのは、言うまでも無い。
既に亡き兄の後を継ぎ、新しいクロフォード伯爵として多忙を極めていたリチャードには、それ以上の詳しい事情は分からず、ローズ・パークのオーナー協会を通じて弔慰金を送る事以外には、何も出来なかったのだ。
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一息置いて、クロフォード伯爵はポツリと呟いた。
「キアランが再び危うい立場になったのは、ホリーが病死した時だ」
パッと顔を上げ、目をしばたたくルシール。
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――クロフォード伯爵夫人、ホリー・グレンヴィル・ダグラス。
元々ホリーは、弁護士ロイド・グレンヴィル氏の妻というだけの事は有って、種々の法律運用に関する知識は、玄人はだしだった。
駆け出しの頃のベネディクトやリチャードが、おっかなびっくりながらも、何とか『クロフォード伯爵』と言う重責を務める事が出来たのは、ホリーの助言のお蔭があっての事が大きい。
リチャードにとっては、姉のように慕う存在であった。
クロフォード伯爵夫人ホリーの死亡は、血の繋がらぬ親子であるクロフォード伯爵・リチャードとキアラン=リドゲートにとっては、新たな困難の到来でもあった。先々代伯爵フレデリックの遺言書の範囲を遥かに超える出来事であり、先々代伯爵の権威をもって親族を説得する事は、もはや不可能だったのである……
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「キアランの立場を保証し、更に親族たちをも納得させる事が出来るような、高位の身分の――『新しい母親にしてクロフォード伯爵夫人』が必要になって来たんだ。方々から再婚話が持ち込まれて来た。理由は分からないが、ダレット夫人からの……申し出もあった。まかり間違えば不倫ないし重婚になってしまうから、論外だったが」
――キアランが寄宿学校に上がる直前の頃は、かくの如く『頭の痛くなる状況』と化していた。カーター氏もまた、クロフォード伯爵家の顧問弁護士として、周辺の説得や法的解釈の整備などで、目が回る程の忙しさになっていたのだ。
「その頃だった。アントン氏が、珍しく、話しかけて来たのは……」
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館の庭園の一角には、新しいバラ園が出来ていた。秋のバラが盛りの頃であった。
アントン氏は、無骨な仕草ながら伯爵に敬意を込めて一礼すると、やはり『人と話すのは苦手だ』と言う風に背中を向けた(人によっては、この行動を、『偏屈で変人で無礼である』と受け取るのである。そしてそれは、実際、正しいのだ)。
そしてアントン氏は、秋バラの枝に目を留めると、訥々と話し出した。
『あの若さんは、見込みのある若枝に育った。母親は、素晴らしい人だったに違いない』
かつて、たった一日で終了してしまったアイリスとの秘密結婚の事を、今更、アントン氏に明かす事は――とても出来ない。
気まずさと後悔とが複雑に入り交ざった、何とも言えない苦い思いを、伯爵は感じていた。
強張ったまま、何も言えない状態のクロフォード伯爵に気付かない様子で――後で考えてみると、アントン氏はその時には、秘密結婚から離婚の事まで、何もかも承知していたのだ――アントン氏は、言葉を続けた。
『その昔、私の妻は、他の男と駆け落ちして出て行った。私がビリントン家の厄介者だったせいで、色々とあってな。アイリスは幼い頃だったが、覚えていて――いや……、私事だ』
アントン氏は、クロフォード伯爵とは立場も状況も異なるが、超・偏屈と言う評判が立つ程に、親族付き合いでは失敗し続けた、不器用な人物だったのだ。
無意識の癖なのであろう、いつも頭に乗せている麦わら帽子に手をやると、これまた珍しくも、更に話し続けたのだ。
『若枝の時間は、とても速い。今、手を離したら、取り返しがつかん』
無骨そのもの、昔かたぎの職人の如き老庭師であり、庭園にしか興味が無いように見える偏屈老人。しかし、そのアントン氏は、伯爵とキアランの事を注意深く見ていたのだ。
伯爵は無言で驚くばかりであった。
アントン氏は伯爵に背を向けたままではあったが、明らかに伯爵に向かって、訥々と語り掛けていたのだ。
――若枝の成長を見守り続ける、庭師ならではの、直感を。
『私は、再婚はしなかった。閣下が、如何されるかは分からんが。あの若さんは……』
再び秋風がザアッと吹き、秋バラの花々が、ざわめき揺れた……
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謝罪であり懺悔でもある、クロフォード伯爵の長い昔語りが終わった。
「……そんな事があったんですか」
「ああ……」
クロフォード伯爵は、固く組んだ手元に視線を落とし、暫し深い沈黙に沈んだ。
「世相の変化の不思議と言うべきかな。同時並行で、貴族社会における養子縁組の法律整備が急速に進んでいたんだ。あの秋の間に、法律が公布され、全国に施行された。キアランの立場は不安定ではあったが、結婚適齢期までの法的な余裕を得る形になった」
――あの頃、複雑に錯綜した思いを、どう説明すれば良いのだろうか。
「ホリーを看取った後、アイリスが生きていた事を知っていたら……再婚を真剣に考えたと思う」
そう呟いた伯爵は、急に気付くところがあり、ハッと息を呑んだ。
「ただ、キアランは、当時は難しい年頃でもあったからな。アントン氏は、そういう事まで配慮してくれたのかも知れない……」
伯爵の声は、静かではあったが、大いなる驚嘆を湛えていた。




