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花の影を慕いて  作者: 深森
第七章 時の娘
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クロフォード伯爵邸…時の娘(後)

マティが大広間を飛び出し、プライス判事と共に、前庭ロータリーが見える窓の前に陣取る。


ダレット一家の御用達の馬車が慌しく正面扉の前に回され――今まさに、逃げ出して行くところだ。例によって、一番贅沢な大型馬車を持ち出している。


見ていると、御者席から御者が突き落とされた。


レオポルド自身が、御者席に座って手綱を取っている。その顔には、遠目にもハッキリと見て取れる程に、激しい怒りと焦りの入り交ざった形相が浮かんでいた。


すぐにでも、ダレット一家の汚名を返上し、なおかつ名誉を挽回するための、様々な糊塗計画に取り掛かるのであろう。政治工作の証言者となるような『余計な目と口は邪魔』――と言う訳だ。


マティが、憤然として口を開いた。


「あれじゃあ、テーブルの上に飛び乗ってさ、『見てくれ! 私は、これこれ、こう言う犯罪をしたんだ!』って、大声で白状したのと同じじゃんか」


「容疑者の逃亡だな」


プライス判事は、マティの言葉に重々しくうなづいて見せた。


「いずれにしろ、王族親戚の所に駆け込むだろうって事は分かるし……放っとくか」


*****


大広間の中では、トッド夫妻が呆然と立ち尽くしていた。


「これは、カーティス案件だわね……」


「確かにカーティス夫人が大騒ぎするね……四方八方にお喋りして」


ドクター・ワイルドはカーター氏を振り返ると、疑わしそうに目を細めた。


「伯爵に対する殺人及び殺人未遂は、確か謀反罪に相当し、爵位継承権を失う理由の、第一になるのでは無いかね?」


「さようにございます。かつてのレオポルド殿の爵位継承権の喪失に続き、嫡子レナード様もまた、爵位継承権を喪失……と言う事になりましょう」


*****


ダレット一家の逃亡を見届けたプライス判事とマティが、大広間に戻って来た。


プライス判事が驚き覚めやらぬ様子で首を振り振り、伯爵を眺め始める。


「それにしても、えらい話ですな! 途中から、立ち聞きしてしまいました。あのライト嬢が……リチャード殿の、まさか実の令嬢どのとは! てっきり、我々は、レオポルド殿の私生児かと……」


「うむ。ワシも半分以上、そう確信しておったぞ。先刻まではな」


レオポルドとは違い、クロフォード伯爵の方には、浮いた話は一つも無かったのだ。確かに伯爵は、若い時はプレイボーイだったと言ってはいたのだが、実際は、社交上の冗談の一つだと受け止められていたのである。


クロフォード伯爵は、戸惑った表情を見せた。あごに手を当てて暫し思案した後……伯爵は、困惑のままに、近くに控えていたキアランを見やった。


「まさか、キアランも……あの子の事を、レオポルド殿の私生児だと思っていたのか……?」


キアランは無言のまま、ギクシャクとうなづいた。


「何たる事だ!」


途方に暮れたように頭を抱える伯爵なのであった……


ドクターは顔をしかめ、ヒゲを撫でながら感想を述べた。


「レオポルド殿には、誰の目にも明らかな前科があったしなあ。しかも、当時は絶世の美青年じゃった。かの放蕩ぶり、実に伝説的なレベルでな。不倫ハーレムの結果としての私生児、10人以上は居る事が確実なのじゃからな」


深い溜息をつくクロフォード伯爵である。


「無理も無い……私にしてからが、今だにあの子が私の娘だと言う実感が無いんだ」


プライス判事が思わず口を出した。


「実感が無いだと?」


「それは、いささか誤解を招く物言いと言う物ですぞ」


ドクター・ワイルドも首を振り振り、呆れている。


「実の娘と公認する事には、変わりは無いよ」


伯爵は慌てたように付け加えた。途方に暮れたようにうつむき、不自然なほど長い間、口ごもり……そして、やっと口を開いた。


「――25年と言う時間は……青春を共にした恋人が手の届かない存在になり、実の親子もまた他人同士になるには、充分過ぎる時間だ。キアランの事は、実の息子以上に、息子と思うが……ルシールの場合は、私にとっては、謎めいた見知らぬ娘なんだ……」


――我が娘は、ゴールドベリの魔女の元で、どんな暮らしを重ねてきたのか。あの神秘的なハープの技術は、どうやって身に付けて来たのか。


25年という空白は、すぐには埋まらない時間だ。


ドクター・ワイルドが、おもむろに懐中時計を取り出し、時刻を改める。


「ふむ……そろそろ、鎮静剤が切れるタイミングですな」


「やはり、見舞いに行かねばならんな」


伯爵は、幾分か決まり悪そうに呟き、松葉杖を手に取った。


*****


カーター氏は少し離れたところで資料を片付けていたが、キアランが傍を通ったひと時を捉え、語り掛けた。


「先程の閣下の護衛、実にお見事でした」


「……いつもして来た事です」


「レオポルド殿の怒りの度合いは予想できましたが、実際に閣下に害を成す行動に出る事は、想定外でございました」


キアランは若干戸惑いながらも、うなづいて見せた。


伯爵は松葉杖を突いてギクシャクと歩み、大広間の扉に差し掛かった。そこで伯爵は不意にキアランの方を振り返り、呼び掛けた。


「キアラン、内々の話がある。ちょっと一緒に来たまえ」


キアランは、いつものように伯爵の元に急いだのであった。


*****


伯爵とキアランが大広間を退出した後。


ドクターはカーター氏を振り返り、珍しく感心したように語り掛けた。


「ギャング=タイターのストーカー振りが、逆にルシール嬢の両親の、真実を立証するとは。何がどう転がるか、分からぬ物じゃな」


カーター氏は、穏やかに微笑んだ。


「昔の人は、こう言いました。『真実は時の娘』……と」


*****


予定より少し遅くなったものの、伯爵家のディナーが始まった。


伯爵はルシールの見舞いのため不在であり、キアランがいつものように伯爵の代理を務める事になった。


早速、プライス判事が口を開く。


「ギャング=タイターの手下に混ざっていた、謎の『片目の巨人』の調べが付いたんだが。古い記録を調べてみて、驚いたの何の。『片目の巨人』なる大男、ロイド氏殺害犯だった」


「ほう……!? 戦斧のような武器を、本当に持っていたのじゃな?」


ドクター・ワイルドが驚きの声を上げた。


かつて、ドクター・ワイルドは、ロイド・グレンヴィル氏の死亡報告書の作成に際して、その無残な死体を検死していた。共に襲撃されていた先々代伯爵フレデリックの証言とも突き合わせて、ロイド氏は、巨大な斧のような武器によって殺害されたと見当を付けていたのだ。


プライス判事はドクターの指摘にうなづき、話を続けた。


「ロイド氏の抵抗で片目を潰されていて、以来、グレンヴィルに対して根に持っていたとか」


思案顔でワインを一口飲み、プライス判事は更に言葉を継ぐ。


「例の巨人が片目になったのは、ロイド氏が隙を突いて、戦斧の方向を狂わせたのが原因だそうだ。その時、戦斧は思わぬ方向に滑って、巨人の半面をしたたかに襲った。片目の巨人の顔面に残った恐ろしい傷痕は、その時の物だったという訳だ。あやつ、『グレンヴィルとの勝負』に対して、狂気といえるほど執着していた。父と息子の違いが分からなくなるくらいに」


「ふうむ……」


ドクター・ワイルドが興味深げに相槌を打ち、プライス判事に続きを促した。


「今、片目の巨人は正常な受け答えをしていないんだな。壊れてるんだ。あそこまで敗北し、無視されていた……死より耐えがたい屈辱だったらしい」


薄い水色の目を一層キラリと光らせ、ドクター・ワイルドは医者らしく見当を付けて見せる。


「ショック性の退行現象じゃな」


「あの怪物が? 信じらんない」


マティが目を丸くした。クレイグ牧師も感慨深げに呟く。


「因縁とは言え、こんな不思議な事があるとは……」


ロイド・グレンヴィル氏は、キアランの実の父親だ。微妙な話題である。


「大丈夫ですか、リドゲート卿」


「何だか奇妙な気分がするだけです……血の復讐は、いつの間にか終わっていた……」


カーター氏の気遣いに、キアランは、いつものように静かに応じていた。


キアランが必死で銃と剣の腕前を磨いたのは、私的には、実の父親の復讐のためという人生上の目的があっての事だったのが――ルシールに関わる一件の、『まさに余談』という形で対決し、気が付いてみたら、仇敵は既に倒れていたのである。知らぬ間に、復讐が完璧に成されていたが故に――逆に、実感が無いのだ。


――片目の巨人は、かつての時も、そして今回も、元々は誰かが放った暗殺者の筈だ。


「本当の黒幕を聞けないのは残念ですが……」


「いずれにせよ、この件の首謀者は、近いうち暗殺者の運命を知る筈でございます。今後、手を引く事を考えるでしょうね」


ドクター・ワイルドは、キアランとカーター氏の会話に、注意深く耳を傾けていた。


――クレイグ牧師がいみじくも述べたように、つくづく不思議な巡り合わせだと思わざるを得ない。


暗殺者を倒す仕事は、体格上の素質を欠くダグラス家の者には不可能だった。ダグラス家は線の細い体格を持つ家系であり、平均以上の身体能力は無い。


しかし、キアランは、武門の家柄たるシンクレア家の者に近い身体能力に恵まれているがゆえに、シンクレア家の戦闘術を身に付ける事が可能だったのである。


ドクターは、キアランの実父が軍人の経歴を持っていた事を、改めて思い返したのだった。


――復讐の後に来る反動で放心状態になるかと思ったが、いつの間にか、何やら新たに、気に掛かる事が出来ていたか。


ドクターは、いつもと変わらぬ様子のキアランを注意深く観察した。キアランは、カーター氏やトッド氏と話し込んでいるところだ。


*****


やがてキアランは、やれやれと言ったような様子で頭を抑え、溜息をついた。


「カーター氏が何故、タイターの無茶な誓約書に、すぐに納得して見せたのか分かりましたよ。クロフォード直系親族は……ローズ・パークのオーナー協会員には、なれない」


「閣下の意志は、固かったのです」


カーター氏は、困惑気味の苦笑を湛えていた。


「ルシール嬢の説得では悩みましたが……タイター氏の、思わぬ横槍のお蔭ですね」


トッド氏がしきりに首を傾げつつ、口を出している。


「これ程に奇妙な事態が現実に起きていたとは信じられません。いっぱしの事業家が、条件の成就にあたって、最も重要な要点を失念するなんて……タイター氏は、よほど焦っていたとしか」


「まったく同感であります、トッド氏。信じがたい程の迂闊さの故とは言え、タイター氏が、あそこまで全力で――しかも脅迫的な手段すら用いて――アシストしなければ、ルシール嬢は、きっと、『ローズ・パーク相続を諦める』という選択はしなかったでありましょう」


トッド夫人が思案深げにうなづいている。


「それはそれで、将来、また別の紛糾につながるような、複雑な政治的状況が展開していたかも知れませんね」


「うむ。アントン氏は、こういう結果は望まなかっただろうし、ルシール嬢も、新たな現実を受け入れるのは難しいだろうとは思う。だが私は、これが最も理想的な解決だと信じているんだ」


プライス判事は、そう言って、話を締めくくったのだった。


キアランは暫し思案を巡らせた。


「アントン氏が手がけたバラ園が、この館にもある……私から彼女に話してみます」


「それは、良い事でございましょう」


カーター氏は、穏やかな笑顔で応じていた。


*****


ディナーの歓談はその後も続き、やがて話題は、トッド夫妻の土産話に移って行った。


「商会仲間の速報、小耳に挟みました。遂に宮廷疑獄事件の大法廷が開かれて、王室の血縁たる王族親戚や、大貴族の方々も、大勢が連座して弾劾されるとか」


「そりゃ、大変なニュースだね」


クレイグ牧師が感心したように呟いた。ドクターも同意である。


「来月からの都の社交シーズンは、大政変の話題で埋まりそうじゃな」


*****


キアランは自室に戻った後も、深い感慨にふけっていた。


――あの台帳のサインを見た時ほど、動転した事は無かったと思う。


謎のローリン氏の直筆のR文字は、クロフォード伯爵のR文字の筆跡そのものだった……


ルシールがレオポルドの私生児だとしても、別に構わない――と、決着を付けてはいた。


それでもやはり、最も信頼し敬愛して来た人の娘なのだという事実を考えていると、不思議に穏やかな気分になって来るのであった。

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