クロフォード伯爵邸…時の娘(中)
カーター氏は、アシュコートからの特別速達便に含まれていた最後のページを、一堂に示した。
「この公文書が作成されたのは25年前の二月。かの馬車事故の前日です。故ローリン夫人は、縁あって、ロックウェル公爵夫妻の出張のお供として加わっていました」
続いて、文書が読み上げられた。
『下に記す内容は、これ真実である事を名誉にかけて宣誓す。当代ロックウェル公爵ユージーン・クレイボーン、及び公爵夫人セーラ・クレイボーン。日付時点において妊娠六カ月たる妊婦、アイリス・ライトの息子ないし娘の父親は、当代クロフォード伯爵リチャード・ダグラス氏である事を、此処に明記するものである』
ダレット一家は青ざめたまま、全身をワナワナと震わせた。
「ロックウェル公爵……」
「リッチ公爵家よりも古い、あの、由緒ある大貴族の……」
常に貴族である事を鼻にかけているダレット一家にとっては、由緒ある大貴族であるロックウェル公爵の名前は、絶大な権威を持つものだ。
「この公文書が本物である事は、アシュコート伯爵が保証するものです。従って、この文書の真実性を疑う者は、貴族の名誉において確認された事実をも疑うと言う事です。レオポルド殿は、勇猛な人物と評判のアシュコート伯爵に、決闘を申し込まれますでしょうか?」
貴族社会の中では、名誉において宣誓された物事が紛糾した場合は、決闘によって決着を付ける事になっている。癇癪を起こして当たり散らす事は得意なものの、実際に武器を持って戦う事は不得手である事を認識しているレオポルドは、歯軋りする他にない。
レオポルドは腕を振り回し、喚き出した。
「謀ったな! この……この……油断のならん弁護士めが!」
「私は特に、出席の強制はしておりません。立会いを望まれたのは、レオポルド殿ご自身の意思によるのですよ」
カーター氏は、血縁者の公認に必要な条件が揃った――と言うこのタイミングを逃さず、正式に公認を成立させてしまったのだ。ベテラン弁護士の鮮やかな手際に、レナードもキアランも、ただ感心するばかりだ。
*****
「直系……」
レナードが呆然と呟く。キアランが鋭く振り返った。
次の瞬間、レナードとキアランは、互いに驚愕の表情で、顔を見合わせた。鏡うつしのように、同じ表情だ。同じ事を考えていると分かってしまう。
レナードにとっては、より伯爵家に接近するのに都合の良い、宗家直系の娘。
キアランにとっては、自分の政治的立場をより強固にするのに都合の良い、宗家直系の娘。
*****
ダレット夫妻が、二人掛かりでカーター氏に詰め寄り始めている。
「ア……アラシアじゃ無くて、何で、あのネズミ女が、伯爵令嬢……!」
「レディ・ルシールと呼べと……!?」
カーター氏は冷静だ。
「いえ。ルシール嬢は、正確にはクロフォード伯爵令嬢では無いのでございます」
意外な返答だ。ダレット夫妻は静かになった。
クロフォード伯爵が苛立ちを抑えながらも、説明する。
「爵位を継ぐ前に、離婚が済んでいた前妻の娘だ。直系親族の一つ、ローリン家の娘。それ以上でも、以下でも無い」
ダレット夫人は、激しく反発した。
――後顧の憂いを断つためには、何としてでも、ルシールを考えられる限りの下賤な地位に落としておかなければならない。最も名誉を受けるべき唯一の、しかも貴重であるクロフォード伯爵家の直系の娘は、アラシアの他には有り得ない!
「あの下等者には、クロフォード直系親族の名を名乗る資格すら無いわ! 母親の離婚と同時に資格喪失している筈よ!」
カーター氏は眉をピクリともさせず、議論に応じた。
「それでは、レナード様の爵位継承権も、父親レオポルド殿の爵位継承権と共に、30年前にさかのぼって既に喪失しているのですね。更にダレット夫人が離婚した場合、ダレット兄妹には、クロフォード直系親族の名を名乗る資格は無い……」
クロフォード直系親族としての、ルシールの公認は、既に成立したのだ。ルシールの地位に対する法的解釈は、そのまま、ダレット家にも跳ね返って来る。
ダレット夫人はヒクヒクと目元を震わせ、歯軋りした。
「これだから、弁護士ってのは……!」
暫し、レオポルドとレナードは、目配せし合った。
レオポルドは、ゆっくりと大儀そうに伯爵に向き直ると、これまた大儀そうに、伯爵に語り掛ける。
「フン、実に不運な事だったろうな? リチャード殿……彼女が男子なら、押しも押されぬ跡継ぎだった」
レオポルドは嫌らしくも、ルシールが女性である事の、法律上の不利を指摘したのだった。
「フフン、如何かな? 伯爵令嬢どのを、リドゲートたるレナードの妻にすれば……諸々の難問は、解決だ」
恩着せがましいまでの提案だ。しかし、伯爵は、厳しい表情を崩さなかった。
「私の話を、ちゃんと理解しなかったな? 私は、ルシールを伯爵令嬢として迎える事はしない。ルシールは、あくまでもローリン家の者であり、男に生まれたとしても、ダグラス家の跡継ぎになる可能性は、無い!」
その瞬間、レオポルドは伯爵の強い意志を悟り、青ざめた。
平均的な男性に比べると線が細く、いささか繊弱な印象のある伯爵であったが、長年にわたって責任ある立場を全うしてきた者ゆえの厳格さや断固とした決断力には、目を見張るべきものがある。
「レオポルド・ダレット……或いは元セルダン家のレオポルド。お互いの立場、改めて確認をしておこう」
伯爵は断固とした口調で、言葉を続けた。
「私の兄が爵位を継いだ時をもって、クロフォード伯爵宗家は、我がダグラス家に移行した。ダグラス家の正式な嫡子にして嗣子たるキアラン以外に、リドゲートの名前を許す事は、絶対に有り得ない。セルダン家の者に、後継者を決定する力は既に無いという事実を、改めて承知しておきたまえ」
一瞬の静寂。
後方で聞き耳を立てていたトッド夫妻やマティ、ドクター・ワイルドは、圧倒されていた。ダレット夫人もレナードも、同様だ。
――レオポルドが仮に離婚して旧セルダン家に戻ったとしても、政争の具としてルシールを手に入れたとしても、その政治工作は一切無駄――と言う最後通牒だ!
レオポルドは激昂のままに、クロフォード伯爵に肉薄した。
「よくも、抜かしてくれる!」
怒りのままに腕を振り回し、殴りかかる。
レオポルドの身体が、身辺警護上の警戒エリアに接触した瞬間、キアランが飛び出す。
キアランの手がレオポルドの手首を捉え、その動きを封じていた。
レオポルドは息を呑んだ――そして、そのまま硬直した。伯爵も驚愕した様子で、キアランの後姿を見つめている。
レオポルドは初めて、深刻な脅威を感じた。
――下手に動けない。
傍目には軽く抑えられている状況だが、何故か身体の自由が利かない。レオポルドは青ざめ、口元を引きつらせた。下唇がピクピクと震え始める。
――確か、シンクレア家直伝の戦闘術を会得していると言う話ではなかったか。
伯爵に害を成そうとすれば、キアランはレオポルドを容赦無く取り押さえるだろう。キアランは、今はもう小さな子供ですら無い。
気を呑まれて動けなくなったレオポルドに、カーター氏がおもむろに声を掛けた。
「では、そろそろ『本題』に移らせて頂きます……」
キアランの拘束が外れ、レオポルドはギクリとするままに、ザッと後ずさった。ダレット夫人もレナードも、不吉な予感に息を呑む。
「先日、庭師の倉庫にて拾われたと言うカフスは、レナード様の所有でした。そして、レナード様が、新年社交シーズンの装飾として用いた物です」
大広間の面々は、一斉にレナードを注目した。
レナードのカフスが紛失した一件は、ダレット一家の大騒ぎもあって、周知の事実となっている。
カーター氏の言葉は続いた。
「カフスの紛失の前後にわたって、レナード様は館に一度も立ち入りされておられない。従って、カフスが館の敷地に存在すると言う状況は絶対に有り得なかった。それなのに何故に、レナード様のカフスが館の敷地にあったのか?」
主張と事実の矛盾を指摘され、レナードは一気に青ざめた。
カーター氏は容赦なくたたみ掛ける。
「そして、アラシア嬢は何故に、馬車馬の暴走の仕掛けをご存知なのか? レナード様より、納得のゆく説明を頂きたく存じます」
レナードは咄嗟に抗弁した。
「あのカフスは盗まれたのであって、落とした訳では!」
「復活祭の前の日に、館に入り込んでいたパピィと言う子犬が、もう片方のカフスも見付けていました。まさに此処、館の敷地の中で。復活祭の前日、カフスは此処にあったのです!」
カーター氏は一つの包みを出して、開いて見せた。
そこには、プライス判事から提供されたカフスがある。パピィが、催涙弾のショックで排出した物だ。アラシアが既に片方のカフスを持ち出した後であり、このカフスは確かに、今まで行方不明だった片方の物である。
「レナード様は、ご自分のカフスを如何なる状況にて紛失したのです? まさか、復活祭の……例の馬車事故の前に……という事は?」
言い訳の利かない状況を察知し、レナードはいっそう青ざめた。
そこへ、ドクター・ワイルドが声を掛ける。
「答えたくない質問らしいな」
「何で、門番の目を盗んで、こっそり館に侵入してたのか……って事で、長い説明、必要になるからねー?」
マティも一緒になって、レナードの抗弁の余地を塞いで行く。
「今は……! こんな意味の無い問答をしている場合では無かった筈だ……!」
レナードは叫んだ。まさに追い詰められた者の叫びだ。レナードは素早く身を返すと、逃走そのもののスピードで、慌しく大広間を退出して行った。
「あ、アラシアを連れ戻す方が、もっと重要だ! すぐにでも出発しなければ!」
「レナード!」
混乱しながらも呼び掛けるダレット夫人。
「カミラ! 我々も、アラシアをすぐに見付けないと!」
レナードの反応にレオポルドも何かを察知したのであろう、ダレット夫人を引きずりながらレナードの後を追った。
ダレット一家は、まさしく遁走した。大広間の扉を、ぶち破らんばかりの勢いで。
大広間の扉が、大音響と共に激しく開かれる。
その瞬間、扉の傍にいたプライス判事は、驚いて思わず声を上げる羽目になった。扉との衝突をよけて、素早く身を引く。
そのようにして空いた空間を、ダレット一家は、感謝はおろか、挨拶も社交辞令も欠いたまま、慌しく駆け抜けて行ったのだった。




