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花の影を慕いて  作者: 深森
第七章 時の娘
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クロフォード伯爵邸…時の娘(前)

大広間の中で、ダレット夫妻とトッド夫妻の議論が白熱していた。ダレット夫妻の方は、ほとんど、わめいている状態だ。


レナードは傍観に徹しながらも、その顔は、しらけている。


控えの間では、盾持ちのスタッフたちが、ハラハラしながら議論の様子を見守っていた。


「アラシアが、どうなっても良いってのッ!」


「トッド夫妻は、やはり金儲けにしか興味の無い、正義を知らぬ連中だったと言う訳だな!」


「そんな事は言ってません。発見までの費用は、多少なら、援助できますから……」


ダレット夫妻は、一瞬、静かになった。レオポルドが欲深を隠しもせず、目をランランと光らせる。


「ほお! どのくらい援助してくれるというのだ」


「私は事業家です。投資に見合う行動力と影響力を見せて頂けませんと。アシュコート伯爵領への交通費くらいは、ダレット家のお小遣いからポンと出せるでしょう?」


「非道な!」


レオポルドが一気にがなり立てた。


「そもそも、マネーの話は卑しいものだ! 無礼な! 援助すると言ったんだから、すぐに金を寄越せ! ダレット家の地位にふさわしい大金をな!」


「平民は、貴族の命令に従わねばならないのよ! すぐに金を出しなさい! マネー! マネー!」


レナードは、やかましい口論を繰り広げているダレット夫妻やトッド夫妻から少し離れて、一人考え事に沈んでいた。


――何だか変な事になって来た。今夜のディナーの、本当の目的は何だ?


そもそもの初めより、レナードの人生は単純だった。キアランによって不当に冷遇されている、正統な跡継ぎ。


血統や見栄え、社会的地位の条件において、非の打ちどころの無い両親。その特権的な生まれによって、レナードの前途は、常に約束されていた。


貴族の頭脳と体格は、元々、その辺の庶民などとは比べ物にならない程、有利に出来ている。名門の寄宿学校。特に何もしなくても自動的に付いて来る立派な成績。数多の宮廷セレブと関わる、選り抜きの人脈――全て、高貴な血統の力が成せる業だ。レナードは、口を開けて待っているだけで良いのだ。


しかるべき時が来れば、何もしなくても正義の力が自然に発動し、クロフォード伯爵の地位さえ、向こうから転がって来る。望めば、金も女も、自然に向こうからやって来た――それと同じ事だ。


ルシールさえも、失神すると共にレナードの方へ倒れて来たのだ。鉄が磁石に引かれるように。


レナードは、ただ、待っているだけで良かった……


不意にギクリとするような感触が来た。突き刺さるような、強烈な違和感。


キアランは、レナードより一瞬だけ速く踏み込み、倒れて行くルシールを捉えたのだ。まるで、目の前から、ルシールをかっさらって行くかのように。


――あの時、クロフォード伯爵は、『ルシールは私の娘だ』と言わなかったか?


伯爵、令嬢……?


レナードは説明のつかぬ『直感』のままに、マティに視線を向ける。


視線に気づき、マティがパッと振り返って来た。


一瞬、ルシールの面差しが重なった。意外に、姉と弟のような――


ギクリとし、焦るままに腕を組む。


レナードの身体は、内心の動揺のままに、そわそわと軸がブレていたのだった。


*****


大広間の扉が乱暴に開かれた。ハッとする大広間の面々。


入って来たのは――キアランとドクター・ワイルドだ。


クロフォード伯爵は二人の穏やかならざる様子に気付き、サッと緊張の色を浮かべる。


キアランは血相を変えたまま、つかつかと伯爵に近寄ると、のっぴきならぬ口調で詰め寄った。


「先刻の言葉は、一体どう言う事です? 父上」


「ワシにも、きっちり、ご説明頂きますぞ。いつだったか閣下は、あのお嬢さんとは血の繋がりは無いと言われた筈です」


ドクター・ワイルドも、すこぶる苛立っている。


「ああ……先に報告しときますぞ。ライト嬢は、急性ストレス障害を起こしたのじゃ。相当量の鎮静剤を投与して、後をベル夫人とメイプル夫人に任せてある」


ドクター・ワイルドは憤然として腰に手を当てながらも、鋭いギョロ目で伯爵を凝視した。


その後ろでは、即座に思案を止めたレナードが、目を見張っていた。トッド夫妻も――そしてダレット夫妻でさえも、口論を中止している。


キアランとドクターが、クロフォード伯爵を問い詰めている様を、全員が、固唾を呑んで注目していた。


「驚くべきところじゃが……同時に納得する。閣下の血筋なら、さもありなんと言うところじゃ。結局、ワシの医学的見立ては正しかった訳じゃ。ライト嬢の――ルシール嬢の、あの骨格の形は、ダグラス家の特徴を示しているのじゃからな」


ドクターの指摘は、確信に満ちている。


クロフォード伯爵はソファの中で頭を抱え、深い溜息をついた。


「タイミングを選んで、話す予定だったんだ……ああ、確かに私は、あの時は血縁では無いと言ったが。その時は私は、まだ正しい医学データを知らなかったんだ……」


近いうちに明かさなければならない事としていたが、伯爵は、ルシールに倒れる程のショックを与えるつもりは無かったのだ。もっと早く話をしていれば、ルシールが怪我だらけになる事も無かった筈である。


伯爵は後悔を滲ませ、頭を抱えながらも、説明を続けた。


「……娘だと分かったのは、彼女がお見舞いに来て、雑談の中で、六月生まれだと言う話をした時だ」


ドクター・ワイルドが目を見開きつつ、立ち尽くす。


「出生データの、四ヶ月のズレ? ……てっきり知っておられるものと……」


伯爵は苦り切った表情であった。


「何処かの弁護士が、ローズ・パーク案件を左右するような要素では無いと判断して、省いてくれたんでな」


ドクター・ワイルドの隣で、弁護士カーター氏は面目無さそうに佇んでいた。


キアランは疑問顔でカーター氏を振り返った。カーター氏は丁重に一礼し、弁解を述べた。


「修正報告書によって正式に訂正された後に、報告申し上げる予定でございましたので……」


キアランは再び伯爵を振り返った。


「ギネスの台帳に、『R・ローリン』とサインしたのは……父上ですか?」


「ああ、短い間だったが、ローリンは私の家名だったんだ。兄の後を継いでホリーと結婚した時、消滅した名だが」


カーター氏はおもむろに資料を取り出すと、伯爵の回答に補足説明を加えた。


「故ベネディクト・ダグラス様が爵位を継いで伯爵になり、ダグラス家が即ち伯爵宗家とされた後の事です。弟リチャード様の方は、結婚した場合、独立してクロフォード直系親族ローリン家の主となる筈だったのですが、ベネディクト様が急死された時と同時に、分家の創設の話も消滅していたのです」


大広間の面々は、すぐに重大な矛盾に気付いた。



――分家の家名が既にあったという事は、『既に結婚していた』と言う事以外に、有り得ない!



ドクターが、ギョロ目をいっそう見開く。


「先代伯爵の生存中の、三年足らずの間に……アイリス嬢と結婚していた……じゃと?」


伯爵は、少年のように顔を紅潮させて、うなづいた。


「兄の跡継ぎが法的に承認され、親族の間でも意見の相違が決着してからの後だ。私は、その時点でリドゲート名を喪失したが、何のしがらみも無く彼女に求婚できるようになったから……実際、重圧からの解放感で、天にも舞い上がる程の思いだったよ」


クレイグ牧師が口を開いた。


「式の担当が、私でした。正式な結婚であり、結婚証書も存在します。目下タイター問題があったし、伯爵家でも子爵問題の後処理でそれどころじゃ無く、秘密結婚、及び事後公開……という事で取り扱っていました」


「お……お父様!」


トッド夫人が目を丸くして絶句した。トッド氏もマティも、唖然とする。


「じいじ……それじゃ、26年前の九月の、ルシール・ママの、謎の旅行って……」


クレイグ牧師は、ゆっくりとうなづいて見せたのだった。



伯爵は腹をくくったのであろう、迷いの無い口調で説明を再開した。


「私は、彼女と正式に結婚していた。一日の間だけだが。翌日の朝、兄が……先代伯爵が急死したと言う一報が届いて、クレイグ牧師の立会いで、今度は離婚を行なった」


大広間の面々に、衝撃が走り……静寂が広がった。


伯爵の説明は続いた。その口調は決然としてはいたが、そこには確かに、押し隠せぬ無念が滲み出ている。


「領内の混乱はひどくなる一方、収まる気配すら無く……危険な立場になった未亡人と遺児が居た。グレンヴィル氏が殉死してまで調停に導いた全ての問題が、再び紛糾しかねない。決着すべき問題も、山ほど残っていた」


当時のショックを想起したのであろう、説明を続ける伯爵の顔からは、すっかり血の気が引いていた。


「親族の一つでしか無いローリン家――伯爵宗家としての地位と権力を持つダグラス家――、どちらを取らなければならなかったかは……余りにも、明白だった。アイリスは、すぐに離婚証書に署名し、私をダグラス家の者に戻してくれた。まさか、あの時……娘が、出来ていたとは……」


ドクター・ワイルドもまた、蒼白になっていた。額を押さえるその手は、細かく震えている。


「何たる事だ! 先々代の遺言も復活していた……こんなむごい選択は無いぞ!」


*****


先々代伯爵フレデリックは、確かに、遺言書を残していたのだ。


――『ダグラス家に爵位を移行すると共に、爵位を継ぐ条件として、グレンヴィル未亡人ホリーを正式に妻とし、保護せよ』


それは恩人たるグレンヴィル氏に対する、フレデリックなりの精一杯の善意の計らいであったのだが、その善意が、あろうことか裏目に出てしまっていたのだ。


*****


伯爵の説明が終わった事を確認すると、カーター氏は改めて、大広間の面々に語り掛けた。


「当時の社会情勢を考慮すれば、『アイリス・ローリン夫人』が何も明かさずに出奔した理由も、推測は可能です。テンプルトンの抗争で、クロフォード直系親族が続けざまに壊滅したのを、彼女は見聞きしていた。25年前の状況において、クロフォード伯爵宗家たるダグラス家の直系の息子ないし娘の出生は、必然として、領内に再び更なる抗争と混沌とを呼び起こしたでしょう。そして、アントン氏も、その辺りの事情を良く理解していた筈です」


大広間の面々に、納得と理解が広がった。


ダレット夫妻でさえも特に異論は思い付かず、沈黙を続けている。


カーター氏はそこで一息つくと、手元の書類を改めた。かねてからの打ち合わせ通りに、伯爵を意味ありげに振り向く。


「では……よろしいでしょうか、閣下」


伯爵はその問い掛けに、シッカリとうなづいて見せた。


カーター氏は威儀を正して大広間の面々に向き直ると、書類を前にして演説を始めた。


「アイリス・ライト、即ちローリン夫人は、閣下の正式な前妻と認められる者です。そして、その娘であるルシール嬢の父親は、当時のR・ローリン氏、即ち閣下であります。タイター氏による間断無き確認もあり、この事実について、疑念を挟む余地は全くございません」


ドクター・ワイルドが目をパチクリさせ、思案顔になった。


『タイター氏による間断無き確認』とは、まさにタイター問題の事であり、当時のアイリスが悩まされていたストーカー問題の、穏やかな言い換えでもある。


カーター氏は、伯爵の方を振り向き、遂に、重大な確認事項を口にしたのであった。


「この事実に従って、ルシール・ライト嬢を正式にルシール・ローリン嬢と認め、我が実の娘と公認されますか」


大広間の面々がハッと息を呑む中、クロフォード伯爵は、ハッキリと宣言した。



「――公認する!」



カーター氏は厳粛な態度で一礼した。


「公証人としてクレイグ牧師、親族代表としてダレット家当主レオポルド殿の立会いを頂き、ここに、クロフォード伯爵家の直系親族、ルシール・ローリン嬢の公認が確定いたしました」


大広間の面々に、驚愕が広がった。


――クロフォード伯爵家につながる、新しい血縁者が公認されたのだ!


「彼女って、私の姪!?」


「マティの従姉でもある……?」


最初に反応したのは、トッド夫妻だ。


続いて、ようやく理解の段階に至ったダレット夫人が、顔をひきつらせた。


「アラシアを差し置いて――」


一瞬の間を置いて、レオポルドもダレット夫人と同じ認識に至り、愕然として立ち尽くした。


――アラシアと同格か、それ以上の立ち位置になるクロフォード直系親族の――娘!


「み、認めん! 断じて、私は認めんぞ! これは全て茶番だッ! 第一、卑しい平民の結婚証書など……」


ようやくにして、レオポルドが猛然と抗議し始めたが、既にレオポルドの反応を見越していたカーター氏は、なおも冷静であった。慌てず騒がず、古い文書を取り出して見せる。


「ロックウェル公爵の直筆の公文書が、此処にございます……」


「――ロックウェル公爵!?」


レナードが叫んだ。続いてマティが驚きの声を上げた。


「――あッ! その古い手紙……!」

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