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花の影を慕いて  作者: 深森
第七章 時の娘
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クロフォード伯爵邸…運命の大広間(後)

ダレット夫人とルシールの間に、キアランが割って入る。


「暴力禁止です、ダレット夫人」


キアランの護身術は巧みであった。目立つような動きをした訳では無いのに、ダレット夫人の両手はルシールの身体をそれ、反動で流れたルシールの髪の一房を触れるだけに留まった。


だが、ダレット夫人は驚くべき反応速度で、ルシールの髪をギュッと握り締めた。


ルシールの髪は腰まで届く程に長かったので、キアランに割り込まれても、それだけの長さが残っていたのだった。


ダレット夫人は、燃え上がる怒りに任せて、ルシールの髪をグイグイと引っ張り出した。ルシールは髪を引っ張られる痛みに、口をパクパクさせるばかりだ。


「ギャングの両親、親戚が凶悪犯!」


すっかり激高しているダレット夫人は、まさに悪鬼の如き形相をしていた。


レオポルドでさえ一瞬、恐怖を感じ、冷静になって飛びすさる程だ。


ダレット夫人は、ルシールの破れた片袖をどう解釈したのか、勝ち誇った様子で叫び続けた。


「この恥知らずが! 色仕掛けで他人の婚約者を奪うのも当然だわよねッ! アラシアが言ってたわ、レナードとも二股かけてるとか……何て、破廉恥な、女ッ!」


金切り声を続ける、その息継ぎの間に、ルシールの髪を握り締める手の力が緩む。


その隙を逃さず、キアランはダレット夫人の手を弾いた。


ルシールの髪が一気に解放される。


キアランはルシールを背中にかばい、ルシールは無意識のうちに、キアランの背中にしがみついた。


執事とベル夫人が大広間に緊急に駆け付けて来て、所定の手ぶりをした。物陰に控えていたスタッフたちが、癇癪対応の盾を構えて飛び出して来る。


ダレット夫人は、理性の限界を遥かに超えて怒り狂っていた。


――この下賤な女、許しがたい事に、キアランの背中にへばりついているでは無いか! そしてキアランも、この取るにも足らぬ存在を、まるで掌中の珠であるかのように、注意深くガードしている!


将来の義母(姑)、すなわち将来のクロフォード伯爵家の大奥方候補の、本能ならではの直感だ。ダレット夫人は、キアランとルシールの間には、既に、単なる知人関係を超えた何か――キアランとアラシアの間の他には、あってはならない何か――が存在すると察知していた。


「お前は、存在そのものが罪というもの、すぐに監獄送りよ! 鞭打ち百回や二百回じゃあ済まないから、覚悟なさいッ! 二目と見られぬ程に顔面をつぶして、八つ裂きにして、粉々の肉片ミンチにしてやるからね! この、父無しの、不倫の破廉恥――」


ダレット夫人が、ルシールに向かって指を突き付け、なおも誹謗中傷を重ねようと口を開く。



その時、クロフォード伯爵の、威厳に満ちた大喝が響いた。


「やめんか!」


長年、当主を務めている者ならではの、よく通る声だ。大広間の面々が、ハッと息を呑む。


「ルシールは、私の娘だ!」


*****


その一瞬、世界が動きを止めた。


今、伯爵は何と言ったのだ?


大広間に居合わせた全員が、棒立ちになった……


*****


重苦しい沈黙の中、ルシールは、ボンヤリとクロフォード伯爵を注目する。



――父親は青い目。



クロフォード伯爵の目の色は、深い青だ。若かりし頃の肖像画にも描かれていた――海を思わせる青藍色――わだつみの青。


ルシールの脳裏に、母親と共に眺めた冬の海の深い青さが閃いた。


そのままルシールは意識を失い、ゆっくりと崩れ落ちた。


*****


「ルシール!」


ギョッとして息を呑むキアラン。


ルシールが後ろに倒れて行くその先にはレナードが居て、その華奢な身体を受け止めようと手を伸べたところであったが――


キアランの方が、一足早くルシールを抱きかかえた。


そして、キアランは、幾つもの疑問と共に……クロフォード伯爵を見つめる。



血のつながりの無い自分を息子として受け入れ、20年以上もの間、保護し、育ててくれた男の姿を。



クロフォード伯爵は蒼白な顔色ではあったが、深刻な疑問を湛えたキアランの眼差しを真っ直ぐに受け止め……避けようとする様子は無かった。


ルシールは、すぐに意識を取り戻す様子は無く、その顔からは血の気が引いたままだ。


ドクター・ワイルドが早くも診療カバンを手に取り、指示を下した。


「部屋へ運べ、ワシが診る!」


その指示に従って、キアランはルシールを横抱きにしたまま、ドクターに続いて大広間を飛び出して行った。メイプル夫人も驚き慌てながらも、ドクターやキアランの後に付いて行く。


*****


あっと言う間に大広間に取り残された面々は、呆然とするのみだ。


「一体、これは……」


トッド氏が呟いた。マティもボンヤリと大広間の扉を眺め、無意識のうちに呟いている。


「今日は、ルシールにとっては、散々な一日でもあったからさ……、ショック続きで……キャパ超えちゃったんだ……」


「的確な解説ですね」


カーター氏はマティの解説の的確さに感心していたが、ダレット夫人は別の意味で理解した様子だ。


「わたくしのせいじゃ無いわ! 勝手にひっくり返って……ホントに厚かましいッ!」


ダレット夫人が騒いだお蔭と言えるのか。


――大広間の面々は、ようやく茫然自失の状態から抜け出したのだった。盾持ちのスタッフたちが、目配せし合い、控えの間に戻って行く。


トッド夫人が改めて、驚愕しきりと言った様子で末息子マティを眺めた。


「マティ……とにかく、凄い格好」


「この『配達ボックス』なんだが、一応、女装する予定は無いよな?」


トッド氏も困惑の余り、『ローズ・テイラーズ』の配達ボックス――しかも、中身は女物のディナードレスだ――をマティに示し、頓珍漢な確認をした。


「それ、ルシールのドレスさッ!」


マティは、『勿論じゃ無いか!』と言わんばかりに、元気良くうなづいた。


「私が風呂に入れて来る……着替えも用意してあるし」


苦笑しながらも口を挟んだのは、クレイグ牧師だ。まだ困惑が止まらないトッド夫妻に向かって、なだめるように手を振り、マティを連れ出して行ったのだった。


*****


――何かが引っ掛かる。


マティは、祖父クレイグ牧師に風呂に入れられていた。


お湯を張ったタライの中で、頭のてっぺんまで石鹸の泡に浸かる。目下、大広間での出来事を、モヤモヤとした引っ掛かりと共に思い返している真っ最中だ。


そしてマティの脳裏で、一つの連関が出来上がった。スパークが弾けた。ようやくショッキングな事実に気付いたマティは、石鹸の泡を頭に乗せながら、タライの中から勢いよく半身を乗り出した。


「ちょっと待てよ、じいじ! 伯父さんは何て言ったんだ!? ルシールが、娘、だって!?」


クレイグ牧師はリネンタオルと着替えを用意しつつ、呆れた様子で応じた。


「お前にしちゃ、理解するのに随分と時間が掛かったな。道理で、妙に落ち着いてると思ったよ」


「あんな事、急に言われても普通、分かんねえよ! じいじは、前から知ってたのッ!?」


仰天が収まらぬまま、マティはタライ一杯の泡の中で手を振り回していた。タライの周りに、石鹸の泡が次々に飛び散る。


「ルシール・パパは頭文字Lなんだよ、ローリンと伯父さんが何でつながるんだ。伯父さんの名前は、頭文字だと、R・Dになって……」


「ローリン? アイリスさんは、彼の事をローリンと呼んでいたのか?」


「……? ……!?」


*****


ゆっくりと夕暮れが始まった。


大広間の各所には、キャンドルの灯りが配置されている。


大広間の面々は、椅子やソファに腰を下ろして、今日のテンプルトン騒動に関するカーター氏の説明に聞き入りつつ、改めて驚き呆れていた。それこそ、物事の始まりから終わりに至るまで、信じがたい出来事のオンパレードなのだ。


「以上が、タイター氏との揉め事の顛末てんまつでございまして。余罪その他の詳細は、後ほどプライス殿が調査報告をします」


「その時、マティが死に掛けたのは、冗談では無かったって事ですか……」


トッド氏が呆然としたまま呟いていた。


カーター氏の説明には、疑うような要素は全く無く、レオポルドも何も言わない。レナードも無言のまま、思案に沈んでいる。


クロフォード伯爵は、『ローズ・パークのオーナー権の相続を放棄する』という旨の誓約書を眺めながら、感心しきりであった。


「この誓約書に署名したとは……あの母親にして、この娘ありか……」


先程からイライラがつのっていたダレット夫人は、憤懣やるかたないと言った様子で、遂に、ソファから立ち上がった。


ダレット夫人にとっては、今日のテンプルトン騒動など、過去に何度も起きたテンプルトン抗争の、退屈な延長であり、付け足しでしか無い。


「今は、こんな些細な事より、アラシアの駆け落ちの方を!」


トッド氏は、一応はレディであるダレット夫人に敬意を表して既に椅子から立ち上がっていたが、そのまま、ヒョイと肩をすくめた。


「トッド家の子が死に掛けた事は、些細な事件ではありませんよ」


トッド氏なりの、ささやかな抵抗である。


折よく、マティとクレイグ牧師が、大広間に戻って来た。


マティは早速、トッド氏に駆け寄った。トッド氏はマティを高く抱き上げ、生真面目に声をかける。


「タイター抗争の件、カーターさんからご説明を頂いたが、実に大変だったな。後でルシール嬢に、紳士らしく丁寧にお礼をするんだよ」


「さっきの、聞こえたよ。アラシア、駆け落ちしたの!?」


「昨夜、ライナスと一緒に快速馬車で抜け出したとか」


「何と言う驚き!」


仰天するマティに、トッド氏はユーモアたっぷりの笑みを見せた。


「驚く仕事は、我々が既に済ませてる」


ダレット夫人は、そんな父子のささやかな交流さえも癪に障った様子で、更なる金切り声で喚いた。


「トッド氏は、マティが末の子だからって、甘やかし過ぎよッ! 今この瞬間にも、わたくしのアラシアが、大変な目に遭っていると言うのに……、こんな無礼千万な悪ガキ、厳しくお仕置きしておかないと! 棘付きの鞭を使って!」


マティは『あかんべえ』と舌を出して見せる。


アラシアの駆け落ち話にはビックリしたものの、騒ぎを巻き起こして自分に注目を集めるのが何よりも大好きなアラシアの事、それ程、驚くような事態でも無い。『今まさに大変な目に遭っている人物が居る』としたら、それは、勝手に連れ出されたパートナーの男性、即ちライナスの筈だ。


ダレット夫人のムチャクチャな言い掛かりに対して、トッド氏は、あからさまな困惑の表情で応じた。


「アラシア嬢は、もう20歳……分別つく大人でいらっしゃるでしょう?」


トッド氏の脇に控えているトッド夫人は、ムッとした顔でダレット夫人を眺めている。


マティは確かに『とんでもない事をやらかす子供』なのだが、いにしえの狂信者の時代に使われていた、拷問用の棘付きの鞭を使ってお仕置きしないと分からないような、愚かな子供では、絶対に、無い。


現代では厳しく禁止されている拷問用の鞭を、児童の教育用に持ち出すあたり、『ダレット夫人の教育方針の方が絶対にオカシイ』と、トッド夫人は確信していた。第一、ダレット夫人にしてからが、レナードやアラシアの躾に、拷問用の鞭を使っていないでは無いか。悪い事をした時のレナードやアラシアが、きちんと叱られている場面など、目にした事も無い。


*****


大広間の中、少し離れた上座の方では、伯爵とカーター氏が、クレイグ牧師を交えて密談を始めている。目端の利くマティは、即座に、その奇妙な様子に気付いた。


――リチャード伯父さんが持っているのは、あの古い書状だ。


マティの頭には、幾つもの疑問符が浮かび上がって来た。


*****


時間を少しさかのぼる。


急遽、部屋に運び込まれていたルシールは、そのまま、地下階の浴室に移動させられた。


そして風呂桶の中で、石鹸の泡の中に埋もれたのだった。


「カラシ粉の影響がまだ強く残っとる……風呂の後で診察しよう」


ドクターは、ルシールの入浴をベル夫人とメイプル夫人に任せて、手際よく浴室の扉を閉めた。


扉の前に控えていたキアランの方を振り返り、顔をしかめて見せる。


「一体、テンプルトンで何があったんだ? それに、彼女が、あのメイプル夫人?」


「……何処から説明したものか……」


――とにかく、色々な事がいっぺんに起こり過ぎた。


そこへ、執事が慌てたようにやって来て、ディナーのために用意していた衣服を差し出した。


「とにかく、お着替え下さい、リドゲート卿」


*****


浴室の中。


メイプル夫人が半ば失神したルシールを巧みに洗いつつ、不思議そうな顔でベル夫人を振り返った。


「あの方は、確か、ベネディクト様の弟様ですよね?」


「当代の伯爵様でもございますが」


メイプル夫人は、暫しの間、ボンヤリしていたが――ようやくベル夫人の言及の意味を理解した時、仰天の余り腰が抜けそうになったのだった。

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