クロフォード伯爵邸…運命の大広間(前)
陽射しが更に傾き、周りの光景は、いっそう夕方の色合いを見せ始めた。
クロフォード伯爵邸でも、夕方の訪れと共にやって来た訪問客を迎えている。
執事がおもむろに大広間の扉を開き、訪問客の到着を告げた。
「レオポルド殿、レディ・ダレット、ダレット準男爵家が嗣子レナード様、ご到着です」
アラシアを除くダレット家の三人が、毎度の傲然とした様子で、クロフォード伯爵邸の壮麗な大広間に入って来た。
三人とも、大いに贅沢を極めた、王侯貴族さながらの装いだ。貴族そのものの容貌、体格、輝くような金髪碧眼の持ち主という人々だけに、その装いは、実に素晴らしく似合っている。
「フフン。正常化まで、いま少しだな。リチャード殿」
レオポルドは得々とした笑みを満面に浮かべ、クロフォード伯爵に声を掛けた。敬意を表して会釈するというような素振りはいっさい見せず、それどころか、傲然と身を反らしたままだ。
クロフォード伯爵は、眉間のシワを一層深くして応えた。
大広間には既に、今夜のディナーの招待客であるクレイグ牧師、ドクター・ワイルド、トッド夫妻が控えていた。
トッド夫妻は、ダレット一家への表敬のため、ソファから立ち上がっている。
「フン、トッド夫妻か」
「お久し振りです、ダレット家の方々」
トッド氏はテンプルトンの町の活動的な資産家の一人だ。クロフォード伯爵宗家たるダグラス家の縁戚であるクレイグ牧師の娘を妻に迎えた事で、以前よりも一段階ほど上の名家としての扱いを受けている。
レオポルドが偉そうに身を反らし続けているのは、トッド氏の、その微妙な立場を承知しての態度でもある。
トッド夫人は硬い表情を崩さなかったが、夫であるトッド氏の方は、ダレット一家の傲然とした態度を気にしていない風で、穏やかなポーカーフェイスを保っていた。
適当に社交辞令が交わされた後。
ダレット夫人が辺りを見回し、怪訝そうに口を開いた。
「アラシアったら、まだ出て来てない……こんな大事な日に、おかしな事ね。少し様子を見て来るわ」
ダレット夫人は、いそいそと身を返して大広間を退出して行った。
各々、着座したところで、レオポルドは上から目線でトッド氏を見やった。身分的に抵抗できないトッド氏を相手に、レオポルドによる『正論のショータイム』が始まる。
「まったく、トッド氏! 館も領地も財産も、本来はクロフォード伯爵宗家の直系子孫たるダレット家の所有なのだよ。正統も正義も無い今の世は、明らかに異常と言える!」
明らかに、クロフォード伯爵のみならず、その跡継ぎたるキアランに対する当てこすりも含んでいる。伯爵は頭を抱えて溜息をつくのみだ。
トッド氏は敏腕事業家らしく、滑らかに受け答えをする。
「テンプルトンの住民には、異なる見解を持つ者もいるようですが」
「フフフ、所詮、下等で無知な庶民の寝言ですね。白と黒の区別すらも付かない奴らだから、我々、高貴なる者として正義を守る我らは、常に苦労するのです」
レナードが斜に構えつつ、何やら悟り切った様子で口を挟む。
伯爵の眉間のシワは、ますます深くなった。
トッド夫人は、硬い表情で、マズそうに茶を一服している。クレイグ牧師がトッド夫人をそっと見やり、耳打ちをした。
「辛抱強いご夫君で良かったな、キティ……」
クレイグ牧師の長女にしてトッド夫人キティは、マティに良く似た表情豊かな面差しに、困惑の表情を浮かべていた。
「帰ってみたその足で館を訪問してみたら、マティが不在だと言う事の方が気を揉むわよ、お父様」
キティ・トッドは、コミカルに腕を広げて見せた。
「あの子、また何か、とんでもない事やらかしていないでしょうね?」
「朝っぱらから、この大広間にお化け屋敷のイタズラを仕掛けていたよ。でも事前にやめさせたから、大丈夫だ」
「それだけで済んだの? ちょっと信じられないような気もするけど」
ドクター・ワイルドが、ニヤリとした笑みを向けた。
「すごい心配ぶりじゃな、トッド夫人」
「心配になりますわ! あの子ったら、去年の夏、運河の海賊ごっこ遊びで、本物のギャングの密輸の証拠を見つけ出したんですから!」
トッド夫人は両手で頬を抑え、ハーッと息をつく。
「ギャング同士の銃撃戦になって、リドゲート卿を巻き込んで、ご迷惑して。クロス・タウン運河の大捕り物にも発展して。リドゲート卿が銃撃戦を制圧して下さってなかったら……本当に心臓が止まりましたわ」
「ふむ。リドゲート卿の銃と剣の戦闘術、あれ程の腕前とは思わなかったからな。シンクレア家の直伝じゃとか」
トッド夫人は眉根をひそめ、更なる困惑顔を披露した。持ち込んで来ていた『配達ボックス』を、疑惑の眼差しで見つめる。
「それに、この荷物は、『ローズ・テイラーズ』の店主が、『マティも一緒に来ていたのでビックリ』と言って渡して来たものなの」
その箱には、『ローズ・テイラーズ』ブランドの印が刷られていた。新作のドレスか何かであろうと予想できる。
しかしトッド夫人は、その箱に、しつこく疑いの眼差しを注いでいた。口元は、すっかり『への字』になっている。
「彼は信頼できる仕立て屋だけど、マティ経由だけに、何が入ってるのか、警戒の余り開封もできないんだわ」
キティ・トッド夫人は、マティの母親であり、マティが如何に奇想天外な行動をするかという事については、充分以上に――と言って良い程、承知しているのであった。
ドクター・ワイルドが面白そうに身を乗り出して、箱のラベルを確かめる。
「ディナードレスかね」
「受取人が、マティか……」
「つまり、マティ坊主が、女物のドレスを注文したのか……?」
伯爵とクレイグ牧師も、しげしげとラベルを眺め、妙な感心をし始めた。
「何か新しいイタズラ・プロジェクトを思い付いているらしいな」
「マティ坊主は一体、どんな『とんでもない事』を始めようとしているのか」
「しかも、女物のディナードレスをネタにして、じゃな」
「あの子ったら、女装趣味でも始めたのかしら!?」
トッド夫人は、ソワソワと落ち着かない様子だ。だんだん、顔が引きつって来ている。
――突如。
大広間の扉が、大音響を立てて開いた。
ダレット夫人が、ひどく動転した様子で大広間に駆け込んで来る。
「た……大変! あ……ああ……、アラシアが!」
「どうされました、ダレット夫人?」
ダレット一家の気まぐれに慣れているトッド氏も、心底ビックリした様子だ。
「アラシアが、ライナスと駆け落ちをしたの……!」
「何だと!?」
「アラシアが?」
レオポルドもレナードも、開いた口が塞がらない。
ダレット夫人は、ワナワナと震える手で、一通の手紙を掲げた。
「なかなか部屋から出て来なくて、変だと中をのぞいてみたら……お金も、宝石も、あらかた消えてしまっていて……こ……、この……、置手紙が!」
レナードが素早く手紙を取り、読み上げた。
『ライナスと、ちょっと遠方までお出掛け! 「こんな夜中に?」ってビックリするお顔が、とても見たかったわ! これは、あくまでも正義の行方不明よ! お金やら宝石を盗ったのは、あのクソ女って事にしといて頂戴! あの悪辣なクソ女の悪巧みが全部バレて、破滅する時は近いわ! この事件は、全国の社交界を席巻するでしょうね! 新聞記者やロマンス作家を呼んで来ても、全然構わなくてよ♪ キャハ☆』
レオポルドは「はぁ?」と言わんばかりの顔だ。
トッド氏も唖然とするばかり、その驚きの声は、無意識のツッコミとなっていた。
「意味不明な行方不明!」
「あのライナスに、オニババのネコババが可能だとは……!」
トッド夫人も息を呑んでいた。トッド夫妻は、二人そろって妙に息が合っている。
「何たる展開じゃ! アシュコート辺りで、嘘八百のゴシップを流して騒ぐつもりでいるのじゃろうが……」
アラシアの気まぐれな性格を充分に承知してはいたものの、それでも、驚愕しきりのドクターである。
手痛い損失に直結する事態を悟ったレオポルドは、動転するままにダレット夫人を怒鳴りつけた。
「この時間まで気付かないとは、お前は、それでも母親かーッ!」
「あんたが、ちゃんと娘を見ていないから、わたくしが苦労するんじゃ無いの! バカッ!」
次の瞬間。
執事が再び大広間の扉を開き、更なる人物の到着を告げた。
「リドゲート卿が出張より、お戻りでございます!」
続いて、テンプルトンから帰還した一行が姿を現した。
キアラン、マティ、ルシール、そして少し離れてカーター氏とメイプル夫人が、そっと入って来たのであった。
一行の姿を認めた大広間の面々は、驚きの余り、物も言えない状態になった。
マティとルシールは、ありとあらゆる種類のカラシ粉とトウガラシの粉にまみれ、物凄い色の粉末ペインティングを施された服装をしているように見える。一体何があったのか、目と鼻は相当に充血しており、髪の毛は極彩色のザンバラ髪となって逆立っている。
そしてトドメは、何やら壮大な喧嘩をしたとしか思えない程の、新しい傷やアザだらけの顔と全身、それに凄まじいばかりの衣服の破れである。
「な……な……何だ、そのボロボロの格好は……!?」
大広間の何人かが、一斉に同じ言葉を口にした。
ドクター・ワイルドが、素早くマティに駆け寄り、粉塵の正体を見極める。
「こりゃ何じゃ!? ……カラシ粉とトウガラシの粉?」
ドクターは、マティの頭や衣服に貼り付いた粉末を検分し、すぐにその凄まじい濃度を察知した。興味津々の余り、目を物騒にきらめかせる。
「人体実験のレベルを超えとるじゃ無いか! こりゃ話を聞かねば……」
トッド夫妻の口が揃ってパカッと開いたままになったのは、言うまでも無い。
マティは、充血したままの目で辺りをキョロキョロと見回し、驚愕の余り絶句したまま固まっているトッド夫妻の姿に、ようやく気付いた。
「あッ、ママ! パパも……!」
マティは、困惑顔で手を差し伸べた父親トッド氏に駆け寄って行った。
「タイターのギャング団と、すっげえ抗争やってたんだ! もう少しで死ぬかもと思ったよ!」
「ギャング抗争……!?」
伯爵は愕然としながらも、カーター氏に救いを求めるかのように、真偽を問う。
「冗談じゃ無いのか」
「いえ……その説明で、ほぼ正しいです」
カーター氏は律儀に一礼し、無慈悲なまでの事実を述べたのであった。
「後ほど、プライス判事より報告書が提出される筈です」
改めて呆然とする大広間の面々である。
次の瞬間、ダレット夫人が、いきなりルシールに指を突き付け、キンキン声を張り上げた。
「テンプルトン界隈のギャング=タイター! 確か、ルシールの仲間!」
ただでさえ刺激物で朦朧としていたルシールは、内容もろくに分からないまま、ダレット夫人のキンキン声に呆然としているばかりだ。
都合の良いスケープゴートを見い出したダレット夫人は、凄まじい剣幕で怒鳴り続けた。
「アラシアが急に駆け落ちしなきゃならなくなったの、下等で不潔なネズミ女めが脅しまくったせいだわッ!」
「おおッ、そうだ! 不明の父親だって、ギャングの誰かに決まってるんだッ!」
レオポルドも一緒になって、ルシールへの誹謗中傷に余念が無い状態だ。ルシールを貶めれば貶める程、アラシアの救済の可能性が上昇するのだから、当然と言えば当然の事ではある。
ドクター・ワイルドが瞬時に振り返り、口を差し挟んだ。
「ちょっと待て! 何でそう言う話になる!?」
「破壊工作付きで脅しまくったの、アラシアの方じゃねーかよ!」
カーター氏はダレット一家の気まぐれに少し驚いて見せただけだったが、トッド夫妻は話に付いて行けず唖然とするばかり、ダレット夫妻の伝説的な癇癪ぶりを実際に見せ付けられる羽目になったメイプル夫人は、ひたすら真っ青になって固まるばかりであった。
レナードでさえ、両親の目論見が理解できず、目を見張るのみだ。
「何と言う論理飛躍!」
ダレット夫人は、癇癪が暴走するままに、ルシールに襲い掛かった。
ルシールの髪をグイと引っ張り、よろけさせる。ルシールの肩を殴り、破れた片袖を隠していたリネンタオルを剥ぎ取った。
更に、ルシールの顔をズタズタに引き裂こうと、危険な程に鋭く長い爪をした手を振り上げた。




