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花の影を慕いて  作者: 深森
第七章 時の娘
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テンプルトン町…惑乱果つる処(後)

カーター氏が誓約書を読み上げる。


「アイリス・ライトが娘ルシールは、この誓約書により、ローズ・パーク庭園のオーナー権について、ライト家『子孫』の名をもって、この相続権を永久に放棄する……」


「確かに確認いたしました、タイター様、ルシール様」


読み上げが終了すると、トマス氏がうなづいて見せる。


カーター氏は暫し間を置き――遂に、法的決着を宣言した。


「指定相続人が、本人署名をもって、当該相続権を確かに放棄しました。故アントン氏の遺言書に従い、件のオーナー権は、ただちに、クロフォード伯爵家に全返還されることとなりました」


――タイター氏の名前も、ルシールの名前も、無い。そして、ナイジェルの名前も、無い。


耳を傾けていた面々は全員、暫しの間、その意味を考え――奇妙な沈黙が広がった。


そして、不意に、全員の口がパカッと開いたのだった。


「今、貴様、何と言いやがった!」


やっと意味が飲み込めたタイター氏は、大声で喚き始めた。


カーター氏は、タイター氏の反応を一顧だにせず、冷徹なまでに手続きを進めていく。


「治安判事どの、公証人として、この誓約書に裏書を願います」


プライス判事は目をパチクリさせながらも、カーター氏の依頼に応じて誓約書を受け取った。


「以上……これにて、クロフォード伯爵家による、オーナー権の没収は完了です」


――余りにも想定外の事態。


ルシールは勿論、勝利を確信していたタイター氏もナイジェルも、驚愕と混乱の余り、ただ口をパクパクさせるばかりだ。


遠巻きにして見物していたプライス判事の部下たちも、涙と鼻水とリネンタオルに埋もれていたタイター氏の手下たちも、皆が皆、揃ってポカンと口を開けたまま、絶句している。


マティが目を丸くし、近くに居たキアランを勢いよく見上げた。


「そうなの!?」


「そう言えば……」


キアランも、呆然と呟くのみだ。


その後ろでは、なおもグレンヴィルの名を呼び続けていた片目の巨人が、遂に錯乱したように、『うおおお』と、意味の無い叫び声を上げていた。もはや、署名に集中しているプライス判事に、たしなめられていると言う有り様だ。


「今、大事な話の途中なんだから静かにしてろよ、『片目の巨人』君」



タイター氏、ナイジェル、ルシールの三人は、頭の上に疑問符を浮かべたまま、なおもポカンとしていた。


カーター氏が、アントン氏の遺言書を改めて提示した。


「直談判の際に説明した筈です。故アントン氏の遺言書の内容は、ご承知でしょう」


『我が所有する、ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権、其を我が子孫アイリス・ライト、及び、アイリス・ライトの子孫が着実に相続するを、我望むものなり。かつ、此処に厳密に指定せし相続人の全てが既に死亡せし時、相続人による相続放棄の真正なる意思の確定せし時、ただちに其のオーナー権を、謹んでクロフォード伯爵家に全返還するものなり』


トマス氏が解説を付け加える。


「つまりですね、指定相続人たるライト嬢が本人署名をもって相続放棄を誓約した瞬間に、『相続人による相続放棄の真正なる意思が確定』したのです。そして、ただちにオーナー権の全返還、すなわちクロフォード伯爵家による完全な没収が実現した訳です」



――相続人による相続放棄の真正なる意思の確定せし時、ただちに其のオーナー権を、謹んでクロフォード伯爵家に全返還するものなり!



全てを理解した瞬間、タイター氏、ナイジェル、ルシールは、三人とも、天をも仰ぐ格好になった。口をアングリしたまま、身体全身をワナワナと震わせるのみだ。


まごうかた無く、タイター氏とナイジェルとルシールは、気質の共通する親戚同士であった。


タイター氏は激怒と喜悦の故に、ナイジェルは驚愕と焦燥の故に、ルシールは恐怖と懊悩の故に――三人揃って、動転の余り、真っ白になっていたのだ。


アントン氏の遺言書の、『最も重要なポイント』を、すっかり忘れていたのだ!


トマス氏は、『これ程おかしな事が、現実にあるのだろうか』と言わんばかりの表情を浮かべながら、シルクハットを直していた。


「新しいオーナー協会員は、伯爵さまが改めて選定されますが……あんなに余罪があるんじゃ、ビリントン家が選定される可能性は無いかも」


トマス氏は、そこで、再びシルクハットの縁に手を掛けた。


「あッ、そうだ。タイター様、此処で弁護の契約終了なんで、後で料金を請求しますんで、よろしくです」


だがしかし、不意に絶望の底に突き落とされた形となったタイター氏とナイジェルは、それどころでは無かった。


「そんなバカなッ! 叔父貴! 何と言うヘマをしたんだ! あれは俺の物になる筈で……!」


「ワシの物だぞ!」


タイター氏は、キアランの方を向いて怒鳴り出した。


「クロフォード伯爵家に、何の権利があって――」


キアランは無言で、タイター氏とナイジェルの二人を睨み付けた。漆黒の刃さながらの殺気が、不吉に閃く。身体の奥まで突き刺さるかの如き、鋭利な視線だ。


その不穏な眼差しに貫かれて、すぐさま口ごもる二人であった。


*****


プライス判事の部下たちは、その後も事件現場の後片付けを続けた。


ようやく『怖いリドゲート卿』の姿が遠ざかって行った事で安心したタイター氏とナイジェルは、プライス判事に向かって、口々に『負け犬の遠吠え』を述べ立てるのみ。


「権力者の横暴ッ!」


「社会革命! 造反有理! 強者打倒! 弱者救済!」


プライス判事は呆れた様子で二人を振り返り、『揺るぎようの無い現実』を指摘した。


「タイター氏が誓約書を書き、ライト嬢が署名したんだ。私の出る幕が、あったかね?」


そこへ、判事の部下代表のコナーが、パピィを見ていた部下と共にやって来た。


「判事さま! 子犬のパピィが、ただ今、カフスを排出しました!」


部下たちは、派手な粉末ペインティングを施されてモフモフの極彩色と化した毛玉と、その排泄物を包んだ手巾を示した。


タイター氏とナイジェルは、子犬のパピィの笑い顔と、その排泄物を目撃する羽目になった。


出来立てホヤホヤの排泄物の固まりの中から……見間違いようの無い、燦然とした輝きが現れる。


タイター氏とナイジェルは、ひたすら仰天だ。


「最高級のダイヤモンドじゃねぇか!」


「子犬のウンコから、何でダイヤモンドが出て来るんだよ!」


「話せば長くなる」


縷々、解説するプライス判事である。部下たちは、ニヤニヤと面白そうな笑みを浮かべていた。


「このチビの毛玉、復活祭の前には既にブツを発見しているんでな。お漏らししたのは、催涙弾のショックのせいに違いないな……」


*****


昼下がりの後半。辺りに、夕方の気配がたゆたう。


帰還の準備をしているクロフォードの馬車の脇では、虚ろな目をしたルシールが、まるで本物の幽霊のような顔色をして、植え込みの前に座り込んでいた。


マティが、馬車の後ろから首を伸ばして、その様子を心配そうに窺っている。


「ルシール、放心してる」


「ローズ・パーク相続の可能性が消えたんですよ、頭の整理も大変なのに違いない」


マティに応えて、若い御者が仕方無さそうに呟いた。



弁護士カーター氏が、各種の書類を改めつつ馬車に近付いて来た。早速マティが、カーター氏を呼び止める。


「ルシールの案件って、結局どうなってんの?」


「遺言書の内容は、これで全て終了……今回の案件も終わりました。案件に伴う、館への滞在も終了です」


カーター氏は暫し沈黙し、ルシールを眺めやった。


ルシールとギネスが、何やら会話を始めている。


――ルシール嬢は確かに絶望に打ちのめされたが、会話が出来る程度の冷静さは残っているらしい。


やがて、マティは馬車の御者席の隅に座り込み、戸惑ったように顔を伏せた。


「ルシールは、アシュコートに帰るのかな?」


「それは、彼女の自由ですが……ただ、彼女に関して、別の重大な案件が持ち上がりまして。この案件で、もう少しクロフォード伯爵領内に拘束させて頂く事になりましたので」


マティは再びパッと顔を上げて、目をきらめかせた。


「重大な案件?」


「目下、機密です。しかし、仕事とは言え……此処は悩むところですね」


カーター氏は思案顔でシルクハットを直し始めた。シルクハットを直した拍子に、胸ポケットの違和感に気付く。


「そうだ……あの親展の速達、まだ開封していなかった……」


――アシュコートから送付されて来た、特別な速達便。


カーター氏は手際よく、速達便を開封した。中の書類に素早く目を通す。


常に穏やかなポーカーフェイスを保っているカーター氏の顔には、押し隠せぬ驚愕の表情が浮かび始めた。


「これは……」


「何か古そうなお手紙っぽいね。アシュコート伯爵領、レイバントン発、特別速達便……?」


マティが興味津々な様子で首を伸ばし、文面をのぞき込んで来る。


――マティ少年は観察力が鋭い上に、勘が良すぎる。


カーター氏は、そそくさと書類を封筒に戻した。


「ああ、済みません、マティ様。目下、機密の案件に関わる内容なので……」


「ふーん、ケチ!」


マティはむくれ返って文句を言ったが、やはり、まだまだ子供だ。


カーター氏が心底ホッとした事に……程なくして、マティの興味関心は別の事に移って行った。


「マティ様の頭脳、とんでもないタイミングで秘密のベールを剥がしますからね……つい先だっても、どうやって、非公式かつ内密の打診というレベルの『リドゲート卿とダレット嬢の婚約』を察したんだか……しかも、閣下とクレイグ牧師様の言われるところによれば、いつの間にかルシール嬢にも伝わっていたとか……」


*****


クロフォードの馬車の準備が整った。


メイプル夫人はルシールと共に後部座席に落ち着くと、馬車窓から顔を出し、申し訳なさそうにパーカーに声をかけた。


「ルシール様が落ち着かれたら、またすぐに、お手伝いに戻りますから」


「こちらは大丈夫ですよ。アントン氏の事件の証言者としてのお勤めもあるんでしょ、しっかりお勤めして来てくださいね。私の店もギャングにやられていて、到底、人を泊められる状況じゃ無いですしね」


ギネスが、馬車内のマティに野太い声を浴びせる。


「よぉ、マティ坊主、お前もついにギャング抗争サバイバーだな。あの片目の怪物、ありゃ何なんだ、って破壊レベルだったしな。ギャング保険に入ってなきゃ、雑居ビルのオーナーも夜逃げしてたかも知れんな」


「ねぇねぇ、あとでヒマになったらさ、金属の溝の彫り方とか教えてくれるかい?」


「おぅよ」


マティとギネスは、「同志よ」と言わんばかりに、勇敢な男同士の握手を交わした。



カーター氏は、若い御者と共に、クロフォードの馬車の御者席に腰を下ろした。キアランは既に乗馬を済ませ、馬車の脇に控えている。


カーター氏は注意深く声を潜め、キアランに声を掛けた。


「館に戻ったら、ダレット家との対決ですから……リドゲート卿」


キアランは、いつものように、冷静沈着そのもののムッツリとした顔で、うなづいて見せたのだった。


*****


テンプルトンの町からクロフォード伯爵邸までの道のりは、馬車で一時間ほど。


既に昼下がりから夕方へと移り変わっている。周りの光景も、いつの間にか色合いを変えていた。


西の空に漂う雲は、次第に赤らみを帯びていく。一面の丘陵地帯も、緑色と金色とが入り交ざる、詩的幻想を思わせる輝きと色彩を見せ始めた。


しかし、ルシールはボンヤリとしたまま、車窓の外の光景には目を向けようとしなかった……


いつしか。


ルシールは馬車に揺られながら、ギネスとの会話の内容を思い返していた。


――馬車に乗る少し前。


ギネスは、アメジストのブローチをチェックしつつ、グッと眉根を寄せていた。


『少し壊れてんな』


『……え?』


『この部分の留めがなぁ』


怪訝そうに首を傾げるギネス。


『頑丈な部分だから壊れにくい筈なんだが……もしかしたら、身代わりになった、のかも知れねぇな』


ルシールは、ボンヤリと、その部分を眺めるのみだった。


『少し預かるが良いか? お詫びと言っちゃなんだが、優先で修理しておくぜ』


『有難うございます。よろしくお願いいたします……』



……馬車がガタンと揺れ、そこで、ルシールの回想は打ち切られた。


そっと溜息をつく。


(頑張ってはみたけれど、アメジストのブローチしか残らなかった。まるで、25年前の母のように……)

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