テンプルトン町…惑乱果つる処(前)
――片目の戦斧使いが――あの巨体の怪物が――倒れた!
プライス判事の部下たちは、揃って愕然としたまま、固まっていた。
部下代表のコナーが、いち早く気を取り直し、口ごもりながらも指令を飛ばす。
「み、身柄……、確保しろ!」
「イエッサー!」
部下たちは、その聞き慣れた指令に、一斉に反応した。
数人がかりで、路上に倒れ伏した片目の戦斧使いの巨体に取り付く。数人が片目の巨体を仰向けにしている間、別の数人が、運搬のための板を運び出して来た。
此処まで来ると、普段からの訓練のお蔭もあり、作業スピードが一段と上がる。
片目の巨人は、我が身に起こっている事が分かっているのかいないのか、異様な程に大人しい。その異常性に、作業中の何人かが、遅ればせながら気が付いた。
片目の巨人を運搬用の板に縛り付け、全身をシッカリと拘束する。その過程で、異常性に気付いていた勇気ある部下の一人が、片目の巨人の身体に触れ、チェックし始めた。そこには明らかな兆候がある――驚きの余り、息を呑む。
「げッ、何ヶ所も骨を折ってる……」
「……え!?」
その指摘にビックリした別の部下たちが、愕然とするままに、一斉に片目の巨人の身体をまさぐった。
片目の巨人はうめき声を上げはしたものの、それ程、激しい抵抗はして来なかった。出来ない状態だったのだ。
巨体に伴うだけの体重。圧倒的な筋肉パワー。それらの凄まじい身体能力を支える、骨格。
その骨格の要所、ほぼ全てに渡って、はなはだしい粉砕骨折が起きていた。手の骨、肩の骨、それに大腿骨を始めとする両脚の各所、その他――片目の巨人は、ほぼ身動き不可能と言って良い程のダメージを受けていたのだ。
片目の巨人は、全身を貫く激痛に顔を歪ませながらも、大声で敵を呼ばわった。
「戻って来いッ! 俺と勝負しろ、グレンヴィル!」
しかし当のキアランの方は、既にそこには居なかった。マティとルシールの姿を求めて、破壊し尽くされた工房の中に飛び込んでおり、それどころでは無かったのだ。工房の主であるギネスも、キアランの後に続いていた。
工房の中は、極彩色の粉塵が立ち込めた異様な空気で、薄暗くなっている。
ギネスが早速、肌身離さず持ち歩いているマスターキーで、心当たりのある戸棚の鍵を開けた。
「大丈夫かよ、メイばあさん!」
メイプル夫人は幸いな事に、密封された戸棚の中に居たため、マティの小箱の爆発の影響は、ほとんど受けていなかった。キョトンとした様子で、いささかピントのズレた疑問を口にするばかりである。
「爆弾とか言っていたようだけど、トウガラシじゃ無いの? これ」
キアランは手際よく瓦礫の中からルシールを掘り出すと、あっと言う間に腕の中に抱き上げ、外へと運び出した。
「ふぁたし、あふけ、ふあ、……ヒャックション!」
クシャミ混じりの鼻声涙声だ。ルシールの言葉は意味を成していない。
様々な種類の粉塵が、身体全体にビッシリ張り付いている。口元には鼻血が飛び散っており、口の端からは、口を切った時の血がまだ流れていた。
いずれ青あざになるだろう打ち身も、顔の各所にある。刺激性の涙が止まらず、埃だらけになった頬に幾つもの涙の筋を付けているという散々な有り様である。
マティの方は、この混沌の発明者・張本人にしてイタズラの仕掛人という事もあり、中身の暴走に対する初動対応が出来ていた分、症状はずっと軽い状態だった。賢くも自分やルシールの手荷物を忘れておらず、ちゃっかりと持ち出して、キアランの後を付いて行く。
「ハックション……! こりゃすごい。早くしませんと。裏の仕切りも開けて換気しませんとね」
後から来たパーカーは、刺激の強いピリピリとした空気に咳き込みながらも、あちこちのドアや仕切りを次々に開けていった。ギネスとメイプル夫人も、工房の中を走り回りながら、換気の作業を進めていく。
換気が進んで次第に空気が澄んで行き、見通しが良くなって来た工房である。
タイター氏は、トウガラシやカラシの粉で、すっかり目や鼻が利かなくなっていた。クシャミ混じりの鼻声で叫びながら、床の上を転げ回っている。
「ギャアア! 何か怪物が居るぞお! 毛だらけの、爪のある……」
プライス判事や部下がタイター氏の傍にやって来て、『怪物』の姿に目を丸くした。
「パピィ君が、じゃれてるだけだろう」
プライス判事は首を振り振り、呆れながらも、モフモフしている毛玉を、タイター氏から引き剥がした。
赤や黄色や、その他の様々な粉塵がビッシリと張り付いており、凄まじい色合いの、正体不明の毛玉になっている。
「それにしても、パピィは何処から混ざって来たんだ?」
「ギャフンッ☆」
図らずも『ギャング団のボスを取り押さえる』という一番の大手柄を立てる形となったパピィは、得意そうな顔つきをしながら、勝鬨の一鳴きをした。
――ただし、鼻声で。
*****
マティとルシールは早速、近所から運ばれて来た新しい水で、目や鼻を洗い始めた。
キアランは傍に居て、新しいリネンタオルをその都度、二人に差し出している。
「ルシールから目を離している場合ではありませんでした……申し訳ありません」
「い、一応、ヒック、無事ですから」
ルシールは鼻声になりながらも、何度もうなづいて答えた。
「涙と鼻水で、きっとひどい顔してるわ、恥ずかしい」
「直撃してねーし、ディナーまでには治ってると思うよ」
そう応じるマティの方は、盛大に水タライに栗色の頭を突っ込んでは流すと言う、『いかにも男っぽい』方法で、刺激物を洗い流していた。
マティとルシールは、二人とも、密閉された工房の中で濃厚な空気に取り巻かれたため、服や肌には、赤や黄色の粉が大いに付着していた。顔や肌に張り付いた刺激物を洗い流すだけで精一杯である。
髪の毛や服の隙間に付着した分については、風呂や洗濯で無いと落ちないため、館に戻ってから対応するしか無い。と言う訳で、埃だらけの上に極彩色の粉末ペイントを施したと言う風の、何とも言えない異様な格好に見えるのであった。
タイター氏は早くも、ナイジェルと共に、即席の移動型牢屋に拘束されていた。
「ふ、ふ、ふぅ……、ブアックション! フザケやがって! ヒックヴォン! 今頃、援軍が来ても遅いぞ!」
タイター氏は、付着した刺激物で顔を真っ赤にし、間断なくクシャミをしながらも、強がっている。
オムスビ顔の中央部には、マティの小箱から飛び出して来た『謎の手』の手形が、いっそう真っ赤な痕跡となって、バッチリと残っていた。
「俺を無視するな! グレンヴィル!」
タイター氏とナイジェルが拘束されている即席の移動型牢屋の傍で、そのように喚くのは、運搬のための板に拘束されている片目の巨人だ。全身を縛り付けられ、もはや脅威では無くなった片目の巨人は、すっかり無視されていた。
プライス判事は改めて、涙や鼻水、咳やクシャミの止まらないギャングたちを眺めた。
哀れなギャングたちは砂漠の中の行き倒れさながらに、新鮮な水を溜めたタライに頭を突っ込んでは、刺激物を洗い流している。
「それにしても、あの凄まじい催涙弾は、一体、何なんだ?」
「想像以上に大爆発したな……アラシアへの仕返しのためだったけどさ」
判事に問われたマティは、リネンタオルを頭からかぶりながらも、ケロリとした顔で解説したのだった。
「アラシアへの仕返しだと?」
「名付けて、カンシャク・バクハツ・ボックス!」
「変な物、発明するんだな」
マティの返答に呆れ返っているプライス判事の後ろでは、部下代表のコナーが口を引きつらせながら、バネ仕掛けだらけの『謎の小箱』を恐る恐る持ち上げていた。その周りを、いささか青ざめている他の部下たちが、遠巻きにして囲んでいる。
中身をすっかり吐き出し切ったマティの小箱は、今は何の影響も無かったのだが、その緻密かつ謎めいたバネ仕掛けは、余人には読み解けない程の複雑さだ。そして、とりわけ大きなバネの上で不気味に揺ら揺らしている『謎の手』は、『まだ何かあるのでは』と警戒を抱かせるに充分な代物であった。
*****
即席の移動型牢屋――鎖を掛けられた小型馬車の中では、タイター氏とナイジェルの言い争いが始まっていた。
「あの大声はマズイじゃ無いか! アントンやら何やら! 調書にシッカリ取られてたぞ!」
「貴様の場合は、アシュコートのセクハラ訴訟や、結婚詐欺訴訟を何とかするのが最優先だろう! 我が甥ながら、情けないッ!」
何とか甥の抗議を押し返したタイター氏は、皆に見えるように、一枚の文書を高々と掲げて見せた。
「やあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ……新しい誓約書は、まさに此処だ! ルシール自筆サインだぞ!」
二人の弁護士、カーター氏とトマス氏は一瞬、驚いたように目を見張った。プロ意識溢れる二人は、すぐさま、タイター氏の提示する誓約書を受け取り、内容の確認を始める。
タイター氏は勝ち誇ったように、極彩色の粉末ペイントを施された太く短い腕を振り回した。
その後ろでは、勢いで飛び散ったカラシ&トウガラシの粉末を吸い込んだナイジェルが、盛んにクシャミをしている。
「しかと見るが良いぞ、弁護士どもよ! ルシールは既に! ローズ・パークの相続権を放棄してしまったのだッ!」
誓約書の内容を、しかと確認したカーター氏とトマス氏は、口々に驚きの声を上げた。
「何という事だ!」
「これは法的に有効で……」
若手弁護士トマス氏は、まだ信じられぬと言う面持ちで、依頼主タイター氏を振り返った。
「こんなに慌てて文書確定するとは思わなかったです……タイター様!」
「偉大なる尊大なるタイター様は、常に先回りするのだ!」
トマス氏は奇妙に口を引きつらせたまま、シルクハットの縁に手を掛けてカーター氏を振り返った。カーター氏も同様に、トマス氏に向かって、無言でシルクハットの縁に手を掛け、うなづいて見せる。
二人の弁護士は、改めて威儀を正すと、おもむろに、タイター氏とルシールに向き直った。
「いよいよ法的決着の時だ! 天も御照覧あれ、我が完璧なる勝利を……!」
既に勝利を確信しているタイター氏は、ハンカチで鼻を挟んだままポカンとしているナイジェルを脇に放り、いそいそと小型馬車の窓際に寄る。
ルシールは、破れた袖を見苦しくないようにリネンタオルで覆うと、小型馬車のやや脇の辺りに佇んだ。そこに、興味津々と言った様子のマティが、ピッタリくっ付いて来る。
(脅迫されて無理矢理にサインさせられた形だし、その辺りの合理的配慮には、期待しても良いのかしら?)
ルシールは、不安交じりの期待を抱きながら、二人の弁護士を注目した。




