テンプルトン町…乾坤一擲の大勝負(後)
激怒の止まらぬタイター氏は、マティの『謎の小箱』をガッチリと抱え、マティを指差した。
「おいッ、片目の怪物!」
片目の巨人は、タイター氏の意図を正確に察知した。不気味な片目が、マティを捉える。
マティは、恐るべき危機を悟ってギョッとした顔になり、一歩、後ずさった。
「このクソガキの首をかっ切れッ! 悲鳴が長続きするように、ジワジワと!」
タイター氏は遂に、その暴力性を爆発させたのであった。片目の巨人は手際良くマティを捕まえると、悲鳴を上げて暴れるマティを、ルシールの隣に持って来た。
「うわああぁぁ! 何すんだよ!」
半分だけ辛うじて残っている、カウンターテーブルの天板の上。
もがき続けているマティの上半身が、巨人の手によって、うつ伏せに押さえ付けられた。カウンターテーブルにしがみついていたルシールは、信じられない思いで、目の前の光景を呆然と見守るばかりであった。
ルシールが呆然としている間にも。
片目の巨人は、うつ伏せになったマティの首に、ゆっくりと巨大な戦斧の刃を当てた。ゾッとするような巨大な刃が、マティの小さな首に触れ、その薄皮一枚を刻み、ジワジワと沈み込んでゆく。
ルシールは極限まで青ざめた。
無我夢中で、天板の上にふんぞり返っているタイター氏の足首に取りすがる。
「待って下さい、署名します!」
それこそが、まさにタイター氏の望む瞬間であった。
「では待ってやる、早く署名しろ!」
マティの首筋に沈み続けていた、巨大な戦斧の刃が止まる。
一人の手下が、タイター氏の合図に応じ、文書と羽ペンを持って来た。
ルシールの目の前に、文書が置かれた。続いて、既にインクが入っている羽ペンがセットされる。
相続放棄を宣言する誓約書だ。そこに記されていた文面は、極めて簡潔で直接的な物だった。
『ローズ・パークの相続放棄に関する誓約書』
『この私、アイリス・ライトが娘ルシールは、この誓約書により、ローズ・パーク庭園のオーナー権について、ライト家『子孫』の名をもって、この相続権を永久に放棄することを誓約いたします』
明らかにタイター氏の筆跡だ。大いに気取って記された物らしく、以前の脅迫状のような乱暴な文字では無い。
脅迫状の物と同様、クセの強いいびつな筆跡ではあるものの、タイター氏は、かつては確かに名家ビリントン家の御曹司だったのであり、現在はビリントン家の当主なのだという事実を、より感じさせる文字になっている。
――マティの命には、代えられない。
羽ペンを取ったルシールの手は、もはや震えていなかった。
ルシールは鼻と口元から流れる血をぬぐうと、息を詰めて、誓約書に向かう。
神聖とすら言える、ひとときの静寂が落ちた。
直接には見えていなくても、羽ペンが紙の上を滑る音をシッカリと捉えているのであろう。巨人の手によってうつ伏せに押さえ付けられているマティは、すっかり抵抗を止めており、不思議なまでに大人しい。
――『ルシール・ライト、本人署名』
署名を済ませた誓約書を、無言で差し出す。
タイター氏は気取っているのか、意外な程に丁重な手つきで、誓約書を受け取った。
「――良し! 解放しろ!」
タイター氏の命令に応じて、片目の巨人は戦斧を引き、手を放した。
そして――遂にマティは、死の淵から解放されたのであった。
タイター氏は、一度、二度、と署名入りの誓約書を確認し、得意満面で高笑いを始めた。
「ハハハッ! これで、ルシールは用済み……! 偉大なる尊大なるタイター様は、また勝利を収めた!」
そうしている間にも、マティは大急ぎでカウンターテーブルから降り、ルシールにしがみついた。マティとルシールは言葉を詰まらせたまま、お互いの無事を確かめるべく抱き合った。
一方、笑いの止まらぬタイター氏は、勝利に酔うままに、抱えていた『謎の小箱』を手前に持ち直した。
「おっと! その前に! こんなフザケた小箱が爆弾の筈が無い! ハハッ! 神童と言っても、ガキの傑作じゃ、こんな物よ!」
タイター氏が持っている、マティお手製の小箱。それは意外に簡素な小箱であり、絵本に出て来る海賊の宝箱を模したオモチャにも見える。
「裕福なトッド家、お宝の程も」
タイター氏は、その目に欲望と期待の色をみなぎらせて、『謎の小箱』のフタに手を掛けた。
箱のフタが開いた音にハッと息を呑み、信じられないと言う顔で振り返るマティ。
そして、マティの小箱は、遂に大爆発したのであった!
最初の洗礼は閃光弾である。
いきなり閃いた強烈なフラッシュと煙に取り巻かれ、タイター以下、ギャング全員が目が眩み、或いは叫び声を上げながら目を塞いだ。ルシールは、閃光弾の爆発の衝撃で、マティもろとも後ろに吹っ飛んだ。
次に来たのはビックリ箱の攻撃である。
小箱の持ち主の顔、即ち小箱をのぞき込んでいたタイター氏の顔を、バネ仕掛けの『謎の手』が捕らえた。プロレスラーの渾身の一撃に等しい程の強烈なバネの衝撃を食らい、一瞬、『謎の手』を顔面に張り付かせたまま宙に浮かぶタイター氏である。
小箱の攻撃は、なおも続いた。次に飛び出したのは、大量の煙幕弾だ。
バネ仕掛けによる連鎖爆発シリーズだ。永遠に弾け続けるかと思われる程の長々とした煙幕弾シリーズは、大量の煙を撒き散らした。狭い工房の中が瞬く間に煙で充満し、一気に暗くなる。
まさか此処まで長続きする連鎖爆発とは、全くの想定外だ。すっかり油断していたギャングたちは、有効な手段を取るチャンスを失ったまま、煙にむせ、咳き込んだ。
凶悪な小箱の攻撃は、更に続いた。
小箱の中には、なおも大量のバネ仕掛けが仕込まれていた。一つ一つのバネに丹念に取り付けられたパチンコの仕掛けが、謎の小玉を、散弾銃さながらに四方八方へと打ち出した。空中に散らばった謎の小玉は、ミニ打ち上げ花火よろしく次々に破裂し、赤や黄色やオレンジと言った極彩色の粉末を、止め処も無く撒き散らした。
極彩色の微粒子で出来た、超高速・連続打ち上げ花火のような光景は、その後も続いた。工房内部の空気が、赤、黄色、オレンジ、茶色、灰色、その他様々が入り交ざった、異様な色に染まっていく。
ギャングたちは、煙幕弾に由来する煙にむせた結果、新鮮な空気を吸おうとして、異様な色に染まった空気を大量に吸う羽目になっていた。
ギャングたちは揃って、苦痛の叫びを上げた。異様な色に染まっている空気を吸い込んだ瞬間、目、鼻、喉、あらゆる粘膜への強烈な刺激が始まったのだ。
「涙が! 鼻水が!」
「カラシの粉とトウガラシ……!」
「クシャミが止まらねえ」
ギャングたちは、涙声だか鼻声だか分からない悲惨な声で、口々に症状を訴える。そのうち、一人が賢くも叫んだ。
「カーテンを! ドアを開けろッ、外の空気を……!」
片目の巨人が目と鼻を巧みに覆いながら巨大な戦斧を振り回し、カウンターやドアを粉々に破壊して、脱出口を開いた。
ほぼ全面的に破壊された工房の入り口から、ギャングたちが転げ出す。
そして、そこでは、プライス判事の手勢が厳重に包囲し、待ち構えていた。
「袋のネズミだ! 一網打尽にせよ!」
タイター氏の手下たちは、既に刺激性の涙と鼻水にまみれており、喉もヒリヒリして、満足に叫ぶ事すら出来ない。連続クシャミの方に忙しかった事もあって、大した抵抗も出来ず、次々に捕縛されて行った。
だが、ただ一人、片目の巨人は、マティの小箱の爆発に対する巧みな防衛の甲斐あって、症状は軽かった。巨大な戦斧を振り回し、武装役人を一歩も近付けない。
プライス判事の部下たちは恐れを成して、次第に遠巻きになった。
「大男に気を付けろ! あの斧はヤバイぞ!」
武装役人たちによる包囲を破りつつあった片目の巨人は、退路を断つべく第一線に出て来たキアランと、正面から対峙する形になった。
巨大な戦斧が横切った瞬間、刃の衝撃と風圧で、キアランのシルクハットが吹っ飛ぶ。
明るみに出たその人相を認めた片目の巨人は、凄まじい因縁を込めて、耳まで裂けるかと思われる不気味な笑みを浮かべた。
「グレンヴィル……!」
片目の巨人は、一撃必殺の意志を込めて、巨大な戦斧を振るった。
「死ね……!」
キアランは特製のステッキを斜めに持ち、鋭い身のこなしで巨大な刃を受け流す。
金属が衝突し、音をたてながら、こすれ合う。
一瞬のタイミングを逃さず、ステッキが方向を変えた。
ステッキは、一撃必殺の勢いで振り下ろされた巨大な刃の勢いを、そのまま斜めへと流しながら、その一瞬、刃の運動にねじれを与える。
運動のねじれの中で、巨大な質量に掛かる重力と回転運動に伴う遠心力とが合流した。
そして、戦斧がもぎ取られていった。
「……!?」
目をカッと見開く片目の巨人。余りにも有り得ぬ事態に、一瞬、呆然とする。
巨大な戦斧は今や、人の手の届かぬ空中を舞っていた。
キアランが片目の巨人の脇をすり抜けて行く。その瞬間、キアランのステッキが、目にも留まらぬスピードでうなりを上げた。
片目の巨人の動体視力は、確かにその一部分の動きを捉えていたのだが、片目の巨人――自身には、何が起こったのか分からないままだった。実際に片目の巨人が感じたのは、身体の数ヶ所を順番に襲った、説明のつかない痛みだけだ。
わずか、数瞬の後。
片目の巨人とキアランは、数歩ほど行き違った結果、お互いを背にして、位置を入れ替えていた。
呆然とする複数の目撃者の前で。
持ち主を失った巨大な戦斧が、ガランと音を立てて路上に倒れる。
片目の巨人は、まだ信じられないと言わんばかりの表情を浮かべたまま、その後を追うように、ゆっくりと倒れていく。続いて、巨体が地面に倒れ伏した証の、鈍く重い衝突音が響き渡った。
既に勝利を知っていたキアランは、実にあっさりと、残心の構えを取るのみである。
――数秒の沈黙。
目をパチクリさせるギネス。並んだパーカーも、何が起きたのか分からないと言った様子で口をポカンと開けていた。即席の移動牢屋の中のナイジェルは、ただ驚愕するのみだ。
「何なんだ? 何か一瞬で」
「え? え?」
「な、何が起きたんだ?」
「肩を斬ったと思うけど、他は分からんです」
若い御者も、余り役に立たない解説を口にするばかりだ。
プライス判事は、驚愕と安堵が入り交ざった表情で、口を引きつらせていた。
「……シンクレア家、直伝の剣術……!」
*****
なおも異様な色の空気が淀む工房の中は、ほぼ瓦礫の山と化していた。
爆発の拍子に吹っ飛んだルシールは、半分失神したまま瓦礫の中に埋まっている。
マティは瓦礫の中からルシールを掘り出しながらも、片目の巨人がいつの間にか倒されていた事に気付き、唖然とするのみであった。




