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花の影を慕いて  作者: 深森
第七章 時の娘
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テンプルトン町…薔薇の名前(後)

折り良く、ギネスの工房にやって来る人があった。


ギネスの工房の隣にある店舗から、チョコチョコと出て来た人物だった。見てみると、ぽっちゃりとした小柄な老婦人である。頭は白髪で真っ白だ。老婦人は、地味ではあるが清潔な服装に身を包み、手には重そうなヤカンを持っていた。


「お茶持って来ましたよ、ギネスさん。あらま……お客さんですか?」


ギネスは、チョコチョコとやって来た小柄な老婦人を振り返ると、工房の中を指し示して見せた。


「私の駆け出しの頃の作品を持って訪ねて来たんだ。20年以上も前のヤツだが、状態良好でな……ムゲにする訳にもいかんし」


「まあまあ……、それじゃ、作者冥利に尽きますね」


ぽっちゃりとした小柄な老婦人は、にこやかに微笑んで理解を見せ、何度もうなづいていた。


ギネスは老婦人と若い御者を工房の中に招くと、マティとルシールにも声を掛ける。


「隣のばあさんのお茶は美味いぞ、ちょっと飲んでけ」


「まッ、可愛い坊ちゃま! お菓子もあるのよ」


ぽっちゃりとした小柄な老婦人は、サッと振り返ったマティを認め、楽しそうに笑い掛けた。そしてルシールを見て目をパチクリさせ、今度は感心し始めたのであった。


「まあ、綺麗な娘さんねえ」


「お手伝い致します」


ルシールは何とか気を取り直すと、薄く微笑んで一礼し、老婦人が持っている重そうなヤカンに手を伸ばした。


真昼に程近い、まばゆい陽射しが工房の中まで差し込んでいる……


老婦人は、ルシールを見直し、そして再び見直した。


ヤカンを受け渡した拍子に、ルシールの前髪が分かれている。


光が入ったルシールの目は……美しいアメジスト色。


「アイリス様……」


老婦人は呆然としたように呟き、気を失ってゆっくりと後方へ倒れて行った。


ギネスと御者がギョッとした顔になり、シュバッと飛んで行く。


「こんな所で失神するな、ばあさん!」


「何が何だか……このお婆ちゃん、一体、誰です?」


マティが老婦人の片手を捕まえ、若い御者が弾かれたように駆け寄って腕を差し伸べ、ギネスが両手を突き出して、すんでのところで老婦人を支えた。


ルシールは、熱いお湯で一杯のヤカンを持っていて動けなかった。従って、仰天しながらも手を出せずに居たのだった。


ギネスは工房の奥に駆け込むと、その辺の椅子を適当に引っ張って来た。


若い御者の手を借りて、グッタリとなった老婦人を座らせる。よっぽど驚き慌てたのか、どもりながらも、早口で説明している。


「隣の庭園道具店のメイばあさんだよ、臨時雇いの店番だ……元・家政婦だが、三ヶ月前に急に失業したとか……不景気だしな」


やがて、椅子の上で老婦人が目をパチパチさせた。


「おッ、気付いたか」


ギネスがホッとしたように、老婦人の顔をのぞき込む。


老婦人は頭を起こし、驚愕の面持ちでルシールを見ていた。


工房の奥に移動したため、ルシールの目は茶色に戻っていたが――それでも、ルシールの顔から目が離せない様子だ。


「あの……?」


「ああ……、そんなバカな……アイリス様……」


老婦人は、ルシールの声にすら驚愕した様子で、震える手で口を覆っている。


マティの頭脳は、既に素晴らしい速さで回転していた。マティは早速、身を乗り出し、推理を披露する。


「ルシール・ママ、知ってるんだね。じいじも、幽霊を見たような顔をしてたんだよ」


「お嬢さんは、一体……?」


老婦人はルシールの姿をなおも眺めながら、呆然と疑問を口にしていた。


「私はアイリス・ライトの娘です」


「おぉ……」


ぽっちゃりとした小柄な老婦人は、更なるショックを受けた様子で、再び失神したのだった。


ギネスと御者は、ポカンとするのみだ。


「ありゃ」


「こりゃ」


*****


やがて、再び老婦人が気が付いたところで、互いの事情の説明が交わされた。


ルシールは呆然として、ぽっちゃりとした小柄な老婦人を眺めるのみであった。



――元ライト家の家政婦だった、メイプル夫人――何と言う偶然……!



ギネスも御者も、マティやルシールと共にカウンターの周りでお茶を頂きつつ、驚愕の面持ちで老婦人を眺めていた。ギネスにしても、老婦人とは三ヶ月未満の付き合いでしか無く、それ程、詳しい事情を知っていた訳では無かったのだ。


「……それじゃあ、ばあさんが勤めてた家と言うのは、三ヶ月前に急に死亡したとか言う、ローズ・パークのオーナーの一人、アントン老の家だったのかい……」


ギネスの呟きに、老婦人メイプル夫人はうなづいた。


「アントン様もアイリス様も庭園道具店の常連で、よくお供したので、店主とは昔から顔見知りで……その縁で置いて頂いてたんです。店主は、トッド家の海外出張のお供で、復活祭の直後から不在なので、その間の留守も預かってて……」


ギネスは、まだら模様の記憶を整理するかのように、黒いボサボサ頭をガシガシと掻きむしった。


「愉快な噂のトッド家か? 都も回って来るとか……そろそろ、帰ってる頃だよな?」


「そう、主人のトッド夫妻はまだだけど、先行の荷物は到着済み……本当に変てこな記憶パターンがあるんですねえ」


クロフォードの馬車の若い御者が、タイミング良く合いの手を入れた。そして最後は、ギネスの不思議な脳みそに感心しているのであった。


メイプル夫人は再びルシールの方を振り返り、アイリスに良く似た面差しを長々と眺めた。


「アイリス様が、あの頃、妊娠してらしたなんて……そうと知ってみれば、色々と納得する事が……」


マティがカウンターに身を乗り出し、毎度のように的確な質問を投げた。


「謎の恋人のローリン氏について、聞いた事はある?」


「お名前だけは聞いていたけど、私は彼に会った事は無いのよ。夏の終わりの頃、九月だったかしら? 秘密結婚の話が出ていたけど……それだけで……」


メイプル夫人は戸惑ったように、頬に手を当てた。


しかし、それは重要な指摘であった。呆然とするルシールの横で、マティは目を見開きながらも、最も重要な要点を口にした。


「秘密結婚……! 二人で駆け落ちしたって事……!?」


「駆け落ちとは、ちょっと違うわね。『状況が落ち着くまで公表しない』と言うだけの事で。タイター氏の付きまといが、深刻だったし」


メイプル夫人は暫し小首を傾げていたが、やがて、ピンと来た様子で再び口を開いた。


「あの頃で唯一思い当たるのは、確か、二泊三日で……トワイライト・グリーン・ヒルに旅行してた事が……」


「ああ……そりゃ、ダグラス家の昔の地所じゃ無いですか」


御者が早くも指摘した。クロフォードの馬車の御者だけあって、クロフォード伯爵領内の地理には詳しい。


「あ……そうだ! じいじが昔、担当してたって言う教区のとこだ!」


マティが、ハッとしたように頭に手をやった。


メイプル夫人の方は、回想モードに入ったせいか、ノンビリした様子だ。


「そうなの? この辺りじゃ、観光地と言う認識だけど。同期の女友達との数ヶ月に一回くらいの、いつもの旅行だと言う話だったから、あのタイター氏もストーカーはしてなかったけど……」


そこでメイプル夫人は、ちょっと首を傾げた。


「考えてみれば、ご帰宅の時はお一人だったわ。もしかしたら、デイジー様……ウォード夫人も、口裏を合わせていたのかしら?」


ルシールは震えるような思いで、母親の最後の言葉を思い返していた。


――あの日、夕暮れの緑の丘の上で――『トワイライト・グリーン・ヒル』の上で。


――最後の謎のうわ言は、地名だったのだ……!


驚くべき新たな事実の浮上に、ルシールは、ただ呆然とするのみだった。


――まだ確証は持てないけれど、そこで結婚指輪を交わしたのでは無いか……!?


やがて、メイプル夫人は眉根を寄せ、頭の上に疑問符を浮かべ始めた。


「……でも、恋人と一緒に居たとは、とても思えないわ。アイリス様はご帰宅の時、何だか、すごく暗くて疲れた顔してらしたから……」


「すごく暗くて疲れた顔?」


ルシールは困惑しながらも、オウム返しに聞き返した。


ギネスは、客の人相を忘れているとは言え、自分が制作したブローチにまつわる人物の運命については、気になってしまう。ギネスはノッソリと口を挟んだ。


「続きの話を聞きたいのは、山々だが……新しい宝飾デザイン図面が完成していて、早く店に送らねえと……急ぎの仕事でな」


ギネスは製図台から図面を取り上げ、手際よくクルクルと巻いた。


「カフス石をイヤリングに作り直すってヤツなんだ」


「忙しいとか言ってたのは、そう言う訳でありますか」


御者も、納得した様子でうなづいている。ギネスの最初の大声は通りの端まで響いていた事もあって、御者は、それをシッカリと耳に入れていたのだ。


若い御者は、通りに出ようとするギネスを追いかけ、再び声を掛けた。


「馬車で行けば早いですよね! 今、出しますよ」


「おぉ。そりゃ助かる」


ギネスはその申し出に、有り難く乗る事にした。



工房を含む中小ストリートから出る交差点の一角が幅広くなっており、そこが駐車場を兼ねている広場になっている。


「それじゃあ、メイばあさん、工房の留守番もよろしく頼むぜ」


「お安い御用でございますよ。往復20分も無いでしょ」


馬車に乗ったギネスと、通りで見送るメイプル夫人の間で、了解が交わされた。


そして、ルシールとメイプル夫人とマティの三人は、テンプルトン中央に向かって足早に駆けて行く馬車を見送った。


「――ダレットの鬼婆の注文だったんだ」


マティは、フンッと鼻を鳴らした。メイプル夫人はキョトンとしてマティ少年を振り返った。


「ダレットの鬼婆? 確かにダレット夫人は、ご大層な方らしいけど……」


「鬼婆ってのは、20歳になる娘の事さッ!」


ルシールは、曖昧な苦笑を浮かべるしか無い。


メイプル夫人も、最初の頃のルシールと同じように、『年齢からいってダレット夫人の事であろう』と思い付いていたようだ。マティは、毎度の意味深な様子でサッと振り返り、それを訂正したのだった。

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