テンプルトン町…歳月と行跡と(後)
キアランとマティとルシールを乗せたクロフォードの馬車は、尋常に館を出発し、快速で走り続けた。
馬車は、あっと言う間にクロフォードの町に到達した。メインストリートを走る他の馬車をかわしながらも、役所が並ぶ通りを経由して、クロス・タウンとテンプルトンに通じる国道へと入って行く。
先日の嵐が運んで来た大量の水分は、丘の上に広がる草原を一斉に活気づかせていた。馬車の窓の外には、青空の下、まばゆいばかりに輝く緑の丘陵地帯が広がっている。
「……『F&F』の事は知らなかったので、クレイグ殿に少し聞いておきました」
キアランは馬車の中で、向かい側に並んで座っているマティとルシールに向かって、おもむろに語り出した。
「知る人ぞ知る老舗ですね。トッド家も、古くからの顧客だとか。正確には、クレイグ殿の娘の現トッド夫人が」
「ママの首飾りの古いのが、『F&F』だ!」
マティは目をパチクリさせていた。
「一番古い首飾りは、じいじと伯父さん二人から誕生日にもらった物だって……『F&F』って、暗号かなと思ってたよ」
「伯父さん二人?」
「ママの従兄弟だよ……その後で先代伯爵と今の伯爵になってる」
――すっかり忘れてたわ。
ルシールは改めて、マティ・トッドがクロフォード伯爵家の親族――即ち、地元における名家中の名家の御曹司だと言う事実を、しっかりと胸に刻んだのだった。
マティが、その身分の割に普通の少年に見えるのは、おそらく、マティ自身の人徳(?)の故なのに違いない。
暫く戸惑っていたルシールは、やがてキアランの視線に気付き、ふと面を上げた。
先刻から、キアランはずっとルシールの事を注目していた様子だ。
ルシールは不意に顔を赤らめ、顔を伏せて口ごもりながらも、呟いた。
「昨日……じゃ無くて、一昨日は……、色々誤解を申し上げて済みません」
「――誤解?」
キアランは瞬きした。
注意を向けていると、自然にそのような表情になるのであろう、黒く鋭利な刃物を思わせる強い眼差しは、最初の頃と変わらない。しかし、キアランの性質について、以前よりはずっと理解できるようになっていたルシールは、今は、余り恐怖は感じなかった。
それでも、モジモジと目を伏せ、ボソボソと呟くルシールである。
「ダレット家の事情とか……、グレンヴィル夫妻の事とか……」
キアランは無言で、ルシールをじっと見ていた……やがて、口を開く。
「後日、改めて説明する予定でしたが。誰かから聞いて、事情は了解した……と言う事ですか?」
「その……ベル夫人に、色々と……」
「――成る程」
そう呟くと、キアランは暫し沈黙した。思案顔で馬車窓の外に目をやる。
暫し沈黙が続いた。
キアランは再びルシールを見つめ……かすかに笑みを浮かべた。
「――あの申し出はまだ有効ですから、検討して頂ければ幸いです」
ルシールは思わず返事に詰まり、真っ赤になって在らぬ方に顔を背けてしまった。
*****
居たたまれないと言うよりは――喉の奥に大きな物がつかえたような気持ちの方が大きい。
昨夜のディナーの前、大広間で、アラシアにそそのかされたダレット夫妻と、一触即発の事態になった時。
そこに入ったキアランのガードと、その後に贈られた敬意の口づけの意味に、気付かなかった訳では無い。
だが、ときめきを感じる反面――『名誉の問題の紛糾』に直結するアラシアの発言内容を思い返すにつけ、『本当の答え』を聞いたら終わりだと言う、矛盾した恐れがある。
アラシアの発言内容に同意するつもりは無いが、今のルシールには、『レオポルドの私生児かも知れない』というゴシップ爆弾の他には、社会的な名誉や価値になるような物は、何も無いのだ。ダレット一家の影響力は、見える以上に大きい物の筈だ。まかり間違えば、キアランの方が、クロフォード伯爵家の後継者の座から弾かれてしまうのでは無いか。
キアランが、レオポルドのように女性を弄ぶような人物では無いという事は承知はしているものの、ルシールには、もう一歩踏み出せるような余裕は、全く残っていなかった。
頭の中がグルグルして、肝心な事について聞きたいけれど聞けない……
(ベル夫人の話を考えてみると、リドゲート卿はレオポルド殿に対して、一言では言い尽くせぬ複雑なモヤモヤを抱いている筈。確率的に、私がレオポルド殿の非公認の娘という事は有り得るけれど、それでも――?)
*****
マティは不思議そうな顔をして、しげしげとルシールを眺めていた。マティの目から見ると、ルシールの反応は迷走しているように見えるのだ。
そして、何も知らないマティは、ズバリと要点を聞いたのだった。
「申し出って、何の話?」
ルシールは真っ赤になったまま、口をつぐむのみ。
キアランは、背もたれに背を預け、くつろいだ格好になった。
「いつか聞こうと思っていたんだが。マティは、何処でルシールの目がアメジストだと分かったんだ?」
「ルシールが来た次の日に、パピィを取りに行っててさ」
得意そうに目をきらめかせるマティである。
「あの部屋のバルコニー?」
「あの日ってば、夜中ずっと嵐だったんだぜ。夕方の遅い頃に馬車がやって来て、ルシールが降りて来るのは見たけど、あの部屋だとは思わなかったんで、おッたまげたぜ。考えてみりゃ、ダレット家は西翼に居たんだから、納得だけどさ」
「確かに西翼はダレット家の占有だったが」
「あの部屋のバルコニーは東向きなんだ……朝の光が、浅い角度で入る」
「……成る程」
キアランは感心した。部屋割りにおける必然の結果だったとは言え、実に驚くべき偶然だ。
「後で、大広間で茶色の目を見た時は、ホント目を疑ったよ」
「それは分かる」
マティの感慨深げなコメントに、キアランも同意してうなづいたのだった。
*****
談笑しているうちに、馬車はいつの間にかテンプルトン中央のロータリーに到着していた。
「到着ですよ、最初は古着屋ですよね!」
若い御者の確認に、キアランは何を思ったか、別の場所を指定した。
「角の『ローズ・テイラーズ』へ回してくれ」
「了解です」
御者は了解し、馬車を速やかに角の方向へ向けた。
『ローズ・テイラーズ』はメインストリートの角にある。ダレット一家も毎回ショッピングに立ち寄る、高級仕立て屋の店である。立派な店構えを誇る店舗だ。
中に入ってみると、首都圏の最新流行を取り入れた、数々のファッショナブルなドレスを着たトルソーが並んでいる。シルクやベルベット、様々なプリントが施された高級モスリンといった高価な布地も、ズラリと陳列されていた。
客層は、地元の名士クラスの紳士淑女がほとんどだ。ド・ラ・リッチ家のように、クロフォード伯爵領に居を定めている大貴族の係累といった顧客も、チラホラと来ている模様だ。
ルシールは目を丸くした。腰も引けている。
「新品のドレスの予算は無いわ!」
「館に戻る時に説明しますが、あなたはアラシアを追及し告発する事になっているんですよ」
キアランは、ルシールの慎ましい抗議には、取り合わなかった。
ルシールは初来客であった。早くも女性従業員に囲まれ、採寸室へと連行され、身体のサイズが取られてゆく。
マティは顔見知りの従業員に注文し始めた。
「ディナードレスは超特急で……支払いは、こちらが持つから」
マティと顔見知りの男性従業員が布地を選びつつ、にこやかな営業スマイルで、マティに語り掛ける。
「珍しいですな、ダレット嬢の注文じゃ無いなんて。お急ぎなら、こちらのモデルは如何でしょう」
とにもかくにも注文が済み、『ローズ・テイラーズ』を出る三人連れである。
「ディナードレスは仕上がり次第、館に配達するってさ! アラシアの目をごまかせるよう、オイラの名前で」
マティは、ダレット一家の性格を良く心得ている従業員と打ち合わせた内容を、細かく解説した。
ルシールはルシールで、注文書の写しの内容に呆然としていた。いつの間にか、ディナードレス以外にも服の注文が増えている。
「お出掛け服の注文は、一体……夏物の服って……?」
「ローズ・パーク庭園の視察の時に如何ですか。上京する時にも使える筈ですが」
キアランは、ルシールには意図の良く分からない回答を、あっさりと寄越して来たのだった。
*****
三人は再び馬車に乗り込むと、中央街区の別の通りに入って行った。
次に馬車が入ったのは、老舗が集まる古い通りだ。やがて馬車は、中規模ほどの宝飾品店の前で停車する。
通りに面した鉄格子付きガラス窓を透かして、様々な宝飾細工を施された品々が陳列されているのが窺える。指輪や首飾りと言った定番商品は勿論、宝冠や表彰盾などと言った記念商品も揃っている。品揃えは豊富だ。
マティが早速、解説を加えた。
「この辺は、中期の大抗争の被害を受けた街区でさ……修復・改装の工事したって話だから、以前の面影とかは無さそうだけど」
馬車から降り立ったルシールは、様々な感慨を込めて看板を見上げた。
改装工事の後が窺える現代的な店構えに、『ロイヤル・ストーン』と書かれた看板が掛かっている。
老舗ならではの往年の面影は、基礎ブロック部分に、わずかに残るのみ。
かつては――間違い無く25年前の頃は、此処の看板には、『フィン&フィオナ』と言う店名が書かれていた筈である。
(改装する程の被害を受けたと言われているけれど、記録とか、残っているのかしら?)
来客の様子を眺めてみると、商人から貴族まで幅広い顧客層を持っている事が窺える。
キアラン、ルシール、マティの三人が中に入ると、従業員の一人が滑らかに出て来て一礼した。
「いらっしゃいませ……どのような品をお探しでしょうか?」
キアランが、物慣れた様子で声を掛けた。
「この店は以前、『フィン&フィオナ』と言った筈だが」
「先代の頃は、そうでした」
「その頃の品を持って来たので、見て頂きたい」
従業員は丁重に会釈した。
「――それでは、拝見いたします」
接客カウンターに陣取った従業員は、丁寧な手付きで、ルシールが持って来たアメジストのブローチを調べ始めた。
「これは良品でございますね。確かに刻印は、かつての当店の物でございます」
「誰がこの品を買ったのかは分かりますか? 青い目の紳士と言う事しか聞いていないのですが……」
ルシールの問い合わせに対応するため、従業員は一番古い記録を持ち出して一通り調べていた。だが、やがて、困惑した様子で頭を振って来た。
「残念ながら、先代が既に死亡していて詳細は分からず。顧客台帳も、合併前の物は職人ごとに分散していますから。辺りの街区を巻き込んだ抗争の影響で……」
「必要ならば、職人を個別に訪ねます」
従業員は、『それは大変な事になるだろう』と言わんばかりの表情で、首を振り振り、困惑していた。
「それは時間がかかりますでしょう、リドゲート卿。改名後は職人も都とかに異動してしまっておりまして。系列店ですし……」
ところが、そう言っている間にも、別のドアが開き、別の従業員が新たに現れた。年配の人物で、メンテナンスの為と思しき、宝飾品入りの幾つかの小箱を抱えている。
「少し相談が。この品、作風がかなりハッキリしていて……ご存知でしょうか」
「ヴィンテージ? ……これは、まさか……」
年配の従業員は、早速、三人の来客に話し掛けた。
「当店を代表するベテラン職人の、若い頃の一品に違いありません」
――25年の歳月は、駆け出しの職人をベテラン職人にする歳月でもあったのだ。
「ギネスの工房をお訪ねになってみて下さいませ。空振りでも、彼が該当する職人を知っている筈です」
「――やった!」
マティが呟いた。キアランとルシールも同じ思いである。
一歩、謎の『L氏』に近づいたのであった。
*****
ギネスの工房は、各種の工房が並ぶ町外れの中小のストリートにあると言う。そこには、よろず修理、印刷、染色などと言った、各方面の職人の町が広がっているのだ。
三人が乗った馬車は、次第にテンプルトンの町外れの街区に入って行った。
第六章「追憶ラビリンス」終了
お読み頂きまして有難うございます。第七章「時の娘」に続きます。




