テンプルトン町…歳月と行跡と(前)
朝焼けが終わると、青空が広がった。爽やかな朝である。
しかし、クロフォード伯爵邸の大広間の一角で、物陰をコソコソと動き回っていたマティは、これ以上無いという程の不満顔であった。
何を企んでいるのか、コソ泥さながらに、覆面代わりのスカーフを巻いている。
余りにも挙動不審な孫に対し、遂に祖父クレイグ牧師が、声を掛けた。
「何をいつまでむくれているんだ、マティ坊主よ」
「アラシアが来ないんだ、手ぐすねで待ち構えてるってのに」
マティは衝立と垂れ幕の中からヒョッコリと顔を出し、いっちょまえにボヤいた。
思わぬところから現れた、コソ泥に変身中のマティの姿に、執事もタジタジである。
クレイグ牧師は、思いっきり顔をしかめて見せた。
「またイタズラか? アラシア嬢の機嫌を損ねると大爆発だ……やめときなさい、あの『癇癪令嬢』の件は、リチャード伯父さんが最高責任者たるクロフォード伯爵として、キチンと対応される事になっとるんだぞ」
マティは大いなる不信の表情を浮かべたまま、むくれた。
大人の事情を余り知らないマティの目には、クロフォード伯爵の無為無策は、全く筋が通らない物であると見えるのだ。
ルシールに対するダレット一家の横暴――昨夜のディナーにおける多種多様な誹謗中傷に至っては、名誉の問題と化していた――に関してさえ、全く動いていないのだから。
クレイグ牧師は、困った孫をどうやって説得しようかと思いあぐねながら、ふと大広間を見回した。
少し離れた場所では、若いメイドたちが執事を取り囲み、何やらヒソヒソ話をしている。
「ええ、それが、もうビックリするような大仕掛けで」
「悪魔も裸足で逃げ出す程の、スペクタクル超大作」
「あの大蛇のオモチャの魔改造バージョンっていうか」
「取り巻きの細工も、見事に手が込んでて」
執事は冷や汗ダラダラ状態で、引きつった笑みを浮かべている。
「どうしましょうかね……」
「ホントです。お化け屋敷オツというか、なんというか」
クレイグ牧師は真剣な顔になり、とうとう立ち上がった。
「よっぽど、とんでもない代物なんだろう。イタズラの仕掛けは、全部回収するんだ。しようの無い子だね……全く」
「ちぇー」
盛大な不満顔をしながらも、マティは、片付け作業を始めたのだった。
マティが仕掛けを手繰り寄せると、物陰から『こんなに数があったのか』と目を疑う程の、彩り豊かな化け物のオモチャが次々に現れた。しかも、どれもこれも相当の傑作にして芸術品である。
幾つかの小物の行列の最後に、ラスボスを想定していたのであろう、ハイドラを模したに違いないギラギラした大物が現れて来た。
大人の背を超える高さだ。近ごろ熱中していた大蛇のオモチャの研究が、元になったのに違いない。
怪奇幻想的な多頭の一つ一つが、微妙な動きからして素晴らしいまでの不気味さで、真に迫っている。
クレイグ牧師は額に手を当て、ガックリと頭を垂れるのみだ。
「全く、私の孫は、いつも変な事に才能を無駄遣いしている……」
*****
ルシールは、部屋の中で、いつものように朝を迎えていた。
やがて、ベル夫人がやって来て、昨夜のディナーの席でのアラシアの発言内容について、説明をし始めた。ダレット一家が関わる予期せぬトラブルは常に警戒の的であり、アラシアの発言の数々は、ディナーの給仕を務めていたスタッフたちによって全て記憶され、執事とベル夫人の元に上がっていたのだった。
「昨夜のディナーで、そんなことが……」
「名誉の問題の紛糾は後々まで響きますし、ダレット一家は、この点に関しては何故か優秀ですから」
「カーター氏に相談してみようと思います……」
「是非、そうなさってくださいませ」
ベル夫人が退出した後。
ルシールは少しの間、グルグルと思いを巡らせていた。
緊急で対処しなければならない問題だ――ローズ・パーク相続問題や、ディナードレス問題と同じくらい、最優先で。
(何としてでも、母の形見のブローチの贈り主……ローリン氏を、見つけなければ。見つけて、きちんと話をしなければ……)
今日は、人生で最も忙しい日になるに違いない。
ルシールは改めて、気を引き締めたのだった。
*****
(外出する前に、クレイグ牧師様とマティに挨拶を済ませておこう)
かくして大広間を訪れたルシールは、早速、開いた口が塞がらない状態になった。衝立と垂れ幕の間を続々と渡って行くのは……何度も見直してみても、魑魅魍魎の群れだ。
「お、お化け屋敷?」
首を傾げ、胸をドキドキさせながらも、色とりどりの化け物の行列の後を付いて行くルシールであった。もしかして、もしかしたら……
化け物の群れが消えて行く大広間の一角。
そこには、渋々と言った様子でイタズラの仕掛けを片付けているマティが居て、その傍には、困惑顔のクレイグ牧師が居たのだった。
見るからに、祖父と孫の、微笑ましい朝のひと時。
ルシールが思わず吹き出し笑いをすると、ソファに腰を下ろしていたクレイグ牧師がルシールに気付いて振り返り、頭に手をやって、苦笑を返して来た。
「お早うございます、クレイグ牧師様」
「今日は外出ですか?」
「ええ、テンプルトンです」
クレイグ牧師が気付いた通り、ルシールは手提げ袋に帽子を揃えており、これから外出するという格好だ。
「母のブローチを扱っていたお店が判明したので……それに、手持ちのディナードレスがありませんので、古着屋で手頃な物を探しませんと……」
「それは結構、動き回る事になりますね。大丈夫ですか?」
クレイグ牧師は、かつて代理の牧師として務めた事のあるテンプルトンの街区を思い出した様子で、心配そうな微笑みを浮かべていた。
マティが早速、得意そうに目をきらめかせながら口を出して来る。
「テンプルトンの商店街なら、オイラ、案内できるよ! テンプルトン生まれのテンプルトン育ちさ!」
ルシールは自信タップリに自分を指差すマティをしげしげと眺め、クレイグ牧師に伺いを立てた。
「あの、それでは……マティをお借りしても良いですか?」
「勿論ですよ、お嬢さん」
「いえぃ!」
マティは、ピューッと姿を消した。そして、驚く程の素早さで、帽子や上着を取って舞い戻って来たのだった。
クレイグ牧師は子供用のスカーフを整えてやりながらも、言わずもがなの注意を与える。
「しっかり、お行儀良く、お供をして来るんだよ。退屈してイタズラを始めるのは、いかんぞ」
「信用してよ、じいじッ!」
クレイグ牧師は渋面になって頭を振り振り、杖の持ち手で『コツン』と、マティの頭をつついてやるのみだった。
「お前の信用は、東洋の鼻紙よりも、もっと薄いんだ」
クレイグ牧師は様々な可能性を心配する余り、クドクドとマティを説教したのであった。
「復活祭の時、イタズラして空き家を一軒吹き飛ばしただろう、マティ……プライス判事の温情ある判決に感謝しなさい。伯父さんも笑って許してくれたがな、本来は騒乱の罪に問われるんだぞ」
――空き家を吹き飛ばした?
その余りにも奇天烈な内容に、ルシールは思わずポカンとするのみだった。
*****
マティとルシールは連れ立って、車庫へと向かった。
クレイグ牧師が心配した通り、やはりマティは手荷物の中に、何やらアヤシゲな代物をこっそりと用意していた。
「そう言えば敵は、注文のドレスを取りに、また出るって言ってたな。テンプルトンなら、町角でチャーンス、なーんて事も♪」
「今日はご機嫌ね、マティ」
ルンルン調子のマティを見て、ルシールは訳が分からないながらも、感心していた。
先日の雷雨で、まだ地面には凸凹が多い。足元に注意しつつ歩む。
やがてルシールは、心当たりある一角に目をやり、いつもの亜麻色のモフモフの姿を見かけない事に疑問を覚え、首を傾げた。
「子犬のパピィは、何処へ行ったのかしら?」
「プライス判事が取調べ中なんだ」
ルシールは目をパチクリさせた。
「カフスボタンの片割れ、食ってたらしいんだって」
「……取調べ? パピィの事、バレたって事なの?」
マティとルシールは足元の地面の凸凹をよけながらの情報交換に集中していて、いつの間にか既に車庫の前に到着していたという事に気付かなかった。
「昨日、マティが白状しました。他にも、実に興味深い話を聞きましたよ」
キアランの声が不意に降って来た。
マティが「ワッ」と飛び上がる。ルシールは思いがけない遭遇に驚き、口ごもるのみだ。
車庫の前では、キアランが御者や馬丁と共に、馬の装備を見ているところであった。
「キアラン様……あ……その、リドゲート卿」
キアランは、いつものようにムッツリとした様子で腕組みしている。しかし、気分を損ねている様子は無い。
「キアランで結構ですよ……今日の行き先は、テンプルトン?」
何で分かるのかと首を傾げたルシールに、キアランは更に語り掛けた。
「昨日、ブローチがテンプルトンの店の品だと判明しました。ルシールなら自分の足で確かめる筈だ。謎の父親の事が聞けるかも……と言う可能性もあるし」
見直してみればキアランも、シルクハットやステッキを携えている。ルシールの外出を見越して準備していたのは、明らかだ。
やがてキアランは、折を見て馬丁に呼びかけた。
「馬の装備は、問題ないか?」
「はい! これから馬車を出します」
馬丁は威勢よく答え、若い御者と一緒に車庫の扉を開け始めた。ルシールは再び首を傾げた。
「気のせいかも知れないけど、普通は装備の裏側まで目を通す必要は……」
「昨日、朝っぱらから大騒ぎだったからさ」
「……何があったの? そう言えば、ダレット嬢が馬車に付いて何か……」
「実は、すげえ破壊工作……あッ」
何かを言いかけたマティは、しかし、直前で『しまった』とでも言うように、手でサッと口を塞いだ。
「プライス判事が良いと言うまで、喋れないんだ」
「そうなの?」
車庫の扉の前では――馬丁と御者が、早速、新たな異変に気付いた。開いた覚えの無い車庫の扉が開いている。不審を覚え、車庫の中を確かめた馬丁と御者は、ギョッとして大声を出した。
「リドゲート卿! 快速馬車が、一台消えています!」
「何だと?」
「まさか、馬……!」
残りの馬丁たちが慌てて、隣の厩舎に駆け込んだ。
「――やられた! 隣の仕切りの、健脚の四頭が消えてる……!」
「馬車泥棒!? 一体、誰が……!」
にわかに持ち上がった騒動に、マティとルシールもポカンとしていた。
「アラシアじゃねーの。テンプルトン行くって、確か昨日、言ってた……」
こんな事をやらかしそうな人物を、ピッタリと言い当てたマティである。
ルシールは釈然とせぬまま、後ろにそびえる壮麗な館の、上の方のフロアを眺めた。
「彼女が外出する時は、いつも大騒ぎでしょ……今日は、まだ部屋から出てないから……彼女の筈は無いわ」
「また夜更かしで寝坊してんのかな。朝食にすら出てないし」
マティも暫くの間、盛んに首をひねっていたが、結局はルシールの意見に同意した。
キアランは暫く眉根を寄せていた。やがて溜息をつき、首を振る。
「とりあえず馬車泥棒の件、判事に届けておいてくれ」
「へえ」
御者や馬丁たちは、キアランの指示にうなづき、青くなりながらも、速やかにテンプルトン行きの馬車を仕立てた。
「また泥棒が出るとも限らないし、リドゲート卿の馬を、車の後ろに」
「昨日に続いてコレだよ、全く……そろそろ交代制で寝ずの番を立てるべきじゃ無いか?」
「門番と相談しなくちゃな」
御者と馬丁は、口々に疑惑を言い合った。
思えばダレット一家が館に居座るようになってから、奇妙な出来事が続いている。ダレット一家は気難しいくせに、妙に勘が良い。彼らの気分を損ねないように警戒するのも、気苦労の多い作業なのだった。




