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花の影を慕いて  作者: 深森
第六章 追憶ラビリンス
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クロフォード伯爵邸…華麗なる狂奔(後)

マティは食後のデザートを食しつつ、フンッと鼻を鳴らしていた。


特に招待客の筆頭としてダレット一家が招待された理由には、やはり何かあるだろうとは思える。伯爵の回復祝いともなれば、そのような『一見、めでたい話である』話題にもなるだろうと言うのは、確かに予想できるのだ。


が、最初から、キアランとアラシアの結婚話が気に入らなかったマティにとっては、実に『お気に召さない展開』である。


マティは、コッソリと持ち込んでいた包みを取り出すと、大いに下心のある不穏な笑みを浮かべた。


「フンッ、細工は上々……悪魔も裸足で逃げ出す最新の大発明……スペクタクル超大作だぜ」


穏やかならぬ呟きを聞き付けたライナスは、ギョッとした顔になった。


「なッ……何を作ったんだ……新手の蛇のオモチャ!?」


「今宵が明けてからの、お楽しみさ……」


マティは、おもむろにライナスの方を振り返ると、意味深な視線を投げて見せたのだった。


ライナスは、ただならぬ迫力を見せて立ち去るマティを、身体を震わせつつ見送るばかりであった。


――このクソガキ、ハードボイルドの才能ありだぜ……


*****


当座のダレット夫妻の公認の『密会の場』となった執務室。


執事が執務室の扉を開けると、アラシアが可憐な顔をして入室して来る。


未婚の淑女の名誉を守るという貴族社会のルールに従い、執事は、執務室のドアを薄く開けたまま待機した。


先に執務室に来ていたキアランは、アラシアの前に、いきなり書類を突き付けた。


「――これは、今朝の殺人未遂の企てに関する報告書です」


ハッとして、厚みのある書類を見やるアラシア。その特徴的な暗い色をした表紙には、見覚えがあった。


「な、何よ、これ。レナード兄さまの時の書類と同じ……犯罪捜査の記録用の表紙じゃないの」


「告発者は、主たる被害者ルシール・ライト嬢です。あなたが馬車に何を工作したか、記録してある」


キアランは、いつものようにムッツリとした口調で、簡潔に事実を述べた。


「正式な客人の命のみならず、顧問弁護士や御者の命をも巻き添えにしようとした『未必の故意』と解釈され、クロフォード伯爵家は、この事態を重く見る事になります。この意味は、理解できますね」


アラシアは一瞬『理解できない』と言う顔をした後、鼻で笑い飛ばした。


「冗談よ。ちょっとした、親しみを込めたユーモアってだけよ! あの女の犯罪に比べれば、ちょっとしたイタズラ、いえ、偶発事故に過ぎないじゃない!」


キアランの眼差しが一層冷たくなる。


アラシアは一瞬ひるみながらも、再び鼻で笑う。


「こんな物で、あたくしを脅せると思ってるの? おあいにく様ね! お父様とお母様は、バラされても信じないわよ……! そう、これ程に卑劣な濡れ衣なんかね! この大事な時に!」


キアランの眼差しは、硬質さを増している。


「話の筋が通っていません」


「……じゃ無くて、あれは、あたくしじゃ無い……あの、悪魔のガキに、クソ女が……そ、そう、ライナスに脅迫されたのよ! だから、仕方無く――」


「だから?」


「このあたくしに対する陰謀よ! あたくし、伯爵夫人になるのよ! だから……!」


アラシアは殊更に目をうるませ、被害者ぶって、他人に罪をなすり付けつつ、話を大きくしていった。


「この事件は、クロフォード伯爵家をゆるがす卑劣な陰謀よ!」


アラシアは、そのロジックの不自然さに気づいていない。


キアランは無表情で、アラシアを一瞥した。


「――お似合いですよ、その髪型は」


以前のように、泣き落としが通じない。アラシアは険しく目を細め、唇を噛んだ。


――髪型の変化には最初から気付いていて、敬意を表するどころか無視していたんだわ! あんな下賤な茶ネズミ女に惑わされて……! 此処まで来ると、退屈な石頭どころか、頭には砂しか詰まっていないに違いない! 全く無能で、使えない男だわ!


「大人としての責任を問うても良いと言う証だ。ダレット嬢は明日、20歳になる。未来の伯爵夫人ともなるレディならば、一人の貴婦人として、責任を負える能力もあるでしょう」


アラシアは目を吊り上げた。


「責任ですって? 『責任』だの何だのは、卑しい平民どもにこそ課せられる物であって、生まれながらの貴族であり貴婦人であるあたくしには、全く関係が無いわ!」


アラシアは腰に手を当てて、傲然と胸を反らした。ビシッと指を突き付ける。その『邪神の聖女』そのものの凶相への激変ぶりと来たら、先程までの、涙を一杯溜めていた『あえかな美少女』は何処へ消えたのかと思う程だ。


「キアランは、あの茶ネズミに、たぶらかされているんだわ! あのアバズレの嘘八百を信じるなんて、狂ってる……! あたくしが、キアランを正気に戻してやるわよッ!」


「正気に戻す?」


キアランは、再びアラシアに視線を向けた。アラシアは、勝ち誇った様子で事実を指摘して行く。


「知ってるのよ! 宮廷に連なる上流社会の親族たちは、伯爵家の宗家筋の直系の筋たるあたくしとの結婚じゃ無いと絶対、納得しない! キアランの立場は、あたくし次第だわ! あたくしを失えば、あんたは破滅よ! 伯爵の評判も、地獄に落ちる……! 分かってる筈よ!」


キアランの目元が、ピクリと緊張した。


まさに、それこそが、ダレット夫妻から婚約話を持ち出された時に、キアランが動揺した理由だ。


キアランは法的には跡継ぎたる資格を持つものの、血統的には認められないと言う致命的な弱点があるのだ。しかし、クロフォード伯爵家の公認の直系筋の令嬢、すなわちアラシア・ダレットと結婚して嫡子を成せば、その嫡子からさかのぼる事で、この問題は解消されるのである。


そして、クロフォード直系の血族全てが既に断絶してしまっている今、条件に当てはまる『公認済みの令嬢』は、アラシア・ダレット以外には居なかった。


キアランは、ダレット夫妻の気分を損ねる事は出来ても、アラシアの気分を損ねる事だけは、絶対に出来ない。


現に、恐るべき面倒事になっていた『金と女のゴタゴタ』に巻き込まれていた時でも、キアランは、ダレット夫妻の抗議を無視してレナードを処分する事は出来ても、アラシアを連座で処分する事は出来なかった!



アラシアは、勢いに乗っていた。自分には、絶対不可侵と言っても良い程の、絶対的価値があるのだ――両親をも上回る程の。


「あの、お下劣極まるアバズレ女の口車に乗ったばかりにね! 明日になればキアランは、泣いて土下座して、あたくしの許しの手を求めてるわ! そうしたとしても、タダじゃ許さないから、覚えててよ!」


アラシアはキアランに最後通牒を突き付けて見せると、乱暴に執務室のドアを開けて飛び出して行った。


控えていた執事が、ドアが壁にぶつかる直前で押さえ、静寂を保つ。


アラシアの捨て台詞が、なおも響いて来ていた。


「あたくしが居ない間に、あの悪魔よりも悪辣なクソ女が、いろんなデタラメを吹聴してたんだわ! よくも高貴な血統を辱めてくれたわね! 絶対に、許さない! 今に見てなさい! 明日には形勢逆転しているんだから……!」


*****


夜も更けた頃。


ライナスは、いきなり部屋に侵入して来たアラシアに、叩き起こされた。


「ライナス! 今すぐ全部、荷造りして出発よ!」


「こんな夜中に?」


余りにも突然だ。ライナスは、寝ぼけ眼でボンヤリするのみだ。


「夜中だからこそ、決定的に重要なの!」


「うう……キンキン響く……」


「何か言った!?」


「い、いや……」


アラシアのキンキン声は、声量の割に、脳みそに不快に響いて来る。寝ぼけた頭には、余計にキツイ声質だ。


アラシアは、反応の鈍いライナスに苛立ち、怒髪天の勢いでベッドに飛び乗った。ハイヒールを履いたままの足で、ライナスをベッドから蹴り落とす。


「うあ!」


「今すぐ、あたくしの荷物をまとめなさい! クローゼットのドレスは、全部よ!」


ライナスは、これまで何度もダレット一家の荷造りに動員されていただけあって、アラシアの私物はすっかり承知していた。


ライナスはアラシアの部屋のクローゼットに入り、大量のドレスと宝飾品を確認して、ゲッソリとした顔になった。これを全部、変なシワや傷が出来ないように、収納しなければならないのだ。


「リドゲート卿、ダレット嬢と結婚したら苦労するんだろうな。毎日、ベッドの中でも、あのキンキン声を聞かされる事になる訳で……」


ライナスはブルッと身体を震わせ、もくもくと作業を進めた。


アラシアは贅沢なソファでくつろぎつつ、キンキン声で叫び続けている。


「グズグズするんじゃ無いわよ、このクズ男が! 早くしないと今すぐパパに言い付けるわよ。大事な婚約前の高貴なレディを傷物にしたって!」


ライナスはブツブツ言いながらも、アラシアの命令に従わざるを得ない。


「あ、そこの有り金、全部もらうわよ! 目に付く限りの金銀宝石もね!」


「その有り金、私の金なんだけどなぁ」


幸い、ライナスは手先が非常に器用な性質だった。意外に短い時間で荷造りが完成した。そして勿論、大量の荷物を引きずる事になったのは、ライナスだ。


裏口を目指すアラシアの後に付いて行きながらも、ライナスは不安を口にせざるを得ない。


「夜中に裏口から黙って出るなんて、大騒ぎになるに違いないのに」


「それが目的に決まってるわよ、この脳タリン!」


アラシアは容赦無い。車庫の前まで来ると、アラシアは再びキンキン声で命令を下した。


「さあ! 早く馬車を出して走らせて!」


「人手も無しじゃ大変なんだよ、御者や馬丁を呼んで来なくちゃ……」


ライナスもさすがに、ゲッソリとしながらも、問題点を指摘した。


アラシアは目を更に吊り上げた。


「あたくしの事を聞けないなら、パパに言って、鞭打ち百回よ!」


哀れなライナスは、ただアラシアの言う通りにする他に無かったのだった。



奇妙な二人を乗せたクロフォードの快速馬車は、伯爵邸の裏口からひっそりと出て行った。


快速馬車は、その名前に相応しいスピードで、夜の冷え込みが続くクロフォード伯爵領の丘陵地帯を走り続ける。


御者を務める事になったライナスは、暖かく快適な車内でくつろいでいる筈のアラシアに対して、不平不満を大いに積み重ねて行った。


「全く畜生だよ、あの報酬の話は一体、どうなっているってんだよ。何だってまた、こんな夜中に、急にコソコソ抜け出す事になったんだ……?」


そこでライナスは、賢明にも、昼間の大広間で明かされていたショッキングな情報を思い出したのであった。


「ウォード夫人の、あの爆弾発言は絶対に荒れる。悪魔も裸足で逃げ出す程の、かの『モンスター夫人オバハン』と『モンスター令嬢アバズレ』の耳に入ったら……地獄になる前に、早めに逃げた方が良い気がする……」


ライナスは、曖昧なままであった馬車の行き先を、アシュコートに切り替えた。


「馬車の行き先については、モンスター令嬢アバズレ、何も言ってなかったからな。アシュコート伯爵領なら急げば丸一日だし、頑張ればレイバントンの町にも着くし……まだアシュコート伯爵が滞在していらっしゃるから、地元社交のピークも続いてる筈」


アシュコート伯爵領における春の舞踏会シーズンは既に終わってはいたが、方々の地主たちの邸宅で、小さな舞踏会や音楽会、夕食会などが続いている状態だ。例えば、クロフォード伯爵領における地元の名士カニング家の小さな舞踏会や、ローズ・パークの舞踏会や夕食会のようなものである。


ライナスは、外套を慎重に巻き付けた。


「レイバントンの町に着いたら、何とか逃げ出すんだ。モンスター令嬢アバズレも楽しむ事で頭が一杯になって、男一匹、不意に居なくなっても気にしない筈さ……」


更けてゆく夜の中、目的地を定めた快速馬車は、みるみるうちにスピードを上げたのだった。

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