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花の影を慕いて  作者: 深森
第六章 追憶ラビリンス
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クロフォード伯爵邸…華麗なる狂奔(前)

一通りの相談が済み、カーティス夫妻とウォード夫妻は、クロフォード伯爵邸を退去して行った。


続いて、カーター氏とドクター・ワイルドとプライス判事も、三人で何やら情報交換しつつ、クロフォードの町へと戻って行ったのであった。


今夜のディナーまで間もない時刻だ。


来客たちの見送りを済ませたマティとルシールは、大広間で待機する。


マティは、海賊の宝箱から『謎の手』がバネ仕掛けによって飛び上がって来ると言う、不思議な代物を工作していた。


「見て見て。スゴイだろ。このバネ、工場でも使われてる最新技術のヤツなんだ」


「海賊の宝箱から、バネ仕掛けの『謎の手』……? 何に使うの?」


「それは、後のお楽しみさッ」


「そ、そう?」


絵本に出て来るような海賊の宝箱から、バネ仕掛けで飛び出して来た『謎の手』は、ただひたすら、『奇妙奇天烈』の一言である。


ルシールは困惑の笑みを浮かべながら、首を傾げるのみだった。


(つくづく、マティの頭の中身は、謎だわ……)


*****


アラシアが、ディナーのための身支度を済ませ、大広間に入って来た。毎度、豪華なドレスに身を包んでいる。


先に入室していたマティとルシールを見て、アラシアは、あからさまに舌打ちした。楽し気に談笑している様子を、ギラギラと睨みつける。


「伯爵様はお怪我をされて、判断も完全にお間違いになってるだけなのよねッ!」


聞こえよがしの大声だ。


ルシールは、その声に潜む刺々しさに気付き、アラシアの方を振り向いた。アラシアは、ルシールの注目を引いた事を確信して、華麗にプイと顔を背けて見せた。


「あんたは招待もされてない筈だわ、サッサと引っ込め! はしたない茶ネズミ女、今朝の馬車で死んでいれば良かったのよ!」


「今朝の、馬車?」


「うげッ」


アラシアは苛立ちを叩き付けるように、ルシールに向かって攻撃的な言葉を次々に浴びせた。


「父親も分からない女が、どの面さげてディナーに出席するっていうの、空気も穢れるってのに……! ホーラ、口紅、失敗したじゃ無い! もう! あんたのせいでよッ!」


アラシアは、『こちらが哀れな被害者だ』と言わんばかりに、手に持っていた手鏡を殊更に振り回して見せた。危なっかしいまでの勢いだ。


遂に、手鏡がブン投げられて宙を飛んで行く!


とっさの直感と反射神経で、手鏡をパシッと受け止めるルシール。


「すげー」


マティが感心して、マジマジと眺めている。


アラシアは絶句したが、次の瞬間には、癇癪を爆発させんばかりに顔を歪める。


ルシールは困惑しながらも、手鏡をテーブルに安置した。


(アンジェラとのハープの二重奏の方が、気づいて合わせるのが難しかったわ……でも、このままでは、ディナーの雰囲気も悪くなる)


ルシールは速やかに決断を下した。この場では、ルシールよりもアラシアの方が立場が上になる。


大広間の扉が開いた。


キアランが、ライナス氏と共に大広間に入室して来る。


丁重に一礼するルシール。


「申し訳ございませんが、今宵のディナーも欠席させて頂きたく……」


「欠席?」


すると、そこへ、透き通るような美声が響いた。


「どうしましょう! あたくしが居るのが、そんなにお嫌なのかしら!」


アラシアは被害者ぶった口調で、哀れっぽく訴えかけた。美しい青い目に涙を浮かべ、はかなげに身を震わせ、如何にも悲劇の美少女と言った風だ。


ルシールは、アラシアに対して、所定の仕草で首を傾けて見せた。『貴婦人の無言のサイン』の一種だ。


――『そのような事は全くございません』


キアランとライナスはサインを読み取り、理解の表情を見せた。


しかし、アラシアの方は、最初からルシールを『卑しい身分の穢れた女』と決めつけていたせいで、目が曇っていた。『貴婦人の無言のサイン』も、成人を迎える令嬢に対する敬意にも、気付かない。


アラシアは、いっそう悲劇的な表情になって、大粒の涙をこぼして見せた。『ルシール、お願いだから許して』と言わんばかりに、清らかな聖女さながらに、胸の前で震える手を組んでいる。


マティが白けた表情になった。ポリポリと鼻をかき始めている。


――そんなところへ。


いつものように、ダレット夫妻が、やや遅れて大広間に現れたのだった。


ダレット夫妻はルシールとアラシアを交互に見るなり、激怒を込めた目つきで、『アラシアを泣かせたルシール』を睨み付けた。


ダレット夫妻が口を不吉に歪ませつつ、ルシールに向かって、ずかずかと歩み寄っていく。


刺々しく、どす黒く、恐ろしいとすら言える、ピリピリとした空気が充満する。


ドアの傍に控えていた執事が、目を見張った。


ライナスは危険爆発物の真ん中に居る事を察知し、素早く脇に退いて無関心を通す。


マティが口を引きつらせた。いつもの気の利いた反撃コメントも思い付かない。


――ダレット夫妻が揃って、握りこぶしを振り上げた。


アラシアは、ハッと息を呑んで両手で淑やかに口を押さえ――しかし、その眼差しには、ほくそ笑みが閃いていた。


次の一瞬。


キアランが、ルシールとダレット夫妻との間に割って入る。


「では、速やかに退去を」


キアランは、キョトンとするルシールの手首を素早くつかみ、引きずり出した。


――大広間を追い出されるようにして退出する。文字通り廊下へ放り出すような格好だ。犯罪者か何かのように。


ダレット夫妻は勢いをそがれた形となり、口をポカンと開けた。


アラシアは、今や喜色満面だった。


「あの下賤な茶ネズミ女、ざまぁみろ、いい気味!」


後ろに避難していたマティとライナスは、アラシアの物騒な呟きをシッカリと耳に入れていた。二人で揃って、青ざめる。


執事が、大広間の扉を開けたままにしている。執事は、ダレット夫妻からの死角を読んでいたかのように、扉の前に控え続けていた。


キアランとルシールの姿は、執事と扉が作り出した死角の中に、ほぼ隠れた形になった。


執事が、ダレット夫妻に素早く一礼した後、扉をサッと閉める。


知らぬ間に死角を取られていたダレット夫妻は――死角の中で何が起きていたのかには、全く気付いていなかった。もし気付いていたら、大爆発だったであろう。


偶然にも少し場所がズレていたアラシアは、執事が扉を完全に閉じる直前、その隙間から見えた光景に目を見張った。


――キアランがルシールの手を取り、その手の甲に素早く口づけをした。


貴族社会においての、その行為の意味を良く知っていたアラシアは、手で覆い隠したままだった口を、悔しさに歪ませた。


アラシアは、儀礼上必要な場面以外では、男性から敬意のキスを贈られた事は無い。あのように、とっさの機転で、予期せぬ暴力から守られた事も、無い。


「何で、あんな下賤な茶ネズミ商売女が、敬意と忠誠を贈られて、レディ扱いなのよ……! あの石頭ったら、守護する相手まで間違っちゃって! テンプルトンで判明した、クソ女の秘密をバラしてやれば良いんだわ……!」


物陰で敵情視察に入っていたマティとライナスは、恐怖に震えながらも、こっそりと目配せを交わしたのだった……


*****


広く贅沢な食堂で、いつものようにディナーが始まった。


長方形の食卓の一方の席には、レオポルド、アラシア、ダレット夫人の三人が並び、もう他方の席には、キアラン、マティ、ライナスの三人が揃っている。


ルシールが居ない今、食堂の中では、アラシアが唯一の若い女性として――すなわち特等の者として、丁重にもてなされている。アラシアは、この上なく上機嫌であった。


一通りのニューストピック等の世間話が一段落した後、ディナーの面々の話題は、雑談に移った。


アラシアは早速、とっておきの美声で、会話の主導権を取る。


「テンプルトンじゃ大した噂だったわ! あの女、チビでデブでハゲのギャング=タイターと、ご親戚ですってよ! ギャングの親戚がクロフォード伯爵家に出入りするなんてね!」


レオポルドが身を乗り出し、話の流れに乗った。


「そうか。それなら、今夜のうちにでも国外追放しなければな。いや、国外追放じゃ生ぬるい。あの商売女、女衒か奴隷市場にでも売り払えば、金になるだけマシと言うものだ」


「何でも邪悪な魔女の手下だとかで、恐ろしい禁術の儀式とか、お手の物だそうよ。復活祭の頃にも、ズタズタになったネズミの死体を使って、何か凄まじい血みどろの儀式してたって噂だわ!」


アラシアは、アシュコートの社交界で流れていたゴシップを都合よく捻じ曲げ、次々に披露した。


「アシュコート社交界じゃロックウェル事件が連日のニュースだったけど、あのバラバラ死体の正体も、案外、ルシールの邪悪な儀式の犠牲者だった方かも知れなくてよ!」


ゴシップの入手先は、容易に予想できる物であった。ダレット夫人が出入りする『テンプルトンの集会』や『有閑マダムのサロン』である。退屈しのぎのためもあって、妄想によって凄まじい尾ひれを付けられた噂が飛び出して来るのが常だ。


「情報通はいいけど、『テンプルトンの集会』は、アラシアにはまだ早いものもあるんですからね」


ダレット夫人の忠告は、ほとんど無意味だ。もとよりダレット夫妻は、アラシアの長広舌を黙認している格好である。


上流貴族社会における伝統的な決まり事に従う限りでは、アラシアの告発行為は、正しい行動になるからだ。


「まぁ、お母様! 今は時代が違うわ! 私の友人など、もう色々と顔が広くって。少し前に、ロックウェル城の仮面舞踏会に招かれたって自慢してたわ。ほら、あのロックウェル公爵よ! あの神秘のゴールドベリ一族とも、ゆかりがあるとか。私も頑張らないと負けちゃうわ」


ダレット一家が主導権を取るディナーは、異様な雰囲気になって行った。スタッフたちが強張った顔のまま、ギクシャクと給仕している。


ダレット夫人は、非難を込めた眼差しをキアランに向けた。


「彼女の『正式な客人』としての立場は、あくまでも、クロフォード伯爵の『破格な好意』によって与えられた物でしか無いのよねえ。この犯罪のあれこれが、テンプルトンだけでなく、首都へも広まったら。伯爵、この事態をどうしてくれるのかしらねぇ」


キアランは無反応だ。


アラシアがウキウキとした様子で喋り続けている。


「他にもすごい話があるのよ、お母様。あの女の母親、とんでもない恥をさらして蒸発したって、たいしたゴシップだったわ。婚約者を裏切って、のうのうと不倫してたんですって。ま、金髪美人だったって話だったし、その辺の哀れな男を釣るのは、たやすい物だったんでしょうね」


ディナー席の面々は、ルシール本人ばかりか、その父母や祖父母、親戚に至るまで、根拠の無い噂と思い込みによって、その名誉が徹底的に捻じ曲げられ、鞭打たれ、切り裂かれ――、『アラシア劇場』において、完膚なきまでに踏みにじられ、虐殺されるのを聞かされる羽目になっていた。


ライナスは無言でもくもくと食事を続けている。マティも同様だ。


妄想を根拠とする名誉棄損は、とっておきの美声による毒液の如き誹謗中傷となって、延々と続いた。


「ルシールの祖父アントン、あの下賤なヤミ商売人・ビリントン家の、一番の恥さらしだったそうなのよ! アントンの奥さんも美人なだけの浮気女で、不埒にも、他の男と不倫して駆け落ちしてたんですって! アイリスも、妻子のある貴族と不倫して、その末に逃げ出して……ホント破廉恥な女ね。さすが、あの卑しい商売女の祖母と母親だわね!」


ダレット夫人は、レオポルドをギロリと睨む。


「そんな破廉恥な女と、仲良くはしていないでしょうね、あなた」


「とんでもない! 私は最初から分かってたんだ! あの商売女は唾棄すべき犯罪者の一族だとな!」


ダレット一家による誹謗中傷はエスカレートして行った。


「そうそう、或る確かな筋によれば、ルシールの父親の正体も、本当は貴族どころか、身分詐称の卑しい犯罪者なんですって! よりによって、監獄から脱走していた腐れ外道なんですってよ。血は争えぬって事ね。ルシールったら、ギャングたちと、破廉恥なハーレムやってるし。二股どころか百股かも知れなくてよ」


アラシアは品行方正な淑女そのものの顔をして、ナプキンで口をそっと押さえた。上流貴族そのものの優雅な仕草であるが、覆い隠されていたその口元に残忍な笑みが浮かんでいた事は、疑いようも無い。


「まともな紳士は、あんな下賤な商売女は相手にせぬものだ! 分かってるだろうな、キアランも!」


ダレット一家は、最後には高笑いをしたのだった。



ライナスは、ほぼ、愛想笑いを張り付けた人形となっていた。ギクシャクと口元にナプキンを当てつつ、ボソボソと呟く。


「同じ情報でも、これ程に意味合いが変わって来るものなのか……」


物議をかもす発言であったとは言え、ウォード夫人が推測し語った内容の方が、親友として見聞きした事実に立脚している分、思慮深く、公平であったように思えて来る。


ライナスは、自分以上に気分を害しているであろうと思われる隣のマティを、恐る恐る振り返った。


マティは、不思議な程に沈黙している。


「今日は静かだね、マティ君」


「たまにはね」


マティはスープの入ったカップを空にしていった。


コックが腕によりを掛けたスープとあって美味な筈なのだが、実際は不味そうだ。


「明日の、リチャード伯父さんご臨席のディナーに招待されて、得意満面じゃねーかよ」


「……うん、まぁ、将来の……うん、めでたく大事な話も出るだろうからね」



やがて、先に食事を済ませたキアランが、立ち上がる。


「ダレット嬢……ディナーが済んだら執務室に来て下さい。内密の話があります」


「内密の話……?」


食堂を立ち去って行くキアランを見つめながら、アラシアは目をパチクリさせた。次に、可愛らしく首をコテンと傾けた。


「あらッ、まあ……何か照れるわ」


マティとライナスは、ポカンとしながら見送るばかりだった。


「あの石頭も、まともにモノを考えるようになったという訳だ! これは求婚されるな! 明日のディナーで婚約成立の公表も、きっとあるだろう!」


レオポルドは、いよいよ得意満面だ。


「リッチ公爵家にも、都の王族親戚にも報告しなくてはね……都の社交シーズンでは、婚約のお披露目とかで色々忙しくなるわよ」


ダレット夫人も目を輝かせながら、将来の計画を立て始めているのだった。

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