クロフォード伯爵邸…いわくありげな御招待
アラシアは、ますます不機嫌になっていた。
ルシールは老舗ブランドの品を持っている。しかも、ブランド改名前の――今や、幻のヴィンテージとしての価値を高めたのであろう――特注の品。
アラシアは、凄まじい視線をルシールに向ける。
その殺気に満ちた視線は、マティとルシールの気を引いた。アラシアの方をコッソリと窺ったマティとルシールは、二人してギョッとし、顔色を変えたのだった。
ウォード夫妻が、気遣うようにルシールを見つめる。
「……あの、大丈夫? 微妙な内容だという事は分かってはいたけれど」
「いえ、話してくださって有難うございます。今後の事を含めて、いろいろ考えることが出て来ましたので……」
「今のところ、これ位だけど。聞きたい事があれば、いつでも」
ウォード夫妻とルシールの話が一段落した。
カーティス夫人が、ウキウキした様子でルシールに語り掛ける。
「そう言えば、ライト嬢! ちょっとしたお誘いの話があるんだわ! グリーヴ夫妻がローズ・パークの夕食会の計画を立てていて、ライト嬢も招待しようという話になったの。ウォード夫妻とも、またゆっくり話せるかと……」
次の瞬間。
ダレット夫人の扇の音が、ピシッと響いた。
大広間に緊張が走る。
ダレット夫人が、ゆっくりとカーティス夫人を振り返った。
カーティス夫人の笑みが引きつっていく。
「ローズ・パークも落ちぶれた物だわね。道端をうろつく庶民を、夕食会に招待する場所になるとはねえ」
「ま、まあ! オホホ、そんな事ございませんわ。オーナー協会の内輪の夕食会になりますから」
ダレット夫人は上から目線でカーティス夫人を睨み付け、なおかつ上品な嫌味を込めて、傲然とした笑みを浮かべた。
「ダレット家が本来のオーナーよ、お忘れかしら、カーティス夫人? オーナー協会の地位は所詮、召使いや使用人の地位を越える物では無いわ。真のオーナーの帰還の拒否は、不可能って分かってるわね……?」
凄まじい癇癪の爆発に直結する気配が、満載だ。
カーティス夫妻は揃って青ざめ、愛想笑いを張り付けながらも、弁解とお世辞を言い始めた。
「め、滅相も無く。常に常に承知、誠心誠意、高貴なる方々に、常に敬意を表しておりますって事で」
「ダ、ダレット一家の、高貴なる、おいでを頂くのは、常に身に余る光栄でございますわッ!」
哀れなライナスは、すっかり忘れられていた。だが、失敬に当たらないように、如何にして出来るだけ遠くまで遁走するかという事で、頭が一杯になっているのは確実であった。
下座に居た大の男たち、即ちドクター・ワイルドとプライス判事とキアランの三人は、揃ってライナスの危機に同情しながらも、『ドン引き』の状態である。
マティが突っ込み始める。
「そんなの、ありかよ」
「法的解釈では、実際にえらく揉めているんだ」
プライス判事は怖気付いたように、解説を返すのみであった。
「ダレット一家、王族親戚の筋から、カーター殿と同じくらい戦闘力のある弁護士を提供されていてな。しかも、その料金は、クロフォード伯爵家へのツケでな。昔、キアランとレナードが寄宿学校に上がる頃だったか、寄宿学校の学費調達の面も含めて、ダレット一家のローズ・パークのオーナー資格の問題が炎上した事があったんだ。あの頃は、カーター殿もさすがに、目の下にクマを……」
大広間の控えの間で、スタッフたちが緊急出動に備えて、次々に盾を構えている気配がする。
凄まじい緊張が張り詰める中、カーティス夫人の舌は滑らかに回り続けた。
「まぁ、オホホ、話が決まりましたら、満を持して、最高の招待状を、お送りさせて頂きますわ……ご一緒できる栄光の夜を楽しみにしておりますわッ」
「まあ、本当に感心な事ね、オホホ。何と言っても、ローズ・パークですからね! 相応の格式たる物だと、期待してよろしいわね?」
ダレット夫人は勝利を確信し、優雅に高笑いをしている。
気楽な夕食会の筈が、格式のある貴族スタイルの晩餐会に格上げとなって行く様を、ルシールは呆然として眺めるのみであった。
カーティス夫人は満面に阿諛追従の笑みを浮かべ、なおも熱心に喋り続けた。
「それは勿論でございますわ、姪のシャイナも出席の予定で」
「私の娘も、明日やっと20歳なのよ……少し早いけれど、シャイナ嬢と同じ大人の淑女として社交界活動しても良い頃合なのよね。こちらも色々と準備しなくてはいけなくて……」
意味深な様子でチラッと視線を寄越すダレット夫人。
カーティス夫人は即座にピンときた顔になり、ブンブンと首を縦に振り始めた。アラシアの方を振り返り、改めて満面の愛想笑いを張り付ける。
「まあ! 早速、ダレット嬢に、お喜びを申し上げなければ! 取って置きのお祝いを用意いたしますわね、お嬢様、レディ・アラシア!」
「まあ素敵! 何かしら、とても楽しみ!」
アラシアは、急に自分が注目されたと言う事もあいまって、可愛らしく喜びの声を上げた。その気になればアラシアは、可愛らしく振舞う事も出来る。
ドクター・ワイルドは、カーティス夫人の天賦の舌がダレット夫人の癇癪の爆発を――ひいては、ダレット一家全員の癇癪の連鎖爆発を――未然に防いだ事を悟り、ただ感心するのみだった。
「カーティス夫人の、あのボケをかます手腕は大した物じゃ。煮ても焼いても食えぬ、政治家の才能がある」
「オバハンには、オバハンか……」
プライス判事も、ホッとした様子で呟いていた。鼻の頭にまだ汗が浮いている。
嫌味モードになったダレット夫人に勝てる勇者は、この世の何処にも存在しないのだ。
大広間の控えの間でも、スタッフたちのホッとしたような雰囲気が広がっている。
「すげえ横車、ごり押し……」
ローズ・パークの夕食会への割り込みに加えて、賄賂の要求もあったらしいという事を曖昧ながらも理解したマティは、呆れながら鼻をかいている。
ウォード夫人は困ったような笑みを浮かべ、ルシールにそっと声を掛けた。
「あの、夕食会に来てくれますね? 話したい事が色々ありますから……」
「ダレット一家は、カーティス夫妻とシャイナ嬢に任せれば大丈夫」
「はあ……」
ルシールは曖昧にうなづいた。
確かに、カーティス夫妻とダレット夫人のやり取りを見ると、カーティス夫妻は、この気難しい一家に極めて上手に対応していると分かる。カーティス夫妻の姪・シャイナも、どうやってかは分からないが、レナードを始めとして、ダレット一家の好意を、上手く得ているらしい。
(それにしても、困った……)
会話の内容からすると、アラシアの成人祝いを兼ねた、限りなく公的な催しになるのは確実だ。
格式のある貴族スタイルの晩餐会。間違い無く、サテンドレスが必要だ。
しかし、数日前、アラシアの手によって、唯一のシルクであったサテンドレスが燃やされてしまっている。
(新しいディナードレス、どうにかして準備しないと……)
*****
大広間に新しい人物が現れた。弁護士カーター氏だ。
既に午後の半ばと言う時間帯となっていた。太陽は既に西の方に移っており、再び角度が浅くなり始めた陽光が、大広間に並ぶ大窓から、柔らかに差し込んでいる。
大広間の面々を確認したカーター氏は、いつもの穏やかなポーカーフェイスで丁重に一礼した。
「皆さん、おいでのところ、失礼いたします」
「おッ……カーター氏、やっと上の用件が終わったんだな」
「お蔭様で、プライス判事」
カーター氏は一礼した後、素早くキアランに近づいた。
「遅くなりました、リドゲート卿……」
そのまま、キアランとカーター氏は身を返し、密談を始めたのだった。
マティが意味深な様子に気付き、首を傾げる。
一言二言……そして、速やかに密談が終了した。
キアランは早速、ドクター・ワイルドに声を掛ける。
「ドクター・ワイルド、再確認ですが、父は階段昇降は、もう問題は無い状態なんですね?」
「うむ? ああ、勿論じゃ。多少の注意は必要じゃが……」
キアランとカーター氏は、目配せを交わした。
次に、キアランは上座へと歩み寄る。
ダレット夫妻、カーティス夫妻、ライナスが、談笑という名の自慢話と阿諛追従とゴマすりの応酬を繰り返しているところだ。
「申し訳ありませんが、カーティス夫人。この度、ダレット一家は、クロフォード伯爵が催す明日のディナーに出席して頂く予定になりました。ローズ・パークの夕食会の日取りは、当分、延期して頂きたいのですが」
カーティス夫人は早速、その言葉に飛びついた。
「まぁまぁ、当方、了解でございますわ、リドゲート卿!」
カーティス氏も、心なしかホッとした顔だ。カーティス夫妻にとっても、正直言って、『面倒事』を先延ばしに出来る有難い話である。
ダレット夫人はムッとした顔ながらも、了承の構えだ。
「無礼な……まぁ、伯爵邸のディナーなら……」
レオポルドが疑わしそうに顔をしかめる。
「改めてディナー招待とは、珍しい風の吹き回しだ」
「父が、階段昇降可能な程度まで回復しています。明日のディナーは、レナードにも出席して頂きます……出入り禁止は一旦、解除と言う事で」
再び緊張が走っていたが、キアランは、いつものようにムッツリとした無表情だ。
レオポルドは青い目を険しく細め、幾ばくかの疑念を顔に浮かべながらも、傲然とした様子で呟く。
「フン? やっと、リチャードも、異常な状況を正す気になった……と言う訳か」
キアランは、そのちょっとした挑発には応えなかった。
「ちょうどトッド夫妻も帰国する……トッド夫妻と、ライナス氏も招待します」
「有り難き幸せ。喜んで出席いたします」
ライナスは早速、滑らかな一礼をし、招待を受け入れた。
「父の回復祝いという事で。プライス判事とドクター・ワイルドも来て頂けますか」
「そりゃ、勿論じゃが……」
「回復祝いと言うが、何かあるんだな?」
同様に声を掛けられたドクター・ワイルドとプライス判事は、揃って招待を受け入れながらも、怪訝そうに首を傾げていた。
*****
ダレット夫人が、ピクリと片眉を上げた。
レオポルドも、ゲストとなる面々をザッと確認し、ピンと来た顔になる。
このゲストたちで、『伯爵の回復祝い』という名目ならば、公式のディナー扱いになる筈だ。そこで交わされる話題は、相当に絞られて来る。
ダレット夫妻の脳裏には、限りなく『確実』と思われる可能性が浮上していた。
「アラシアとの婚約を公式に発表、という訳か」
「あら……」
カーティス夫妻は早速、ダレット一家に向けて、特製のお世辞と阿諛追従を積み上げ始めた。
「まぁまぁ、レディ・アラシアの成人にも合わせての事に違いないですわね、当主ご臨席の正式なディナー、何て羨ましい事でしょう!」
「さすが高貴なるダレット一家、テンプルトンの町でも、このディナー、大変な話題になりますでしょう」
ダレット夫人は、未来の予感に緩む頬を優雅に押さえつつ、カーティス夫人の賛辞に滑らかに応じて見せる。
「わたくしには何でも無いわね、クロフォード伯爵家の大奥方ともなれば……アラ、これは秘密ね、ウフフ」
*****
ウォード夫妻は驚いたように目をパチクリさせていたが、すぐに穏やかに苦笑を交わした。
「どうやら、このたびは難しいようですわね……ライト嬢、また次の機会に」
「そろそろ我々も、カーティス夫妻にならってリップサービスをしなければ。ローズ・パークのオーナー協会メンバーとしての任務だね」
ウォード氏はイタズラっぽくウインクを送って来た。
苦笑してうなづくルシールである。
ルシールは茶器を整理すると、マティに微笑みかけた。
「伯爵様が回復ですって、良かったわね。パパとママが海外出張から戻るって話も。そう言えば、ご兄弟は?」
「姉・兄・兄だけど、一番上の姉御は女学校行ってて、二人の兄は寄宿学校さ。オイラは、まだ……家庭教師は、じいじなんだ」
公式ディナーの招待をほぼ終えたキアランは、最後に、マティとルシールの方を振り向いた。
「マティとルシールも招待されていますから」
「え?」
「ルシールもなんだ」
マティは早速、ルシールを見上げた。目がキラキラし始めている。
「伯爵の回復祝いと言う名目だと、公式の集まり……シルクのドレス、持ってたっけ?」
ルシールは一瞬、目をパチクリさせた。そして、愕然とした。
「明日の夕方までに、何とかしないといけないわね……」
ルシールの笑みは、引きつっていた。




