クロフォード伯爵邸…刻印の文字が示すもの
突如、大広間の扉が開いた。
執事が、いつもならぬ大声を上げる。
「ダレット夫人、及びダレット嬢、ただ今、お帰りでございます!」
文字通り、最も恐るべき人物たちの帰還であった。
更なる衝撃と緊張に青ざめて固まる面々である。
「まあ、良かった事! 皆さん、大広間にお揃いなのね!」
大広間に駆け込んで来たアラシアは、すこぶる上機嫌である。この際、アラシアの『妙に空気を読まない能力』に、感謝すべきなのかも知れなかった。
アラシアは早速、華麗な所作でクルリと回り、身に着けている真新しいドレスを、一同に見せびらかした。斬新なカッティングとレース装飾を施されたフレアスカート部分が、豊かな表情を見せながら、ふわりと波打った。
「ホラ見てッ! 町で発見したの! 有名デザイナーの新作よ!」
ライナスが早速、ギクシャクとしながらも、称賛の言葉を掛けようと立ち上がった。しかし、緊張の余り、その舌は、いつものように回らなかったのであった。
「おぉ。レディ・アラシア。まこと、女神のよう……」
「最新モデルのドレスも今日仕上がったの! あのローズ・テイラーズは仕事が速いわ! 残りのドレスは明日にも上がるって言ってるから、明日も行くわ!」
続いてダレット夫人が、いつものように傲然と入って来た。
カーティス夫妻やウォード夫妻が、青ざめてギクシャクとしながらも、表敬のために立ち上がり、一礼する。
慣習に従って、プライス判事やドクター・ワイルド、キアランも紳士らしく立ち上がったが、一方で、立ち上がったままだったレオポルドは、動揺を押し隠すためか、ソファに乱暴にドシンと腰を下ろした。
ダレット夫人は大広間の面々を睥睨すると、いっそう気取って、優雅な仕草で頬に手を当てて見せた。
「アラシアが、あのカフスを見つけたとは驚いたわよ! レナードには別の新しいの買ってやるわ、ロイヤルの方で第一級のダイヤが入ったそうだし」
そして各々、上座の方から順に着座していく。
席次が変わり、ドクター・ワイルドとプライス判事は、下座に移動し始めた。
ドクター・ワイルドは、噂のレナード・カフスの発見に至る経緯に、早くも疑惑の眼差しを向ける。
「カフスとは何の話だ?」
「昨日、アントン氏の小屋からレナードのカフスが出て来たんだよ。で、それ、プライス判事に見せたんだけどさ、アラシア、オイラとルシールを泥棒扱いしてさ、そんで、自分のものだって言って、取ってちゃったんだよ」
「ほぉほぉ」
マティは、上座に改めて集まった面々を振り返り、コッソリと呟いた。
「レオポルドのオッサン、さっきのショッキングなお話を喋らないね……」
「そりゃ当然だろ、マティ坊主よ」
プライス判事は、立ち上がって表敬を示した格好のまま、ダレット夫人からジリジリと後ずさり、下座でコソコソと新しい椅子を引いていた。マティの呟きに合わせて、プライス判事も同じくコッソリと呟き返す。
「レオポルド殿には、アヤシイ事情が多過ぎるしな……おじさんだって、ダレット夫人とダレット嬢が今、暴れたら困るぞ」
ルシールは早速、上座の面々に丁重に給仕している。
給仕係としてお茶を運び、そして再び下座に戻って行くルシールの姿を眺めていたアラシアは、あからさまに軽蔑の笑みを浮かべた。聞こえよがしな大声で、母親ダレット夫人に語り掛ける。
「所詮、下等階級よ。あれが身分相応なのよね!」
「身のこなしは覚えときなさい。あれが正統派の貴婦人の所作なの。本物のレディ教育を受けてるわ、あの女」
ダレット夫人は不機嫌そうに呟いた。
オリヴィアと同じように、レディ称号を持つ上流貴族の出身というだけの事はある。ダレット夫人は、ルシールが見せた一連の所作が、上流社交界に相応しいものである事に気付いていた。
正統派の貴婦人の所作に、発音。基礎からしてシッカリと体系的に仕上がっており、明らかに、背伸びや付け焼刃などに留まるような、偶然の物では無い。
「なによ、ママ。最近、変よ」
アラシアは、淑女そのものと言った様子で眉根を綺麗に寄せて見せると、ソファのクッションに優雅にもたれ、形よく小指を立てて茶を飲み始めた。
*****
ダレット夫人は、そんなアラシアの所作を観察しつつ……小じわを覆い隠すための厚化粧がひび割れる程に、眉根をきつく寄せた。
――抜かった、のかも知れないわ。
アラシアは美しく生まれ付いている。英才教育の甲斐もあって、貴婦人としての身のこなしは、充分以上に洗練されている。
貴婦人としての教養やマナーは何処でも共通しているから、ルシールもアラシアも、基礎的な要素は同じだ。身分の高さや、貴族的な顔立ちや体格をシッカリ受け継いでいると言う利点がある分、アラシアの方に軍配が上がる筈なのだ。
しかし、ルシールの所作とアラシアの所作を並べて比較してみると、アラシアの方には決定的な要素が欠けているという事実が、ハッキリと目に見える。
ルシールは、にこやかな様子で、カーティス夫妻とウォード夫妻をもてなしている。
下座の筈の場が、柔らかで上品な空気を湛えていて、自然に人目を惹いていた。ルシールの立ち居振る舞いには、そういう影響力がある。今すぐに、クロフォード伯爵夫人も務められる程の……優雅さと、品格。
「……何処で教育が足りなかったのかしら。わたくしとしたことが」
誰の耳にも届かない呟きが、歪んだ唇から洩れた……
*****
ウォード夫妻は下座の席に改めて落ち着くと、改めてルシールに声をかけた。
「聞きたい事があるんだけど……」
「なんでしょう?」
「んん?」
ルシールの傍でピョンピョン飛び跳ねていたマティが、ピタッと止まった。興味津々で、ルシールに張り付く格好だ。
上座の方で落ち着かない様子のレオポルドが、即座に目を吊り上げ、大声で喚いた。
「我々にも聞こえるように喋りたまえ!」
それは、レオポルドならではの警戒心の現れだ。
だが、そうと知らないアラシアは、一気に不機嫌な顔になったのだった。
ルシールの方が注目されているという、不愉快な状況だ。
アラシアは、きつい眼差しでルシールを睨み付けた。
――あの茶ネズミ、今すぐに居なくなれば良いのに!
ウォード夫妻とルシールは戸惑いながらも、恐る恐る、普通の声で会話を続けた。
「あなたは、何故アイリスの恋人の頭文字を知っているの?」
「……あ、それは、母のブローチに……」
「あ、ねぇ、ルシール」
急にマティが、ルシールの袖を引き、会話を遮った。キョトンとするルシールに、マティは素早く耳打ちする。
(今、アラシアが物凄い目で睨んでるんだ。今はブローチ出さない方が絶対に良いって。レナード・カフスを拾って来た時だって、物凄かったじゃん)
ルシールは戸惑って口ごもり――そして結局、説明を差し替えた。
「あの、今は、そのブローチは無いんですが……あの先日の舞踏会の時、髪飾りにしていた……」
「あ……あのアメジスト細工のバラの花ね」
幸いウォード夫人は、その髪飾りをシッカリと覚えており、瞬く間に話が通じたのだった。
アラシアはシッカリと聞き耳を立てており、早速、けたたましい声でルシールをバカにし始めた。
「あらまあ! アメジストだなんて! オモチャの石じゃ無い。ダイヤとか、ルビーじゃ無いとねえ……エメラルドも持ち合わせて無いのかしら! お可哀想にね、舞踏会じゃボロも同然の黒服だっだし、ホントにみっともなかったわね、オホホホッ!」
美しく上品な嘲笑を続けるアラシアに、ダレット夫妻は何も言わない。
後ろに控えているライナスは青ざめ、ジリジリと距離を取り始めていた。ドン引きしているのは明らかだ。
「フッ……予想通り、だから底の浅いヤツは……」
マティは鼻をかきつつ、小声でブツブツ呟いていた。やはり大物だ。
アラシアの挑発には乗れない――ルシールは深呼吸して気を取り直すと、ウォード夫妻に説明を続けた。
「そのブローチに、贈り主の刻印が刻まれていたので……それが『L』です。それに、『F&F』の刻印があります」
「F&F……?」
ウォード夫人は一瞬キョトンとしていたが、ウォード氏がピンと来た様子で、推察を口にした。
「……あッ、昔の『F&F』かな」
「もしかして」
ウォード夫人は、急にハッとした様子で、胸元のブローチに手をやった。ウォード夫人はケープを留めていた白いヒナギクのブローチを外すと、裏側をルシールに示して見せた。
「このブローチは、『F&F』の品なの……こう言うロゴ?」
「それですわ」
ルシールは驚きながらも、うなづいた。確かに、そこには、独特なスタイルの『F&F』と言う文字が刻まれている。
「古そうな文字だね。凝ったデザインなのに、こんな狭い場所に精密に刻むなんて、すげー腕前じゃん」
マティは身を乗り出し、ブローチ裏に刻印された『F&F』をしげしげと眺め始めた。工作が得意なだけあって、技術レベルに対するセンスには鋭い物がある。
ダレット夫人は、『F&F』と言うキーワードに、別の意味でピンと来た様子だ。横目で、ギロリとレオポルドを睨む。
「あなたって……昔は浮気相手に、下らないゴミの宝石とか買って与えてたわよね。頭文字Lの正体……なかなか興味深いじゃありませんの」
「……!」
その不穏な口調に気付いたレオポルドは、いっそう青ざめ、高速でブルブルと首を振っている。アラシアの母親であるからして、その癇癪のレベルも推し量れようと言う物だ。
ライナスは逃走態勢を取った。ジリジリと後ずさり、遂に、下座に控えているキアランの隣まで到達する。プライス判事とドクター・ワイルドは、同感と憐れみの眼差しを投げるのみだ。
アラシアの方は、ルシールへの嘲笑をなおも続けていた。
「ホホホ、聞いたこと無いお店だわねッ! ヤクザが出入りするような場末の下品な店なんでしょう。『F&F』なんて、最近の話題の『J&J商会』の真似じゃ無い。著作権侵害で、そのうち訴えられるわよ!」
場の雰囲気が悪くなり始めた事をいちはやく悟ったカーティス氏は、愛想笑いを張り付けたまま、青ざめていた。カーティス夫人は、空気を読んだのか読まなかったのか、のんびりとした様子だ。
「私も聞いたこと無いのよねえ」
「新しい人は知らなくて当然ですよ」
ウォード氏は苦笑しつつ、穏やかに応じた。
「その『F&F』と言うのは、『フィン&フィオナ』のロゴだったんです。今は合併して改名していて、『ロイヤル・ストーン』系列のテンプルトン支店です」
一瞬、大広間に、呆気にとられた空気が広がった。
「フィン&フィオナ?」
カーティス夫人は頬に手を当てて、素直に驚きの声を上げる。
「あの老舗商店街の、高級宝飾店が? まあ驚いた! それに『フィン&フィオナ』って、知る人ぞ知るブランドじゃない、我らがテンプルトンに存在していたなんて知らなかったわ。灯台下暗しとはこの事よ!」
「かつての『F&F』の時代の頃から、宝飾細工では高く評価されていましたね。新年の社交シーズンの頃でしたか、レナード様のカフスのダイヤモンド宝飾も『F&F』改め『ロイヤル・ストーン』ブランドの品だとか、大変な話題でしたね」
これは、ウォード氏なりの、ダレット一家に対するリップサービスである。
ドクター・ワイルドも古株だけあって、昔のテンプルトンの名店を思い出した様子である。
「腕の良い職人が揃っている老舗じゃったな。昔の抗争の影響で、倒産しかねない程、困っていたとか。ほとんどの宝飾品が分解されて、売り払われたと聞いとる。今では『フィン&フィオナ』ブランドの宝飾品は、ほぼ入手不可能というくらいの、幻のアンティークやヴィンテージとなっている筈じゃ」
マティが目をキラキラし始めた。
「へー、なんか、伝説の秘宝って感じだね」
*****
――謎の『L氏』を突き止められる可能性が出て来た。
ルシールは、いつしか、震える胸元で、手を固く握りしめていた。
――『ロイヤル・ストーン』宝飾店の系列、テンプルトン支店。アメジストのブローチが特注の品ならば、『L氏』即ちローリン氏の記録が、店に残っている可能性がある。
不意に、視線に気づき、チラリと振り返る。キアランが思案顔で見つめて来ていた。急に落ち着かない気持ちになり、そそくさと顔を伏せる。
(母の過去に何があったのか、それだけは知りたい。父が誰なのかは、あまり知りたいとは思っていなかったけれど。でも、ローズ・パークをちゃんと相続して、本当に先に進むためには、知らなければいけないのかも知れない……)




