クロフォード伯爵邸…追憶ラビリンス(後)
マティが、興味津々でウォード夫人を振り返る。
「話を戻してさ。ルシール・ママは、その後、お医者さんに行ったの? 急に具合、悪くなってたんでしょ」
「どうだったかしら。彼女は何も言わなかったから……」
ウォード氏が思案顔で呟く。
「ローズ・パークのオーナー手続きが本格化した頃で、アントン氏も私も、長く家を空ける事が多くなっていたんだ。その手の事柄までは気が回らなかったし」
26年前の秋――数年続いたテンプルトン抗争が激化し、最悪の様相を見せ始めた頃だ。
「ローズ・パーク邸の借金返済も始まっていて、私とアイリスは村から直接ローズ・パークに通って、グリーヴ夫妻と一緒にローズ・パークの資産の整理をしていました。私は妊娠が判明した事もあって、お医者様には軽度の館内作業しか許可を頂けなかったのです。アントン氏と夫の分の屋外の作業は、アイリスが一手に請け負っていました」
ドクター・ワイルドが、本気で呆れたように首を振った。
「無茶な事を! アントン氏の仕事内容は知っとるが……あの重労働では、身体に無理が来る筈じゃ。流産しなかったのが不思議なくらいじゃな」
それは、医学方面に関して専門的な知識と経験を持つ者に共通の見立てであった。事故当時のオリヴィアの見立て――『アイリスは事故に遭う前から、妊婦にしては無茶をしていた』という内容とも、一致している。
ウォード夫妻は戸惑った顔をして、ルシールの方を眺めた。ウォード氏が、すぐにドクターの指摘に応じる。
「タイター氏の不在でリラックスできた事が大きいかも知れない」
「――うむ?」
「10月から12月まで、都の社交シーズンになってますでしょう。今の伯爵さまが爵位を継いで、初の都入りをなさっていて。この辺の名家も揃って不在でした。タイター氏を含めて、ギャングや借金取りも伯爵さまを追って都に行ってて……目下、地元は静かだったんですよ」
――26年前。先代伯爵ベネディクトが急死した年だ!
大広間のあちこちで、ハッと息を呑む気配が広がった。
「ああ……そうだった! リチャード殿が爵位を継いだのが、その年だ!」
ウォード氏はプライス判事の指摘にうなづくと、説明を続けた。
「私たちローズ・パークのオーナー協会員も、登記の件で都に出張していました。都まで押しかけていたギャング団の邪魔がしきりに入っていて、年末まで帰れなくて、長く家を空ける羽目になっていたんです」
「アイリスは、私がお医者様に往診して頂いている時、たびたび家事のお手伝いに来ていて……お医者様と私の話を熱心に聞いていました。今になって考えてみれば、妊娠出産についての知識が欲しかったのかも知れません」
ウォード夫人の言及に相槌を打ちつつ、ウォード氏は頭に手を当てて、溜息をついていた。
「アントン氏は、あの無骨な性格……娘さんの妊娠には気付かなかったんじゃ無いかな。タイター問題が深刻だったし」
「メイプル夫人も絶対、気付いてなかったわ。次の年の二月になってアイリスが蒸発した時、本当に動転していたし……」
ウォード夫妻の話が途切れた。カーティス夫人が首を傾げながらも、不意に重大な疑問を口にする。
「そう言えば、メイプル夫人は何処なのかしら? アントン氏の死後、タイター氏に暇を出された後は……」
「情報通のグリーヴ夫人も、その後の消息は聞いて無いって。まあ、テンプルトンの近くに引っ込んでいるんだろうけどねえ」
タイミング良く、カーティス氏が合いの手を入れている。
――また知らない名前が出て来たわ。
ルシールは目をパチクリさせながら呟いた。
「メイプル夫人……?」
「ライト家の家政婦です。長く勤めていて……アイリスさんの母親代わりでもあったんですよ」
補足説明を入れたのはウォード氏だ。メイプル夫人とは、古い知り合い同士でもある。
一方、プライス判事は、憤然とした様子で、鼻息を荒くしていた。
「タイターめ、嘘ついたな……アントン死亡の前に、彼女は既に行方不明などと抜かしおって……」
「案外、ローズ・パークで起きてた殺人事件の目撃者ってヤツかも知れないね」
即座に突っ込むマティなのであった。
ウォード氏は、膝の上で固く組んだ両手を見つめ、いっそう真剣な面持ちになった。
「年末年始になって、やっと都での登記作業が完了して。他のオーナー協会員と共に、アントン氏と私も地元に戻りましたが、地元の新年社交シーズンが始まると、タイター氏も近所に舞い戻って来ました」
――新年社交シーズン。蒸発事件の一ヶ月前。
ルシールは息を詰めて耳を傾けていた。他の面々も同様だ。大広間の中は静まり返った。
「一月から二月が、一番キツい時期だったかも知れません。私もアイリスさんの恋人と間違われて、大立ち回りでした」
「新年の頃は、私のお腹はもうハッキリしてたし胎動もあったけど、アイリスのお腹は分からなかったわ。それに館外の整備作業も続けていたから」
「そう、彼女は明らかに過労状態だった。二月になると、レオポルド殿とレディ・カミラの結婚式の準備に大わらわで、地元の人たちと共に、色々な所に駆り出されたし……」
そこまで言って、ウォード氏は、憂い深そうに眉根を寄せた。
「急な発熱で倒れたんです。あの日に」
*****
25年前の二月の――大雪の日。
アントン氏とウォード氏は、その日は役所に出向していて、留守だった。
メイプル夫人は体調を崩したアイリスをソファに落ち着かせると、折り良く隣家・フレミング家に医者が往診に来る頃と気付き、急いで呼び出しに行ったのだ。
その医者は、妊婦であったウォード夫人のかかりつけ医であり、当然ながら、妊娠・出産に詳しい医者だった。
如何なる理由の故か、妊娠をひた隠しにしていたアイリスにとっては、その手の体調変化に詳しい医者を呼び出されるのは、非常にまずい事であった筈だ。にっちもさっちも行かぬ状況に至ったと言うこの運命の日、アイリスは遂に、決定的な行動に出る選択を迫られたのだ。
そして事態は、皮肉な事に、アイリスにとっては実に都合よく運んだようなのだ。
隣家フレミング家で、『アイリスが倒れた』という知らせを受け取った医者とウォード夫人は、メイプル夫人と共に、即座に馬車で出発した。しかし、急速に深くなる積雪に車輪を取られ、ライト家を目指す馬車は、ノロノロとしか進まなかった。
そして、何とも運が悪い事に、道の真ん中で複数の馬車が立ち往生し、道を塞いでいた……
何故にこんな事が起きたのかと言うと――村の人口の増加に伴って、交通量も増えていたのが原因だ。テンプルトンでの長引く町内抗争により、多くの人々が郊外の村に避難し、各々の避難先で生活をしていた。ウォード夫人もまた、その一人であった。村の人口は倍増していたのだ。
ウォード夫人とメイプル夫人、そして医者の三人が到着した時には、既にアイリスは蒸発していた。
空白の一時間、ないし二時間。
その間に大雪は吹雪となり、激しく降り続いて、アイリスの足跡を消してしまっていた。
アイリスは忽然と消えてしまった――深い雪闇の中に。
*****
大広間の中に、沈黙が広がった。
プライス判事が圧倒されたように呟く。
「たった一時間か二時間のうちに、蒸発した訳だな」
「すげー早業」
マティも感心しきりである。キアランは無言のまま、思案に沈んでいた。
ウォード氏は当時の驚愕と困惑を想起したのであろう、長い溜息をついている。
「タイター氏を警戒して、いつでも逃げられるよう、こっそりと準備していたとしか思えないのです。事実、タイター氏は激怒していました。何処で知ったのか、アイリスさんに恋人が居る……という情報を、つかんでいましたから」
ドクター・ワイルドは暫し思案し――顔をしかめた。
「そして、その二月のうちに、アイリス嬢の死亡報告書が届いた訳か。アシュコート伯爵領……首都直通の国道がある。オフシーズンの首都に行こうとしていたか……」
二月某日付で発送された死亡報告書の内容は、急報と言う事もあって、実に簡素なものであった。
『アイリス・ライト、事故死。至急、本人確認されたし』
ウォード氏は、未練の気持ちを込めてボソボソと呟いた。
「ギャング抗争が激化していて、本人確認のために出張できる状況じゃありませんでした。実際は、アイリスさんは生存していたとか。それも、五年前まで。本人確認が出来ていれば、今頃は……」
ルシールは、遂に何も語らずに逝ってしまった母親の、穏やかだが淋しそうだった微笑を思い出していた。そして、冬の海の深い青さに魅せられて立ち尽くした母親の姿を、死の間際の母親のうわごとを。
暫し逡巡していたルシールは、不意に湧き上がった期待を込めて、ウォード夫妻を改めて眺め――そして、問いを投げかけた。
「……もしかして、母の恋人の名は、頭文字Lではありませんか?」
ウォード夫妻はハッとした表情になった。ウォード夫人がギクシャクとうなづく。
「アイリスは、その人の事を『ローリン』と言っていました。タイター氏は、彼を探し出してぶち殺す……と公言していましたが、知らない名だし、誰の事なのかは分からなくて……」
「ローリン……」
ルシールは呆然としながらも、その名を呟いた――頭文字Lのローリン。
ウォード夫人は憂いの表情を見せて、うつむいた。
「私が聞いたのは、これだけですね……テンプルトンの近辺で出逢った、青い目の紳士」
ドクター・ワイルドが、得心した様子でヒゲを撫で始めた。
「青い目の父親か……」
「ビンゴだぜ、ヒゲ先生……!」
「ローリン? 家名か個人名か……この近辺では聞かない名だな」
プライス判事が首を傾げている。
キアランは警戒するように眉根を寄せ、口を固く引き結んでいた。
思案顔をしつつ、ウォード夫妻は語り続けた。
「タイター氏を避けるための、愛称や偽名だった可能性も高いです」
「これは私じゃ無くてタイター氏が言っていた事ですが。自分がこれほど拒否される理由は、そのローリン氏がよっぽど良い身分だからで、社交界でも評判の男だからだ、との事でした」
ウォード夫人は一つ間を置くと、いきなり、レオポルドに視線を向けた。
「タイター氏は、『ローリン氏』とは、即ちレオポルド殿だ――という事を、突き止めています」
一気に青ざめるレオポルド。
「なッ……なッ……!」
口を震わせて呻いたきり、レオポルドは絶句した。
阿諛追従に熱心なライナスも、フォローが何も思い浮かばないまま、硬直している。
ウォード夫人はハッキリした声で、容赦なくたたみ掛ける。
「こんな事を申すのも何ですが。レオポルド殿は当時、数人の……いえ、十数人の方と、浮名を流しておられましたね」
「そう! それに、ロマンス小説に出て来るようなハーレムや、駆け落ちの話もあったわ! 絶世の美男美女、禁じられた恋!」
このようなロマンスの噂に目が無いカーティス夫人が、早速、目覚ましい反応を見せた。カーティス夫人は、頭脳の回転とほぼ同じ速度で、舌を回転させた。
「レナード様と言う、二歳になられる隠し子が判明して、過ちを正すためながら、先々代の伯爵の婚約者であったレディ・カミラと、数年越しの熱愛結婚をされたとか!」
社交界の語り草となっている、名高いロマンス物語の内容を、そのまま口にするカーティス夫人である。
「かの『騎士道物語』の禁じられた恋人たちの伝説もかくや、過酷な運命を乗り越えて、ドラマチックなゴール・イン!」
しかし、得てして華やかなロマンスの噂には、黒いゴシップもまた、セットで付いて来る物である。
「それも、その二月に――あんまりにもモテ過ぎなので、関係した淑女は数知れずで……全員は記憶しておられないという話だったそうで……、とにかくッ、ハーレムの、身辺整理も兼ねて……」
――ゴシップ爆弾をかますにも、程がある――
大広間の人々は、皆、青ざめて硬直していた。異様な緊張が広がる。
激昂と動転の余り、ワナワナと震えるばかりで、何も言い返せないレオポルド。ライナスは、早くも逃走体勢である。
ドクター・ワイルドが、あからさまに顔をしかめる。
「他にも隠し子が居た……としても、ワシは驚かんね。あの頃も多数の養子縁組で、結構、大変だったしな」
「こちらも、幾つ修羅場を見た事か……」
豪胆なプライス判事も青ざめ、視線を泳がせている。
――ベル夫人が言及したように、レオポルドとレディ・カミラを結婚させる作業自体が、大仕事だったのだ。
カーティス夫人が目をキラーンと光らせた。即座にカーティス氏がギョッとした顔になり、手をワタワタ動かして牽制したが、既に遅く。
カーティス夫人は再び、ゴシップ爆弾をかました。
「養子縁組? グリーヴ夫人が言う事には、10人だか、それ以上……」
……若かりし頃のレオポルドの放蕩は、伝説のプレイボーイの名に見合う結果を生み出していたのであった……
レオポルドは、額に青筋を立てて、バッと立ち上がった。
反射的に飛びすさり、ソファの背に避難するライナス。
レオポルドは、疑惑の視線を振り払うかのように、コブシを振り回した。
「し、証拠は無い! 隠し子だの、不倫だの……わ、私のスキャンダルをでっち上げようったって、そうは行くものかッ! 頭文字Lなら、他にも居る! ライナスが、そうだッ!」
さすがにライナスも、この言及にショックを受けていた。
「ひどい! 私の父は何も……」
レオポルドはカッと目を見開いて、キアランを睨み付け、指を突き付けた。
「グレンヴィルだ! ロイド・グレンヴィルは、頭文字Lで青い目だ!」
レオポルドの大声と、それによる壁からの反響音が収まった後……
大広間の中は、水を打ったように静まり返る。
ルシールは愕然としていた。
――ベル夫人の説明によれば、今は亡きロイド・グレンヴィル氏は、キアラン=リドゲート卿の実父たる紳士では無かったか。
(恐れ多くも、リドゲート卿と兄妹になるの……!?)
だが、ドクター・ワイルドが、即座に突っ込んだ。
「それは絶対に有り得ませんな」
ピシリと強張るレオポルドを見据え、ドクターは、医学的な面からの指摘を容赦無く続ける。
「ワシは、グレンヴィル氏の死亡報告書も作成した。彼の死亡は28年前ですが、ライト嬢の出生は25年前になります。確実に信頼できる医学知識を持つ者が、保証する数字ですぞ。三年に及ぶズレが存在する状況では、親子関係は絶対に成り立たんのです」
ドクター・ワイルドは背もたれから身を起こし、ギョロ目をぎらつかせた。
ベテラン医者ならではの威圧にロックオンされたようなものだ。レオポルドは口をつぐんだ。
「アイリス嬢が倒れたのは、レオポルド殿とレディ・カミラの結婚式の準備の真っ最中だとか。レオポルド殿が即ちローリン氏だとすれば、倒れる程のストレスを受けるのも納得じゃな」
……ルシールは、怖い物を見るような思いで、レオポルドの方を恐る恐る振り返った。
レオポルドも、ワナワナと身体を震わせながらも、ルシールの視線を受ける。
状況証拠から見て、レオポルドとルシールとの間に父娘関係が成り立つ可能性は――とんでもなく高い。
タイター氏が言うプレイボーイ貴族。レオポルドは今は準男爵と言う事だが、30年前は子爵であり、れっきとした貴族だった。
(私の母が愛したのは、この人だったの?)
(こんな下賤な、冴えないミソッカスが、ワシの娘だと言うのか?)
大広間の面々の全員の視線が、渦中の二人を取り巻いていた。
片や、豪奢で華麗な金髪碧眼の――かつては絶世の美青年だった――男。
片や、繊細な印象が際立つ、濃い茶色の髪の、小柄な娘。
ルシールの方は、男に生まれていたとしても、せいぜいライナスと同様な――或いはライナスよりも細身の――文学青年らしい印象に留まるだろう。間違い無くレオポルドのような、押しの強い印象には、ならない筈だ。
論理的には納得するものの、感覚的かつ本能的な部分では、なお釈然とせぬものを感じざるを得ない。それ程に、印象の違う二人なのだ。
大広間の面々の全員の視線が、なおも納得しきれない空気をはらんでいた。
――本当に血縁関係があるのか、この二人……?
出口の分からない迷宮の中に、閉じ込められてしまったようだ。
大広間に、何とも言えない重苦しい雰囲気が立ち込める。
「迷宮入りというところか。じゃが、クロフォード伯爵家の血縁関係、それも直系親族と王族親戚に同時に関わる大問題じゃ」
ドクター・ワイルドが、物騒に目を細めている。
「過去の養子縁組の時と同様、爵位継承権の可否において早々に決着を付けておかなければならん。かつてクロフォード伯爵領を血の海に沈めた問題じゃぞ。必要とあらば、自白剤を注射する事も、やぶさかではない」
レオポルドは更に青ざめ、尻込みし始めた……




