クロフォード伯爵邸…追憶ラビリンス(中)
ウォード氏は不安そうに両手を揉み合わせていたが、やがて、その手は、膝の上で固く組み合わされた。
「……私たちは、ローズ・パーク舞踏会には三回、出席しました。最後の舞踏会の夜、ローズ・パーク邸の破産宣告が出てたんですが、あの大騒ぎは凄かった……」
昔語りは、時折、不器用につっかえながらも続く。
「どのようにして聞き付けたのか、門前にギャングや借金取りが集結……、勿論、その中にタイター氏も居たんですが。貸した金返せとか、負債の額面とか、ローズ・パーク邸の豪勢ぶりは存じてましたが、あんなに借金があったとは……」
――ああ、あの30年前のローズ・パークを巡る混乱の事だ。
ルシールは気を引き締めた。
ウォード氏は困惑の表情を浮かべている。当時も同じように困惑の表情を浮かべて、自分の力ではどうにもならぬ事態を見守っていたに違いない。
「……おまけに、その舞踏会の後、ローズ・パークを巡る政局騒動がスタートして……テンプルトン全体、もうムチャクチャな状況になりました。ローズ・パークが破産宣告された後、すぐにオーナー協会が創設されたんですが……」
ドクター・ワイルドが訳知り顔でヒゲを撫で、口を挟んだ。
「最初の頃、ローズ・パークのオーナー協会の代表になれるのは、クロフォード直系親族に限られていたのじゃったな。それも、次のクロフォード伯爵と決められた後継者が務めるという決まりだった。それが政局騒動において、余計に火に油を注ぐ事態になっていた」
プライス判事も渋面をしながら続く。
「当時は、対症療法的な解決手段しか思いつかない状態だったな。ギャング抗争も激化していたし、得体の知れない無敵の暗殺者が送り込まれて、爵位継承権者が次々に死亡していた」
レオポルドが鼻息を荒くし、傲然と身を反らした。大広間じゅうに響くような大声で豪語する。
「自業自得だ! 貴族社会では、一瞬のスキが命取りなのだからな! 現に、二つの直系親族が断絶の憂き目にあった。全部、あのフレデリックの間違った政策のせいだ。フレデリックは、王族親戚でもある私を、第一の後継者として指定するべきだったのだ」
地元の状況に明るくないルシールは、目を見張るのみだ。
昨夜、ベル夫人から聞いた内容――クロフォード伯爵家にまつわる、お家騒動の顛末によれば。
お家騒動で二つの直系親族が潰れ、ダグラス家しか残らなかった……と言う。
それでも、それなりの警備を用意していたであろうクロフォード直系親族が、二つも続けて断絶すると言うのは、やはり普通では無い。余程の強力な暗殺者――例えば、巨大な戦斧を軽々と振り回すような使い手など――が、ギャングの中に紛れ込んでいたのに違いない。
プライス判事は、また別に感じる事があった様子で、渋面で首を振り振り、溜息をついている。
やがて、ドクター・ワイルドが白ヒゲを撫でつつ、口を出した。
「かくして、首都から、武装役人と武装裁判官が送り込まれた訳じゃな。ロイド・グレンヴィル氏じゃ。ふむ」
「ウォード氏、口を挟む事になって済まんな」
「いえ、助かりました、プライス判事。私、その辺りはあまり存じませんので」
プライス判事はちょっと目をパチクリさせた後、クセの強い赤毛の頭をガシガシとやった。
「あぁ、当時は、公的な事は、あまり洩らさない事になっていたんだった」
耳を傾ける大広間の面々である。
カーティス夫妻は空気を読むのも素晴らしく、舌の回り過ぎるカーティス夫人でさえ、聞き役に回っていた。
もっとも、他の土地からやって来た二代目オーナーたるカーティス夫妻は、テンプルトンの歴史については、当然ながら直接に見聞きしていない。昔、クロフォード伯爵家や町内のギャングを巻き込んだ大きな抗争があったという話は承知しているが、詳しい事情は知らないのだ。
プライス判事は腕組みをしつつ、思案深げに話し出した。
「ロイド氏は、オーナー協会の抜本的な改革をやってな。ローズ・パークのオーナー協会の代表を、クロフォード傍系親族ハワード氏に割り当てたんだ。政治的な面から言えば、ローズ・パークの権益がクロフォード伯爵家のお家騒動から切り離された事で、町内抗争の激化に関わる要素が大幅に整理された。ハワード氏も、見事、流血の抗争を生き延びていた」
――すなわち、ハワード氏が、記録に残されるところの、初代のローズ・パークのオーナー協会の代表と言う事になったのだ。
そして、唯一残ったクロフォード直系親族ダグラス家は、引き続き、オーナー協会の裏方でバックアップを継続したという訳だ。
ちなみにハワード氏は、現在のオーナー代表カーティス氏の従兄弟である。
「そう言えば、従兄弟ハワード殿は、とても要領が良いというか、頭の回る男でした。テンプルトン町長も全うしていて。理想的に抗争をさばけた、という訳では無かったみたいですが」
今は亡き従兄弟の人となりを説明しつつ、納得顔で、あごを撫でるカーティス氏であった。
「郊外の村にも影響があったのでしょ、ウォード夫人?」
「ええ、カーティス夫人。本当に災厄の時代でしたわ。おちおち町にも出て来れなくて」
激しい抗争が続く当時のテンプルトンは、町に慣れていない郊外の村人にとっては、危険地帯だったのだ。
「私はもう既に結婚していましたが、ウォード家はテンプルトン町の通りにあって危険だったのです。それで、実家フレミング家に避難しておりました。町には滅多に行かなくなっていたので、ロイド氏とは余り会った事は無いのですが……カーター氏の話によれば、優秀な調停者だったとか」
ウォード氏がタイミング良く後を引き取った。息の合う夫婦である。
「実際、抗争の数がグンと減ったので、そりゃ驚きでした。しかし、先々代の伯爵様と共に、いきなり闇討ちされて、ロイド氏も死亡したとか……」
ドクター・ワイルドが早速、いささかの食い違いに気付いた。手を振って注意を引く。
「いや、正確に言うと、先々代の伯爵様は、その襲撃後も一週間は生存しておった。28年前の話になるな……ワシが看取った」
「あの殉死事件か!」
プライス判事が、ハッとしたような顔になる。
「先々代伯爵フレデリック殿を闇討ちするために、暗殺のプロを……その場で暗殺に成功していれば、事態はもっとひどい事になっていた筈だ」
「オイラもママから聞いた事あるぜ! トッド家の本邸もテンプルトンにあるから、別邸に避難してたって」
ルシールは改めて、ベル夫人の昨夜の説明を、注意深く思い返していた。
(確か、その暗殺者は、巨大な戦斧の使い手らしいと言う話だったわ)
ルシールの思考は、少しの間、脇道にそれた。
――キアランは聞き知っているのだろうか。実の父親グレンヴィル氏の、無残な死に様を。そして、その理不尽極まる死を与えた、謎の暗殺者――巨大な戦斧の使い手を。そして、暗殺を指令した黒幕の正体を……
(いずれにしても、リドゲート卿ご本人が口にしない以上、想像の域を超えない物ではある、けれども……)
ルシールは、近くに座っているキアランを、そっと見つめたのだった……
ウォード氏は雑談の間に素早くお茶を一服し、昔語りを再開する。
「先代伯爵ベネディクト様の代には抗争も減り、まあ以前ほど頻繁と言う訳では無いけど、町にも出かけられるようになりまして」
ウォード氏は、あくまでもテンプルトンの町の、普通の住民であった――住民目線の言及が続いて行ったのであった。
フレデリックとレオポルドの間にあった、婚約者レディ・カミラの奪い合いを始めとする確執、レオポルド失脚に至る詳しい事情、ダグラス家への爵位の移行などと言った話題は――出て来なかった。
「……町は変わりました。テンプルトンの牧師さまも、抗争で死んでおられた。クレイグ牧師様でしたね、後任が決まるまでの代理の牧師さまが……」
ルシールは、ただ聞き入るばかりであった。
(そう言う訳で、クレイグ牧師様は母をご存知でいらした。納得だわ)
ウォード夫人は綺麗な鳶色の目で、改めてルシールをしげしげと眺め始めた。
「……本当にアイリスに生き写し……恋人と結婚するかどうかと言う話は聞いていたけど。まさか、あの頃のアイリスが妊娠していたなんて……」
屋内に居るという事もあって、ルシールの前髪はいつもより脇によけられており、その繊細な面差しが半ば露わになっていたのだった。
ルシールは顔を赤らめ、少し顔を伏せた。茶色なのか紫色なのかハッキリしなかった大きな目は、濃い茶色に沈んだ。
ウォード夫人は思案しつつ、慎重に言葉を重ねた。
「アイリスは大体、私と同じ頃に妊娠していた筈です。でも、アイリスが妊娠に気付いたのは、私よりずっと後だったのかも知れません」
結婚後もウォード夫人は、町の抗争を避けて実家フレミング家に居た。隣家であるライト家との頻繁な交流は、独身の頃と同じように続いていた。
「26年前、11月頃――妊娠二カ月で、つわりがひどかった頃でしょうか。アイリスがお見舞いに来ていて……彼女も、私と一緒に戻した事があって」
*****
あの時、若い新妻であったウォード夫人は、こんなハプニングにまで気が合うのかと面白く思い、冗談でアイリスをからかった。
『もしかして、アイリスもオメデタだったりして――』
アイリスは……次の瞬間、顔色を変えていた。
「親友同士の他愛の無い冗談だったのですけど、アイリスは不意に黙り込んでしまいました。今、考えてみると……その後は、アイリスは随分と注意深くなっていたわ」
その11月の奇妙なハプニングの後は、その類の兆候は見ておらず、若い頃のウォード夫人も、そのまま忘れてしまっていたのだった……
*****
ドクター・ワイルドが、おもむろにルシールに目をやった。
「ライト嬢は何月生まれ?」
「六月です」
「それなら、妊娠したのは九月頃で……時期は、ピッタリ合うな」
納得の表情を浮かべるドクターである。
ドクター・ワイルドとプライス判事が並んで座っているソファの後ろでは、マティが不思議そうな顔をしていた。
「九月? 何で?」
「大人になったら分かる」
いつもは直接的なプライス判事も、苦笑しつつ謎めかして返すのみだ。さすがに妊娠の仕組みとなると、医者では無い者にとっては、いささか説明しにくい内容ではある。
ウォード夫妻は、ビックリした様子でルシールを眺めていた。ウォード夫人が感心したように呟く。
「長女のソフィアも六月生まれだわ……夫の祖母に似て、超・のっぽさんになったけど……」
ドクター・ワイルドは、茶目っ気のある笑みを満面に浮かべた。
「あのグレート・ソフィアですか。ソフィア・ウォード嬢の逸話は良く聞いておりますぞ。先日の舞踏会でも、ナイジェル氏を退治するなど、素晴らしい大活躍じゃったとか」
慎ましい性格のウォード夫妻は、赤面して戸惑うばかりだ。
「は、まぁ……」
ウォード夫妻の長女ソフィアは、ルシールと同い年だが、その背丈は、並みの男性よりもずっと高い。故に、『グレート・ソフィア』である。いみじくも先日、カーティス氏がコメントしたように、ケンプ氏と並び立つと大男と大女と言うペアになり、素晴らしく釣り合いが取れる。
ウォード氏が申し訳なさそうにボソボソと呟いた。
「元はと言えば、ソフィアがケンプ氏と一緒にナイジェル氏を吹っ飛ばしていたのが、ナイジェル氏の脚の骨折の原因だったのに、何故かタイター氏が、ルシール嬢を訴えるという事になってしまって……大変、申し訳ない……」
プライス判事が目を丸くする。
「……ソフィア嬢が、ナイジェル氏を吹っ飛ばしたのか?」
「ダンスのターンの弾みで……」
ウォード夫妻は、そろって恐縮している。
「ナイジェル氏は、あれでも、基本的な戦闘術の覚えはある大男の筈だぞ」
「でも、プライス判事、段差の下に落ちてましたから、それで骨折しただけかと?」
「いやいや、カーティス氏、そういう意味で言ったんじゃ無いんだが……グレート・ソフィアなら、信じられる……」
プライス判事は口元を引きつらせ、苦笑いをした。
グレート・ソフィアの新たな伝説を耳にする羽目になったレオポルドとライナスは、その余りにも迫力満点の内容に、驚き青ざめるばかりであった。
ソフィア・ウォード嬢には、他にも色々と逸話があったのだ。剣の腕前は玄人はだしだとか、一人で盗賊を捕まえたとか、弟が軍人だが、その弟をいつも投げ飛ばすとか、と言ったような、勇ましい内容である。




