クロフォード伯爵邸…追憶ラビリンス(前)
大広間で、ウォード夫人が衝撃的な発言をしていた頃。
最上階のフロアにある伯爵の応接室では、クロフォード伯爵とカーター氏が、二人きりの密談を始めていた。
密談から外された形になった三人、キアランとプライス判事とドクター・ワイルドは、伯爵の執務室を既に退去していた。三人は階段を降りながら、会話を続けている。
時刻は正午に近い。
細長く高い窓から差し込む陽光も、ほぼ南中した太陽からの白くまばゆい光となっており、階段の上に、短く色濃い陰影を投げていた。
早朝からの大仕事を終えた形になったプライス判事は、コキコキと肩を鳴らし、コリをほぐしている。判事は、いささか呆れたと言った風に、口を開いた。
「内密で詳細を詰めるとは……カーター氏も秘密主義だな」
「伯爵と弁護士の密談が済むまで、大広間で茶など頂くとしようか」
ドクター・ワイルドが立派な白ヒゲをしごきつつ、プライス判事の呟きに応じている。
三人は、地上階に降りて行った。
プライス判事とドクター・ワイルドを先導していたキアランは、大広間の脇の扉の前で、執事とベル夫人が何やらヒソヒソ話をしている事に気付いた。
執事とベル夫人は、二人して忍び足で歩き回り、脇の扉を少し開けて、中の様子を窺っている様子だ。
キアランに続いて、プライス判事とドクター・ワイルドも大広間に面する廊下に出て来た。プライス判事とドクター・ワイルドも、執事とベル夫人の奇妙な様子に気付き、首を傾げる。
「来客があるのか?」
プライス判事は、空気を読んで出来るだけ声を潜めたのだが、大男だけあって、思い切り小声にしても、かなりの音量があった。
ギョッとしたように執事が振り返り、三人に向かって人差し指を口に当てて見せた。
「お静かに……カーティス夫妻とウォード夫妻です」
盗み聞きに集中していたのか、受け答えもおざなりで、いつもの執事らしくない。
ドクター・ワイルドは愉快そうにギョロ目をきらめかせた。立派な白ヒゲの下では、口角が思いっきり上がっている。
「コソコソと盗み聞きじゃな?」
「ええ、まあ、ちょっと……」
ドクター・ワイルドの冷やかしに、執事はバツが悪そうに口ごもった。
堂々と盗み聞きしていたベル夫人が、相変わらず冷静な様子で三人を振り返る。そして、たった今、盗み聞きした内容を、堂々と解説したのだった。
「ウォード夫人が、25年前のアイリス様の蒸発の事情について、ご存知のようです。結婚後も、町の抗争を避けて実家に居られたそうで……しかも、驚くべき事に、ライト家の隣です」
ドクター・ワイルドがギョロ目を光らせた。
「という事は証言者……」
「25年前の……」
プライス判事も呆然と呟く。
――25年前、ルシールの母親アイリスは謎の蒸発をしている。蒸発と言うだけあって、アイリスがライト家を出奔したところを、誰も目撃していなかった。その謎の蒸発が起きた時、ライト家の隣には、ウォード夫人が居た!
三人の様子を観察していたベル夫人は、やがて片眉を上げた。
「追加のお茶を、お持ち致しますわ」
ベル夫人はテキパキと立ち去るが早いか、メイドに次の指示を出していた。時々、ベル夫人は恐ろしいほど勘が良いのであった。
*****
程なくして、キアランとプライス判事とドクター・ワイルドが、執事の仲介で大広間に入って来る。大広間の面々は驚いた様子で一斉に振り返り、会話が止まった。
早速、ハイテンションそのものと言った様子のカーティス夫人が、陽気に挨拶の言葉を述べる。
「あらッ、まあ! みなさま、お久しぶりで御座います。本日は何故か、みなさまのお取り込み中に訪問しまして、まぁ、色々と」
天然ボケなのか鈍いのか、カーティス夫人は、レオポルドがあからさまに「チッ」と舌打ちをしているのにも気付かない様子である。
「館にようこそ、カーティス夫妻、ウォード夫妻」
キアランは生真面目に返礼した。この際、場の雰囲気を盛り上げるのが上手いカーティス夫人が居る事は、大いなる助けである。
ウォード夫妻は戸惑った様子で、新しく加わった三人を眺めていた。実際、キアランが入って来た事で場の席次が変わり、話を続けて良いのかどうか判断が付かなくなり、戸惑っていたのだった。
レオポルドは、なおも傲然とした態度のまま最高位の上座をホールドしており、その場から動かない。
――いつもの事だ。
キアランは涼しい顔のまま、ルシールの立ち位置に程近い下座の席に腰を下ろした。
ルシールは、キアランの予期せぬ行動に戸惑い、茶器を扱う手を止めていたが……レオポルドの目がこちらを向く前に、何とか取り繕う。
ルシールはそっと周りを窺った。
キアランとレオポルドの間の緊張は、やはり、ただならぬ重さだ。レオポルドは、ギラギラとした剣呑な眼差しで、キアランを睨みつけている。
場慣れしていないらしいウォード夫妻はソワソワしていたが、カーティス夫妻は、さすがに顔面に愛想笑いを張り付けるのは達者なものである。ライナスも同様だ。
プライス判事と共に着座したドクター・ワイルドは、鷹揚な笑みを満面に浮かべ、ウォード夫妻に促しの言葉を掛ける。
「お話の途中で失礼したようだ……構わず続けてくれたまえ」
ウォード夫妻は、キアランも気にしていないらしいと言う事を何とか理解した後、話を再開したのだった。
ウォード氏が訥々と語り出す。
「昔の戸籍を確認頂ければ分かりますが、デイジーは旧姓フレミングです。ライト家とフレミング家は、テンプルトン町の郊外の村の隣人同士でした。互いの家の往来は、徒歩で、だいたい20分から30分……」
ウォード夫人が後を引き継ぎ、説明を続けた。
「アイリスと私は同い年でした。テンプルトンやローズ・パークの社交界デビューは、30年前の事です」
ウォード夫人は、そこで、ルシールの方に気づかわし気な視線を投げた。
「タイター・ビリントン氏が、かつてアイリスの婚約者だった事は知っていますか?」
「直談判の時に、少し聞きました」
ルシールはうなづいた。ウォード夫人は了解し、深い溜息をつく。
「ライト家の本家であるビリントン家が、本人確認もせず決めた婚約です。亡きアントン氏が超・偏屈で知られる方だった事もあり、厄介者同士で結婚すれば、一挙に片が付く……と言う思惑があったようです」
アントン氏もタイター氏も、ビリントン一族の厄介者扱いだった――というのが実情なのだ。
ビリントンの名前に、レオポルドが早くも反応した。
「ビリントン家か? テンプルトンの名家の一つだな。前の当主、ウィリアムは知っているが。今はタイターが当主か……」
レオポルドは横柄な性格ではあるが、頭の回転は速い。特に社交界や時事の話題においては、それなりに博識で、その対応は鮮やかなものであった。
ウォード氏が遠慮深げに、コクコクとうなづく。
「え、ええ。昔のテンプルトン抗争で、そのウィリアム・ビリントン氏と彼の長子ニック氏が同時に死亡したので、タイター氏がニック氏の長子ナイジェル氏を後見しています」
「フフン。ビリントンも、最近は没落して見る影も無いな……ド・ラ・リッチ家と比べると、血統が劣るから当然か」
ルシールは、聞いた事の無い新しい名前に戸惑った。
「ド・ラ・リッチ家……?」
「ダレット夫人の旧姓さ……レディ・カミラ・ド・ラ・リッチ。何でも、リッチ公爵家の由緒正しき血縁とか」
そっと小声で呟いたルシールに、すかさずマティが耳打ちで説明した。全く頭の良い少年である。
ウォード氏の話は続いた。
「アイリス嬢とタイター氏の最初の対面が、ローズ・パーク舞踏会での事でして。当時の地主は、レオポルド殿でいらっしゃいました。私たちは全員、下のフロアにいましたから、レオポルド殿は、この件については初耳では無いかと推察申し上げますが……」
「当然だ!」
レオポルドは、いささか不満そうに怒鳴った。
自分の関知せぬ内容が続いている事は、レオポルドにとっては気に入らない事である。
しかし、自分の過去に関わって来ると思しき、他人のプライベートに関する興味は、非常に大きいものになっていたのだった。
*****
――30年前の春。
ローズ・パーク邸では、地元の名士たちを招待して盛大な舞踏会を開催していた。
段差の上に広がる上座で、最も輝いている淑女が、レディ・カミラであった。地元の名門中の名門の令嬢であり、ローズ・パークの第一の高貴なる美女として、地元社交界では常に注目を集めていた。まだ独身であり、当時の若きクロフォード伯爵フレデリックの婚約者とも目されていた。
いつものように名門の一つとして会場に招待されていたビリントン夫妻は、会場の段差の下のフロアを回りながら、おまけの招待客として来ている筈の、ビリントン分家たるライト家の人間を探していた。
アイリスにとっては――ローズ・パークの上流社交界にデビューするという記念すべき日であり、ビリントン夫妻と初めて対面する日でもある。
招待客のほとんどを承知している地元の顔役の仲介で、ビリントン夫妻とアイリス・ライトは対面した。
『お初にお目にかかります、ビリントン夫妻。アントン・ライトの娘、アイリスです』
――金髪とアメジスト色の目を持つ、うら若き娘。
レディ・カミラ程の絶世の美女という訳では無いものの、薄紫色のエンパイア・ラインのドレスをまとった、その楚々たる風情には、惹きつけられるような魅力がある。
清楚な美貌の持ち主だったと言う母親に似たのであろう、正直言って、あの凄まじいまでに偏屈なアントン氏の娘とは、とても思えない。
――いや、妖精のような繊細な顔立ちではあるが、意外に意志の強そうな目元や口元は、確かにアントン氏の血筋だという事実を伝えている。
間違い無く『ライト家のアイリス嬢』と知ったビリントン夫妻は、ただ仰天するばかりだ。
『君が、あの偏屈アントン氏の!? いや、これは……』
『ビックリだわ。あ、アントン氏の奥さんの方に似たのね……』
『今夜ほど嬉しい時があろうとは思えない!』
奇声を上げたのは、ビリントン夫妻の後を付いて来ていた、背丈の低い金髪の青年である。肥満体に特有の、奇妙に高く太い声。明らかな超メタボ体型をした金髪短身の青年は、そのまま、戸惑うアイリスの手を取った。
『あのアントンに、これ程に綺麗な娘がいたとは!』
このフサッとした金髪の持ち主、背丈の低い肥満体の青年が、ビリントン夫妻の次男、タイター・ビリントン氏だ。
タイター氏は、これ幸いとアイリスの手をねちこく撫でさすり、実にたくさんの歯を見せて、下心タップリに笑った。タイター氏の歯は、最近ハマり始めたと言う多種類のパイプ・タバコのヤニで黄色に染まり始めている。そして、スーツに染み付いた紫煙や、全身から立ち上るタール臭やニコチン臭は、既に他人の目に涙をにじませる程の、強烈な濃度の物となっていたのだった。
最初の挨拶が済むと、アイリスはタバコ臭にむせて、気分が悪くなっていた。
会場の端の窓際まで退散したところで、アイリスはグッタリと突っ伏した。
『困ったことになったわ、デイジー……』
『顔色が悪いわよ、アイリス。何があったの?』
『頭痛がして……本家の方が決めたという婚約者、タイター・ビリントン氏なの』
『あのギャング=タイター!? そんなバカな』
『困ったわ……』
*****
ウォード夫妻の昔語りが一段落し、大広間は、シーンとなった。
マティが大声を上げる。
「ひっでー話! 本人確認しなかったのかよ!」
「ええ、あの、アントン氏は非常に偏屈な方だったので、その娘も偏屈だろう、という思い込みがあったとか」
――それはそれで納得できる話だ。大広間の面々に、異論は無い。
ウォード夫人は致し方なさそうに首を振った。
「ビリントン夫妻は、その夜のうちに、婚約話を無かった事にしようと努力はして下さったそうです。でも、タイター氏は既にその気になっていて、首を縦に振りませんでした。逆に、我が物顔でアイリスを付け回し始めたのです」
プライス判事が困惑顔で頭をシャカシャカとやる。
「立派なストーカー案件として成立するレベルの話だが……当時の治安判事は……あぁ、そうか」
「アントン氏が激怒して、ビリントン家に怒鳴り込む騒ぎにもなりましたけどね。まあ、それはともかく……」
ウォード氏はナーバスになっている様子で、手をしきりに揉み合わせていた。
「……アントン氏は、ローズ・パーク邸の執事グリーヴ氏との親交がありました。その関係で、アントン氏は、ローズ・パークの庭園管理の仕事に、助手として、私だけでなくアイリスさんも毎回、伴って行くようになりました。タイター氏と一人で行き逢わないようにするための対策でしたが、アイリスさんは庭園管理の仕事が気に入っていたようで、それは熱心でした」
――確かに、母は、庭園の仕事を愛していた。
ルシールは納得しつつ、相槌を打ったのだった。




