表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花の影を慕いて  作者: 深森
第五章 仮面舞踏会
48/92

レスター邸…巫女と運命の影(前)

音楽会が終了した会場の中では、夜会がたけなわである。


脚が不自由なオリヴィアは車椅子に座っており、夜会が半分ほど過ぎた辺りで退出する事になった。光栄にもアシュコート伯爵に車椅子を押してもらいながら、割り当てられた控え室に向かう。


二人は会場を退出しながらも、注意深くハリエット・スミス夫人の様子を窺った。


アシュコート伯爵が困ったような様子で呟く。


「スミス家の老ハリエットは、今年もシルヴィアの孫どころか、あなたすらも避けているようだな……」


「予想できた事ですわね」


「オリヴィアが町に出て来るのは、年に一度の、この催しの時だけと言うのに」


アシュコート伯爵は、なおも納得しかねている様子だ。しかし、伯爵と言えども、他人の感情にまで干渉する訳には行かない。こういう部分では沈黙を守らざるを得なかった。


*****


控え室に入ったアシュコート伯爵とオリヴィアは、一つの円卓を囲んだ。


円卓の上には既に明かりが灯っており、多数の手紙が入れられた小さなバスケットがある。いつも通り、アンジェラが整理しておいた物だ。


「また近辺の相談事が集中かな?」


アシュコート伯爵は、バスケットの中の手紙の数に呆れた様子だ。


『謎を解き明かす森の魔女』と言うような神秘的な評判がひそかに広まっており、オリヴィアの元には、何かとトラブルに関する相談事が持ち込まれて来ていた。ましてオリヴィアが町に出て来る機会は滅多に無いため、この時期の定例の滞在先となっているレスター邸方面に、オリヴィア宛の相談事が集中する事になるのだ。


オリヴィアは楽し気に微笑みながら、幾つかの手紙を手に取った。


「ギルバート様のご令息がたの相談もありますわね……夫婦喧嘩のようです」


アシュコート伯爵は白髪混ざりの銅色の髪をかき回し、「あいつら……」と、呆れたように呻くのみだった。


*****


長くオリヴィアに仕えている家政婦スコット夫人が、タイミング良くお茶を運んで来た。スコット夫人が退出した後、伯爵とオリヴィアは、おもむろに会話を始める。


「あなたが今でもアシュコート領に居るのは光栄だが、レディ・オリヴィア……アンジェラにとっては、必ずしも良い環境だとは言えないのが……」


伯爵はそこまで言うと、続きに詰まって口ごもった。


アシュコート伯爵領の辺境に近いレイバントンの町は、ロックウェル公爵の領地と隣接している。目下、アンジェラとロックウェル公爵は、親子認知の件で揉めており、この町で裁判を起こしている。これに関連して、脅迫だけで無く、『ロックウェルのバラバラ死体』で知られる凄惨な殺人事件や謎の行方不明事件が発生した。穏やかな経緯を辿っていないのは、目にも明らかである。


オリヴィアは静かな笑みを浮かべた。


「アンジェラも私も承知の上ですから、お気になさらず。あの子が成人した時、長く話し合って決めた事でもありますから」



オリヴィアは、ふと窓の外に目をやった。


春の夜の風の音。意味深にざわめく葉群の影。


宝石のような緑の目には、憂いの色が浮かび始めている。やがてオリヴィアは溜息をつき、目を伏せた。


「アンジェラが生まれた時も、このように風の声がさやいでいたものですわ……」


オリヴィアの脳裏には、アンジェラが生まれた時の思い出がよみがえって来ていた。


――かつて遠縁の従姉が私を見出したように、アンジェラが生まれた瞬間、私にも分かった。ゴールドベリの娘だと。


しかし、ゴールドベリを名乗るという事は、いにしえの弾圧の歴史を思えば、相当の覚悟が要る。巫女としての確かな能力が無く、単に『直感』があるという状態だけでは、名乗りに対する充分な理由にはならない。


――アンジェラは、どうして生まれて来たのだろう。


今では、先祖返りの出現例は随分と少なくなっている。だが、直系が絶えてなお、今でもゴールドベリの先祖返りが出現すると言う事実は、その『知』の伝統と能力には、まだ存在意義があると言う事を証しているのか……


オリヴィアは目を伏せ、静かに言葉を続けた。


「あの子の運命は、私の勝手のせいと言えるかも知れませんね」


「どう言う事かな?」


「シルヴィアが此処のスミス氏と出逢ったのは、私が此処に来たから。そして、私がアシュコートに来たのは……ギルバート様が、いらしたからですわ」


オリヴィアは、微かに頬を染めた。聞きようによっては『愛の告白』だ。


アシュコート伯爵は、驚きと動転の余り、お茶を吹き出した。


「お茶が……ギルバート様」


冷静に布巾を差し出すオリヴィアである。


アシュコート伯爵は、年甲斐もなく顔を赤らめたまま、まだ信じられないと言った様子で固まっていた。


「エスター侯爵の邸宅で、ギルバート様を迎えていたのは私だったのです」


オリヴィアは、アシュコート伯爵と初めて会った時の事を説明した。もう40年以上も昔の事である。


「双子と言うだけあって、シルヴィアとは見分けが付かなかったでしょうね。若い頃は私の脚も、ごまかせる程度には大丈夫でしたし」


「混乱して……何が何だか……」


アシュコート伯爵は、まだ呆然と茶カップを手にしたまま、固まっていた。


オリヴィアはイタズラっぽく微笑み、説明を続けた。


「あの頃、妹のシルヴィアは、連日の脅迫状を受け取っていて、心底参っていた状態だったのです。私にはストーカーの類と分かっていましたから、私がシルヴィアの替え玉となり、ストーカーの正体を暴いて撃退するという作戦でしたの。そこに、六人目の容疑者としていらしていたのが、ギルバート様だったという訳ですわ」


アシュコート伯爵は視線を泳がせた。


「あの頃は……エスター侯爵邸の周囲で、悪趣味な脅迫状や落書きが……いや、あれは黒魔術だったな、意中の女性の心を得る為の、オマジナイとか何とか……」


アシュコート伯爵は何とか気を取り直し、ギクシャクとしつつ――危なっかしい手つきながらも、茶カップを受け皿に戻す。


「歪んだオカルト趣味の、稚拙な小細工でしたわね」


「オリヴィアも相当だったではないか」


呆れたような溜息をつくアシュコート伯爵であった。


「その不自由な脚で、銃と剣の心得のあるストーカー男と、一戦まじえようとしたのだからな。現実は、おとぎ話の『戦乙女ワルキューレ』と同じようにはいかない物だというのに」


オリヴィアはちょっと目を見張り、その後、少女のようにコロコロ笑う。


「ギルバート様が代わって、鉄拳で話し合いをして下さいましたわね。印象深い出来事でしたわ。父は……とても優しい人で、そういう荒事とは無縁でしたから。その分、私が気を張っていたところがあって……」


オリヴィアはお茶を一服し、感慨深げに呟いた。


「……気が付いたら、あなたを愛しておりましたわ」


アシュコート伯爵は赤面してうつむいた。照れ隠しに、銅色の髪をしきりにかき回している。


「生死不明の双子の件は聞いていたが、本当に双子とは……確かに、印象は、最初の舞踏会の時とは面白いくらい違うなと思ってはいたが……」


納得する事が次々に思い出されて来る。


――エスター侯爵邸での令嬢は、首都圏の舞踏会で初めて会った時の大人しそうな印象を、大きく裏切っていた。何か楽しそうな事を思いつくと、緑色の目がキラキラと輝き出す。イタズラっぽい微笑み。そして何よりも、鋭いユーモア感覚を感じさせる、痛快なまでの受け答え。


「何処で再び、入れ替わったのか……あ、あの後か? あのストーカー事件が解決した後、馬車で一人、外出した事が……」


「フフ、正解ですわ」


オリヴィアは肩をすくめ、イタズラっぽい笑みを見せた。


アシュコート伯爵は、疲れたように大きな溜息を返すのみだ。


「道理で。あの日を境に、最初の印象どおりの、おとなしい令嬢に戻ったな、とは思っていたんだ……」


――あの火のような気性に惹かれていた。


あの昔のやり取りの後、自然にエスター侯爵家とは縁遠くなった。そして色々と不思議な出来事があって、思いがけずアシュコート伯爵の地位が回って来たのだ。


伯爵は、複雑な思いでオリヴィアを見やるしか無かった。


周辺の事情が落ち着いたら、いずれは求婚しよう――と思うくらいには心惹かれていながら、最後の日、その手を取りそこねてしまった令嬢を。


「あの時、私は……あなたの手を取るべきだったか……?」


オリヴィアは少し寂しそうな笑みを浮かべ、うつむいた。


「そうは参りませんでしたわね。私には……近いうち、伯爵になるギルバート様も、奥方の姿も……見えておりましたから……」


――恐るべき透視能力だ。


アシュコート伯爵は、今更ながらに驚きを込めて、オリヴィアを見直した。


「グレースの姿が……か? 子供たちの姿も?」


その確認に、オリヴィアはシッカリとうなづいたのであった。


オリヴィアにとっては初恋であった。しかし同時に、決して成就しない恋である事も、オリヴィアには、最初から分かっていた……


「年を取る程に悪くなる、私の脚の事もございました。ギルバート様のご両親は、私を認めなかったでしょうね。私にしても、当時の貴族社会が求めるような、良き妻としての能力が無かった。私には、生まれながらにして、ゴールドベリ一族の未来を占う巫女としての義務がございました」


人生とは選択の連続だ。生まれついた立場によっては、限られた選択肢、限られた道しか示されない場合も多い。その迷いと苦しみの中で、オリヴィアは一つの道を選択せざるを得なかったし、実際に断固として一つの道を極めたのである。


沈黙が横たわった。窓の外では、春の夜の風がさやぎ続けている。


「……ゴールドベリの巫女、それも、最も強い先祖返り……か。いにしえのゴールドベリ直系の巫女ともなると、どれ程の物が見えていたのだろうな」


「直系の最後の巫女は、いわゆる『神』の相も見えていたそうですわ。それが、狂信者の怒りをかった理由にもなったのですけれども」


オリヴィアは、長く秘めて来た思いを噛み締めつつも、穏やかに微笑んで言葉を続けた。


「私は、レディ・グレースには、なれない。でも、ギルバート様の余生の旅路を……今は既に遠くなった青春の思い出と共に――古い友人として、また戦友として、お供させて頂くだけで光栄です」


アシュコート伯爵は灰色の目を細め、ゆっくりと微笑んだ。若かりし頃のように。


「私にとっては、オリヴィアはいつでも謎と神秘に満ちた火の乙女だったよ」


「相変わらず口がお上手ですわね」


オリヴィアも感謝とユーモアを込めて、小気味よく切り返したのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ