レスター邸…音楽会の夜
ハクルート公爵は、勝手知ったる館と言った様子で、中庭を取り巻く回廊を歩き出した。
エドワードとヒューゴも後に続く。
館から洩れる光が、ボンヤリと回廊全体を照らしていた。中庭には淡い色の花々が咲き乱れ、艶のある花弁がボンヤリとした光を照り返しているため、この辺り一帯は、意外に明るく見える。
やがて三人は、誰からと言う事も無く、回廊の一角でゆっくりと足を止めた。
中庭に宵闇の風が吹き、ボンヤリとした薄明りの中で、花々の甘い香りが流れる。レスター家の自慢の中庭だ。今夜は音楽会がメインのため、こちらは注目の的では無かったが。
ヒューゴは暫し首を傾げた後、釈然としないと言った風で口を開いた。
「エスター侯爵は、ゴールドベリ一族では無い筈です」
「貴族名簿によれば、デンプシー家ですね? 確か」
「私が言うのは、アルヴィン・G・フレイザーだ。話題になるような人では無かったし、息子の居なかった貴族の常で、死後は別の家系に爵位が移行したからな」
そう説明するハクルート公爵の脳裏には、いつしか、かつてのエスター侯爵とその令嬢、レディ・シルヴィアの姿がよみがえっていた。
故エスター侯爵は灰褐色の髪と褐色の目をしていて、物静かで印象の薄い人物だったが、素晴らしいまでの博識の持ち主だった。息子には恵まれなかったが、ありとあらゆる知識を惜しみなく我が娘に与えたと言う。
「故エスター侯爵のミドルネームは、G……表向きの名乗りこそ無かったが、彼はゴールドベリ一族の子孫の一人だったのだ」
エドワードとヒューゴは、驚きで沈黙したまま、耳を傾けている。
「過去の歴史を思えば、かの徹底した秘密主義は正しい選択かも知れんな。いにしえの騎士の時代に連なる狂信者の時代、魔女弾圧が猖獗を極めた頃、ゴールドベリ一族は、神話時代にまでさかのぼる叡智と伝統と神秘的な能力の故に、魔女と同一視されていた。激しい弾圧の結果、一族の直系と言う意味での血筋は、火刑台の上で直系の最後の魔女が燃え尽きた時に完全に断絶したのだ」
ハクルート公爵の説明が、暫し途切れた。
エドワードが目を見張りつつ、呟く。
「……そこまでは、寡聞にして存じませんでした」
「政府高官でも限られたメンバーにしか伝えられない事だからな。ゴールドベリの名は、血縁の中でも限られた人しか名乗れない。その分、世間では、自称『ゴールドベリ』の偽者が絶えない訳だが……今でも、巫女の託宣で一族の宗主を選ぶそうだ」
ハクルート公爵は思案顔で、中庭の花々に視線を泳がせた。
「レディ・シルヴィア・G・フレイザーには、双子の姉がいた。当時、姉の方は生死不明の扱いだった」
そこで、ヒューゴがハッとした様子で口を挟む。
「レディ・オリヴィアは、脚を悪くしていらっしゃって、若い頃から社交界に出ていなかったそうですが」
「うむ。アシュコート伯爵に聞いた時は驚いたよ。ゴールドベリの巫女として、こちらに隠棲していたとは……」
*****
三人は、レスター家のメインの催しである音楽会の会場に入った。
工夫と贅を凝らした華やかな会場には、既に社交界のお歴々が到着している。プログラムが始まる前の空き時間を有効利用して、あちこちで人物紹介や挨拶が交わされていた。
ハクルート公爵は、『その筋』の見知った顔を順番に確認して、意味深な笑みを浮かべた。
会場の一角では、アシュコート伯爵と彼を取り巻く数人の知人が、レディ・オリヴィアと丁重に挨拶を交わしている。
年老いてなお美しいレディ・オリヴィアの姿に、改めて感心する。
平均的に言っても、足腰を悪くする人が多くなる年代だ。レディ・オリヴィアも脚を悪くしているのだが、この年齢になれば身体的には目立たない事もあり、このように特別な機会には、招かれれば社交界に出るようになったらしい。ゴールドベリ一族に連なる人物をその気にさせるには余程工夫が必要だろうが、宮廷社交界に招く事も出来るかも知れない。
ハクルート公爵は、今回レディ・オリヴィアを初めて見るという事もあり、注意深く観察した。既に白髪がほとんどで、顔にも年相応のシワが刻まれているのだが――これ程に美しく年を取る人を、他には知らない。
「もう60代の筈だが、あの謎めいた美貌……魔女の噂も納得だな。ゴールドベリ一族の宗主との、秘密の通信もある筈……」
「ゴールドベリの宗主? グウィン氏は、100歳を超えているとの噂もありますが……まだ生きていたんですか?」
ハクルート公爵はうなづきながらも、この時ばかりは珍しくボヤいた。
「彼の地位や影響力からすれば、このロックウェルの問題は些細な代物に過ぎん。表立って動かないのは理由があるのだろうが、私には訳が分からん」
*****
舞台に楽団メンバーが揃い、演奏プログラムが始まった。観客席は、ほぼ埋まっている。
エドワードやヒューゴと共に観客席に着き、音楽に耳を傾けながらも、ハクルート公爵は懸念を口にした。
「アンジェラ嬢は、スミス家とは上手くいってないらしいな」
「そこまで、お聞き及びでしたか」
ハクルート公爵の地獄耳に、感心しきりのヒューゴである。ヒューゴは暫し思案して内容をまとめると、アンジェラの事情についてハクルート公爵に説明を始めた。
「シルヴィア・スミス夫人が早死にした後、スミス氏は残された娘のセーラの養育の事もあって、後妻を迎えたんです。その後妻が、今の大奥方、ハリエット・スミス夫人であります」
「予想がつくな……良く聞くところの確執と言う訳だ」
――セーラ・スミス嬢と、新しい奥方ハリエット・スミス夫人は、何故か気が合わなかったのだ。
ハクルート公爵は会場の上座の方に目をやり、納得の表情を見せた。
――かの『スミス家の大奥方』が、孫息子オズワルドと共に座を占めている。
こうして観察してみると、ハリエット・スミス夫人は、過剰なまでのプライドの高さが仄見える、面倒そうな老女だ。レスター分家の名家スミス家を維持すると言うのは、大仕事らしい。往年の際立つ美貌が端々に窺えるのだが、威厳を保つためなのであろう刺々しい表情が、実年齢以上に老けた印象を与えている。
老ハリエットは、同じ会場に居るオリヴィアを気にしている様子で、チラチラと視線をやっていた。スミス家はレスター家の第二位の席次にあり、取り巻きとして、レスター家の下位親族メンバーを相当数、揃えている。しかし、オリヴィアを取り巻く重鎮メンバー程の人脈は無い事が窺えるのだ。
ハクルート公爵は腕組みをし、息子エドワードの方へ視線を泳がせ……少しの間、回想を繰り広げていた。
*****
……音楽会が始まる前。親族のみが集まる、レスター邸の第二の広間。
ハクルート公爵は、地獄耳の忍者としての秘密の特技を生かし、その場にひそかに潜入していた。息子エドワードが妻に望んだ、令嬢の人となりを見極めるためだ。
老スミス夫人は、レスター家の第二位の席次を持つ高位の親族として、並み居るレスター親族の挨拶を受け入れているところであった。
しかし、アンジェラの姿を見るなり、老スミス夫人は化粧がひび割れる程に顔を引きつらせ、手に持っていた扇で、貴婦人のサインを送った。『即、この場から立ち去れ』と。
アンジェラは、ヒューゴやヒューゴ父のレスター当主などといった、親族として最小限必要な――最上位のレスター家の面々とのみ挨拶を交わし、その後、速やかに姿を消していた。
その間、老スミス夫人は徹頭徹尾アンジェラを無視した。アンジェラに近付こうとする第二位以下の下位親族を険しく睨み付けて、牽制すらしていた。明らかに、スミス家の先妻の孫娘でもある筈のアンジェラを、『その場に居ない物』として扱っていたのだった。
そこには、他人の目にも明らかに見て取れるほどの、冷え冷えとした空気が流れていた。
――エドワードは、あの奇妙な関係を察知して、すぐにアンジェラ嬢を追った。思った以上に、ユージーンの娘に本気と言う訳だ……
*****
回想から戻ったハクルート公爵は、再びヒューゴを見やった。
「貴族名簿やら何やらで下調べしておいたが。シルヴィアの夫・スミス氏は、確か、再婚した後、間も無く死んでいなかったかね?」
「その通りです。二代目も早死にして……今はオズワルドが目下の独身当主で、花嫁募集中です」
エドワードは無言で、ハクルート公爵とヒューゴの会話に注意深く耳を傾けていた。
ヒューゴの説明は続いた。さすがにレスター家の身内だけあって、その内容は詳しい物である。
「セーラは10代半ば頃スミス家を出て、レディ・オリヴィアの付き人として生計を立てていたそうです」
セーラがスミス家を出た理由については、陰で色々とささやかれてはいるものの、正確なところは明らかでは無い。セーラは、実母シルヴィアに似たのか大人しい性質で、正面切って抗弁するというような事は無かった。
どう見ても、後妻たるハリエット・スミス夫人が、先妻の娘たるセーラを、何らかの言い掛かりをつけて追い出した形に近い。しかし、それを公的に指摘すると、ズルズルと身内の恥をさらしかねず、レスター家の者でさえ遠慮する状態なのだ。
「その後、セーラがロックウェル公爵の奥方に迎えられて……」
ヒューゴは、そこで一瞬の間だけ言いにくそうに口ごもったが、すぐに先を続けた。
「スミス家の大奥方にしてみれば……まあ、実の娘を差し置いて、追い出していた筈の先妻の娘が公爵夫人に出世してしまった訳ですから、余計、複雑らしくて……」
ハクルート公爵は思案深げな顔で、ゆっくりとうなづいた。
「――流転の令嬢だな。二代に渡る因縁が、アンジェラ嬢の上にたたっとる訳だ。その上に、ロックウェル公爵の問題がある……か」
そして、ハクルート公爵は様々に思う事があったのか、長い沈黙に落ちた。
音楽会のプログラムは、いつの間にか後半へと移り、今夜の注目の華やかなオーケストラ曲が始まりつつあった。
エドワードは、数々のハッキリとしない疑問を抱えながらも、父親を見つめるのみだった。
*****
レスター家開催の音楽会が終了し、社交界の定番でもある夜会が続いている。
ハクルート公爵とその息子エドワードは、レスター邸の庭園のひっそりとした一角を散策していた。ハクルート公爵は元々お忍びで来ている身であり、夜会をすっぽかす事など簡単な事だ。
やがてハクルート公爵が、おもむろに口を開き、エドワードに語り掛ける。
「お前も、妙な存在に惹かれる性質らしいな……あの奔放な弟に預けたのが、やはり問題だったのかね」
父親に先立って庭園の小道を歩いていたエドワードは、意味深な笑みを浮かべた。小道の途中に、ランプが灯された瀟洒なあずまやがあり、深夜にも関わらず、ボンヤリと明るい。
「でも、そのお蔭で、想像以上に色々な事を学びましたよ。叔父が居なかったら、キアランとも会っていなかったでしょう」
「リドゲートか……彼の腕前も大した物だな」
「銃と剣の名人と名高い叔父が、私たちの師匠でしたからね」
そして自然に、沈黙が流れた。ハクルート公爵は、真剣な眼差しでエドワードを見やる。
エドワードは次に来る父親の言葉を予期しているのであろう、真剣な表情で、虚空の彼方を見つめていた。あずまやから洩れる光に、若者の心もち長い金髪がきらめく。
長い沈黙が過ぎた後――ハクルート公爵は腕組みしたまま、確認するように問い掛けた。
「あの手紙の追伸に書いた事は、本気なんだな?」
「ロックウェル事件にケリが付いたら、彼女に求婚します」
エドワードは、真剣なまなざしで会場の方角を眺めていた。現在、会場では、イザベラやアンジェラが縁組作戦を実行中の筈だ。
ハクルート公爵は、クイと片眉を上げた。
「――よりにもよって、私に脅迫状を書いた娘に?」
「私もまさか、多忙を極める父上が、本当に此処に来られるとは思いませんでしたよ」
今度は、ハクルート公爵が腕組みを解き、あらぬ方を眺める番であった。
「弟のヤツ、脱税の内偵の技術ばかりか、減らず口まで仕込んでいたらしいな……」
父親は、幾分か皮肉っぽい口調ではあったものの、不興を感じている様子は無かったのであった。




