クロフォード伯爵邸…邂逅する謎(前)
翌日、朝食が終わって、大広間でお茶の時間である。
「昨夜の舞踏会で、倒れたって!?」
お行儀悪くも、円卓の上に落ち着いたマティは、昨夜のルシールの転倒を聞いて驚愕しきりだ。
「それは大袈裟よ……腰ひねっただけだし」
お茶を一服し、のんびりと苦笑する。
ダレット夫妻がまだ大広間に登場しておらず、リラックスできる。
「今は何とも無いから……」
「ウォッホン!」
思わずギョッとして振り返るルシールとマティ。
ドクター・ワイルドが、いつの間にか大広間に登場していた。いつもの往診だ。ドクター・ワイルドは腰に手を当てて仁王立ちになり、ギョロ目を剥いて来たのだった。
「それは、ワシが診察してから決める事だよ。全く、どいつもこいつも素人診断しやがる」
ルシールはさすがに首をすくめる格好になった。マティもビックリしてポカンとしている。
同じく大広間の中ほどに居るキアランの方は、いつものようにムッツリとした様子だ。ライナスの傍らでお茶を一服していたが、ドクターに気付いて立ち上がり、軽く会釈をする。
ドクターもキアランに、いつものように会釈を返した。そして大広間の中ほどまで来ると、ドクターは、すこぶる具合の悪そうなライナスに気付いた。
ライナスは、出されたお茶に手を付けようともせず、顔色を悪くしたまま、ソファにグッタリと座り込んでいる。目は充血しており、目の下には色濃いクマが出来ていた。
「寝不足の兆候が全身に出ていますぞ、ライナス氏」
「ローズ・パークに置き去りにされたってんで、明け方の馬車で午前様。でも、アラシアは外泊してたから、慌て過ぎだねッ」
「ほうほう」
ドクター・ワイルドはひとしきり、訳知り顔で立派な白ヒゲを撫でた。衝立で仕切られた次の間を示し、ルシールを促す。
「着衣の裾を上げるから、隣の間で……」
マティも一緒に付いて行くのを見て、ライナスは何やらブツブツと呟き始めた。
「ガキの特権ってか……」
その時、執事が大広間の扉をノックして現れた。
「リドゲート卿。陳情の方がいらしております」
「あぁ、分かった」
*****
キアランの客人は、ダレット荘園の教区を担当する年配の牧師だった。
牧師は、キアランが応接室の椅子に落ち着くなり、涙目で訴え始めた。
「わたくし、ダレット荘園の地所で牧師をしておる者です。小作人を代表して陳情に参りました。ダレット荘園では、無茶な増税で小作人の脱走が増えていて……小作人を代表し、ダレット家の特権をクロフォード伯爵に没収いただきたいと訴えるものです」
キアランは差し出された書状を受け取り、無言で牧師に椅子を指し示した。年配の牧師は、やっと椅子にヨロヨロと落ち着く。
「訴状は受理しておきます。いずれ、抜本的対応を取りますので……」
「何とぞよろしくお願いいたします」
年配の牧師は、白髪頭を深々と下げた。
*****
大広間にて――
ドクター・ワイルドの診察が終了した。
「その辺を歩き回る程度なら、全く大丈夫だ。安静を強制したリドゲート卿に感謝するんだね。それにしても、何で、こう狙ったかのように、腰をねじる羽目になったのかね」
ルシールは顔を赤らめてうつむくばかりだ。
次いでドクターは、首を振り振り、カバンの中を整理し始めた。
「伯爵の方は骨折の直後、その足で愚かにも部屋を移動してくれたから、治りが遅れとる。男ゆえの自負も、時には問題だな」
ドクターの言葉に驚き、ルシールは目をパチクリさせた。今の今まで、クロフォード伯爵が骨折していたとは知らなかったのだ。
「伯爵様は何故、骨折を?」
傍に居たマティが早速、訳知り顔で口を出す。
「復活祭の直後、馬車事故でさ! 馬がいきなり暴走したとかで。同乗していたプライス判事は、数個の擦り剥きで済んだけど」
「暴走事故?」
「あの事故は絶対、闇の陰謀なんだ! 超・邪悪な宇宙人の一味が――」
「――その妄想の力を、もっと違う方向に振り向けたまえ」
マティは想像力があり過ぎる。ドクターは、ガックリしたように禿げ上がった頭に手を当てたのであった。
やがて、ドクター・ワイルドは、伯爵とクレイグ牧師の往診に赴いた。ルシールとマティは正面階段を登って行くドクターを見送ると、お茶の続きをするため、大広間へと引き返し始めた。
その時、玄関広間に、いきなりダレット夫妻が現れた。
ギョッとして隅っこに引っ込むルシールとマティ。
ダレット夫妻が大声でスタッフたちを呼び集めたため、玄関広間は、にわかに騒然となっていた。
「お前たち、遅い! 何をグズグズしとるんだ、サッサと動かんか!」
「テンプルトンの集会に遅れたら大変なのよ、ムチ打ち百回は覚悟しなさい! 早く馬車を出して!」
「こら、執事よ! 急いで馬車を回したまえ!」
レオポルドは、少しでも自分が命令できる部分があれば、そこを見逃さず命令している。
ルシールはポカンとするのみだ。
「王様みたいね」
「王様気取りさ。伯父さんの目が届かないところでは、あんな感じだよ」
レオポルドは、隅っこでコソコソしていたルシールとマティに、目ざとく気付いた。こういう部分では、やたらと勘が良いらしい。レオポルドは足をバンバンと踏み鳴らす。
「こら! ガキも女も頭が高い! このライナスを見習うんだ!」
その隣では既にメイドや召使が整列している。赤毛の優男・ライナスも来ていて、いつの間に調子を立て直したのか、恭しくレオポルドに頭を下げていた。
「こと偉大なる貴族たる閣下が、貴き奥方様をお見送りになる……この場に同席いたす栄誉は、実に貴重と申し上げまする」
ライナスが口にした歯が浮くような社交辞令に、マティとルシールは唖然とするばかりだ。レオポルドの方は、称賛の言葉が続けば続く程、上機嫌な様子でふんぞり返っている。
ダレット夫人が乗り込んだ馬車を見送るため、お仕着せのスタッフたちが前庭で美しく整列している。マティとルシールは、その端に参列する形になった。
マティは、レオポルドの方からは見えにくい場所、すなわち背の高い大人たちの後ろに陣取りながらも、小バカにしたように鼻をかき始めた。
「元・貴族なのに、筋が通らねーよ」
「元・貴族って?」
「ダレット家は準男爵なんだよ。アラシアの方も、本当はレディの称号は付かないんだぜ。キアランの婚約者って事で、伯爵令嬢扱いだけどさ」
マティはいつもの受け売りだ。
贅沢に装ったダレット夫人を乗せた金縁の大型馬車は、前庭ロータリーを荘重なペースで回って出て行く。
その様子を眺めつつ、マティは、ブツブツと呟き続けていた。
「キアランにチクってやる……どうせ、賭博の集会なんだ」
ある意味バカバカしいほど大仰な、馬車の見送りが終わった。
レオポルドは、勢揃いしたスタッフその他を放って、万事心得た執事に正面玄関の扉を開けさせる。そして、傲然とした態度を崩さぬまま、自分だけサッサと館内に入って行ってしまった。
あれだけゴマをすったにも関わらず、スタッフたちと共に無残に取り残されたライナスではあったが、常にこういう扱いだ。本人は諦めたように溜息をついている。
……ライナスは、下心を込めた意味深な眼差しで、ルシールの方を見やった。
ルシールよりもマティが先に、その視線の意味に気付く。
「邪魔してやるもんね」
マティはライナスに向かって舌を出して見せると、唖然とするライナスを差し置いて、ルシールの腕にピッタリと取り付く。ライナスに目を向けかけていたルシールは、マティを注目する形になった。
「庭園の散歩に行こうよ、ルシール」
ルシールは不思議そうにしながらも、快くうなづいた。マティは、ちゃっかりとルシールを横取りしたのである。
――あのクソガキ、マセやがって。トッド家の何とやらと言うが……単なる悪ガキだろ!!
マティに『鬼たちの居ぬ間のルシールとのデート』を横取りされると言う形になったライナスは、ただ震えるのみだった……
*****
館の最上階フロア、クロフォード伯爵の応接間。
ドクター・ワイルドはいつものように、松葉杖を突いて部屋を歩き回る伯爵を注意深く観察していた。ドクターはカルテに診察結果を記録しながらも、徐々に疑問顔になって行く。
「昨日から骨折の治癒が早まっておるようです。最近、何か変わった事がありましたか?」
「いや、特には……」
ドクターに問われ、伯爵は不思議そうな顔をしながらも、首を振る。
しかし、一緒に居たクレイグ牧師は思い当たる事があった様子で、茶カップを口から離した。
「もしかして……ルシール嬢のハープ演奏ではありませんか?」
「ハープ?」
ドクターは片眼鏡を外しながら、クレイグ牧師を振り返った。クレイグ牧師は笑みを浮かべている。
「あのルシール嬢は、ハープについては、レディ・オリヴィアの弟子だそうですよ」
「オリヴィア・ゴールドベリ!? アシュコートの緑の森の魔女……!」
「ご存知で?」
「ゴールドベリ一族は、知る人ぞ知るヒーラーの一族でして……古代、我が国の開祖の王室で、侍医を務めたと言う歴史もあるんです。一族は特別な耳を持っていて、治癒の力を持つハープの技術を伝承している……ゴールドベリを知らない医者は、モグリですぞ!」
ドクター・ワイルドは訝しそうに眉根を寄せた。
「ライト嬢は一族じゃ無い……生まれる前から魔女の傍に居たとかでは、まさか無いでしょうな」
「確か、そう言っていましたね。馬車事故で母親が怪我していた頃、レディ・オリヴィアが、ハープを使って治療に当たっていたとか……」
「いやはや、実に驚きですな……訓練された耳を持っておった訳じゃ」
感歎の溜息をついた後、ドクター・ワイルドは確信を持った顔で、クロフォード伯爵を振り返る。
「骨折部分は余り痛まない筈じゃが、如何です?」
「実際、痛みは格段に減っているんだが……と言うよりは、ムズムズするな」
伯爵は、驚きを込めた眼差しで、骨折した片脚を見下ろした。伯爵の言葉に、ドクターは納得したようにうなづいている。
「骨折部の接着の進行が早まっているからですよ。階段昇降の件、明日の診察で決めましょう」
*****
庭園の茂みの中、マティとルシールは、子犬のパピィをモフモフしていた。
マティは、いつの間にか失敬して来た朝食の肉の残りを、パピィの前で見せびらかす。すると、パピィはエサに食い付こうと跳ね回り、忍者よろしく見事な宙返りを披露したのだった。
不意に、正門を通る馬車の音が響いて来た。馬車の音は、次第に近づいて来る。
ルシールは驚いて、音のする方向を振り向いた。
「……馬車の音が?」
風が強く、木々のざわめきが大きいため、マティは馬車の音を拾えずポカンとしていた。このルシールの音の弁別能力は、ハープ演奏で鍛えられたものだ。
マティは早速、茂みの中から前庭ロータリーを窺い、本当に馬車が走って来るのを確認した。ダレット夫人が乗って行った金縁の大型馬車に良く似ている馬車だ。御者は別人だが。
「ホントだ! 馬車だ!」
「ダレット夫人が帰って来てる!? 出発したばかりでは……!?」
「そんな筈は……隠れて!」
マティは慌てながらも、ルシールを茂みの中に引き込んだ。
馬車の中から現れたのは、きらびやかなドレスに身を包んだ金髪の美少女だ。
「アラシアだ! あ、そうか! 徹夜組の取り巻きの誰かから、一番良い馬車せしめたんだな」
馬車の傍には早速、レオポルドとライナスが近付いて来ていた。アラシアは、けだるそうな様子で帽子を外した。
「キアランは何処かしら」
「あの堅物は仕事の虫さ」
レオポルドは館の方を見やり、口を歪めて答えている。
「退屈な人ね! あたくし今眠いから、先に寝室の方に行くわ」
「こよなく美しきレディ・アラシア! 是非エスコートの栄誉をば私に……」
アラシアは、恭しく頭を下げているライナスに向かって、手に持っていた帽子を乱雑に放った。
レオポルドとアラシアは、従者よろしくライナスを従えた。館のスタッフたちが美しく整列して出迎える中、館内に傲然と入って行く。
「ホント、世が世なら、クロフォード伯爵とクロフォード伯爵令嬢よね……」
ルシールは苦笑して肩をすくめ、マティを見やった。
「彼女、夜更かししてたのね。若い頃は良く夜更かしするものなのよ」
「ルシールも夜更かしした事あるの?」
「勿論ハープよ、アンジェラとの二重奏とかね」
マティとルシールは、先日の方向とは違う方向に向かって、庭園の小道を歩き出した。




