クロフォード伯爵邸…邂逅する謎(中)
一陣の風が再び吹き渡り、特徴のある花の香りを運んで来る。
風の方向に向かって庭園の小道を折れたルシールは、行く手にライラックの木を見付けた。
「早咲きのライラック……」
ルシールは感心して、手元に届く範囲の枝を調べた。本番の季節にはまだ早いが、ここ数日の上天気に誘われたのか、幾つかの枝が薄紫色の花を付けていた。
ルシールは早速、数本の枝をゲットした。ニッコリ微笑んで、今日の成果をマティに披露する。
「五弁の花が咲いてる……何か良い事あるかもよ」
「どういう事?」
「五弁の花のライラックを見つけると、ハッピーになるって言い伝えがあるの……聞いた事は無い?」
「初耳だよ」
ゲットした枝は、いずれも鑑賞に堪える程度の花を付けていた。
――伯爵様のお見舞いに差し上げてみようかしら……
あれこれと思案していたルシールは、風が更に強くなってきた事に気付き、空を見上げた。
雲が速く流れ、天空の一角で壮大な固まりを作っている。雲の切れ間から昼下がりのまばゆい陽光が差し込み、薄明光線を形作っていた。雲の切れ間の生成消滅に従って、刻々と位置を変える幾本もの光の筋。えも言われぬ程の、圧倒的で、荘厳な眺めだ。
「雲の模様が変な感じ?」
「こりゃまたでかい嵐だよ、しかも雷がセットで……」
マティは、空を見上げると、即座に恐るべき天気を予報したのであった。
「ディナー前に、またパピィをバルコニーに連れて来て良いかい?」
「勿論よ」
マティは早速、飛ぶように駆け去って行ったパピィを呼びながら、後を付いて駆け出して行く。
「パピィ! 戻っておいでよ、パピィ!」
しかし、当のパピィは、既にあの庭園道具の倉庫の奥に入り込んでしまい、なかなか出て来ない状態だったのである。
「問題発生?」
「パピィが倉庫の奥に入り込んで出て来ないんだ。何かお気に入りが転がってるらしくてガチャガチャと……前にも、なかなか出て来ない事が結構あったんだ」
ルシールはマティの傍に近付き、無残に破壊されている入口の方から、慎重に倉庫の奥を窺った。倉庫の奥の方は色々と立て込んでいて、薄暗い感じだ。
「一体どうやってパピィを出したら良いのかしら」
「車庫からランプを拝借ッ!」
マティはクルリと身を返して駆け出すと、最寄りの車庫からランプを取り出して来た。
やがて倉庫の奥がランプに照らされる。ルシールの手によって、パピィは、じゃれている物から引き離された。ルシールはパピィの遊び道具を眺めると、目を見張った。
「これは、大枝を切る大型の……」
背丈の半分以上もありそうなサイズの、パワフルなハサミだ。本来の場所に取り付けられておらず、乱暴に放り出されている。
「この倉庫を壊した人が、ついでに扉の方から投げ込んだみたいね……」
「扉の方から投げ込んだって?」
「私の祖父なら、こんな場所には置かないわよ。大型ハサミの定位置は、多分、あちらの壁」
その壁も破壊の余波を受けて歪んでいたが、内部構造は意外に頑張っていたのか、大型の道具が順番に取り付けられてある。大型ハサミの定位置と思しき場所だけ、まばらに空白になっていた。
不意に、マティは『閃いた!』と言わんばかりの表情になった。絵本の挿絵に出て来る、少年探偵そのもの。
「……もしかして」
マティは、奇妙にゆっくりとした口調で、ルシールに疑問を投げた。
「ねえ、ルシール……この大型ハサミ、裏の柵も破壊できると思う?」
「やって出来ない事は無いと思うわ、普通の木製の柵だし」
マティの問いの意図が分からないルシールは、モヤモヤした物を感じながらも首を傾げた。
「何か、考えてる?」
「うん……前から引っ掛かってた事があってさ……」
それきり、マティは沈黙した。
マティの様子が急変した事に、ルシールは更に首を傾げた。そのまま、パピィを外に連れ出し、間に合わせの紐でパピィの身体を結ぶ。
「いい子ね、パピィ。いきなり居なくならないように、此処で待ってて」
「わふん」
無邪気そのもののパピィは、上機嫌で亜麻色の尻尾をモフモフと振っている。
その間にもマティは大型ハサミを詳細に調べ続け――そして、すぐに驚いたような声を上げた。
「ハサミのネジに、何かが光って……」
マティはネジ穴の間に挟まっていた光り物を外すと、ランプの光で観察し始める。
ネジよりも幾分大きいサイズで、何やらキラキラと光っているのだ。
「パピィは光り物が好きで……」
マティは早速、戻って来たルシールに発見物を見せた。ルシールは仰天した。
「宝石細工のカフスボタン!?」
「カフスボタン? ……あの、袖口にくっつけるヤツ?」
マティには、大人のファッションの知識は余り無いのだ。ルシールは、驚き覚めやらぬまま、カフスボタンを見つめた。
「見事なカットのダイヤモンドね……とても綺麗! ボタンとしては、片割れしか無いみたいだけど……」
「ルシールの目の色の方が、断然綺麗だよ」
マティは、キョトンとするルシールにランプを向ける。
「ほら、レディ・アメジスト!」
「……それどころじゃ無いわよ、マティ! 判事に届けないと……こんなに高価な落とし物、きっと誰かが困ってるわ」
ルシールは頬を染めながら倉庫を飛び出した。
――ドキドキが止まらない。
暗い倉庫の中のランプの光。フラッシュバックさながらに、昨夜の馬車の中、ランプの下でキアランと急接近した出来事を思い出させる。マティと気が合うのも納得だと思えるくらい、キアランの態度は『妙』だった……
――『妙』と言うのも何か変だわ。いや、特に変とか、異常とか言う訳じゃ無いけど!
*****
マティは、ルシールの迷走したような反応に首を傾げながらも、大人しく倉庫を出た。いつもなら、ませた物言いでルシールに突っ込むところだが、物凄い勢いで、カフスの事が気になり始めていたのである。
ランプを元の場所に戻すと、マティは、改めて陽光の下で、カフスボタンを眺めた。
問題のカフスボタンは、まばゆいばかりにキラキラと光っている。ダイヤモンドやら何やらの価値は良く分からないが、高度な宝飾細工が施されている事は一目で分かる。確かにパピィが夢中になるほどの見事な光り物だ。
ルシールと連れ立って館へと戻っている間も、マティの頭は、この場違いなまでに豪華なカフスボタンの謎について、猛烈に推理を進めていた。
……散策路の途中で、打ち捨てられ忘れられた、事故馬車の車輪のオブジェを横切る……
ルシールが、ふと気づき、壊れた車輪のオブジェに視線を投げる。
「もしかして、あれ、馬車事故が起きた時の物かしら?」
マティの目が、キラーンと光った。
――勿論だ! 馬車は暴走させられたんだ! アントンの倉庫を破壊し、東側の裏の柵を破壊して、大型ハサミを投げ込んだ犯人によって……ね!
*****
館へ戻る途中の二人は、厩舎の脇の道に入った。
マティは厩舎に新しくつながれた馬を見るなり、ピョンピョン飛び跳ねながら指差した。
「判事の噂をすれば、判事の影が来た! ――あれ、判事の馬なんだ」
「まあ、納得の大きさ」
立派な体格の大きな馬だ。あの大男を乗せるのに相応しい頑健さが感じられる。ルシールは、その馬をしげしげと眺め、感心するのみだった。
マティとルシールは、正面玄関の扉を通った。ちょうど玄関広間を通りかかった執事が二人を見て、少し驚きながらも軽く会釈して来る。
「お帰りなさいませ、マティ様、ライト嬢」
「判事は何処?」
「皆さんとご一緒に大広間においでで」
マティは早速、大広間の扉に駆け寄り、勢い良く扉を開いた。
「プライス判事ーッ!」
「おうッ、坊主か」
マティが元気良く大広間に駆け込む。プライス判事は、大広間の中央から外れた辺りで茶を一服していたところで、大広間の扉の傍で手を振るマティの姿を認めると、愉快そうな笑みを浮かべたのであった。
大広間では、レオポルドとライナスとアラシアが、上座の別々のソファに並んで座っていた。
プライス判事とキアランは彼らから少し距離を置いて立っており、めいめい円卓や椅子の背に手を掛けて楽にしながら何やら相談していた。ライラックの枝を抱えて現れたルシールに気付くと、二人とも揃って「おや」と言ったように姿勢を正した。
マティに続いて入って来たルシールが、大広間の面々に敬意を表して、綺麗な会釈をした。その正統派の貴婦人さながらの所作は、庭園作業着の姿だという事を忘れさせる程の優雅さで、レオポルドも一瞬、会釈を返しそうになった程だった。
アラシアは、一気に不機嫌になった。キアランは、一瞬たりともルシールから目を離していない。
「プライス判事、あのね、あのね……」
プライス判事の大きな身体の周りをクルリと回ったマティは、早速アラシアに、「何の用?」とギロリと睨まれてしまった。
「アラシアは一段と、ご機嫌斜めじゃんか」
プライス判事の大きな身体の陰にサッと避難しながらも、口だけは、いっちょまえにボヤいて見せるマティである。プライス判事もマティに合わせて背をかがめ、ヒソヒソと返す。
「気にすんな、マティ坊主よ。こっちも、一時間以上も舞踏会の話を聞かされて、うんざりしていたんだから」
アラシアの攻撃的な視線が、ルシールに移る。
マティとプライス判事の後ろにはなったものの、アラシアの不機嫌な視線にさらされて、ひたすら青ざめるばかりだ。
プライス判事はルシールを見て、不意にピンと来たような顔になり、身を起こした。
「おッ、そうだ。ライト嬢、今日、カーター氏から新しい伝言が……」
「こっちの話が最優先だよ! こんなもん見つけてさ」
「あ、あの、マティの話を先に」
判事は再び大きな身体をかがめ、マティの手に乗った代物を注目する。
そして、プライス判事は、驚きに目を丸くしたのだった。
「こ……こりゃ、また贅沢なカフスだな! 誰のだ!?」
判事の手には、まばゆいばかりのダイヤモンドが埋め込まれたカフスボタンがある。小粒なれど、その輝きと言い色合いと言い、間違いなく一級品だ。キアランも思わずカフスボタンを注目した。
判事はカフスボタンをひっくり返し、そこに持ち主の頭文字らしき刻印が打たれている事に気付いた。
「何か、独特な感じの『L』の刻印が……」
判事の言葉に、キアランは目を見張っていた。
「……謎のL氏……?」




