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花の影を慕いて  作者: 深森
第四章 レディ・アメジスト
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クロフォード伯爵邸…舞踏会の前(後)

ダレット夫人は、汚い物でも見るかのようにルシールをジロジロと眺め回していた。ダレット夫人は如何にも迷惑そうな様子で、贅沢なハンカチを口元でヒラヒラさせる。


――どうせ下賤な女、このサインの意味は理解できないでしょう。


しかし、貴婦人のサインを熟知していたルシールは、その意味を既に読み取っていた。


『さっさと出て行け』


庭園作業着という格好であっても、貴婦人の振舞いをするのにやぶさかでは無い。だが、ルシールには、ドクター・ワイルドの往診を受けるという約束があるのだ。人との約束は、面子を保つためだけの各種マナーよりも、優先されるべき事項である。ルシールは素早く考えた末、マティにならって無反応を通したのだった。


「この程度のサインも理解できないなんて、教育がなってないわね!」


ルシールの無反応を見たダレット夫人は、苛立たし気に手持ちの扇を開閉した。扇がパシンと鳴る。ダレット夫人の口元には、見下げるような笑みが浮かんでいた。


「教えてあげるわ、さっきの『貴婦人のサイン』の意味は、『出て行って良い』という意味よ! この程度のサインも分からないなんて、なんて無知なのかしら!」


ルシールがポカンとしている間にも、ダレット夫人の侮辱発言は続いた。


「ローズ・パーク舞踏会で赤っ恥をかくのになるのはお前なのだから、身の程を知って、おとなしく引っ込んでなさいな! 末席の使用人から始めて、社交界のルールを勉強して来なさい! ま、この年齢でコレだけ愚かなのだから、クロフォード伯爵邸の見習いメイドにすらなれないでしょうけどね……!」


ルシールは再びマティの、ノホホンぶりを窺った。困惑しながらも、顔を半分伏せる。


「その格好! ボロボロの顔を下げてシャアシャアと出て来れるなんて、さすが卑しい階級だわねえ……鏡を見て反省しなさいよ! それに、あなた、年は幾つかしら? 後見人も居ないとはね、さすが、父親不明のふしだら女だわね……格式ある社交界では、年齢制限があるって事も、知らなかったのかしらね!?」


ルシールは戸惑いながらも、礼儀正しく答えた。


「――今年、25歳になります」


ダレット夫人は一瞬、ギクッとした顔になり、「まさか、レディの発音……」などと口ごもった。扇を持つ手が不安定に揺れ始める。


「……ウソ!?」


「25歳……!? マティ君と、それほど年の離れてない姉弟みたいなものかと……!?」


驚きの声を上げたのは、アラシアとライナスだ。


庭園作業着をまとい、ほとんどスッピン状態のルシールは、どう見ても、社交界に出るにはギリギリの、若過ぎる年頃にしか見えないのだ。顔の引っかき傷が残っている状態という事もあり、マティと並ぶと、お互いにそれほど年の離れていないイタズラ姉弟と言った風である。


マティが愕然とした様子で、ルシールの顔を何度も見直している。次に手を伸ばして、ルシールの両頬を、「ふにふに」とつねり始めた。


「ウソ……絶対、15歳は越えて無いと思った……」


自分は一体何歳に見られているのかと、ルシールは苦笑いするしか無い。



次の瞬間、大広間の扉が開いた。開いたのは執事だ。


ひょっこりと現れたのは、ドクター・ワイルドだった。


「失礼するよ、患者さんがこちらだと聞いたんだ」


アラシアは、急にライナスを放って身を返すと、猛烈な勢いでドクターに身体の不調を訴え始めた。


「先生! あたくし、ものすごく気分悪いんですの! 震えが止まらなくって、食欲も全く無くって、頭がガンガンして……、動悸も乱れたままで、夜も眠れませんの! あたくし、今にも死ぬんですわ! 全部、あの呪われた顔面の、地獄から現れたような恐ろしい傷だらけの、卑しい魔女のせいで――」


マティが目を丸くした。


「すげえ! あの長大なセリフを、息継ぎなしで!」


一方的にアラシアの不健康の責任をなすり付けられたルシールも、絶句するばかりだ。


アラシアの気性を隅々まで熟知しているドクターは、慌てず騒がず、処方箋を書き出した。


「舞踏会が、一番の特効薬ですな」


冗談そのものの処方箋をアラシアに手渡し、ドクター・ワイルドは薄い水色の目をギョロリとさせる。


「ダレット嬢、『頭痛が痛い』なら、そこのソファに横になりなさい。あとで、この世で最も効果のある注射を、チクッとして進ぜよう。象をも一発で昇天させるほどの、確かな注射ですぞ」


ドクター・ワイルドには、本当にそうしかねない雰囲気がある。


アラシアは気圧された様子で、別のソファに着座し始めた。


アラシア問題を手際よく片付けたドクターは、早くも大広間の窓際の席に陣取り、ルシールを招いた。マティが好奇心タップリな様子で後を付いて行く。


窓際の席で、ルシールの怪我の診察が手際よく進んでいった。


ドクター・ワイルドはクロフォード伯爵の主治医であり、その社会的地位は非常に高い。名医としての評判も高く、過去にはダレット一家もお世話になっている程だ。傲岸不遜なダレット一家も沈黙し、往診の様子を見物しているばかりだった。


ドクターはルシールの脈をとり、ニヤリとした顔で、ルシールにウィンクを寄越す。ドクターは手慣れた動きで、ルシールの頭の包帯を解いていった。


「アントン氏に似て石頭だね。ふっふっふ。……ふむ?」


ドクター・ワイルドは不意に怪訝そうな顔になり、ルシールの頭頂部を眺め始めた。キョトンとした様子でヒゲを撫で、首を傾げる。


「包帯は外しても良いが……何で、新しい打撲が出来とるんだ?」


「……あ、昨日、標識ポールに頭をぶつけて……」


ルシールは顔を赤らめて、頭に手をやった。ドクターは面白そうにニヤリとする。


「ほほぉ! そりゃ、また痛かった筈だ。ホレボレするような見事なコブじゃからな。前方注意はしときなさい、お嬢さんや」


次にドクターはルシールの歩行の姿勢をチェックし、姿勢の崩れに目ざとく気付いた。


「変に力が入って姿勢が崩れとる。この辺の痛みは残っておる訳じゃな」


ドクターはテキパキとルシールのカルテを作成した。記録作業が一区切りつくと、ドクターは、今後の身体の扱いについて、ルシールに注意を与えた。


「今夜は舞踏会だそうだが、急に腰をねじらんように。馬に蹴られた際の脇腹に食らった衝撃は、結構深部に到達しとるからな」


「分かりました」


*****


……アラシアは、自分を中心に世界が回って居ないと満足しないと言う性質だ。従って、ルシールの方が注目を集めているというこの状況は、アラシアにとっては、とりわけ『あってはならない事』である。


アラシアは、その美しい青い目に険しい光を浮かべ、明らかにドクターやマティ、キアランの関心の的となっているルシールを、視線で殺さんばかりに睨み続けていた……


*****


マティが小さな身体を精一杯テーブルに乗り出しながら、質問を投げる。


「ねぇヒゲ先生、ルシールは25歳だと言うけどさ、そう見えないよ」


「イッヒヒ……お肌が綺麗じゃからな。節度のある生活のお蔭じゃろう」


マティに調子を合わせて、愉快そうにうんちくを返すドクターである。ドクターは『往診終了』と言う風に、ルシールにうなづいて見せると、サッと診療カバンを手に取った。


「さて、次は閣下とクレイグ殿の往診だな……失礼」


再び執事が扉を開き、ドクターは勝手知ったる大広間を退出して行ったのだった。



――何はともあれ、ダレット夫人の沈黙のサインに応じられるようになった。


ルシールは、アラシアの刺々しい眼差しに戸惑いながらも、キアランに一声かける。


「あの、リドゲート卿、縫い物がまだありますので、これで……」


大広間の面々に素早く一礼し、速やかに大広間を退出するルシールである。マティも、『ダレット一家の近くには一秒たりとも居たくない』と言った風に、ルシールにくっついて出て行った。


*****


大広間には、キアランとダレット一家とライナスが残る形となっていたが、キアランとレオポルドとの間の緊張は、一瞬たりとも和らぐ事は無かった。


「ローズ・パークまで距離があるので、昨日より早めに出発の予定です。いつものように、大型馬車を用意させておきます」


キアランは、ダレット一家に必要事項だけ告げると、静かに大広間を退出した。


大広間の扉が閉まるが早いか、レオポルドは盛大に鼻を鳴らした。


「フン! さすがに、あの忌々しい男の血筋という訳だ」


「あの下賤な女もローズ・パークの招待客とはね! さぞ卑劣な手練手管を使ったんでしょうよ!」


ダレット夫人は、辛辣な口調でルシールを貶めていた。


アラシアは、目障りなルシールが消えてせいせいした、と言わんばかりに上機嫌でソファに座り直した。何時間も掛けてセットした豪華な髪型をいじくり回す。


「25歳ですって、あの茶ネズミ……言うなればチビのオールド・ミスって……笑っちゃうわ!」


しかし、ダレット夫人は何を思ったか、不意に厳しい顔をしてアラシアに向き直った。


「アラシア! すぐにエステを呼び寄せるから……今後、夜更かしとタバコは、厳禁よ!」


ライナスの存在は、哀れにも、すっかり忘れられていたのであった。


*****


ローズ・パーク舞踏会への出発時間が迫っていた。


だが、ルシールは、まだ部屋の中に居た。


新しく据え付けられた鏡台の前で、飾り気の無い格好を何とかしようと思いあぐねているところだ。


「どうも決まらないし、どうしたら良いのかしら……」


ルシールにくっついて部屋まで入って来ていたマティが、やがて身を乗り出すと、アドバイスを始める。


「そのブローチ、髪飾りにすると良い感じだよ」


「ブローチ?」


マティはルシールからリボンを受け取ると、早速、リボンをルシールの頭に巻き付け始めた。


「工作なら得意だから……」


シンプルなアップスタイルにまとめられたルシールの髪型に、リボンがヘアバンドのように巻かれ、側頭部でシッカリした結び目を作った。そこに、髪飾りに見立てたアメジストのブローチが取り付けられる。繊細で軽いデザインなので、ずり落ちないのだ。


「どんなもんだい!?」


意外に、それなりに舞踏会仕様にまとまっている。


マティの多彩な才能に、ルシールは感心するばかりだ。


「マティって、スタイリスト、成功するかも」


「そう? オイラは大発明家になる予定だけどねッ」


*****


いささかの手荷物を準備し、ルシールは外套をまとって玄関広間で待機した。


ほどなくして、シンプルな正装に身を包んだキアランが現れる。キアランは手袋をしながら、声を掛けて来た。


「時間は正確なんですね」


「……?」


目をパチクリさせるルシールに、キアランはエスコートのための腕を差し出す。


「……私、ですか?」


一方、執事はいつの間にか玄関に控えており、訳知り顔で玄関扉を開いていた。


*****


遅い昼下がりの頃、クロフォード伯爵邸の正面玄関の前。


そこには既に、ローズ・パーク行きの馬車が用意されている。二頭立ての軽快そうな黒塗りの馬車と、四頭立ての金縁の豪華な大型馬車だ。いずれの車体にも、クロフォード伯爵家の堂々たる紋章が刻まれている。


キアランはルシールを、二頭立ての馬車の前までエスコートして行った。昨日と同じ若い御者が既に御者席に待機しており、万事心得た様子で会釈して来る。キアランがそれに応え、うなづいて見せた。


「ダレット一家とライナス氏は、何処にいらっしゃるんですか?」


「ダレット一家は身支度が長くていつも遅刻する。ライナス氏に任せてあるし、放って置いて大丈夫です」


ルシールはこの場に居ない人々の事を気にしていたが、キアランはダレット一家に対して、あっさりと言うよりも、むしろ素っ気無い様子だ。


キアランはルシールを馬車の中にヒョイと上げると、四頭立ての大型馬車を担当する御者と従者に、『よろしく頼む』と言う風に会釈した。


四頭立ての金縁の大型馬車を担当するのは、壮年の見目の良い御者と従者である。いずれも、気難しいダレット一家に上手に対応でき、頼りになるベテランたちだ。


揃いの仕立ての制服は華やかな物であったが、肝心の御者と従者は、キアランに会釈を返しながらも、まるで罰ゲームか羞恥プレイの順番に当たったかのように、ゲッソリとした様子であった……

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