クロフォード伯爵邸…舞踏会の前(前)
大窓から、夜明けの光が差し込んでいる。
ルシールは夜なべして、せっせと黒服を舞踏会仕様に縫い直していた。
朝食の時間も終わろうと言う頃、やっと縫い直しが終了する。首周りと袖周り、そして裾周りがパーツごとに縫い直されている。黒服ではあるが、ヒラヒラ部分とフリル部分が増えただけ、何とかごまかせるであろうという風だ。
遊びに来ていたマティは、ルシールの手仕事を感心して眺めていた。
「これで、何とか舞踏会仕様になった感じね。こんな事もあろうかと、パーツ型にしておいて良かったわ」
「器用だね、ルシール。それで、ホレ」
マティは、無地の白い手袋をルシールに見せた。
「それ、どうしたの?」
「アラシアのから失敬して来たヤツさ。サイズ、大丈夫だろ?」
「……ダレット嬢は怒らないのかしら?」
「あいつは気付かんぜ、新しいレースのド派手な手袋がマイブームでさ」
ルシールはマティに押される形で、おずおずと手袋に手を入れた。少しだぶつくが、問題はない。
得意満面のマティは、さっそく大蛇のオモチャを操作し始めた。
「何を隠そう、この大発明の蛇の皮だって、以前アラシアが気に入らんって放り出した布で出来てるんだ。それをこうしてな……、マティ様ったら、慈悲深いじゃんか」
「……そうなの?」
ルシールは大蛇のオモチャを眺めながら、圧倒されていた。
いつの間にか、何やら改善が施されたらしく、前より動作パターンが増えている。実に本物の蛇そっくりの動きだ。
*****
朝食後のお茶の時間。
ルシールとマティもお茶に呼ばれて、館の大広間を訪問する。
手持ちの服の都合が付かず、ルシールは庭園作業用の格好のままだ。
ルシールとマティが大広間に入ると、先にお茶していた紳士たちが立ち上がり、迎えた。
「お早うございます、ライト嬢」
早速、カーター氏がルシールに声を掛ける。昨夜は、カーター氏も、クロフォード伯爵邸で割り振られた部屋に宿泊していたのだ。
「昨夜は、どうもお世話になりました」
カーター氏に挨拶を返したルシールは、次に、見慣れない紳士がお茶をしている事に気付いた。
背丈はキアランと同じくらいだが、赤毛の優男といった、親しみやすい雰囲気だ。赤毛の紳士の方も、不思議そうにルシールを眺めて来ている。
カーター氏が二人の間に入り、人物紹介を始める。
「地元の紳士で、傍系親族の一人、ライナス氏です。ダレット家の親しい友人と言う事です」
次いでそこに近付いて来たキアランが、紹介の続きを受け持った。
「ライナス氏、こちらはルシール・ライト嬢。カーター氏が担当する案件に関して、当分の間、この館に滞在する予定です」
ライナスとルシールは、改めて丁重に一礼し合った。
その隣で、マティが、ライナスを見るなりパッと思い当たった顔になる。
「思い出した! カニング氏の隣の隣の隣の詩人の息子!」
「ハハ。久し振りだね、マティ君」
ライナスは、ルシールの庭園作業用の男服を眺め、首を傾げた。
「何故に、そんな奇妙な格好を?」
「いささか訳がありまして……」
「ワイルド先生が往診に来るしねッ」
改めて各々ソファに座り、ティータイムの再開となる。
ルシールがマティにお茶を入れ始めた。
宮廷で見るような貴婦人の所作だ。ライナスは感嘆の眼差しになり、興味深そうに眺め始めたのだった。
「ライト嬢は、何処かで行儀作法を学んでいたのですか?」
「アシュコート伯爵領で、レディの付き添いをしておりますので」
「先程は、レディ称号をお持ちの何処かの令嬢かと思いましたよ」
「恐れ入ります、ライナス氏」
カーター氏が足元に置いていたカバンを取り、書状を取り出す。
「私は事務所に戻りますが……アントン氏の私信の写しを取りましたので、原本を差し上げます」
「まあ、有難うございます。カーターさん」
ルシールは感激しながらも、慎ましく書状を受け取った。祖父アントン氏の自筆の文書だ。
傍で見聞きしていたマティは目を丸くした。早速、カーター氏に質問を投げる。
「私信って、何?」
「アントン氏は20年ほど前に、既に孫娘と会っていたと言う内容ですよ」
「どういう事?」
「20年前、アントン氏は、アシュコート伯爵領を訪れ、亡くなったとされる娘さんの墓を探しておられましたが、そこで見い出したのは、生存中の娘さんと孫娘さんだった……という内容になります」
マティは毎度の目から鼻に抜ける賢さで概要を理解し、更に素晴らしく端的に、要点を言ってのけた。
「……と言う事は、ルシール・パパは結局、不明なんだ」
「残念ながら」
マティの頭脳に感心しつつ、カーター氏は律儀にうなづくのみであった。
カーター氏が、マティの頭を撫でて、館を退去した後。
お茶が一巡したところで、ふと怪訝に思ったルシールは、失礼の無いように辺りを見回した。
「……ダレット一家は、おいででは無いんですか?」
「ダレット家は全員、朝寝坊。他人を死ぬほど待たせてから、偉そうに登場するんだぜ」
ルシールは絶句した。
ライナスは複雑な苦笑を浮かべ、キアランも無表情ながら頭に手をやっている。
ルシールは、そんな彼らの様子を見て、首を傾げたのだった。
(ダレット一家って、いったい……)
*****
そして正午も近付いて来た頃。
執事が入室して来て、慇懃な態度で大広間の扉を開けた。
「レオポルド殿、レディ・ダレット、ダレット嬢のお出ましです」
ダレット一家のお出ましだ。大広間の扉を通り、贅沢な身なりの親子三人が傲然と現れる。
キアランとライナスが、さっそく立ち上がって迎える。
身分の高い人々への表敬のため、ルシールも立ち上がった。マティは不真面目な様子で立ち上がり、片方の爪先で、もう片方の足元を退屈そうにコリコリとやっている。
ダレット一家は揃って、ルシールとマティの表敬を完全に無視した。ライナスやキアランに上から目線を返しただけで、サッサと上座のソファに座を占めてしまったのだ。
まだ子供に過ぎないマティはともかく、ルシールを『その場に居ない者』として扱っている事は、目にも明らかだ。着座のタイミングが読めず、ルシールは愕然として立ち尽くす。
マティが万事心得た様子で、ルシールの袖をチョイチョイと引いて来た。ルシールが不思議そうにマティを見やると、マティはソファにピョンと座り、隣席をポンポンし始める。
ルシールは、おずおずとマティの隣に座る形になった。
……ダレット一家は、意図的に、ルシールを立たせたまま放置していたのだ。ルシールが怪我人であるにも関わらず。
金髪碧眼のダレット一家の面々から発散される威圧が、重い。
ライナスは手慣れている様子で、素早く阿諛追従の笑みを張り付けている。
アラシアとライナスは、早くも、キアランに見せつけるかのようにベタベタし始めた。若者ならではの陽気なふざけ合いだ。
キアランの無表情はピクリとも動かず、ルシールは、困惑が止まらない。
若者同士のふざけ合いは、すぐに、度を越えたイチャイチャぶりに発展した。ライナスがアラシアの手の甲にキスすれば、アラシアは純情そうに頬を染めて見せる。
「もう、お上手ねえ、フフフ」
「おお、この世に類無く輝く髪の女神、レディ・アラシア!」
「何か他におっしゃることは無いの?」
ライナスは歯が浮くような熱烈な賛辞を並べ立てていた。詩人の息子だけあって、言葉遣いは達者なものだ。賛辞がきらびやかになればなる程、アラシアは上機嫌な様子になる。
「今宵のローズ・パーク舞踏会で、高貴な令嬢をエスコート致す以上の光栄は考えられず……」
唖然とするルシールの隣で、マティが、ソファからパッと身を起こした。
「ライナスがアラシアをエスコートするの?」
「フン、何を分かりきった事を!」
ダレット夫人が小バカにするように答えたが、マティも慣れているのか、それには取り合わない。
「それじゃ、ルシールはキアランがエスコートできるね」
アラシアは、マティの指摘にギョッとし、顔色を変えていた。
「今、何と言ったの!?」
アラシアのキンキン声に戸惑うばかりのルシールの横で、マティは、ノホホンとした様子で茶を一服している。何と言うか、大物だ。
「ルシールも、ローズ・パーク舞踏会に行く事になってる」
「それは不可能よ! 第一、乞食も同然の……ドレス一着も持ってない筈よ!」
「誰かが燃やして、炭にしたからね」
マティは白々しい目付きで、チラとアラシアを見やった。
アラシアは急に、マティの話術に乗せられていた事に気付いた。もう少しで、昨日の癇癪交じりの破壊行動の意図を、自分で白状するところだったのだ。アラシアは、いっそう恐ろしい形相をして、マティを睨み付けた。
「身の程知らずの、クソの茶ネズミに、悪魔のガキが……!」
次にキアランに目をやった瞬間、アラシアは、コロッと態度を変えた。急に目に涙を浮かべる。
「あ、あたくしは何もしなかったわよ……!」
悲劇のヒロインさながらだ。美しい声を震わせ、透き通るような青い目に涙を浮かべている。完璧な金髪碧眼の美少女だけに、それは、世の男性たちが思わず哀れに思って構いたくなるような、あえかな雰囲気に満ちていた。
アラシアは、目に涙を一杯溜めながらもマティとルシールをビシッと指差し、とっておきの美しく震える声で、非難と告発を重ねた。
「そっちの魔女とマティの方が怪しいでしょ! 前の復活祭の時の大犯罪は知ってるわよ!!」
アラシアの叫び声は大広間の外まで響くほどの大きさだ。
しかし、ライナスは我関せずといった様子で大人しくしており、控えの間でスタンバイしている筈のスタッフたちが動く気配も、全く無い。
マティが以前に、『アラシアの性格は、みんな知ってる』と解説した通り、皆が皆、アラシアの過激な発言傾向や癇癪気質を良く心得ていたのだった。どのようなタイミングで緊急出動し、緊急避難すべきかという事も。
レオポルドが、キアランの方をジロリと睨む。
キアランは無表情のまま、レオポルドの視線を見返す。
――剣呑な気配。
ルシールは青ざめ、目を泳がせた。
キアランとダレット一家の面々の間に、ピリピリとした空気が張り詰めている。大広間の中は、異様な雰囲気だ。
とりわけ、キアランとレオポルドとの間の緊張感が、重い。腹の底まで染み入って来るような重圧感だ。
(これが、婚約中の二人の会話かしら? それとも、本物の気難しい貴族って、こういう物?)
ルシールは隣に座っているマティに、そっと目をやった。
マティはフンッと鼻を鳴らし、お茶を飲んでいる。しかし、マティは飲んでいるふりをしているだけだった。
「親子で揃って、何で、ああいう認識なんだよ……ダレット家全員の頭を割って、中身を調べたいもんだ」
カップで半ば顔を隠しつつ、マティは辛辣な口調でささやいていたのだった。やはり大物だ。
ルシールは目をパチクリさせたまま、そろりと、ダレット夫人の方を窺う。




