クロフォード伯爵邸…思惑の彼方
夜は更けて行き、やがて深夜に近い時間帯になる。
カニング家の舞踏会から戻って来たキアランたちの一行が、クロフォード伯爵邸の正面玄関の扉の前に到着した。
「お帰りなさいませ、リドゲート卿」
ベル夫人を伴って玄関広間まで迎えに出ていた執事は、いつものように滑らかに一礼した。早くも、ベル夫人の後ろには若いメイドたちが整列している。
執事は、一行の人数が増えた事に気付き、怪訝そうな表情を浮かべた。
「……レオポルド殿、その方は……?」
見ると、レオポルドの隣に、一人の若い紳士が控えている。赤毛の優男と言った雰囲気だ。特に飛び抜けた容貌と言う訳では無いものの、美青年と言って良いほどには、整った顔立ちだ。
レオポルドは、いつものように傲然とした命令口調で、居並ぶメイドたちに向かって怒鳴った。
「お前たち! もう一人分の部屋を作れ! 地元の紳士のライナスだ……傍系の親族だが、トッド家などより地位は上だぞ! 早くしろ、コラ!」
若いメイドたちは、レオポルドの怒鳴り声に思わず首をすくめた。
「一体、どういう事なのでございましょう?」
若いメイドたちは、互いの顔を見合わせながら、こそこそとベル夫人の後ろに隠れた。ベル夫人は、レオポルドの怒鳴り声にも顔色一つ変えず、冷静なままであったのだ。
「レオポルド殿の気まぐれが、また始まったとか……」
執事もまた困惑しつつ、声を潜めて、若いメイドたちに解説するのみだ。
ベル夫人は、レオポルドを無視してキアランに一礼すると、早速、若いメイドたちを指揮して部屋の準備を言い付けた。
かねてから手順を叩き込まれていた若いメイドたちは、心得た顔をして、一斉に散らばってゆく。
レオポルドは不機嫌いっぱいに鼻を鳴らした。
実際のところ、ベル夫人に関しては、このような失礼な態度を取られても、家事能力に徹底的に欠けているレオポルドには、どうしようも無い。
ベル夫人は、クロフォード伯爵邸の中では最も有能な家政婦だ。クロフォード伯爵邸が、由緒正しい名門に相応しい、威厳と格式に満ちた荘重な雰囲気を維持しているのは、ベル夫人の家事能力による部分が極めて大きい。
レオポルドは、傍で贅沢な羽毛扇をいじっている娘に耳打ちを始めた。
「良いか、アラシア……キアランが当て馬で来るなら、こちらも当て馬だ。お前の部屋の隣がライナスの部屋だ。キアランの関心を引き付けて、あおっておけ」
「任せといて、パパ。キアラン様、あたくしの事は、よく聞くんだから!」
アラシアはキアランを横目で眺めながら、勝ち誇った笑みを浮かべて安請け合いした。
キアランとライナスは、執事を挟んで、明日の朝食のスタイルについて打ち合わせをしている。その辺りの事に手を掛けるのが面倒なアラシアにとっては、つまらない話し合いの一つだ。
アラシアが欠伸を噛み殺しながら、羽毛扇やドレスのレースフリル部分をボンヤリといじっている間、ベル夫人は奥に姿を消していた。しかし、それ程の間を置かずして、ベル夫人がテキパキとした様子で再び現れ、キアランとライナスに一礼して来た。
「ライナス様。お部屋の準備が整いましたので、いつでもどうぞ」
「お手間をおかけいたします」
ライナスは、キアランとベル夫人に一礼し、ダレット家の面々の元に戻った。
アラシアは殊更に気取った所作で、ライナスの腕に手を回す。
キアランがアラシアにエスコートの手を差し出したが、アラシアは「フフン」という笑いと共に、キアランの手を無視した。絶対的優位を確信した、勝利の笑みだ。
「エスコートはライナスにして頂きますのよ。もしかしたら……明日の舞踏会のエスコートも、ライナスにして頂くかもね?」
アラシアはニヤニヤ笑いだ。ライナスの腕に一層ピッタリとくっ付く。
キアランは驚いたように目を見開き、アラシアを眺めた。アラシアに合わせて、ライナスも申し訳なさそうな笑みを浮かべている。
キアランは素早くうなづくと、丁重に一礼した。
「どうぞ、ダレット嬢のお気に召すままに」
キアランはそのまま身を返し、執事を伴って自分の部屋に向かって行った。
得意満面で、レオポルドを振り返るアラシアである。
「さっき見た? 明らかに反応してたわよ!」
「良し良し……これからも、さっきのように、あの馬鹿な石頭に言い聞かせてやるんだ……ウフフ……」
意地悪く忍び笑いをするレオポルドであった。
レオポルドは、今も、そしてこれからも、キアランを自分の都合で振り回すつもりでいた。
そのようにして、絶大な富と権力とを兼ね備えているクロフォード伯爵邸を、おのれの自由にしている。キアランをコントロール出来ている限り、ダレット家の将来は約束されたも同然だった。
*****
キアランは自室に戻った後も、険しいくらいのしかめ面を続けていた。
無造作に上着を脱ぎ、椅子の背に投げる。
随行して来た執事は、訳知り顔で丁重に上着を取り、クローゼットに仕舞い始めた。
「……館内の被害は、片付いたか?」
「お蔭様で」
不意にキアランは、微かに音楽らしき物が流れている事に気付いた。
「……音楽?」
「ああ、ハイ、応接間の方で……」
*****
ほどなくして、キアランと執事は、クロフォード伯爵の応接間に入室した。
扉を視野に収める位置に着座していたカーター氏が早速、気付く。キアランとカーター氏は、目線で会釈を交わした。
ルシールは、クロフォード伯爵のリクエストに応えて、小型ハープを演奏している真っ最中だ。定番の幾つかのバラードを、即興でハープ音楽向けにアレンジした物である。演奏に集中しているせいで、ルシールは、キアランが入って来た事には気付かなかったのだった。
やがて、曲が一区切りつく。
そのタイミングで、キアランは控えめに扉を叩いて見せた。
ルシールが驚きながらも振り返り、会釈する。
「父上、遅くなりました」
「おう、戻ったか」
クロフォード伯爵は、上機嫌で応えている。
「それでは、私どもはこれで……」
カーター氏とルシールは、伯爵とキアランに一礼して、部屋を退出する。
「いつもの部屋を用意してありますので、ごゆっくり……」
挨拶を交わした後、各々部屋に戻って行く二人を、キアランは暫くの間、無言で見送っていた。
キアランの後ろでは、クロフォード伯爵が感心したように執事に語りかけている。
「彼女のハープの腕前は、実に大した物だ……驚きだよ」
「存じ上げておりました」
執事はテキパキと茶器を片付け、やがて応接間を退出して行った。
伯爵は真面目な顔つきになり、キアランの方を振り返ると、今日の確認の質問を口にした。
「タイター氏との直談判で一戦交えた後、ローズ・パークを訪問したそうだな」
「ええ。今日はもう遅いので、報告は後ほど……」
*****
その日の諸々の処理が済み、キアランは自室に戻った。
既にベッドに入っている筈の刻限ではあったが、様々な物思いにとらわれて、なかなか気が休まらない。書類整理をしながらも、キアランの手は、いつしか止まっていた。
急停止した馬車の中、座席から放り出されてしまったルシールの、華奢な身体を受け止めた時。
正直なところ、一瞬、心臓が高鳴ったと言っても良い。
ドクター・ワイルドが調合した、強烈にツンとする消毒薬の匂いの中に、清潔な石鹸の匂いと――露を置いた花のような、微かな香りがしたのだ。
香水にしては淡すぎるし、ポプリ系の香りという訳でも無いようだ。あんな状況で無ければ、あの意外に柔らかな身体を更に抱きしめて、その微かな香りを、もう少し確かめようとしていたかも知れない。
今夜の舞踏会でエスコートしていたアラシアとは、全く違う匂いだった。社交ダンスのペアを務める時、互いの身体の距離が接近するから分かるのだが、アラシアの匂いは、高価な香水と化粧品と紫煙の成分が混ざった、濃厚な物だ。上流階級の、それも特定方面のレディとの付き合いが多いから、必然ではあるが。
……アントン・ライト氏の孫娘ルシール。
祖父アントン氏の色を受け継いだのであろう濃い茶色の髪。そして妖精のような繊細な顔立ちや、表情豊かな大きな目は、母親アイリスから受け継いだ物に違いない。
アイリスの顔は知らないけれど、ルシールとよく似た面差しであったと言う母親だ。あのアメジスト細工のブローチが良く似合うと思われるような、繊細な印象の淑女だったのだろう。
遺伝のイタズラなのか、偶然にも、父親の特徴は身体の奥に沈み込んだのだと思われる。
25年前にアイリスが失踪した時、何があったのか……それは、25年経った今でさえ謎のままだ。
ルシールは本当にレオポルドの私生児なのか。
あのアメジストのブローチに刻まれた、謎の頭文字Lの主――青い目の紳士は、本当にレオポルド・ダレットなのか?
タイター氏との関係は致し方無いとしても――あのダレット家の血が流れていると言うのか?
――『真実を言って何が悪いッ! アイリスは私の婚約者だった! 裏切りやがって、プレイボーイ貴族と浮気しやがって!』
――『確か蒸発したんですよね、冬の真っ只中に行方不明……タイター氏を激怒させて』
――『そりゃ大騒ぎでしたわよ! レオポルド殿の結婚騒ぎの方が、大変だったけど』
――『アイリス嬢が失踪したのも、25年前だ』
――『予期せぬ妊娠』
――『タイター氏は、アイリスさんの恋人を殺す、とか言ってたわよね』
――『青い目の……?』
グルグルと回り続ける、疑惑と不審。
キアランは表情を険しくしかめ、手に持っていた書類をグシャリと握りつぶした。
第三章「庭園ラプソディ」終了
お読み頂きまして有難うございます。第四章「レディ・アメジスト」に続きます。




