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花の影を慕いて  作者: 深森
第三章 庭園ラプソディ
31/92

クロフォード伯爵邸…老庭師の私信

夕食後の時間帯、館の最上階にあるクロフォード伯爵の応接間。


既にクロス・タウン出張から戻っていたカーター氏が、伯爵に報告を行なっていた。


「……以上が、タイター氏との談判の顛末でございます。ほか、アラシア・ダレット準男爵令嬢の破壊行動の件ですが、こちらは閣下も既にお聞き及びのとおり、集中的に被害が出たのは食堂、大広間、二階の廊下の一部、ライト嬢に割り当てられた部屋となります」


概要を聞き終えた伯爵は、再び眉の間にシワを刻んだのだった。


「未成年のやらかした事だから、罪には問えないのだろうな?」


「さようでございます。ライト嬢は父親不明ゆえ、婚外子とされます。ライト嬢が受けた被害は、一般の領民よりも一段階ほど軽微な扱いとなりますので、ほぼ『偶発事故』同様になるかと存じます」


「アラシアは、妙に、その辺の知恵は回る訳だ」


「御意」


クロフォード伯爵の眉間のシワが、いっそう深くなる。


「ダレット夫妻は、躾がなっとらん。我々を困らせると言う目論見があって、あの破壊を放置したのだろうが……」


伯爵がそう言っている間にも、執事が夜のお茶を運んで来た。


微かながら、音楽が流れて来る。ドアが閉まるまでのわずかな間、伯爵は不思議そうに耳を傾けた。


「クレイグ殿の部屋から音楽が……?」


執事は茶を用意しながらも、訳知り顔でうなづいた。伯爵の意向を忖度し、わずかに扉の隙間を残しておく。


「マティ様の癖で、ドアが完全に閉じていなかったのですね。ライト嬢がハープを演奏しておられるのです」


「ハープ?」


「緑の森の魔女に仕込まれたとか」


そう答えた執事は、洒落っ気のある笑みを見せていた。


*****


執事はクレイグ牧師の部屋を訪れ、クレイグ牧師の了解を得て、ルシールを伯爵の応接間に案内した。


黒服は、ベル夫人とメイドたちの協力により、既に洗濯され、アイロンで急速乾燥を施されていた。今はルシールの手によって、縫い直しのための印を各所に付けられた状態である。目下ルシールが着ているのは、庭園作業用の男物の服だ。


服装上の礼儀を失している事は確かである。ルシールはその点を心配してはいたのだが、クロフォード伯爵は軽く微笑みながら、面白がっているだけだった。


「これはまた素敵な格好だ、ライト嬢」


「手持ちの服の都合で……大変失礼いたします」


「ハハハ。そこに掛けてくれたまえ」


ルシールは一礼し、執事によって引かれた椅子に静かに座った。


伯爵はまだ面白がっており、感慨深そうにルシールを眺めている。


「アイリスも、庭園作業の時はそんな格好でね。ローズ・パークで初めて会った時は、驚いたものだよ」


「伯爵様は昔、良く訪問されていたんですか?」


「爵位を継ぐ前の話だよ。爵位を継いで妻と結婚した後は忙しくて、何年も行っていなくてね……気が付いたら、アイリスは既に居なかった」


昔の事を思い出したのか、伯爵は寂しそうな微笑みを浮かべている。


「誰かと結婚していたそうだが……、一度会って話を聞くべきだったかも知れんな」


「気に掛けて頂きまして、ありがとうございます」


ルシールは恐縮しながら、お茶を一服した。


(ローズ・パークの関連の事とは言え、恐れ多い事だわ……)


カーター氏が書類を整えつつ、声を掛けて来る。


「今まで閣下と相談していたのですが。所有物の破壊の件で、ダレット嬢を訴えになりますでしょうか?」


「いえ。今は、ローズ・パークの件に集中したいので……」


「訴えるつもりは無いという事ですか?」


カーター氏は意外そうな顔になった。


「アシュコート伯爵領の方で、アンジェラが公爵を訴えているんです。そちらの問題の方が、ずっと大変なので。ローズ・パーク相続をできるだけ早く確定しておいて、少しの間、アンジェラの傍に居たいのです」


クロフォード伯爵が、驚いたように目を見張る。


「勇敢にも公爵を訴えている?」


「親子認知の裁判です。彼女はロックウェル公爵令嬢なのですが、ロックウェル公爵の方は完全に頭がおかしく……、いえ、少しばかり頭をおかしくされているらしくて……」


ルシールは困惑顔になり、口ごもった。実際、ルシールの見るところでは、問題の公爵は少しどころでは無く、完全に頭が狂っている人物だ。


「ああ……あのロックウェル公爵の案件の事ですね」


「親子認知か……」


クロフォード伯爵は不意に沈黙し、何とも言えない表情を浮かべた。おもむろに腕を組み、何やら思案している様子だ。意外に深刻そうな表情だ。


ルシールは思わず、声をかけていた。


「あの……足が痛みます?」


「いや、何でもない。あぁ、そう言えば、ローズ・パークを訪問したとか……?」


伯爵は苦笑しながらも、滑らかに言葉を続ける。


地位に伴う業務の必要上、身に着けた、ちょっとした社交術であり会話術。


……政界の話術や駆け引きを余り良く知らないルシールは、駆け引きに乗せられたとは気付かないままに、注意をそらされていた……


ベテラン弁護士のカーター氏は、訳知り顔で、穏やかにその様子を眺めていた。


「ええ、お蔭様で……あ、そこで気になる事が……思い出した事がありまして」


「気になる事?」


「あの、私の祖父、アントン氏は、20年ほど前に一度、アシュコート伯爵領に来ていたそうで。どうも私、祖父と会った事があるような気がして……小さい頃だったので、よく覚えていないのですが……」


カーター氏は不意に気付く所があり、目をパチクリさせた。


「それなら、綺麗に説明が付きます」


「おや? カーター氏には、心当たりがあると言うのか?」


伯爵の問いに、カーター氏は滑らかにうなづいた。


「御意。実はアントン氏の遺言書を預かった時、私信もあったのです。子孫が居る事を説明する内容になっていまして……まさかと思っていたので、アシュコートの役所の記録に、本当に該当する記録が見付かった時は驚きました」


カーター氏は、いつも持ち歩いているカバンの中から、古い書状を取り出して見せた。


アントン氏の私信は、以下のような書き出しで始まっていた。


『前略、弁護士カーター殿。以前に受け取った、アイリス・ライトの死亡報告書は誤りであると報告しつかまつり候。ここに、事と次第を記すものに御座候』


内容は次のような物であった。


やはり、アントン氏は20年前、ローズ・パーク邸の運営が軌道に乗り余裕ができた頃、アシュコートを訪問していた。レイバントンの片隅の教会にあると聞く娘の墓を訪ねるための旅だった。


しかし、アントン氏がそこで見たのは、生存中の娘と……五歳になる孫だったのだ。


アントン氏は、その時の状況を書き記していた。


*****


20年前、初夏の頃。その教会では、地方巡回の園芸市場が開かれていた。


アントン氏は、墓地で『アイリス・ライト』の名を探していた。該当の墓が見つからず、首を傾げつつ、グルグル歩き回る。


そこで、親からはぐれたと見える小さな子供が、いつの間にかアントン氏の後を付いて来ていたのだ。つばの広い麦わら帽子を頭に乗せていたため、最初は、脚を生やした麦わら帽子が付いて来ていると思ったくらいである。


アントン氏が足を止めると、麦わら帽子も止まる。


麦わら帽子がおずおずと顔を上げると、大きな紫色の目がきらめいた。


アントン氏は一瞬、息を呑む。不安と戸惑いをいっぱいに湛えた子供の面差しは、幼い頃のアイリスに良く似ていた……


『お前は何だ? ママはどうしたんだ?』


『人が一杯で、迷子になっちゃったの』


『はぐれたのか……何で後を付いて来るんだ?』


『あの、その、「ライト」……』


子供はアントン氏のブーツを見つめていた。そこには、『ライト』という名前が刺繍されている。


『お前、文字が読めるのか……』


『ママも「ライト」って言うの。ウチも「ライト」なの。「ルシール・ライト」って言うの』


『ふーむ……』


そんなやり取りをしているうちに、地味な身なりの金髪の女性が現れた。


彼女はアントン氏の顔を認めるなり、絶句した。そして、口に手を当てて嗚咽をこらえながらも、ポロポロと涙をこぼした。


――不思議な子供の母親は、まさしくアイリスだった。


アイリスは、左の薬指に結婚指輪をしていた。当時のアイリスは既に、『ライト夫人』だったのである。


『結婚したのか? これは……お前の子か?』


『ええ……今は、あの、その……』


……アントン氏とアイリスは、長い話をした。


あの冬の大雪の日にいきなり蒸発したのは何故なのか、馬車事故では何があったのか、そして何故、孫が居るのか。


全ての事情を了解したアントン氏は、長く考えた末に、遂に納得せざるを得なかったのだ。


*****


アントン氏の私信は、以下のように締めくくられていた。


『……身の安全など熟考のうえ、娘の婚姻相手の件については一切を秘密とするものに御座候。しかし、孫の将来は、やはり気になるものと存じ候。孫がローズ・パーク邸の庭園を相続する事、娘アイリスの希望にも相成り候。遺言書が確かに遂行されるよう、願うものに御座候。早々』


カーター氏の読み上げが終わった。


ルシールは呆然とするあまり、絶句していた。


クロフォード伯爵が、難しい顔をして考え込み始める。


「アントン氏は、アイリスの夫が誰なのかを知っていて、敢えて秘密にしたのか」


伯爵の呟きに、カーター氏はうなづいて見せた。


「御意。タイター氏のギャングとしての振る舞いを見る限り、アントン氏の判断は、妥当なものと存じます。アイリス・ライトの婚姻相手については、レディ・オリヴィアにも確認いたしましたが、彼女もご存知ではありませんでした」


カーター氏は思案しつつ、言葉を重ねていく。


「アントン氏から遺言書の相談を受けたのは、ちょうどリドゲート卿が寄宿学校に上がる頃です。ダレット夫妻が館に押し掛けて、レナード様も同じ寄宿学校に入れるべきだと騒いでいた頃でした」


伯爵は、あからさまに溜息をついて、頭を抱えていた。


「ああ……あの頃か。今でも、思い出すと頭痛がしてくる」


ゲッソリとした様子の伯爵を見て、ルシールは目を丸くするのみだ。


「別件も持ち上がって、騒動への対処に手一杯でしたので……アントン氏の文書の奇妙な箇所にまでは気付きませんでした」


カーター氏は改めて、老庭師の私信に署名された日付を確かめた。遺言書の作成と同じタイミングで、私信が書かれている。


「アントン氏は、この件について……三年か四年の間、ずっと考えていたようですね」

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