クロフォード伯爵邸…襲来インタールード
クロフォード伯爵邸の大広間は、大騒動の舞台となりつつあった。
「あのクソの茶ネズミ女……! 叩きのめして、八つ裂きにして、釜茹でにして、食ってやるわ!」
金髪碧眼の美少女・19歳は、何とも惨たらしい殺害方法を大声で触れ回りながら、手当たり次第に物を投げ付け、あらゆる物を破壊して行く。
壊れやすい家具や装飾品、カーテンなどの布地の類の物は、アラシアが通り過ぎた場所では、全て原形を留めていないと言う状態だ。
メイドたちは、破壊された家具の陰で震えあがっていた。周辺で、ガラスや陶器の破片がひっきりなしに飛び散る。
「キアラン様は何処なのよッ! 見つけたら、絶対タダじゃおかないッ!」
特に勇敢なスタッフたちが、破壊神と化したアラシアの行動を何とか制止しようと、空しい努力を続けていた。
執事は、目の前に飛んで来たガラスの破片をかわしながら、何とかアラシアに声を届けようとしている。
「ですから、ダレット嬢、リドゲート卿は出張中でござい……」
しかし、そこへ新たな破片が勢い良く飛んで来た。執事は再び悲鳴を上げながら、素早く身をかわした。
逃げ遅れていたクレイグ牧師は、アラシアが放り投げていた『戸棚の引き出し』を避けきれず、元々悪くしていた腰を再び打ってしまうという有り様だ。腰の痛みが再発し、クレイグ牧師は震えながら、近くのソファにグッタリと倒れ伏した。
「大丈夫!? じいじ!」
「う、う~ん……腰を打った……」
クレイグ牧師は辛そうに呻いた。マティも、すっかり慌てている。
幸い、アラシアは、クレイグ牧師とは反対側の場所に移動しつつあった。クレイグ牧師とマティは、揃って青ざめながらも、アラシアの凄まじい暴れぶりを呆然と眺めるしかない。
「若者の本能で、リドゲートがルシール嬢を連れ出した事を察知しとるな」
「オイラも、とばっちりで殺されそう」
マティは恐れ入ったようにアラシアの方を見ていたが、すぐにピンと来た顔になり、飛び上がった。
「こりゃ、ヤバいぞ!」
少年マティは、ピューッと大広間を飛び出した。
正門前の庭園に駆け込み、高い庭木の枝に上ると、マティは望遠鏡を構えて、クロフォード伯爵邸へと続くなだらかな坂道を見張り始めた。
マティの予想によれば、ルシールの乗った馬車が、やがて見えて来る筈なのだ。
「――来たッ!」
果たして、間も無くしてクロフォードの馬車が現れたのだった。
マティは急いで木から降りると、無謀にも馬車の前に飛び出した。
「ストップ、ストップ!」
「うわわぁッ!?」
御者は、馬車の前にいきなり飛び出して来た子供の姿に驚き、急ブレーキをかけた。マティをよけるように方向転換し、馬車馬は、土埃を撒き散らしながら止まる。
馬車の中で、ルシールが後部座席から放り出された。
前部座席に居たキアランが、すんでのところで、ルシールを抱き止める。
馬車が止まるが早いか、マティは急停止の衝撃で開いた馬車のドアに飛び付き、よじ登る。すると、すぐにキアランが、そこから顔を出した。
「何だ!? いきなり飛び出すなんて」
「ルシールも乗ってるだろ!? アラシア警報、最大級さッ!」
ルシールは急停止の際に、前方の座席の背に勢い良く顔面を打ち付けていた。キアランが抱き止めていなかったら、鼻の骨が折れていたであろう。ヒリヒリする顔面を押さえつつ、ルシールは驚きと疑問の声を上げた。
「もにゃもにゃ……、アラシア、お嬢さんが……、何か……!?」
「今、すっげえ、ヒステリー! 冗談じゃねえよ! ルシール、絶対、殺されるぞ!」
若い御者が慌てたように降りて来て、やっとマティの無事を確認した。『アラシア警報・最大級』という警告に、御者はすっかり青ざめてしまっている。
「ダレット嬢ですと。こりゃまた……どうしましょう、リドゲート卿」
キアランはルシールを速やかに元の座席に戻すと、思案顔でブツブツと呟き始めた。
「昨日の書状の中に、カニング氏による今夜の舞踏会の招待状があった……カニング家はトッド家の隣人だし、堅苦しくない集まりだから、良い機会だと思っていたが……」
最後に謎のコメントを追加してキアランは眉根をきつく寄せ、シルクハットを被り直した。ルシールは、キアランの言葉の前後の意味が取れず、同じようにずれた帽子を直しながらも戸惑うばかりである。
キアランは馬車から降りると、早速マティに声を掛けた。
「マティ、隠れんぼは得意か?」
「身を隠すポイントは、お手の物さ」
キアランは素早くうなづくと、馬車の中からルシールを軽々と抱き下ろした。
朦朧としていたルシールは、地上でマティに手を握られ、「え?」という顔だ。
「その辺に隠れて。ダレット嬢を今夜の舞踏会に連れ出すから、その後で二人で館に入ると良い」
キアランはそう言い残すが早いか、再び馬車に乗り込み、「出せ」と御者に指示したのだった。
マティの手引きで、ルシールは正面玄関が見える低木の中に身を隠した。
キアランが乗った馬車は、正面玄関の前のロータリーを回り、扉の前に横付けされる。馬車の帰還に気付いて、館のスタッフたちが次々に集まって来た。
ルシールは感心しきりで、その様子を眺めた。
「あっさりしてる……」
「あっさり? あれが?」
マティは目をパチクリさせていた。
*****
小一時間は経過したかと思われる頃。
正面玄関の扉の奥から、舞踏会用の贅沢なドレスに身を包んだアラシアと、そのアラシアをエスコートするキアランが姿を現した。そしてその後ろから、同じく贅沢な舞踏会用の姿のダレット夫妻も姿を現して来たのだった。
「ダレット一家を、一体どうやって急かしたんだろ? 一時間以内で引きずり出すなんてさ!」
マティが驚いたようにささやく。
一方、ルシールは、輝かんばかりの金髪の美少女に感心していた。キアランも容姿は悪くないのだ。二人で並ぶと、まるで一枚の絵のようだ……漆黒の貴公子と黄金の姫君。
「ダレット嬢とリドゲート卿は、こうして見ると美麗なペアね。アシュコートの舞踏会でも、なかなか見かけない代物!」
彼らの乗り込んだ馬車は、金の縁の付いた豪華な大型馬車だ。中の内装も、豪華な物だと知れる。玄関の前には館のスタッフがズラリと整列し、うやうやしく首を垂れていた。
ルシールとマティは、低木の中に慎重に身を隠しながらも、正門へと駆けて行く馬車を興味津々で見送る。
「多情多感と冷静沈着って、相性は結構良い方だし、この縁組は割と上手く行くんじゃ無いかしら」
「キアランは超が付く堅物で、なお冷静だけど、全然あっさりしてねーよ」
マティは、ブツブツと反論していた。
やがて馬車が充分に離れて行ったと見て、マティはルシールを茂みから連れ出す。
館のスタッフ揃っての大仰な見送りは終わっていた。正面玄関の扉を閉めようとしていた執事は、マティとルシールが近付いて来たのを認め、ホッとしたような顔になる。
「ご無事で、ようございました」
「ご無事?」
ルシールは執事の苦笑交じりの言葉に首を傾げたが、割り当てられた部屋に入ると、驚きの余り棒立ちになったのだった。
「こッ……この目を疑う破壊はッ……」
部屋に据え付けられていた鏡台は、鏡が粉々に割られていた。それだけでなく、すべての引き出しも引き抜かれ、中身は部屋の中に乱雑に散らばっていた。しかも、無事な物は一つとして無かったのであった。
戸棚の扉も、どうやって破壊したのか見事にひしゃげており、もはや戸棚としての用を足していない。部屋を仕切る衝立も、原形を留めていない。火を付けられたのか、ススだらけだ。
幸い、部屋の窓は、アラシアが破壊に取り掛かろうとする前に制止が入ったらしい。乱暴に開かれたのか窓枠の装飾が削れており、カーテンもボロボロに引き裂かれてはいたが、奇跡的に、ガラスだけは割れていない。
部屋には既に片付けのためにメイドが入っていて、青い顔をしながらも破片の掃除を続けていた。ルシールに気付いたベル夫人が振り返り、困惑の表情を浮かべながらも、丁重に一礼する。
「部屋管理の不行き届きで、大変申し訳ございません。お止めしようと、努力はしたのでございますが……お手数ではございますが、お持ち物を確認して頂けますか?」
ベル夫人に促され、ルシールは部屋の中の物を確認し始めた。
ルシールは戸棚をのぞき、その破壊の有り様に、改めて絶句する。
手持ちの中では一番良い服だった筈の、舞踏会用の茶色のサテンドレス一式が、ズタズタに破られた上に火を付けられて、無残な燃え殻と化していた。明日の夕方のローズ・パーク舞踏会に招待されているという状況なのだが、もはやサテンドレスが役に立たないと言うのは、目にも明らかだ。
一方、庭園作業の時に着る男物の服は、不思議な事に無事だ。みすぼらしく見える代物であるお蔭で、破壊を免れたようなのだ。旅行用カバンも、傷だらけで古びた外見のお蔭であろう、二つ三つばかりは蹴られた跡が見られるものの、意外に大した破壊を受けていない。
余りにも計算高く明らかな悪意を感じ、ルシールは鳥肌が立つのを抑えられなかった。アラシアは、対象を冷静に選んで破壊していたのだ。
ルシールは思案した。
今着ている黒服は、幸いな事にサテンに次ぐ格式を持つモスリン製品だから、首周りや袖周りなどを縫い直せば、非常に地味ではあるが、舞踏会用のドレスとして使える。これで行くしかない。
アラシアの破壊パターンからして、アメジストのブローチを持ち出していたのは実に幸運だった。
ルシールは戸棚の下側の確認に移り、無事な物をカバンの中に詰めて行った。
一つの引き出しを開け……ある筈の物が無い事に気付き、ルシールはギョッとする。
「……ショール!? ライラックのショールが!?」
その時、先程からルシールの作業を見守っていたマティが、手持ちの袋の中から薄紫色の布を取り出した。
「ルシール、これでしょ」
それはまさしく、ライラックのショールだ。ルシールは驚愕の余り、息を詰まらせた。
「マティ……! どうやって?」
「毎度の先回り!」
「ああ、マティ!」
まさにマティは救世主だ。ルシールは感激して、マティをギュッと抱き締めた。
「レディ・オリヴィアが下さった大切なショールなの! 本当に有難う、お礼に何でもするわッ!」
素敵なお姉さんに抱き着かれた形になり、思わず真っ赤になるマティなのであった。そしてマティは照れながらも、何かを思い付いたようで、意味深な目付きになる。
「じゃあさ……部屋に来て、ハープを弾いてくれるかな?」
「それは勿論……、あら? 画廊じゃ無くて?」
「とばっちりで、じいじがまた腰を打ってさ」
話が一段落したところで、ベル夫人が声を掛けた。
「実は、食堂も相当の被害がございます。クレイグ牧師様の部屋に、ライト嬢の食事も運びましょう」
承知してうなづくルシール。ベル夫人は更に確認を重ねた。
「夜は、別の部屋で休まれますか?」
「あ……、この部屋で大丈夫です」
「では、お食事をされている間に、お部屋を整えておきますので」
ベル夫人は一礼すると、ルシールの荷物を預かり、ルシールとマティを部屋の外に出した。
*****
クレイグ牧師の部屋は、伯爵の部屋と同じ最上階にある。
クレイグ牧師、マティ、ルシールの三人の食事が済み、ルシールは画廊から持ち出したハープを奏でていた。
曲が一段落したところで、クレイグ牧師はルシールを気遣った。マティは一日の疲れが出たのか、既に祖父の膝の上で寝入っている。
「マティのおねだりで大変だったでしょう」
「いえ……」
「あなたのハープを聞かせて頂いた後、腰の調子が、ちょっと良くなっていたんだ……マティは、しっかり見ていたんだな」
クレイグ牧師は溜息をつき、愛情深い手で、熟睡しているマティの頭を撫でた。当惑しているルシールを見て、クレイグ牧師は穏やかに言葉を続ける。
「私も牧師です……ハープの師匠と言うレディ・オリヴィアが、ヒーラーと言う事は、すぐ分かりました」
成る程、牧師であれば、その辺りの知識は豊富な筈だ。ルシールは納得した。
「オリヴィア様は、魔女と言われる程の腕前ですわ。アンジェラも、その魔女の血と能力を受け継ぎましたが、私は無関係で……」
「全く無関係だとは、とても言えませんな。私の腰に効果があったのですから……通常の感覚では分からないような、ごく微細な調律があるに違いない」
――確かにオリヴィア様は、ハープの調律については、とても細かくて厳しかったわ。
ルシールは、ハープの修行に明け暮れた長い日々を思い返していた。




