ローズ・パーク邸…オーナー協会の人々(後)
ルシールのすぐ後ろに居たキアランが、ルシールの呟きに気付いた。
「アントン氏を知っている……という事ですか?」
「確信ある訳では……多分、五歳か六歳の頃で……、一度だけで。あの教会で、何かの催しがあった時に……?」
ルシールは曖昧に答えながらも、何が引っ掛かったのかと首をひねり始めた。
――幼い頃、母アイリスと外出した日……
その日は、最寄の教会で、園芸に関する何らかの催しが開かれていたと言う記憶がある。アイリスは滅多に町に出ない人だったのだが、かねてからいつもお出掛けをねだっていた幼いルシールを連れて、その日、珍しく賑わう教会を訪れていた。
しかし、ルシールの記憶は断片的であり、アントン氏らしき老人と出逢った時の状況も、ボンヤリとしたものだった。
「何だか途切れてる……もう少し考えていれば、思い出せると思うけど……」
「頭の怪我が治れば、大丈夫かも知れない」
「それは、そうかも知れません……?」
キアランは、いつものようにムッツリとした表情で、包帯を巻かれたルシールの頭を眺めていた。
ひとまずはキアランの指摘にうなづくルシール。だが、次の一瞬、ハタと気付き、暗に『頭が悪い』と言われたような……と、モヤモヤとした気持ちになったのだった。
ローズ・パーク邸の大広間で、お茶タイムが始まる。
クロフォード伯爵邸の大広間と同じように、此処も談話室として客人に開放されている場所だ。庭園に面する瀟洒な大窓が、レースカーテンに縁どられつつ並んでいる。
淡いローズ色を帯びた大理石の床が華やかな雰囲気を醸し出していた。真ん中あたりには結構な段差があり、これはこれで興味深い構造だ。やはり舞踏会場としては充分なスペースがあり、華麗な彫刻を施された列柱が並ぶ。高い天井には、華麗なデザインのシャンデリアが下がっていた。
絢爛豪華な大広間の中にあるのは、その華やかなスペースに相応しい豪華な家具――と言う訳では無かったが、地元から提供されて来たらしい、素朴な味わいの円卓と椅子が並んでいた。
アントン氏に関するルシールの曖昧な記憶の話を聞き、謹厳実直なグリーヴ氏は怪訝そうな顔になった。
「五歳か六歳の頃? アシュコートで?」
「多分、20年前……」
ルシールは、再び曖昧にうなづくしか無い。
傍で聞いていた警備担当ケンプ氏が、驚愕の面持ちでルシールを見直した。
「今、25歳か26歳って事ですか?」
「今年25歳です」
その時、今まで慎ましく沈黙を守っていた庭園担当ウォード氏が、呆然とした様子で呟いた。茶カップを持つ手が震えている。
「アイリス嬢が失踪したのも、25年前だ……」
「まさか……『予期せぬ妊娠』が理由で?」
ウォード夫人も、何とも言えない奇妙な眼差しで、ルシールに注目している。
グリーヴ氏は暫く思案していたが、やがて何かに納得したかのような顔になった。
「そう言えば、アントン氏は、アシュコートに行ってますね。20年ほど前に。この館の運営が軌道に乗り始めて、借金返済も見えて来たのが、その頃で……」
「……!?」
ルシールは息を呑んだ。
「余裕も少し出て来たから、娘の墓参りに行ってくると……」
「私の母は……その時は生きてましたわ!」
ルシールは驚きの余り、思わず声を上げていた。
再び奇妙な反応をしたのは、ウォード夫妻であった。ウォード夫人は、半信半疑と言った様子である。ウォード氏は頭に手をやり、目をアチコチ泳がせていた。
「アントン氏は、アイリスが生きていた事を知っていた……?」
「そうだ……! アシュコートから戻って来た後、確かアントン氏は妙な事を言っていて……自分が死んだ場合、誰がオーナー権を相続するか、とか……」
カーティス夫人が、頬に手を当てて首を傾げ始める。
「アントン氏は、何故アイリスお嬢さんを連れて戻って来なかったのかしら? タイター氏関連で、命の危険があったとか……?」
「それくらいしか思いつかないね、タイター氏はギャングだ……ローズ・パークの借金取りの一人でもあったし」
カーティス氏は、カーティス夫人の私見に同意している。
ケンプ氏もハッとした様子で続く。
「タイター氏は、アントン氏のところによく押しかけて、『婚約者に裏切られた、慰謝料を払え』と激しくやり合っていましたよ。近ごろは『オーナー権を譲れ』に変わってますね。ローズ・パークが借金まみれの時はオーナー権には見向きもしなかったのに」
一方、グリーヴ夫人とウォード夫人は、不安そうに顔を見合わせて、別の事を呟いていた。
「タイター氏は、アイリスさんの恋人を殺す、とか言ってたわよね」
「青い目の……?」
キアランは、一瞬、目の端に緊張を走らせた……
その間にもカーティス氏はルシールに向かって困ったように肩をすくめて見せ、タイター問題について更に言及していた。
「タイター氏の甥ナイジェル・ビリントン氏ね、彼もオーナー権を主張していて、管理人割り当ての個室を占領してるんだわなあ。庭園を管理してくれなきゃ意味が無いんだけどね、アシュコートの舞踏会の視察で、今は留守なんだ」
(――ナイジェル? アシュコート――?)
聞き覚えのある名前だ。ルシールは思わずギョッとして、身体を強張らせた。
(あの、セクハラ上等の、似非紳士! ああ……どうか、あの人じゃありませんように!)
ようやく衝撃が収まって来たルシールは、ふと窓の外に広がる庭園に目をやった。木々の葉が微風に揺れ、気持ち良さそうに、昼下がりの光を乱反射している。
「――庭園の見学は、できますか?」
「可能だけど……庭園と言っても、結構広いから。三時間か、四時間ね」
カーティス夫人は首を傾げて思案しながらも、端的に答える。ルシールは「そんなに!」と驚いて、頬を上気させるばかりだった。
「テンプルトンに宿を取らないと、時間的に厳しい」
キアランが冷静に指摘した。
ルシールは怪訝な思いで振り返る。
その目の前で、『そろそろ見学は終わりだ』と言う様子で、キアランはシルクハットを手に取っていたのだった。
「今、ライト嬢は、クロフォードの方で保護しているので。今日のところは、これで引き返す事にしましょう。父に報告する事も色々とありますし」
「まあ! それはそうですわね」
「ああ、タイター問題ね」
カーティス夫妻は、すぐさま納得の顔になった。
やがて、カーティス夫妻は、オーナー協会の代表夫妻として、正面玄関の前でキアランとルシールを見送った。カーティス夫人は気取りの無い笑みを浮かべながら、ローズ・パーク舞踏会の招待状をキアランに手渡す。
「今朝、いささか広報しましたが、明日の夕刻から気楽な舞踏会を開催しますから。リドゲート卿もライト嬢も、是非おいで下さいね」
*****
クロフォードの馬車は順調に帰路に着き、並木道を駆け抜けて行った。
キアランは相当に長い間、ルシールをジロジロと眺めていた。無言の眼差しに、毎度の如くルシールが居たたまれなくなって来たところで、キアランは、やっと問いを発した。
「本当に父親の事は、一切不明なのですか?」
「そういう訳では……父が母に贈った、形見のブローチがありますし」
「形見?」
ルシールは手提げ袋からアメジストのブローチを取り出すと、キアランに手渡した。
手の平ほどの、標準的なサイズ――キアランはブローチを一瞥し、すぐに納得顔になる。
「舞踏会で見かけました。このブローチは、訳ありと思っていましたが……」
キアランは、しげしげとブローチを眺めつつ、呟いていた。
バラの線描を切り出したような繊細なデザインで、無数のアメジストの粒が、その金属のラインの上に精密に埋め込まれていた。裏を返すと――金属ラインの上に、刻印された文字が並んでいる。
『愛しいアイリスへ、結婚の記念に、L、F&F』
キアランの低い声が響く。
「F&Fというのは、何処かの宝飾ブランドのロゴでしょうか。クロフォード領内では聞かない名前ですね。アメジストそのものも、さほど高価という訳でも無い。細工は見事ですし、紳士に相当する地位と財力はあったのでしょう。正式な結婚をしていたと言う証拠になるかも知れませんが……」
ルシールは不安と共に、うつむいた。
キアランは再度、ブローチをじっくりと観察している。
「謎のL氏……確かに、タイター氏の頭文字では有り得ない」
「もしかして、疑ってらしたんですか!?」
「身長が平均未満と言う共通点が……」
むくれ返って、プイと横を向くルシール。
「失礼。お返しします」
ルシールはプリプリしながらも、素直に小箱を受け取る。
キアランは足を組み直して座席に落ち着き、長い思案に入った。
馬車の中の会話が無くなり、静かな時間が流れ始めた……
*****
沈黙に落ちたキアランは、心の中で、疑惑を広げていた。
――父の態度も奇妙なのだ。
キアランは、クロフォード伯爵のルシールへの特別待遇に、少なからぬ違和感を覚えていた。
ローズ・パーク邸のオーナー協会に属していた地元紳士の孫娘とは言え、ルシールは、平均的な領民の一人でしか無い。ルシールに関する案件は、弁護士に一切の処理を任せておいても、全く問題の無い些細なレベルの物なのである。
『門番のコテージでも充分じゃ無いか』と言うレオポルドの暴言に与するつもりは全く無いが、必要な宿代くらいは伯爵家の予算から出す事は出来るし、ローズ・パーク邸にも、充分な設備の整った客室は、あるのだ。
――父が直々に関与すると言う事を聞いて、カーター氏も意外に思った、と言っていた……
ただでさえクロフォード領主として多忙な父が、直々に関与する程の、目的と理由。
キアランの脳裏に、ひとつの記憶が浮上する。
――ルシールが馬に蹴られて、怪我をした直後のこと。
キアランがクロフォード伯爵の私室に駆け付けた時、クロフォード伯爵は、朝のお茶を一服しつつ、書類に目を通しているところだった。
『父上、急に失礼します。先ほど、ドクター・ワイルドが往診に来たのですが、ライト嬢が大怪我をして、先に診ていただいていますので……』
『……!?』
クロフォード伯爵は、茶カップを取り落としていた。茶がこぼれる。キアランは呆気に取られながらも、素早く書類を救出する羽目になった。
『……父上?』
『ルシールに、いや、彼女に何があったんだ!?』
クロフォード伯爵は松葉杖なしで立とうとして、痛みに顔をしかめた。
その後、キアランは、クロフォード伯爵が無理をしないよう押し留めるのに、かなり頑張って説得しなければならなかった……
――父は何故、ルシールの事で、それ程に動転したのだろうか?
キアランは改めて、ルシールについて、レオポルドの私生児――と言う、胸の悪くなるような可能性を考えざるを得なかった。
ダレット夫人カミラも、問題のあり過ぎる性格だ。
――ルシールの母親が行方をくらます程の理由には、なる。
婚約者アイリスに逃げられたと言うタイター氏の恨み言の内容や、アイリスを直接に知っていたローズ・パークの初代オーナーたちの洩らした内容を総合してみると、それらが導き出す可能性は、明らかに一つのベクトルを持っていた。
プレイボーイ貴族。25年前、アイリスが失踪したのと同じタイミングで、レオポルドの結婚式があった。アイリスの恋人は、青い目をしていた。
全てのベクトルが集中し指し示すところの人物像は、まさにレオポルド・ダレット以外に有り得ない――
マティの推理が正鵠を射ていて、ルシール・ライトという存在が、本当にレオポルド・ダレットの、華々しい過去の結果であるなら。
*****
キアランの表情は、次第に厳しいものになっていった。
沈黙を続けるキアランの様子をそっと窺っていたルシールは、さすがにハラハラして来ていた。
――何を考えているのか分からないけれど、何か気に障った事があったのかしら。話しかけちゃいけないような険しい雰囲気だわ……




