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花の影を慕いて  作者: 深森
第三章 庭園ラプソディ
29/92

ローズ・パーク邸…オーナー協会の人々(後)

ルシールのすぐ後ろに居たキアランが、ルシールの呟きに気付いた。


「アントン氏を知っている……という事ですか?」


「確信ある訳では……多分、五歳か六歳の頃で……、一度だけで。あの教会で、何かの催しがあった時に……?」


ルシールは曖昧に答えながらも、何が引っ掛かったのかと首をひねり始めた。


――幼い頃、母アイリスと外出した日……


その日は、最寄の教会で、園芸に関する何らかの催しが開かれていたと言う記憶がある。アイリスは滅多に町に出ない人だったのだが、かねてからいつもお出掛けをねだっていた幼いルシールを連れて、その日、珍しく賑わう教会を訪れていた。


しかし、ルシールの記憶は断片的であり、アントン氏らしき老人と出逢った時の状況も、ボンヤリとしたものだった。


「何だか途切れてる……もう少し考えていれば、思い出せると思うけど……」


「頭の怪我が治れば、大丈夫かも知れない」


「それは、そうかも知れません……?」


キアランは、いつものようにムッツリとした表情で、包帯を巻かれたルシールの頭を眺めていた。


ひとまずはキアランの指摘にうなづくルシール。だが、次の一瞬、ハタと気付き、暗に『頭が悪い』と言われたような……と、モヤモヤとした気持ちになったのだった。



ローズ・パーク邸の大広間で、お茶タイムが始まる。


クロフォード伯爵邸の大広間と同じように、此処も談話室として客人に開放されている場所だ。庭園に面する瀟洒な大窓が、レースカーテンに縁どられつつ並んでいる。


淡いローズ色を帯びた大理石の床が華やかな雰囲気を醸し出していた。真ん中あたりには結構な段差があり、これはこれで興味深い構造だ。やはり舞踏会場としては充分なスペースがあり、華麗な彫刻を施された列柱が並ぶ。高い天井には、華麗なデザインのシャンデリアが下がっていた。


絢爛豪華な大広間の中にあるのは、その華やかなスペースに相応しい豪華な家具――と言う訳では無かったが、地元から提供されて来たらしい、素朴な味わいの円卓と椅子が並んでいた。


アントン氏に関するルシールの曖昧な記憶の話を聞き、謹厳実直なグリーヴ氏は怪訝そうな顔になった。


「五歳か六歳の頃? アシュコートで?」


「多分、20年前……」


ルシールは、再び曖昧にうなづくしか無い。


傍で聞いていた警備担当ケンプ氏が、驚愕の面持ちでルシールを見直した。


「今、25歳か26歳って事ですか?」


「今年25歳です」


その時、今まで慎ましく沈黙を守っていた庭園担当ウォード氏が、呆然とした様子で呟いた。茶カップを持つ手が震えている。


「アイリス嬢が失踪したのも、25年前だ……」


「まさか……『予期せぬ妊娠』が理由で?」


ウォード夫人も、何とも言えない奇妙な眼差しで、ルシールに注目している。


グリーヴ氏は暫く思案していたが、やがて何かに納得したかのような顔になった。


「そう言えば、アントン氏は、アシュコートに行ってますね。20年ほど前に。この館の運営が軌道に乗り始めて、借金返済も見えて来たのが、その頃で……」


「……!?」


ルシールは息を呑んだ。


「余裕も少し出て来たから、娘の墓参りに行ってくると……」


「私の母は……その時は生きてましたわ!」


ルシールは驚きの余り、思わず声を上げていた。


再び奇妙な反応をしたのは、ウォード夫妻であった。ウォード夫人は、半信半疑と言った様子である。ウォード氏は頭に手をやり、目をアチコチ泳がせていた。


「アントン氏は、アイリスが生きていた事を知っていた……?」


「そうだ……! アシュコートから戻って来た後、確かアントン氏は妙な事を言っていて……自分が死んだ場合、誰がオーナー権を相続するか、とか……」


カーティス夫人が、頬に手を当てて首を傾げ始める。


「アントン氏は、何故アイリスお嬢さんを連れて戻って来なかったのかしら? タイター氏関連で、命の危険があったとか……?」


「それくらいしか思いつかないね、タイター氏はギャングだ……ローズ・パークの借金取りの一人でもあったし」


カーティス氏は、カーティス夫人の私見に同意している。


ケンプ氏もハッとした様子で続く。


「タイター氏は、アントン氏のところによく押しかけて、『婚約者に裏切られた、慰謝料を払え』と激しくやり合っていましたよ。近ごろは『オーナー権を譲れ』に変わってますね。ローズ・パークが借金まみれの時はオーナー権には見向きもしなかったのに」


一方、グリーヴ夫人とウォード夫人は、不安そうに顔を見合わせて、別の事を呟いていた。


「タイター氏は、アイリスさんの恋人を殺す、とか言ってたわよね」


「青い目の……?」


キアランは、一瞬、目の端に緊張を走らせた……


その間にもカーティス氏はルシールに向かって困ったように肩をすくめて見せ、タイター問題について更に言及していた。


「タイター氏の甥ナイジェル・ビリントン氏ね、彼もオーナー権を主張していて、管理人割り当ての個室を占領してるんだわなあ。庭園を管理してくれなきゃ意味が無いんだけどね、アシュコートの舞踏会の視察で、今は留守なんだ」


(――ナイジェル? アシュコート――?)


聞き覚えのある名前だ。ルシールは思わずギョッとして、身体を強張らせた。


(あの、セクハラ上等の、似非紳士! ああ……どうか、あの人じゃありませんように!)



ようやく衝撃が収まって来たルシールは、ふと窓の外に広がる庭園に目をやった。木々の葉が微風に揺れ、気持ち良さそうに、昼下がりの光を乱反射している。


「――庭園の見学は、できますか?」


「可能だけど……庭園と言っても、結構広いから。三時間か、四時間ね」


カーティス夫人は首を傾げて思案しながらも、端的に答える。ルシールは「そんなに!」と驚いて、頬を上気させるばかりだった。


「テンプルトンに宿を取らないと、時間的に厳しい」


キアランが冷静に指摘した。


ルシールは怪訝な思いで振り返る。


その目の前で、『そろそろ見学は終わりだ』と言う様子で、キアランはシルクハットを手に取っていたのだった。


「今、ライト嬢は、クロフォードの方で保護しているので。今日のところは、これで引き返す事にしましょう。父に報告する事も色々とありますし」


「まあ! それはそうですわね」


「ああ、タイター問題ね」


カーティス夫妻は、すぐさま納得の顔になった。


やがて、カーティス夫妻は、オーナー協会の代表夫妻として、正面玄関の前でキアランとルシールを見送った。カーティス夫人は気取りの無い笑みを浮かべながら、ローズ・パーク舞踏会の招待状をキアランに手渡す。


「今朝、いささか広報しましたが、明日の夕刻から気楽な舞踏会を開催しますから。リドゲート卿もライト嬢も、是非おいで下さいね」


*****


クロフォードの馬車は順調に帰路に着き、並木道を駆け抜けて行った。


キアランは相当に長い間、ルシールをジロジロと眺めていた。無言の眼差しに、毎度の如くルシールが居たたまれなくなって来たところで、キアランは、やっと問いを発した。


「本当に父親の事は、一切不明なのですか?」


「そういう訳では……父が母に贈った、形見のブローチがありますし」


「形見?」


ルシールは手提げ袋からアメジストのブローチを取り出すと、キアランに手渡した。


手の平ほどの、標準的なサイズ――キアランはブローチを一瞥し、すぐに納得顔になる。


「舞踏会で見かけました。このブローチは、訳ありと思っていましたが……」


キアランは、しげしげとブローチを眺めつつ、呟いていた。


バラの線描を切り出したような繊細なデザインで、無数のアメジストの粒が、その金属のラインの上に精密に埋め込まれていた。裏を返すと――金属ラインの上に、刻印された文字が並んでいる。


『愛しいアイリスへ、結婚の記念に、L、F&F』


キアランの低い声が響く。


「F&Fというのは、何処かの宝飾ブランドのロゴでしょうか。クロフォード領内では聞かない名前ですね。アメジストそのものも、さほど高価という訳でも無い。細工は見事ですし、紳士に相当する地位と財力はあったのでしょう。正式な結婚をしていたと言う証拠になるかも知れませんが……」


ルシールは不安と共に、うつむいた。


キアランは再度、ブローチをじっくりと観察している。


「謎のL氏……確かに、タイター氏の頭文字では有り得ない」


「もしかして、疑ってらしたんですか!?」


「身長が平均未満と言う共通点が……」


むくれ返って、プイと横を向くルシール。


「失礼。お返しします」


ルシールはプリプリしながらも、素直に小箱を受け取る。


キアランは足を組み直して座席に落ち着き、長い思案に入った。


馬車の中の会話が無くなり、静かな時間が流れ始めた……


*****


沈黙に落ちたキアランは、心の中で、疑惑を広げていた。


――父の態度も奇妙なのだ。


キアランは、クロフォード伯爵のルシールへの特別待遇に、少なからぬ違和感を覚えていた。


ローズ・パーク邸のオーナー協会に属していた地元紳士の孫娘とは言え、ルシールは、平均的な領民の一人でしか無い。ルシールに関する案件は、弁護士に一切の処理を任せておいても、全く問題の無い些細なレベルの物なのである。


『門番のコテージでも充分じゃ無いか』と言うレオポルドの暴言に与するつもりは全く無いが、必要な宿代くらいは伯爵家の予算から出す事は出来るし、ローズ・パーク邸にも、充分な設備の整った客室は、あるのだ。


――父が直々に関与すると言う事を聞いて、カーター氏も意外に思った、と言っていた……


ただでさえクロフォード領主として多忙な父が、直々に関与する程の、目的と理由。



キアランの脳裏に、ひとつの記憶が浮上する。


――ルシールが馬に蹴られて、怪我をした直後のこと。


キアランがクロフォード伯爵の私室に駆け付けた時、クロフォード伯爵は、朝のお茶を一服しつつ、書類に目を通しているところだった。


『父上、急に失礼します。先ほど、ドクター・ワイルドが往診に来たのですが、ライト嬢が大怪我をして、先に診ていただいていますので……』


『……!?』


クロフォード伯爵は、茶カップを取り落としていた。茶がこぼれる。キアランは呆気に取られながらも、素早く書類を救出する羽目になった。


『……父上?』


『ルシールに、いや、彼女に何があったんだ!?』


クロフォード伯爵は松葉杖なしで立とうとして、痛みに顔をしかめた。


その後、キアランは、クロフォード伯爵が無理をしないよう押し留めるのに、かなり頑張って説得しなければならなかった……



――父は何故、ルシールの事で、それ程に動転したのだろうか?



キアランは改めて、ルシールについて、レオポルドの私生児――と言う、胸の悪くなるような可能性を考えざるを得なかった。


ダレット夫人カミラも、問題のあり過ぎる性格だ。


――ルシールの母親が行方をくらます程の理由には、なる。


婚約者アイリスに逃げられたと言うタイター氏の恨み言の内容や、アイリスを直接に知っていたローズ・パークの初代オーナーたちの洩らした内容を総合してみると、それらが導き出す可能性は、明らかに一つのベクトルを持っていた。


プレイボーイ貴族。25年前、アイリスが失踪したのと同じタイミングで、レオポルドの結婚式があった。アイリスの恋人は、青い目をしていた。


全てのベクトルが集中し指し示すところの人物像は、まさにレオポルド・ダレット以外に有り得ない――


マティの推理が正鵠を射ていて、ルシール・ライトという存在が、本当にレオポルド・ダレットの、華々しい過去の結果であるなら。


*****


キアランの表情は、次第に厳しいものになっていった。


沈黙を続けるキアランの様子をそっと窺っていたルシールは、さすがにハラハラして来ていた。


――何を考えているのか分からないけれど、何か気に障った事があったのかしら。話しかけちゃいけないような険しい雰囲気だわ……

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