ローズ・パーク邸…オーナー協会の人々(前)
ルシールとキアランを乗せた馬車は、クロス・タウンを出ると、テンプルトン郊外の丘を目指して走った。
この丘に建つローズ・パーク邸へ続く道は、平均的なスピードの馬車で一時間ほどの距離だ。春の柔らかな陽射しの中、田舎道を縁取るオーク林が、緑濃い木蔭を作っている。
キアランが静かな声で解説を続けている。
「昔は、この辺りは既にローズ・パークの地所の一部だったそうです」
ルシールは絶句し、再び広大な地所を眺めた。
昔のゴタゴタでクロフォード伯爵家の跡継ぎの子爵が失脚し、ローズ・パークの地主がオーナー協会に変わった今では、地代収入のほとんどは、領主であるクロフォード伯爵の物だ。しかし、ローズ・パーク邸のオーナー協会に対して分割委譲された分の土地は、オーナー協会に属する地元紳士たちの所有であり――彼らに安定した収入を約束している。
次第に庭園エリアに近付いている。牧場の囲いのような簡素な柵を抜けると、周りの光景は一気に自然公園めいて来た。乗馬コースもある。
やがて御者が、馬車の連絡窓を通して声をかけて来た。
「ローズ・パーク庭園に入りました。いつも思うんですけど、老アントン氏の庭園、スゴイですね」
緑の葉がまぶしい樹林の回廊を抜けると、凝った造形細工の華麗な柵と正門が現れた。かつてのローズ・パークの地主だった子爵の趣味は、なかなかに貴族的な物だったのだ。
広い前庭の中のロータリーを回って行く。高い庭木の間に、遂に、貴族的な豪華さを備えた白亜の館が見えて来た。まるで王宮のようだ。
馬車が玄関の前に停車する。
キアランが先に下車し、ルシールを抱きおろした。一瞬キアランと目が合い、ドキリとする。
思慮深さを湛えた深い眼差し。
ルシールは、そそくさと一礼し、熱くなったような気もする頬を押し隠した。
そのまま、弾む胸を抑えて、ローズ・パーク邸の外観を熱心に眺め始める。
此処が、母アイリスが繰り返し物語った『思い出の場所』なのだと思うと、尚更、胸に来るものがある。
――薔薇の花咲く白亜の館――
20年以上のタイムラグによる変化は確かに大きいが、かつて母が手掛けたのであろう前庭の一部分には、母が語った通りの順番で、幾種類かの薔薇の庭木が並んでいた。
前庭の別の一角には、警備人が詰めるコテージがある。中に居た大男が、訪問客たるキアランとルシールに気付いて、出て来た。
そして、今まさに通りかかった、という風の中年の三人の紳士淑女が、不思議そうに注目して来ていた。
「予約あったか? 誰か来たぞ」
「邸宅見学の方かしら?」
「でも、リドゲート卿がご一緒よ?」
ルシールが会釈すると……中年男女の三人は、ハッキリと顔色を変えたのだった。
「アイリス嬢!? 背丈が縮んでいるような……!?」
「髪の毛を染めた!?」
「……アイリスさん、生きてた……!?」
ルシールは目をパチクリさせつつ、おずおずと帽子を取った。
「私は、アイリスの娘のルシールです」
三人の中年の男女は、驚愕しきりで口をパクパクさせている。
「あれ? お知り合いですか?」
警備責任者の大男が、三人の中年男女の反応に驚いている様子で、声をかけて来た。
中年の男性がグループを代表して一歩近付き、深い驚きを浮かべながらも、ルシールをマジマジと眺める。茶褐色のフサフサとした髪と口ヒゲを生やした、誠実そうな印象の中年紳士だ。
中年紳士が、まだ仰天している顔でキアランの方を振り向く。
「驚いた……! この娘さんが新しい庭師で、オーナーで?」
「残念ながら、ビリントン家と依然、係争中です。家主側の立場としても、早々に決着したいものですが」
相変わらずムッツリとした様子で受け答えするキアランである。
ルシールは、キアランの言葉の意味を少し考え、そして内心、コブシを握らざるを得なかった。
(結局、タイター問題って、こういう事なのよね。家主の目の前で、店子が所有権を取り合っているという……考えれば考える程、喜劇としか思えないわッ!)
*****
ルシールは、挨拶もかねて、ローズ・パーク邸の華麗な玄関広間に案内された。
クロフォード伯爵邸の堂々たる玄関広間とは違って、いにしえの騎士の時代に由来するような荘重な陳列物は無い。
しかし、あちこちに置かれた趣味の良い花瓶に季節の花々が活けられており、ルシールにとっては親しみやすい雰囲気だ。天井を支える華やかな列柱には複雑で繊細な彫刻。見ているだけで気分が浮き立って来る。
間もなくして、オーナー協会の面々が玄関広間に集合して来た。全員で七人だ。
「今日は、邸宅見学という事ですね……」
白髪交じりの灰色の頭とヒゲをした、謹厳実直そうな雰囲気の中年紳士、グリーヴ氏が一礼し、オーナー協会の面々を紹介していく。
一回り若い中年の夫妻は、オーナー協会代表のカーティス夫妻。初代オーナー夫妻は既に天に召されており、彼らは二代目のオーナーであった。カーティス氏は一見して、良家の御曹司がそのままオジサンになったと言う風の、地味で大人しい中肉中背の中年紳士だ。対照的に、カーティス夫人は若々しいファッションをまとう活発そうな性格の中年女性で、好奇心いっぱいに目をきらめかせてルシールを注目していた。
前庭の警備コテージから出て来た、巨人並みの体格をした若い紳士は、これもまた二代目のオーナーで、警備担当のケンプ氏。まだ独身だ。
ルシールを見てビックリした三人のうち、男女二人は、ローズ・パーク庭園の初代オーナー、ウォード夫妻。アントン氏とは別の一区画の庭園エリアのオーナーである。平凡な中年夫婦といった雰囲気だ。ウォード氏は長年の庭園作業のせいか、フサフサした茶褐色の髪にも関わらず老けて見えるが、ウォード夫人とはそれ程変わらぬ年齢だ。ウォード夫人は、金茶色の髪と鳶色の目をした物静かな中年女性で、しっとりとした印象がある。
そして、ルシールを見てビックリした三人のうち残りの一人、淡い茶色の巻き毛も相まってふわわんとした印象のある中年女性は、グリーヴ夫人であった。その夫のグリーヴ氏は初代オーナーであり、ローズ・パーク邸の破産管財人も務めていた。
オーナー全員の紹介を終えると、グリーヴ氏は、改めて自己紹介をした。
「この私グリーヴ、当館の主人が『前のリドゲート子爵』であった頃においては、執事を務めておりました」
聞き慣れた名前に、ルシールは目をパチクリさせた。
「リドゲート子爵……リドゲート卿?」
グリーヴ氏はルシールの混乱をすぐに理解した様子で、言葉を継いだ。
「キアラン=リドゲート卿の事では無くて……昔、深刻な経緯があって失脚した『前の子爵』の件は、お聞きでしょうか? もう30年ほども前の話ですが」
ルシールは、すぐに、クレイグ牧師とマティが話していた内容に思い当たった。
(ローズ・パークの昔の地主だった人で、先々代クロフォード伯爵の跡継ぎだったけど、失脚してしまった……その子爵が、グリーヴ氏が言うところの、『前のリドゲート子爵』だわ)
グリーヴ氏はルシールを案内しつつ、ローズ・パークの歴史を簡単に説明した。
「昔は、代々クロフォード伯爵家の跡継ぎたる子爵がローズ・パークを所有し、管理されていたのですが。30年ほど前、ライト嬢もご存知の通り、『前の子爵』の負債が膨大なものとなり、館・地所もろともに切り売りの危機に直面したのです」
ルシールは耳を傾け、相槌をうった。
後ろに付いて来ているケンプ氏が補足説明を加えて来る。
「その負債、ギャング・マネーも大いに含んでいたので、借金が雪だるま式に膨れ上がっていたという訳です。方々の借金取りやギャングたちが、当館の門前に押しかける騒ぎになりまして。今も結構、ギャング=タイターとか、いや、その、トラブルが続いてますね」
グリーヴ氏が実直そうな様子で、ケンプ氏の言及にうなづいてみせる。グリーヴ夫人が頬に手を当ててながらも、おそらくは何回も繰り返して来たのだろう、滑らかに続いた。
「ローズ・パークが、膨大な借金と共に放り出された形になったものだから、借金返済と管理費用の節約を兼ねて、テンプルトン出身の中小地主が共同管理するための、ローズ・パークのオーナー協会が創設されたという訳なの」
「ダグラス家、つまり現在のクロフォード伯爵宗家にはバックアップを様々頂いておりまして、かれこれ30年――ローズ・パーク邸には借金取りやギャングが押し掛けて10年以上も混乱しておりましたが、その後は運営が順調で……幸い、社交界の名所の評判も頂くようになり、借金の返済も、大方は済みました」
ルシールは呆然と、グリーヴ夫妻の説明に聞き入るばかりだ。
(――そんな騒動があったなんて。跡継ぎ子爵が失脚して、ダグラス家がクロフォード伯爵宗家に繰り上がって……その頃って、一番大変な時だった筈だわ……)
ルシールは、回廊に並ぶ窓を眺め始めた。
見事な造りの窓枠。それを透かして、広大な庭園が見える。
「ローズ・パークは、館と庭園と、両方ともバラバラにならないで済んだ訳ですね……」
「クロフォード伯爵様のご尽力のお蔭であります」
そこで、ルシールは或る事に気付いた。
――『テンプルトン出身の中小地主が共同管理するための』……
グリーヴ氏をパッと振り返るルシール。
「テンプルトン出身の……、という事は、アントン氏は、テンプルトンの地元紳士……?」
「さよう……私も含めて、初代オーナーは全員がテンプルトン出身です」
グリーヴ氏は律儀に応じていた。ふとグリーヴ氏はルシールを見やり、懐かしそうな表情になる。
「見れば見る程……アイリス嬢に似ていますな」
「そうなんですか?」
ルシールは戸惑い、曖昧な笑みを浮かべた。
(何故か、母を知っている人は、皆が皆、そう言うみたいだわ)
*****
館の回廊の案内が終わり、最後にグリーヴ氏は画廊に続くドアを開けた。
「画廊です。オーナーたちの記念の肖像画を掛けております。サイズ制限で、小さな額のみですがね」
画廊は、ガランとした雰囲気だ。かつての絵画や家具が借金返済に充てられていたという事で、ほとんど残っていない。
しかし、豪華な壁紙が全面に張られており、壁紙だけでも一財産になるだろうと、ルシールは感心した。
画廊の真ん中に鎮座する、豪華な暖炉の上の空間に注目する。
そこには――何も無かった。
脇に、オーナー協会の面々を描いた小さな肖像画が、こじんまりと並んで掛けられているだけだ。
「前の子爵の肖像画は……無いですね?」
「借金返済のため、競売に出したので」
「競売?」
ルシールは首を傾げた。肖像画は、それ程大したお金にはならない筈である。
グリーヴ氏は微妙な咳払いをした。
「額縁が相当の値打ち物で……」
そのシニカルな様子に、ルシールは目をパチクリさせた。
前の子爵は、相当に困った人物だったと思われる。膨大な借金をこさえた上に、領地を勝手に切り売りしようとした事で謀反の罪を適用され、その結果として、爵位継承権を喪失して失脚した――と言う人物。親族関係を考えると、キアランの遠縁の伯父に当たる。
(貴族名簿とか見てないから、知らないけど。どんな人だったのかしら?)
ルシールは、顔も知らぬ先代子爵に、少しばかり興味を覚えたのだった。
*****
オーナー協会の面々は、並ならぬ関心を持って、ルシールの立ち居振る舞いを眺めていた。
「可愛らしい娘さんだね……あの偏屈老人アントン氏のお孫さんとは、とても思えん」
カーティス氏が感心した様子で呟く。ウォード夫妻は、二人して慎ましく沈黙していたが、何やら別の方向で驚いているのは明らかだ。
グリーヴ夫人が、まだ驚き覚めやらぬと言った様子で続く。
「彼女はホントに、アイリスさんに生き写しですわ!」
年若い二代目オーナーであるケンプ氏は、不思議そうな顔をしている。
「そうなのですか? 私めも二代目だから、アントン氏の娘さんの事は全く知らんのですが。確か蒸発したんですよね? 冬の真っ只中に行方不明……タイター氏を激怒させて……」
「そりゃ大騒ぎでしたわよ! レオポルド殿の結婚騒ぎの方が、大変だったけど」
グリーヴ夫人は顔に手を当てて、大きな溜息をついた。
*****
……キアランは興味を持って、その会話にしっかりと耳を傾けていた。
オーナー協会の初代オーナーたちは全員、最初からローズ・パークに関わっていただけあって、アイリス・ライトの事を良く知っている様子だ。
ルシールの母親アイリスの蒸発は、25年前だ。オーナー協会の創設から五年後に起きた出来事でもある。当時は、子爵の失脚劇を含む政変により、クロフォード領内の混乱が激化し、最悪の様相を見せていた。グリーヴ氏がいみじくも説明したように、借金取りやギャングの抗争が続いていたのだ……
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ルシールは、オーナー協会の面々に注目されている事には気づいていなかった。
暖炉の脇に近付き、ルシールは、オーナー協会のメンバーのうち一人の肖像画――即ち『アントン・ライト氏』と銘打たれた肖像画を、しげしげと眺め始める。
肖像画家は、アントン氏の性格を良く描き出していた。如何にも頑固そうな目元に口元。確かに気難しそうな老人だ。
実の祖父アントン氏は、ルシールと同じ濃い茶色の髪だ。目の色も平凡な茶色。しかし、何処と無く眩しそうに細められている。
(マティが言った通り、光が差すと紫色に変わる目だったかも知れないわ……)
やがてボンヤリとした記憶が浮かび上がって来る。ルシールは奇妙な感覚を覚えた。
初対面と言う感じがしない。
「私、この人、会った事がある……?」




